公園で見かけた方の話

私の友人にれいこさんという人がいるのだが、友人と書いておきながら友人と呼んでいいものなのかちょっと躊躇いたい気持ちもあるのだけど、とにかくれいこさんという方がいる。れいこさんのことは何年か前にブログで知り、サラサラと流れるような文章でグサグサと突き刺すような内容を毎度書かかれており更新を楽しみにしていたのだが、その後ご縁ありサイトのオフ会やオンライン飲み会で実際にお会いすることもできた。clubhouseが流行った頃には十数分お話しをしたこともあり、その時にれいこさんと呼んでいいか?と聞いたことや飼っているうさぎの名前がとても可愛くてセンスのある人はペットの名前まで素敵なんだなぁ...と思ったことを覚えている。

うさぎの名前を教えてもらった頃、彼女は社長として会社を経営する立場となっており、やっていることとかその心境などを聞かせてもらったのだが、この時はまだ会社の方向性とかが具体的ではなかったのかなと思う(なんか偉そうな言い方ですがそんなつもりは全くないです)

それからしばらくして、彼女が携わった素晴らしい仕事をTwitterで見かけた。

持て余す待ち時間に多くの人を惹きつける素晴らしい装置だなと感動した。そして私はこの動画を見てから今までよりも耳が聴こえない人や聴こえづらい人のことを考えることが増えた。というのもれいこさんTwitterでの発信の内容や情報が圧倒的に手話や耳が聴こえない人や聴こえづらい人のことに関連した内容が中心となったからだった。その内容もどこで情報を見つけるのだろうかと思うくらい幅広かった。「れいこさんのスイッチが入った!!!」れいこさんの熱量に圧倒されながらそう感じていた。(なんか偉そうな言い方ですがそんなつもりは本当に全くないです)

 

先日。2歳の子供の手をひき近くの公園に遊びに行ったのだがちょうど私たちが到着すると同時に、手を繋いだ、というか支えられた20代〜30代くらいの男性と40代くらいの女性が公園内に入ってきた。恋人とか姉弟という雰囲気ではないその2人は公園に着くなりベンチに並んで座り、男性は手を動かし意思を表明しているようだった。少し離れたところから私は男性が手話をしていることに気がつき子供と遊びながらも手話をする男性が気になってチラチラと見ていた。女性は手話をする様子は見受けられず男性の体に触れたり、声をかけているように見えた。それから女性はパンを男性の口元に近づけ男性はパンをむしゃむしゃと食べ、二人は十分もしないでゆっくりとした足取りで公園を後にした。

その数分の出来事は私に衝撃を与えた。まず手話をする人を見たのが初めてだったこと。そして初めてみる手話をよく行く近所の公園で見たということに大きなショックを感じたのであった。こんなすぐ側で手話をして生活する人がいるのになんで今まで出会わなかったのかと腑に落ちない気持ちになったのであった。

それからその時の出来事を含めてモヤモヤと考え、一つ私が思ったのはもしかしたら今までそういった方々やろう者(日常的に手話を使う方)の方に遭遇しても意識がなく気がつかなかったのではないかと考えたのだ。そうして思い出したのは、10年前くらいに溜池山王の駅で手話をして会話する人のことであった。初めてではなかったのだ。何だよ自分と思いつつも、意識をすることの重要さを感じたのだ。それと同時にこの意識を高めたのは間違いなくれいこさんの日々の発信だと確信し「れいこさーん!!」と大きな声で呼びたい気持ちになった。

次に思ったのはあまりにもわたしの日常に手話が見当たらないということだった。手話があっても「手話」とカテゴライズされている感覚があって、例えばうちでは日曜日の5時半くらいからトーマスを見てその延長で「こども手話ウイークリー」という手話の子供向けニュース番組を見てちびまる子ちゃんを見る流れなのだが、こども手話ウイークリーは手話に特化しなくてもいいのでは?と思っている。こどもニュースと手話でいいと思うし、その前のトーマスや次のまるちゃんにも手話があってもいいし、Mステのミスチルとかの演奏にも手話がついてもいいと思う。あといつも「こども手話ウイークリ」の手話をする方の服装が黒色の正装をしておりなんでもう少しラフな格好にしないのだろうと思っている。こういう点も私の日常と壁を作っているように感じるのだ。

 

 

このあいだ子が目を離した隙に私のスマートフォンYouTubeを見ていたのだが「ダンスしている人がいる」と言いながら私に動画を見せてきた。見てみると子が好きなCocomelonというYouTubeの歌番組の動画に手話をする人が映っているものだった(Cocomelon MyGo! Sign Language For Kids というものです)

「これはダンスじゃなくて手話と言うんだよ」と伝えたところわかったのかわかっていないのかはわからないが、子はよく聞く音楽に合わせてリズミカルに手を動かしている様子が面白かったらしくジッと見ていた。たしかにダンスをしているみたいだねと言いながらやけに薄着なお姉さんの手話を子と一緒に眺めた。こんなに薄着じゃなくてもいいけどカジュアルな格好であるとやはり親しみが持てる。

 

www.youtube.com

 

それから息子と動画を見るときに何が見たい?と要望を聞くと「シュワ」と言ってこの動画を希望したり「ベツノシュワ」と言ってこのシリーズの他の手話動画を見たいと希望するようになった。本人は手話が一体なんなのかたぶんわかっていないのだが、子にとって手話という伝達手段が面白く感じているようで、時々真似をしたりしている。おそらく「これが手話だよ」と手話の童謡などを見せてもたぶん興味は湧かなかったと思うのだが、見覚えのある映像と音に手話が付いたことにより、なにか響くものがあったのではないかと思う。

英語と日本語の手話は一緒ではないし英語手話を使うことはほぼないかもしれないけど、子が様々な世界に関心を持って楽しむ様子を見て嬉しく思う。日本の見慣れた子供番組に手話が付いている動画はないのかなと探したが、YouTubeでは見つけることができなかった。

 

れいこさんの発信や公園で見かけた方から影響を受けて私が「では手話を習います」と手話を習い始めるつもりは今のところはないのだけど、刺激を受けたことに対して考え振り返ること、思ったことを記すことは小さな歩み寄りになるかなと思いモジモジと綴ることにした。

 

たぶん私が公園で見かけた方は盲ろう者の方だったのではないかと思っている。このブログを書くためにその日のことを振り返ったり調べたりして、盲ろう者という言葉と概念を知った。34歳で知った自分の無知を恥つつも、誰でも簡単に、もっと早く辿り着くような社会であるべきだと感じている。

 

今年の振り返りと来年の目標(2022)

もうあっという間に今年も残り僅かで私は今年はどうで来年はこうしたい云々言いたい達なのでご覧のようにもう来年の抱負もたてているのだが、まず今年の目標は達成したのかと思い過去の日記を振り返ってみたところ4つ立てた目標のうち1つしか達成できていませんでした。残念ですね。

 

satomiconcon.hatenablog.jp

 

去年の目標達成具合を簡単な表にすると

英語学習→◎

文学フリマ→×(準備はしたがコロナを懸念して諦め、そのままやる気↓)

車購入→×(今のところカーシェアで満足)

真剣なうがい→×(普通にうがいしてます)

 

という感じで、そのほか歴史の知識を深めるぞとかランサーズに登録して小遣い稼ぎをするぞなど中途目標も勃発したりしましたが、英語以外はみんなもうやらずライター活動に関しては何もしておらずで、物事への興味の着火は早いのに鎮火も早くて自分はまぁそんな人間だよなと冷眼している。自分を見つめるのにも目標を定め振り返るのはいいことだなと結論付けたい。

そんな物事への興味関心尻軽女が英語学習だけは毎日コツコツと続けており、自分もなんでこんなに頑張れるのかと不思議なほど継続しているので是非とも自分には来年も英語を頑張ってもらいたいと思う。去年は単純に英会話の向上だけを目標に掲げていたので来年はもっとピンポイントな目標を立てたいと思います。

 

◎ここからは来年の目標です

 

TOEIC600点

英会話にTOEICが役立つかというとそんなに重要ではないと思うのだけど単語や文法を知ってることは必要で、できるだけ多くの単語を知っていることで会話にも役立ってくると思ている。私の性格的にただ単語を覚えるのが無理なので(今もそういう勉強はしていない)TOEICというモチベーションを立ててみるのはいいように思う。もうすでにTOEICというスペルがわからず調べて書いている私なのだが、果たして何点採れるでしょうか...目標は自分のレベルよりもちょっと高めの600点とします!(正直TOEIC600点がどのくらいのレベルか知らないんだけど)2月に試験があるらしいのでそれに向けて頑張りたいと思う。

 

 

お焚き上げに行く

根が川原絵音なので終わった恋を引きずる期間が短く別れ話をした日の夜に合コンに出かけてしまうような性格をしていたため実家に以前お付き合いをしていた方々の写真が簡単に手の届くようなところに置いてある。そのアルバムを見れば私の歴代のカレピ達を閲覧できるようになってしまっている。たぶん別れた時になにかしらの感情があれば処分するなりもっと別のところにしまうなどするのだろうけど、残念ながらどうとも思わずそのまま放置してしまったので今に至っている。

最近「子供が親の歴代の彼氏を見たら嫌な気持ちになるのでは?」とようやく不安に思うようになり、子供が小さいうちにこれは整理しとかないといかんなと思い直しているところである。私の友人に神社の娘がおり相談したところ「ありがとうと思いながら袋に詰めて全部持ってこい」と言われたので来年には実家の写真を整理してお炊き上げをしたいと思う。ちなみにその友人には「あんたとの思い出はお焚き上げしたよ」と何年も前に私を燃やしたという事実を告げられている。また私のお焚き上げの相談を聞いていた別の友人は「写真だけじゃなくてデジカメのSDカードも確認しておきな、私それで旦那に呼び出されたことがある」とデスクトップに映されたほぼ全裸の自身の写真を指差し「これはなんだ」と問い詰められたという話をしてくれた。とにかく色々整理して「優しくて潔白なお母さん」像を貫いていこうと友人達と健闘を称え合った。

そうして無事お焚き上げが完了した暁にはハイエナズクラブで記事にしたいと思います。

 

皆様良いお年をお過ごしください、皆様の健康とご多幸をお祈りしています。

生活と就労に日々悩み、社会に不満を持っている

11月は忙しく気がつけばもう終盤、今年も残りあと1ヶ月となっており時の流れの速さに驚いている。

11月の出来事の一つに保育園の申請があった。そもそも保育園を利用したいかどうかちょっとよくわかんないという気持ちなのだが「あの時申請していたら..」と思い返したら嫌だったので申し込んだ。それなりに働く意欲もあり、これから歯科衛生士として復帰するのであれば小児歯科の技術や知識を身につけていこうという目標も見つかりやる気もあるのだが、家庭で楽しく心地よい環境を作るというのも私の願いなので、そのためにどのくらいの仕事量をこなせるのかというのが未知で悩ましく思っている。所謂家庭と仕事の両立がうまくいくのかということに自信がないのだ。だけど働く意欲はあるので「保育園が決まったら仕事がんばってみよう、決まらなかったら幼稚園に入れよう」というゆるい考えでいる。育休中の保育園活動は職場復帰が心底嫌でわざと落ちるように活動していて(でも内定をいただき、そして復帰する前に仕事を辞めたので結局1週間くらいしか保育園に通わなかった)それに比べると今回は前向きな気持ちで保育園を利用したいと思っている。前職では正社員の復帰を希望していたものの、時短勤務も認めてもらえず「本当に両立できるの?パートになった方がいいんじゃない?」と気を遣っているように見せかけてマタハラしてませんか?みたいな声かけを出産後にされ憂鬱でしかたがなかった。ただ、小さな職場で少ない人数(歯科医師、長老歯科衛生士、私、ときどきパートの人計4人)で長らく働いていたので私が妊娠したことで大変な事になっているのもわかり、いつ休むかもわからない時間も限られた正社員の穴をフォローもできないだろうし、自分も時間いっぱい身を粉にして働きたくもなかったので渋々パートの申し出を受け入れてしまったのであった。そんなことで働くモチベーションは急落、個人経営をものすごく憎んでいた矢先にコロナウィルスが流行し「あぁ、神はわたしに仕事を辞めろといっているのですね」と都合のいい解釈をし「辞めます、そして引っ越します」と皆さんに宣言し10年以上勤めた職場を去ったのであった。 

そんなこともあったので、私の生きる社会に子供を育てながら真っ当に働くなんてできるの?と思ってしまう。元につくば市では一度職を離れてしまった人が復職する場合16時半までという短時間での預かりでしか何故か申請できず、新しい職場でそんな都合よく帰してくれる会社なんてあるの?(都内で働いたら15:30とかに退社しないとだよね...?)と思う。だからそうなるとパートでの復帰という選択になるだろうし、そもそも点数の関係で離職した人は申請が通りにくいので、保育園の申し込みをしてみたがまぁうちは決まらないだろうなと思っている。それなら幼稚園に通えばいいのだが、今の私は働く気があるのになぁ社会。と残念にも思う。育休中のあの時は働きたくないしもっと子供を家で見ていたかったのに保育園の内定をもらい(保育園の申請をしない者は基本育児手当も給付されなくなってしまう)、パートにされてしまい、それなのに男も女もみんな平等に働きましょう!子供どんどん産み育てましょう!という声に「...はぁ」と思う。これがもしわたしが大企業に勤めていたらそんな悩みはなかったのでしょうか...

 

そんなかんじで生活と就労に日々悩み生きているのだが、先日自転車でスーパーから帰ってきたところ近所に住むインド人のママと遭遇し立ち話をした。一年位前から近所のファーストフード店でパートをしている彼女に「仕事は慣れたか?」と聞いたところ慣れたよの返事と「今の職場はマネージャーも英語ができるし他の従業員も外国人が何人も働いていて皆と英語で会話しているから、日本語ができなくても問題ないんだ」と返された。私がそれはコンフォテボーだねと言ったあとに彼女はそうねと言い「他のところも受けたけど日本語が話せないから雇ってもらえなかったんだ」と残念そうに言っていた。彼女の言葉を聞いて外国人労働者の受け入れや支援はまだ理想でしかないんだという悲しみと、この町でその受け皿となっている場所が近所のファーストフード店であることを知り、私も高校生の頃に3年間働いたことのある某ファーストフード店を初めて誇らしく思ったのであった。

そんな彼女の話を聞いた後に某ファーストフード店のことを考えてみると、フリースケジュール制という柔軟さ、経験者であることの自信(スターという役職まで上りつめました!)、憧れのグローバルな職場、多様な文化や語学を学べるチャンス、そして世界的な大企業...

 

「もしかすると近所のファーストフード店は私にとってもかなりコンフォテボーな職場なのでは... !?」

 

生活と就労に悩むさとみこんこんの話はつづく

 

 

 

卵にこだわるさとみこんこん

だいたいスーパーでは一番安い卵を買っていたのだがある日今日は卵だけ買いたいという日が訪れ、大型スーパーに行くよりも品数は少ないが買い物時間は短縮できる店のほうが良いとそちらをチョイスしたところ、10個入り300円オーバーの卵しか売っておらず「え...」と思いながらも高い卵を渋々買うこととなった。ところがその卵を割ってみたところきみの色は濃いオレンジ色をしており、白身には弾力があり、味は濃厚なうえ地産地消産でいつものプラス120円ほどでこんなに価値を得られるのかと感動。この卵で作ったかに玉(カニカマで作ったかに玉)の美味しかったこと!その日を境に私は卵に目覚めたのであった。

お母さんは昔、たまご先生と呼ばれていたことがあってね。と誰も聞いてはいないが過去卵への執着が家族一だった私を家族が「たまご先生」と呼んでいた日のことを心の中で説きながら300円オーバーの卵しか売っていない店で卵を物色。お母さんはね、昔「私、卵が好きで」と合コンで公言した女性が男性陣から一斉に卵焼きを皿に盛られる様子を見て「自分は家族からたまご先生と呼ばれています!」と叫びたい衝動をキャラが被るという理由でグッと我慢をしていた過去があるんだよ、と心で説きながら今日はこっちにするかな!と前回の素晴らしい卵ではない赤玉の別の卵を購入。ところがるんるんで帰宅し家で食べてみたところ、前回の卵ほどの感動は味わえなかったのだった。

今のところたまご先生ランキング暫定1位に輝いているのは、つくばの大地でパプリカを食べて育った「天王原のたまご」です。みなさん機会がありましたら是非ご賞味ください!

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【祝】側わん症手術術後10周年

今年の6月で側わん症の手術が術後10年を経過した。最後に検診をしたのが5年前だったので節目だしそろそろ経過をと思い、病院の予約を夏頃から入れていた。幸いコロナウィルスの感染者数も激減したタイミングで東京に向かうことができたのでよかった。

病院も久しぶりだが東京に来るのも久しぶりで、天気がよければ家族で東京に遊びに来る予定であったが生憎の雨模様。息子と夫を残し1人で向かうことになった。つくばから初めて東京方面に出向いたのだが「上野東京ライン」という線があることを初めて知った。まだ見知らぬ路線があったんだなと日暮里の街を眺めながら電車に揺られていた。

東京駅に到着し5年ぶりに病院へ足を運んだのだが久しぶりすぎて道がわからなくなってしまった。道に迷ったので雨の中Googleマップで検索をし、記された方に歩いたのだがさらに道に迷ってしまい焦った。Googleマップの理解よりも自分の記憶の復元のほうが早く、マップを見ても道に迷うだけなのでGoogleマップを閉じ自分の記憶を頼りに病院へ向かった。

予約ギリギリの時間に病院に到着し、検査着に着替えたあとは身長や体重の測定と何枚かのレントゲン撮影をして資料を撮った。その後術後10年経過の人用のアンケートを渡され結構な数の問いに回答していった。「体の痛みで立っていられない」「日常生活のほとんどがうまくできない」「自分の背中の見た目についてどう思うか」などの問いを見て、私は自分の背中のことを本当に何も気にせず過ごすことができていてラッキーなんだなということと感謝の気持ちを感じた。

その後主治医の診察のため部屋に案内された。実はもう先生は退任されたんじゃないかと心配していたのだが、先生は5年経っても何も変わっておらず白髪の長身のスマートな先生のままで安心した。さとみこんこんちゃんと先生は私のことを何故かちゃん付けして呼んでくれ、「何も問題ないね」とレントゲン写真を見ながら経過を見てくれた。先生に「写真撮っても大丈夫ですか?」とレントゲン写真の撮影の許可を伺った。すると「どういう意味だ!」とめっちゃ怖い声で聞き返されGoogleマップを見て道に迷った時かそれ以上に焦った。「以前も自分のレントゲン写真を記録用に撮らせてもらったので、また今回もお願いしたいと思いお尋ねしました...」とドキドキしながら伝えたところ「それなら写真撮ってもよろしいでしょうかだろ!ちゃんとした日本語を使いなさい!」と主治医に叱られた。さっきまで私のことをちゃん付けで読んでくれて和やかな感じだったのにすごい怖い顔で日本語を指摘され悲しい気持ちになったが自分のレントゲンの写真は撮らせてもらった。その後の検診は順調に進み、最後に「5年ぶりですが先生が何もお変わりなく安心しました」と先生にお伝えすると「そんなことはないさ、でもこないだの認知症の検査は100点満点だったよ」と笑顔でお応えになられ、私は安堵と不安を同時に感じたのであった。

なんだかんだ検診が終わったのは2時過ぎで、息子が待っているので早く帰ろうと思いつつも昼を食べずにお腹が空いていたので何か食べて帰ろうと素早く店を物色した。寿司も違うしなんかピンと来る店がないなと東京一早く歩いてるんじゃないかというくらい素早く移動していると段々ラーメンの気分になってきて「よし!ラーメンだ」とラーメン屋を探し出したがなかなか見つからず、東京駅の駅ビルにはきっとラーメン屋がないんだと諦めの念を抱いていたところ某新◯ビルにラーメン屋っぽい店を発見した。ただメニューをよく見るとラーメンではなく創作蕎麦屋の店でたぶんここは違うぞと思いながらも歩き疲れてしまったのでそこで食事をすることにした。

辛味チキンそばという商品を注文し、コの字カウンターに両サイドを透明のボードで仕切られた席に案内された。コの字カウンターはほぼ客で埋まっており、そばを啜って食べる人々の顔が一望できそして私もその一味として加わった。待つこと3、4分で辛味チキン蕎麦が登場し、マスクを外しそばを味わった。一口食べた感想は「美味しくない」であった。そばはラーメン風に太くコシを与えているためアゴが疲れるし粉っぽいし脳がこれは蕎麦じゃないと叫んだ。これで1000円か、富士そばのほうがよかったしわたしゃどん兵衛のが美味しいよと心の中で呟きながら噛みごたえのある蕎麦を一生懸命噛んでいた。やたら盛られたノリは歯にくっつくし啜った時に邪魔だし、味の濃い汁はそばと全然絡まなくて最悪だ。あー最悪だと思っていたらBGMでエイミーワインハウスが流れ出した。エイミーは違う、エイミーは違うだろ、蕎麦屋エイミー・ワインハウスを流すな!と心の中で唱えながら私は蕎麦を啜り、噛んだ。蕎麦をモグモグしながら顔を上げると蕎麦を懸命にモグモグしている人々が一望できた。あなた騙されていると思いませんか?私はラーメンっぽい蕎麦屋にいる人々に問いたかった。

蕎麦を食べ終え昼食をハズした悲しみを抱え私は自宅に帰ることにした。途中夫と子供にお土産をと思い、ホームまでの道のりでお土産を買おうとしたがお土産がありすぎて何を買ったらいいのかわからず判断能力がバグっていく感覚に陥った。結局あんこが好きな夫に「銀座の店のどらやき」電車の好きな息子に「貨物列車の絆創膏とはやぶさの形をした水」自分に「FLOのカヌレ」を買って帰った。

そして電車の中でFLOはイーアスにも入ってたなということを思い出した。(イーアスはつくばにあるショッピングモール)

 

 

パジャマの歴史

 

最近通販でパジャマを購入した。色々な犬種の犬が帽子を被って嬉しそうにしているパジャマで、ふかふかしているけど綿100%で生地もしっかりしておりすごく気に入っている。ズボンだけで5000円くらいするし悩んでたんだけど買ってよかった。私はアトピーなので寝巻きは通気性がよく肌に優しい素材で寝たい派なのだが(動物柄だと最高)、無印で買ったパジャマは何故か1年足らずで二枚とも尻が破れるという惨事を経験しているためパジャマに関しては無印良品のことを信頼していないしもう信頼できない。5000円弱するのにすぐ尻が破れるってどういうことなんだとこの場を借りてクレームをぶつけたい。

過去にGUから綿のパジャマが出ており、GUで買ったシロクマのパジャマはすごくお気に入りだったのだが2、3年で膝が破れて残念ながら処分することになってしまい、それからまたGUで探したけどやけにモフモフした素材の化繊のパジャマばかり販売されていて残念だな...と思っていたら(その後オーガニックコットンのパジャマというのも販売され始めたが好みではなかった)近々フランネルのテディベア柄のパジャマというのが発売されるみたいでちょっと欲しいなと思っている。コットンだったら嬉しい。ここからは私の歴代の動物柄パジャマを紹介したい↓

 

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2016年に買ったテディベア柄のパジャマ。人生で初めてシルクパジャマを買って嬉しさのあまりクマを連れて近所で記念撮影をしてもらった時の1枚。シルクは肌を綺麗にしてくれるらしいが洗濯に苦労するので庶民が扱うものじゃないと実感。これが最初で最後のシルクのパジャマだと思う。これも確か膝が破れて泣く泣く処分した。

 

 

 

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GUのセールで1990円くらいで買ったシロクマパジャマ。とにかく柄が可愛くてお気に入りだった。たまたま似たようなシロクマパジャマが赤ちゃん本舗で売られていたので息子とお揃いで着れた。再販を願う。

 

 


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GUで買った2代目シロクマのパジャマ。本当は前のが断然可愛かったしそもそも素材がコットンじゃないけど試しに買うか...と惰性で買っただけあり、シロクマの顔も太々しい顔立ちをしているように見える。しかもこのモフモフの素材、寝ていると冬でも暑いししまう時に膨れ上がってかさ張るので本当にオススメしない。現在は圧縮袋に入れてタンスの奥底で眠っている。シロクマの顔がもっと太々しくなっていたらどうしよう...

 

その後しばらく無印パジャマ時代を過ごし....

 

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2021年の秋、最近買った犬のパジャマ。とにかく犬が嬉しそうに帽子を被っている様子が眺められるのが良い。素材もしっかりしているし触り心地はフワフワだし、ポケットもついていて素晴らしい。L.L.beanで購入。もう二度と穴が開かないで欲しい。

 

 

それぞれの、駐車場での

先日私の両親と私と2歳の息子で初めて外出をした。コロナや距離の問題がありなかなか揃って出かけることが難しかったのだが、皆の予定も合いせっかくなのでということで、父の運転で大宮の方まで出かけたのであった。

目的地まで少々迷いながらも到着し、駅の最寄りにあったコインパーキングに車を駐車した。やっと着いたねと言いながら母が車から降り私と息子が続いて下りると、母が抑えめな声で「やだ、こんなもの誰が落とすんだか」と言った。母の向けられた視線の方を見てみたところ破れたコンドームのパッケージと縛られたその中身が駐車場に落ちており私は初めて見るその落し物にギョッとした。母はそれを見て誰が落とすのか?との感想だったが私は使う配慮はあるのに持ち帰る配慮はないんだなという感想で、しかしそれを母になんとなく言う気にもなれず「あー、こんなの落ちてる、気持ち悪い」と当たり障りない言葉をやや弾んだ声で呟き目的地まで歩き始めた。

用事が済み駐車場に戻ろうとしたときに「ちょっとコンビニに行ってくる」と言って父だけコンビニに向かい我々は駅近くの自動販売機で待機をし、ついでにリンゴのジュースを買った。ジュースを買った私に「ねぇセブンティーンアイスが売ってて食べようか迷ってるんだ。このグレープのアイス結構美味しいから」と母が言ったので「買ったら?私はいらないかなぁ」と答えた。母はどうしようかとアイスの自動販売機をしばらく眺めた後に「やっぱりいいや...」と言ってアイスの購入を断念していた。それからその場でしばらく父を待ったが、父はなかなか現れず先に駐車場に戻ったのかもねと言いながら駐車場に向かった。

駐車場に着くと父はまだ戻っておらず車の鍵はかかったままだった。まだ戻ってなかったねと言いながら3人が駐車場の日陰で待っていると茶色い紙袋を抱えた父が戻ってきた。コンビニに行って茶色い紙袋を抱えたことがなかったので一体何が入っているのかと覗き込むと中にはハロハロが3つとポテトが入っていた。「ハロハロだ!」私はハロハロという名称を声高らかに久しぶりに発し、母は「アイス、買わなくてよかった」と言った。

父の買ってきたハロハロに沸き立つ我々が車に乗り込むと、母がやや小さい声で「さっきのあれ、なくなってた」と私に報告をしてくれた。さっきのアレとは例のコンドームで、気分がハロハロの私はすっかり使用済みのコンドームのことを忘れていたのだが、母が中学生のようにあれの行方を教えてくれたことに驚いた。私の中で母は神経質で真面目という認識が強いのだが、あの微妙な物を無視をせずに割とポップに話してくれたことに驚き、35年近く親子であってもまだまだ私の知らない母の一面が結構あるのかもしれないし、私はちゃんと母のことが見えていたのだろうかと少しハッとする思いをしたのだった。

それから父の買ってきたハロハロを発車前の車内で食べた。そういえば我が家では月1か、それよりも短い間隔で父がミニストップでハロハロかソフトクリームを買ってきて家族5人でうまいうまいと食べていたな、とすっかり忘れていた記憶を懐かしく思い返した。利用していた近所のミニストップが潰れてしまってからはその行事も途絶えてしまい久しくハロハロを食べない人生を送っていた私は、約15年ぶりに食べるハロハロを特別に美味しく感じていた。「そういえば○○ちゃん(私の妹)と家の近くに欲しいコンビニNo. 1はミニストップだよねって話したんだよね」と母はゴロゴロ入ったハロハロのマンゴーに喜びながらそう言った。

またこうして久しぶりに家族とハロハロを食べた駐車場での時間は、主要の用事よりも思い出深いものとなりハロハロが食べられてよかったねと言い合った。ハロハロを食べ終わった父が「じゃあ行くか」と言って車を出発させ、ハロハロを食べ終わった後部座席の私たちはポテトを食べ始めた。何もかもこんなに美味しいのにミニストップは何故ボコボコ潰れていってしまうのか?と母と会話しながら私はあんなゴミ誰が落とすんだかとひっそり考えていた。