公園で見かけた方の話

私の友人にれいこさんという人がいるのだが、友人と書いておきながら友人と呼んでいいものなのかちょっと躊躇いたい気持ちもあるのだけど、とにかくれいこさんという方がいる。れいこさんのことは何年か前にブログで知り、サラサラと流れるような文章でグサグサと突き刺すような内容を毎度書かかれており更新を楽しみにしていたのだが、その後ご縁ありサイトのオフ会やオンライン飲み会で実際にお会いすることもできた。clubhouseが流行った頃には十数分お話しをしたこともあり、その時にれいこさんと呼んでいいか?と聞いたことや飼っているうさぎの名前がとても可愛くてセンスのある人はペットの名前まで素敵なんだなぁ...と思ったことを覚えている。

うさぎの名前を教えてもらった頃、彼女は社長として会社を経営する立場となっており、やっていることとかその心境などを聞かせてもらったのだが、この時はまだ会社の方向性とかが具体的ではなかったのかなと思う(なんか偉そうな言い方ですがそんなつもりは全くないです)

それからしばらくして、彼女が携わった素晴らしい仕事をTwitterで見かけた。

持て余す待ち時間に多くの人を惹きつける素晴らしい装置だなと感動した。そして私はこの動画を見てから今までよりも耳が聴こえない人や聴こえづらい人のことを考えることが増えた。というのもれいこさんTwitterでの発信の内容や情報が圧倒的に手話や耳が聴こえない人や聴こえづらい人のことに関連した内容が中心となったからだった。その内容もどこで情報を見つけるのだろうかと思うくらい幅広かった。「れいこさんのスイッチが入った!!!」れいこさんの熱量に圧倒されながらそう感じていた。(なんか偉そうな言い方ですがそんなつもりは本当に全くないです)

 

先日。2歳の子供の手をひき近くの公園に遊びに行ったのだがちょうど私たちが到着すると同時に、手を繋いだ、というか支えられた20代〜30代くらいの男性と40代くらいの女性が公園内に入ってきた。恋人とか姉弟という雰囲気ではないその2人は公園に着くなりベンチに並んで座り、男性は手を動かし意思を表明しているようだった。少し離れたところから私は男性が手話をしていることに気がつき子供と遊びながらも手話をする男性が気になってチラチラと見ていた。女性は手話をする様子は見受けられず男性の体に触れたり、声をかけているように見えた。それから女性はパンを男性の口元に近づけ男性はパンをむしゃむしゃと食べ、二人は十分もしないでゆっくりとした足取りで公園を後にした。

その数分の出来事は私に衝撃を与えた。まず手話をする人を見たのが初めてだったこと。そして初めてみる手話をよく行く近所の公園で見たということに大きなショックを感じたのであった。こんなすぐ側で手話をして生活する人がいるのになんで今まで出会わなかったのかと腑に落ちない気持ちになったのであった。

それからその時の出来事を含めてモヤモヤと考え、一つ私が思ったのはもしかしたら今までそういった方々やろう者(日常的に手話を使う方)の方に遭遇しても意識がなく気がつかなかったのではないかと考えたのだ。そうして思い出したのは、10年前くらいに溜池山王の駅で手話をして会話する人のことであった。初めてではなかったのだ。何だよ自分と思いつつも、意識をすることの重要さを感じたのだ。それと同時にこの意識を高めたのは間違いなくれいこさんの日々の発信だと確信し「れいこさーん!!」と大きな声で呼びたい気持ちになった。

次に思ったのはあまりにもわたしの日常に手話が見当たらないということだった。手話があっても「手話」とカテゴライズされている感覚があって、例えばうちでは日曜日の5時半くらいからトーマスを見てその延長で「こども手話ウイークリー」という手話の子供向けニュース番組を見てちびまる子ちゃんを見る流れなのだが、こども手話ウイークリーは手話に特化しなくてもいいのでは?と思っている。こどもニュースと手話でいいと思うし、その前のトーマスや次のまるちゃんにも手話があってもいいし、Mステのミスチルとかの演奏にも手話がついてもいいと思う。あといつも「こども手話ウイークリ」の手話をする方の服装が黒色の正装をしておりなんでもう少しラフな格好にしないのだろうと思っている。こういう点も私の日常と壁を作っているように感じるのだ。

 

 

このあいだ子が目を離した隙に私のスマートフォンYouTubeを見ていたのだが「ダンスしている人がいる」と言いながら私に動画を見せてきた。見てみると子が好きなCocomelonというYouTubeの歌番組の動画に手話をする人が映っているものだった(Cocomelon MyGo! Sign Language For Kids というものです)

「これはダンスじゃなくて手話と言うんだよ」と伝えたところわかったのかわかっていないのかはわからないが、子はよく聞く音楽に合わせてリズミカルに手を動かしている様子が面白かったらしくジッと見ていた。たしかにダンスをしているみたいだねと言いながらやけに薄着なお姉さんの手話を子と一緒に眺めた。こんなに薄着じゃなくてもいいけどカジュアルな格好であるとやはり親しみが持てる。

 

www.youtube.com

 

それから息子と動画を見るときに何が見たい?と要望を聞くと「シュワ」と言ってこの動画を希望したり「ベツノシュワ」と言ってこのシリーズの他の手話動画を見たいと希望するようになった。本人は手話が一体なんなのかたぶんわかっていないのだが、子にとって手話という伝達手段が面白く感じているようで、時々真似をしたりしている。おそらく「これが手話だよ」と手話の童謡などを見せてもたぶん興味は湧かなかったと思うのだが、見覚えのある映像と音に手話が付いたことにより、なにか響くものがあったのではないかと思う。

英語と日本語の手話は一緒ではないし英語手話を使うことはほぼないかもしれないけど、子が様々な世界に関心を持って楽しむ様子を見て嬉しく思う。日本の見慣れた子供番組に手話が付いている動画はないのかなと探したが、YouTubeでは見つけることができなかった。

 

れいこさんの発信や公園で見かけた方から影響を受けて私が「では手話を習います」と手話を習い始めるつもりは今のところはないのだけど、刺激を受けたことに対して考え振り返ること、思ったことを記すことは小さな歩み寄りになるかなと思いモジモジと綴ることにした。

 

たぶん私が公園で見かけた方は盲ろう者の方だったのではないかと思っている。このブログを書くためにその日のことを振り返ったり調べたりして、盲ろう者という言葉と概念を知った。34歳で知った自分の無知を恥つつも、誰でも簡単に、もっと早く辿り着くような社会であるべきだと感じている。