蔡國強展に行った話

もう3ヶ月くらい経ってしまったのだが、かなり久しぶりに美術館に行った。以前は家から美術館までのアクセスもよくそこそこ行っていたのだが地方に引っ越した後は足が遠のきはたまた子供が生まれてからは美術館という場所は無縁の存在に。しかし今回たまたま夫と私の平日休みが重なり子供も保育園に預かってもらえることができたので、普段出かけないようなところに行きたいと思い夫を誘って国立新美術館で行われていた蔡國強展に行ったのだった。

ところで美術鑑賞の中で私は現代美術を見るのが一番好きだと思っているのだけど、それを意識したのは六本木ヒルズにある森アーツセンターギャラリーで行われていた小谷元彦さんの幽体の知覚展(2010 10月〜2011 2月末)を見た時のこと。姉に誘われ当時23歳のギャルこんこんはなんだかよくわからずについて行ったのだけど、その時に見た赤いシャボン玉が弾けて真っ白なキャンバスに飛び散っていく映像をすごく綺麗だと思って眺めいていたら、その赤いシャボン玉の色素はご自身の血液と知った時に背筋が凍る思いと共に現代アートって面白い!と若きこんこんは魅了されたのでした。

小谷は、恐怖、痛み、不安、皮膚感覚などの抽象的な身体感覚や精神状態を作品として具体化し、私たちが普段忘れているもの、あるいは見ないようにしてきたものを目の前に突きつけます。毛髪でできたドレスや拘束具を着けた動物、異形の少女、やせ衰えた武者の騎馬像、激しい滝の水流など、一つの解釈に帰着しない多層的なイメージは、美と醜、生と死、聖と俗の境界線上にあり、見る者の潜在意識や神経を刺激しつつ、妖しい魅力を放ちます。

https://www.mori.co.jp/company/press/release/2010/11/20101126113000002074.html

 

その頃は作品の内容をよく考えることもなくただ視覚から入った情報を感じてなんかすごいぞ〜!とドキドキして眺めていたのだけど、今あの時の作品がどういうものだったのかということを思い返してみると、作家さんの狙い通り(?)の感想を抱いたというかあのインパクトを10年以上覚えていて、尚且つそこから現代アートに興味を持って自ら足を運ぶようになったのだから私にとって運命的な作品だったなぁと振り返っています。

しかしそこそこ行っていたはずの現代美術鑑賞なのですが、その時のことを

 

覚えておらず

覚えておらず

全く覚えておらず.....

 

という感じでほぼ記憶に残っておらず行った時は楽しかったり感動したのでしょうが内容は全く覚えていません....私は一体何をしに行っていたのでしょう...

しかし作品鑑賞だけではなく、美術館の非日常的で凛とした空気感を体感したいという理由もあり、今回数年ぶりに美術館に行きました。

好きな美術館の一つである国立新美術館の展示の内容を調べてみたところ、イヴ・サンローランがバックアップする火薬を使ったアートの展示があるとのこと。イヴ・サンローランが支持しているならなんか綺麗そうだなという漠然とした理由で蔡國強展を見に行くことを決めたのだった。

乃木坂駅から夫と歩き、国立新美術館に到着。平日ということもあってか並ばずに入場することができた。

会場内に入ってまず目についたのは館内のちょうど真ん中くらいにクリスマスの電飾のように輝くオブジェの存在だった。

 

UFOや踊る宇宙人、アインシュタインなどが宙に吊るされキラキラと時々カラフルに、時には真っ赤に輝きながら中央で回転していた。これだけ見ていていもなんかワクワクしてくる存在だった。

これらが何かというと2019年に「未知との遭遇ーメキシコのための宇宙プロジェクト」

と題した大規模な花火を行った際に、蔡さんがメキシコの伝統的な技術を用いて巨大な花火塔によって表現した作品だそうで、今回その花火塔にLEDを巻き付けて大規模なインスタレーションを作成したとのこと。蔡さんは宇宙や目に見えない世界への関心が高いそうで、そうした存在が作品にもかなり影響を与えている様子が鑑賞できた。

この宇宙人達をぐるりと囲むように、蔡さんのこれまでの半世紀近くに渡る作品が壁に沿って展示されていた。反時計まわりにぐるりと進むとこれまでの蔡さんの軌跡が辿れるようになっていた。

蔡さんは日本で暮らしていたことがあるらしく、福島県いわき市では活動を通していわきの方々と親密になったようで、アメリカに渡米後もいわきの人々を自宅に招くなどし、現在もいわきの方々と交流があるそうです。東日本大震災があった時も蔡さんは自身の作品を売却していわき復興のために寄付をしたそうだが、いわきの人々は未来の人のためになるようなことがしたいと桜を植えるプロジェクトを有志で行い始め、蔡さんの寄付金も全て桜を植えるプロジェクトに回したそう。

そして2023年6月26日、蔡さんはいわき市天花火《満天の桜が咲く日》と題してピンク色の花火をいわきの海岸で披露。この花火には東日本大震災で亡くなった方々への鎮魂の思いも込められていたそうです。

 


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私は蔡國強さんのことを何も知らずに作品を見に行ったのだけど、作品や内容を見ているだけで人当たりの良い心の優しい人物であることが伝わり、そのことがまた作品への興味が沸いた。どこかで作品と作り手は別々だからというようなことを耳にしたこともあったけれど、私は漫画でも音楽でも作品が気に入ると作者のことをウィキペディアで調べてそうですかそうですかと、この素晴らしい作品を作った人がどんな生い立ちか、どんなことに感心があるかなどを知って作品に思いを馳せたいタイプなので、蔡さんの作品が素晴らしいのは勿論なのだが、展示の仕方も魅力を引き出す物凄く良い形だったのではないかと素人ながらに感じたのだった。

最後に、私の心に響いたマイベスト蔡國強を載せて終えたいと思う。

これは「闇に帰る」という作品で、蔡氏がチベットに行った際に持ち帰ったチベット顔料を火薬と混ぜ合わせ、それを色鮮やかな曼荼羅を鏡の上に描いた後に爆破したもの。「手間のかかる作業をじっくりと時間をかけて点火すると、一瞬にして輝かしい世界と花火からの華々しい浮雲が暗い宇宙へと戻っていきました」と作品脇に案内と制作風景の映像が展示されていたのだが、この作品を見た時私は「人生....」と思い一瞬さみしいような気分になった。

人生も鮮やかな曼荼羅を描こうと一生懸命時間を費やすけれど、死を迎えた時に人生の曼荼羅は吹き飛びこの作品のように真っ暗な宇宙に紛れそうして闇に帰るのデショウ...(※私の解釈です)と私は絵の前で悟りを開いてしまい、私の人生の終着点を写真に収めて後を去りました。

鑑賞後、館内では別行動をしていた夫に「あの絵見た?チベットの顔料で描いた曼荼羅を爆破した絵」と聞いたところ「見た見た!あんなにいろんな色を使って作った曼荼羅だからもっと色が飛び散ると思ったら作品は真っ暗で、あ、真っ暗なんだなって思った」とニコニコ話していたのがまた良かった。

我々は生きるために今一生懸命働き、子供を育て、将来のために利率の良い保険で資産運用や株式投資をし、英会話を学び、元気に生きていくために筋トレをし、これ以上シワにならないようパックをしてみたりと色々頑張って曼荼羅を描いておりますが、死んだときは真っ暗闇に帰るのです。頑張って生きようと適当に生きようとみんな行き着く先は暗闇。暗闇なのです。そう思うと見た直後はさみしい気持ちにもなった「闇に帰る」が、救われるような気持ちもあることを感じたのだ。頑張っても暗闇、適当でも暗闇、どう生きても一緒だなというのは富や名誉を求めたり徳を積んで天国に行くことが良しとされる人生に、救いのような作品だなと感じたのだ。

だからといって筋トレもパックもこれまで通り続けるし、できるだけ善行して生きていこうとは思うのだけどなんか頑張ることに疲れたり、子供が不良になったり、自分が病気になったり思いもしない不運に見舞われうまくいかないと感じた時は「どうせ闇に帰るし」とわたしの死後は暗闇であることを思い出して生きていきたいと思ったのでした。そして夫とも色鮮やかに広がるかと思った曼荼羅がなんか真っ暗になって終わったねと笑いあって終えるのもまた良しだど思えたのでした。

数年ぶりに行った美術館で蔡國強展を見れてとても良かった。だいたい美術館で何を見たか忘れてしまう私ですが、蔡國強展は絶対に忘れない自身がありますし人生のお守りのようなものを持つことができて心底嬉しいです。辛いことがあったときは闇に帰るのことを思い出して這いつくばって生きていこうと思います。来年も美術館に行きたいな...