近所のホルモン屋
原因は鳩だった
昔から恋愛体質なのかわたしはわりと惚れっぽい。
若かりし頃は、犬も歩けば棒に当たるが如くわたしは歩けば恋に落ちていた。
これは高校生の時の話である。
入学して2、3日しかたっていない高校生活。たしか集会か何かで全校生徒が校庭に集められた時のことだったと思う。
集会が終わって校庭から教室に戻ろうとした時、下駄箱の出入り口の段差のところでワイシャツとズボンをだらしなく着たガラの悪い先輩が5人くらいでタムロしていた。
(あの人.....めっちゃかっこいい!)
そのうちの1人の先輩にわたしは一目惚れをした。
彼は亀梨和也をもっとイグアナに似せたような顔をしていた。
ちょっとガラが悪くて亀梨和也とイグアナに似たイケメンの先輩に、わたしは入学して3日でときめいたのだった。
そして入学してすぐに仲良くなった友達のたけちんに教室で報告したのであった。
「ね、ね、ね!たけちん!わたし、見つけた!心のオアシス!」
「心のオアシス笑?」
先輩の名前もわからなかったので、とりあえず亀梨和也とイグアナに似た先輩のことを「オアシス先輩」と呼ぶことにしたのだった(たけちんとわたしの中で)
やさしかった友達のたけちんは、
「さとみこんこん、いたいた!食堂にオアシス先輩いた!」
「さとみこんこん、いたいた!中庭のところにオアシス先輩いた!」
とオアシス先輩を見かけるたびにわたしに報告をしてくれた。そしてわたしはオアシス情報を聞きつける度に、オアシスを求めて一目散に走って見に行ったのだった。
「いた....!今日もかっこいい....」
口に手をあて物陰にかくれながらオアシス先輩を見ては心を潤わせていた。
そんなことを数ヶ月していたのだが、
ある時を境にオアシス情報はピタリと途絶えた。
まったく見かけなくなったのである。
(オアシス先輩最近みかけないな...)
オアシス先輩を見かけないままわたしは高校2年生を迎えることになった。
残念ながら仲の良かったたけちんとはクラスが分かれ、新しい友人達との生活が始まった。
2年生になったばかりの学年集会の時。
その学年集会に何故かオアシス先輩がいたのだった。
「え?あれ、オアシス先輩だよね?なんでいるの!?」
どうやら彼は出席日数が足りず留年となったようだった。
(ラッキー!前よりいっぱい見つめられるじゃん。)
わたしは彼を見てるだけで幸せ♡な割と謙虚な女子高生だったのである。
謙虚に見つめていた成果だろうか。
ある日、食堂で新しい友人3人くらいでごはんを食べていると、オアシス先輩と1つ上のガラの悪い先輩達がとなりの席に着席したのであった。
(オ、オアシス先輩....)
一気に箸が進まなくなってしまった。
固まりながらもなんとかごはんを食べてるわたしに、なんと
「髪、綺麗だね。」
とかなんとか言ってオアシス先輩が話しかけてくれたのだった。
この時わたしは頭が真っ白になってしまい、よく覚えていないのだが、最後に
「ねぇ、番号教えて。」
と言われたのであるキャーーーーーー!
その様子をみてガラの悪い先輩達はニヤニヤしている様子だったが、そんなことも気にする余裕もなく震えながら番号を教え、授業が始まるのでオアシス先輩と別れて教室に移動した。
「連絡するから」
食堂を後にするわたしにオアシス先輩が声をかけ、にっこり笑いかけてくれたのだったキャーーーーーー
オアシス先輩は約束通り連絡をくれ、わたしはオアシス先輩とのメールのやり取りが始まったのであった。
最初はメールだけであったが、仲良くなると、オアシス先輩と放課後に待ち合わせをして一緒に帰ったり、カラオケに行ったり、先輩と一緒にいる時間は増えたていった。
すると留年した怖めな奴とさとみこんこんが一緒に帰っていた!という噂は広まり、
「そうなの?」と友人に聞かれては
「やだーなんで広まっちゃてんの?」(もっと広まれ)
と思ったり、
「付き合ってんの?」と友人に聞かれては
「やだー付き合ってないってば!」(その予定)
と思ったり、非常に楽しい学園ラブロマンスをわたしは送っていたのだった。
ある日の帰り道、今日もオアシス先輩と途中まで一緒に帰っていた。
「俺の仲のいい奴がいて、そいつに誰か紹介したいんだけど、だれか可愛い子いない?」
「あー。わかりました。声かけてみますね。」
オアシス先輩の頼みならなんでも聞きますわたしは従順ですから。の意気込みで、わたしはミッションに挑んだ。
「前に同じクラスだったK子がいいかも。」
背が小さくて色が白くて目がぱっちりしているK子に声をかけてみた。
そしてオアシス先輩の友達にK子を紹介した。
先輩の友達は、すっかりK子を気に入ったようだった。ミッションは成功である。
さらにK子も満更ではなさそうだったので、我々は4人でディズニーランドに行くことになったのであった。
憧れのオアシス先輩と一緒に行ったディズニーランドは、まさに夢の国のようであった。浮かれていたせいかこの時のこともあまりよく覚えていないが、とても楽しかったことだけは覚えている。
そしてK子とオアシス先輩の友達は一緒に行ったディズニーランドの後、お付き合いがスタートしたのであった。
オアシス先輩とわたしはというと、ディズニーランドが終わったら、中間テストの勉強を一緒にしようと約束していた。
ディズニーランドに行く前に、次の土曜日は一緒に勉強するという予定になっていたのだ。が、しかし
「ごめん。土曜日都合が悪くなった」
とメールが入ったのだ。
じゃあいつにする?と返信すると、
「忙しいから無理かも」
との返事。
おかしい。オアシス先輩の様子は明らかに素っ気なくなったのだった。
要は避けられ始めたのだが、乙女心としては信じたくないのが心情。
もう相手がこのようになってしまった時は潔く身をひくのがベストだということは経験上今ではわかる(たぶん)
半年から数年すれば、ヤレそうでヤレなかった ないし ヤラなかった相手というのはふとした瞬間に思い出され連絡をしてみるものだ(わたし調べ)
しかしわたしの知能は待てのできない犬みたいなもんなのでいっぱいメールを送り、「あの時のあなた、戻ってこい」と必死になっていた。
しかし、悲しいかな、わたしは無視をされるようになり、オアシス先輩から避けられるようになった。
気の弱いわたしはたいそう落ち込み、これ以上オアシス先輩に迷惑をかけてはいけないと決め、わたしもオアシス先輩を全力で無視をすることにしたのだった。
その結果我々は高校卒業するまで1度も話をすることはなかった。そして、会話もしないままそれぞれの道へと進んだのだった。
オアシス先輩との学園ラブロマンスの話は以上である。
数年後。
5年以上はたったであろうある日のことである。
成人をとうに超えたわたしは、高校時代の友人 ゆきちゃんと飲んでいた。
そして飲みながら話していると、高校時代の話になったのだった。
「さとみこんこんってさぁ、留年した先輩といい感じだったときがあったよね?」
ゆきちゃんが、オアシス先輩の話を始めたのであった。
「あった!あったのよ、好きだったのに付き合えなかったんだよね。」
「わたしなんで付き合えなかったかしってる。」
ゆきちゃんはニヤニヤしながら言った。
「!!?!!」
「なんで?!なんでゆきちゃんが知ってんの?」
「K子にきいた」
「K子情報!それは信憑性が高いわ!」
「え?なんでなんで?おしえて」
いいよ。
といってゆきちゃんは何故か低い声のトーンでゆっくり話しをはじめた。
「あのさ、ディズニーランド行ったんでしょ?4人で。」
「うん、行った!行った!」
「そのさ、ディズニーランドでさ、さとみこんこんがさ、
鳩を追いかける姿をみて引いたらしいよ。」
「......。」
「は?」
「だから引いたらしいよ。」
「鳩で?」
「うん、鳩。」
「フラれた原因は鳩?」
「そう、鳩。」
「鳩...そう、そうなんだ。」
どうやらミッキーにもミニーにも目もくれずわたしはディズニーランドで鳩を追いかけていたらしい。
覚えていないが今でも鳩がいれば追いかけるのでたぶん熱心に追いかけていたんだと思う。
「で、でもふふっ、わたしは、ディズニーランドで、鳩をふふっ必死に追いかけてるさとみこんこん、ふふふ、可愛いと思うよふふふ」
なぜか笑いをこらえながらゆきちゃんはわたしのことを慰めてくれた。
「ありがとう。わたしもそんな自分は良いと思う。」
高校生の淡い恋は鳩を追いかけた結果、夢の国で消滅したのであった。
鳩を追いかけたことだけが原因な訳じゃないとは思うが、トドメを刺したのはおそらく鳩。鳩は幸せの象徴だったはずだが、わたしは鳩のお陰で不幸になった。
でも。
むしろ嫌われた原因が鳩でよかったのかもしれない。原因は鳩。とわかったことで「けっ、小さい男」と思えたのも事実。やっぱり鳩は幸せの象徴かもしれない。他のことが原因だったらそうは思えなかったかもしれないからだ。
そしてわたしは考えを改めることもなく、今現在も鳩を見かけると走って追いかけている。たぶん一生そうだと思う。
ちなみに、オアシス先輩。
卒業して2年後くらいにメールをくれたのだった。遊ぼうと連絡をくれたのだったが、予定が合わなかったか何かで結局会うことはなかった。
上記のわたし調べのヤレソウでヤラナカッタ奴には連絡する説はあながち間違ってはいないと思う。
最近あの人ったら冷たいわ〜なんて
意中の人が素っ気なくなったと感じたら、是非潔く身を引いて半年ぐらい気長に待ってみてほしい。おすすめする。
ただなかなか有効な手段だと自分では思っているのだが、
本人は鳩でも前を通れば追いかけたくなる狩猟本能が高い点や、待てのできない犬みたいな知能であることから
そんなことができた試しはほとんどないのである。
勘違いした脳
エロ店主の着物教室
自分で着物を着ることができたらカッコイイなぁと思い立って、着付け教室に1年くらい熱心に通っていた時期がある。
その教室は、昔スタイリストをしていた女性が立ち上げた着物屋の教室で、プライベートで来店中の萬田久子に遭遇するような洗練された着物屋である。
萬田久子が好んで着るような着物のお店。そう想像していただくと、あぁ、きっと一筋縄ではいかない店だなとぼんやり思っていただけるかと思う。
そして店主がまぁ美人なのである。茶髪と黒の混じった髪の毛を夜会巻きにし、黒縁のザマス眼鏡をかけている。
さらに、江戸時代の浮世絵の着物の着方を参考にしているらしく、着物の衣紋をめちゃめちゃ抜くのだ。調子のいい日だと3分の1くらい背中が見えている。
簡単にいうと、この着物屋の店主はエロイ。
萬田久子もお忍びでやってくる店主がエロイ店。
そんな癖のある着物屋に気の弱いわたしは着付けのレッスンでお世話になることとなった。
初日、ドキドキしながら店へとやってくると、エロイ店主が笑顔で向かえてくれた。相変わらず衣紋はばっくり抜かれ、うなじから背中3分の1が美しく覗く。
(セクシーだな。わたしも着物を着た時に、あれくらい背中を開けることになるのだろうか。)
わたしは、着物教室と並行してうなじと背中の脱毛に通うこととなった。
申し込み用紙に必要事項を書いていると、着付けの講師の先生が、わたしに挨拶に来てくれた。
「はじめまして。どうぞよろしくお願いします。」
記入を止めてふと顔を上げると、
「....壇.....蜜...」
壇蜜のように美しい女性がにこやかに佇んでいた。
黒い長い髪をきちっと束ね、背筋がピンと伸びて華奢な体型。着物の衣紋はほどほどに抜かれていた。
顔のパーツは全て小さめ、ちょっと切れ長な目元がまた寂しげで実に色っぽい。極め付けは京都弁。文句なしのナイスエロ。
なんだこの店は。大人のエロスで溢れているじゃないか。
同じ空間で同じ空気を吸っているだけで自分もエロくなれるのではないだろうか。そんな気がした。
頑張ろう。
わたしは何を頑張るのかよくわからないが、この店で頑張っていこうと心にきめた。
レッスンは完全プライベート制なので、この着物屋では、講師とマンツーマンレッスンで着付けが学べた。
「わたしはずっと京都で着付けの講師をしていたのだけど、3週間前に東京に出てきたの。だから東京の生徒さんはさとみこんこんさんが初めてなんです。がんばろうね。」
壇蜜先生はそう言ってニコッと笑った。
極力標準語で喋ろうとする壇蜜先生。しかしときどき、ぽろっと自然にでてくる京都弁にone more please.
壇蜜先生は本当に魅力的であった。
着物は愚か浴衣も一人で着れなかったわたしは壇蜜先生のご指導のもと、浴衣の着付けから習うことになった。
3ヶ月間バイトをしていただんご屋で、だんごの値段を最後まで覚えることができずに卒業したわたしは、もちろん着付けを覚えるのも一苦労だった。
「ゆっくりやっていきましょう。」
壇蜜先生は劣等生のわたしに優しく呼びかけた。
また壇蜜先生は、所作についてもご指導してくださった。
「さとみこんこんさん、浴衣を羽織る時はガバッと羽織るのではなく、まず右肩に羽織って左肩に羽織る。次に右腕を袖に通して左腕を袖に通す。このように1つ1つの動きを丁寧にした方が、美しいですよ。」
さらに右、左、と袖を通す際に膝を軽く曲げて体をくねくねとくねらせる。壇蜜先生がこうです。とお手本を見せてくれた。
実にセクシー且つエロかった。
人間はくねくねするとエロイんだということを学んだ。
「座った状態から立ち上がるときの動作も、よっこらしょと立ち上がってはだめです。右足から膝を立ててすっすっとたちあがりましょう。」
「着付の他に、所作も同時にお伝えしていきたいと思います。同じことをやるにも、少し動き方を変えるだけで美しく見えますよ。」
一生ついていきます!壇蜜先生!
わたしは3週間に1度のペースで壇蜜先生のお稽古に励んだ。
「さとみこんこんさんは、わたしの東京の最初の生徒さんだから思い入れがあるの。だから綺麗に着物を着れるようにしてあげたいの。」
4回目のレッスンの時に壇蜜先生がわたしに言った。
わたしはとても嬉しかった。わたしも壇蜜先生のように可憐に着物を着て、はんなりした大人な女性になるんだと意気込んでいたので、
がってん!と壇蜜先生の美しいお顔をみて頷いた。
4回目のレッスンでも、相変わらず着物はおろか浴衣も着ることができなかったのだが、壇蜜先生一生ついていきます!の気持ちはより一層強くなったのであった。
そして5回目のレッスンのある日。
約束の時間にエロ店主の着物屋に向かうと、
エロ店主が笑顔で迎えてくれた。
しかし、笑顔のエロ店主からまさかの事実が告げられたのであった。
「さとみこんこんさん。実は、担当の講師なんですけど...都合によりお辞めになられました。」
「?!!?!!?」
え?5回目で辞職?!
え?こないだ言ったあの言葉、思い入れのある生徒だからというあのセリフ....
言ったばかりじゃんか!壇蜜先生!!
「え....!そうですか.....。」
肩を落としてわたしは落ち込んだ。
「急でごめんなさいね。それで、今日からは新しい講師にお願いしてるから。
もともとわたしの知り合いで、とっても教えるのが上手なの。それで、今どの程度までレッスン進んでる?」
「浴衣を習っている途中でした。」
「え?まだ浴衣やってんの?え?今日何回目?5回目でまだ浴衣やってるの?....はぁ....。」
「すみません。わたし物覚えが悪くて。」
「そうじゃないの。お金いただいてるんだからそんなダラダラやらないほうがいいと思うわ。カリキュラムをちゃんと作ってやらなきゃ。浴衣なんて精々2回くらいで終わらせなきゃ。しかもなんでこの季節(当時冬)浴衣の着付けやってるのかしら。」
エロ店主は呆れたという顔でわたしに愚痴っていた。
「今回お願いしている先生は、とにかく自分で着て覚えなさいという先生なの。わたしも同じ考えよ。早く自分で着てお出かけしなきゃ。だからこの季節に浴衣の指導ってのは...。こちらの先生のほうが上達が早いと思うわ。」
「こんにちはー!」
店主がわたしに愚痴っていると、新しい先生がやってきた。
「今日からよろしくお願いしまーす。」
今回の先生は全くエロスを感じなかった。衣紋も拳一個分しか抜きません。そのかわり靴下の重ねばきで体の毒素を抜いてます。というような雰囲気の先生で、実際に靴下を何枚も重ねて履いていた。わかりやすく言うと服部みれい系である。
「ねぇ。みれい先生。浴衣の着付けをやってたみたいなの。どうする?」
エロ店主が困った顔でみれい先生に小声で話しをした。
「あーー浴衣。でも途中で終わらしちゃもったいないですしね。じゃあ今日で浴衣終わらせましょう。じゃ、早速こっち来て。」
みれい先生はわたしのことをテキパキ誘導して、ちゃっちゃとお稽古を始めた。
「ここはそうして、ちょっと!違う!もう一回。」
「次は...そう。そう。それで?....だからこうでしょ!」
「なんでそっちなの、ここ、ここ、これをこうでしょ!」
「はぁーーーーーー!!!」(みれい先生のめちゃめちゃでかいため息)
みれい先生は初っ端から、はんなりとした壇蜜先生と違って強めな姿勢でご指導くださった。
「ゆっくりやりましょう!」
壇蜜先生の笑顔が懐かしい。
みれい先生のスパルタ指導真っ最中でも思い出すのは壇蜜先生だった。
「わたしの思い入れのある生徒さんだから綺麗に着れるようにしてあげたい!」
(だ、壇蜜先生....。)
「美しく見える所作も一緒に教えますからね。」
(だ、壇蜜先生....!)
気づくとわたしは、着付けをしながら泣いていた。
(うぅぅ。。なぜ...壇蜜先生。)
涙が溢れていた。ガチで泣き始めた。
「え!どうしたの!あ、あたしのせい?」
みれい先生は困惑していた。
どうしたの!のみれい先生の声でエロ店主も着付けの部屋に慌てて顔を出した。
「だ!大丈夫?」
「す、すみません....。」
泣きながらわたしは謝った。
アラサーの突然の号泣に2人がドン引きしているのがわかった。
するとエロ店主は、部屋からすっといなくなった。
「ちょっと座ろう。ごめんね。わたしが急いでやりすぎた。」
「違うんです。いろんな感情がちょっと込み上げてしまいまして...お恥ずかしい。」
みれい先生と話をしていると、エロ店主が戻ってきてコップに入ったオレンジジュースをわたしに手渡してくれた。
「ごめんね。急に講師が変更になっちゃったからね....」
エロ店主が言った。
「わたしが厳しく指導しすぎました。」
みれい先生は落ち込んでいるようだった。
「みれい先生は何にも悪くありません〜」
わたしは泣きながらオレンジジュースを飲んでいた。
オレンジジュースを飲み干す頃には気持ちが落ち着き、またみれい先生のご指導が再開された。
わたしが号泣したあとのみれい先生は、相変わらずテンポの速い指導だったが、口調が優しくなった。
みれい先生は宣言通り浴衣の指導をその日に終わらせた。
そして次回からは、着物の着付けの稽古となった。
着物を持っていなかったわたしに、みれい先生は着物を一式貸してくれた。
「返すのはいつでもいいよ。たくさん着て使って。お稽古のあとは着たまま帰ってもらうから。」
みれい先生はとにかく着物を着て、たくさん出かけろとわたしに指導した。
ぐちゃぐちゃでもいい。とにかく着物を着て、電車に乗ったりごはんを食べたり、日常を過ごして、そこからいろんな気づきを感じることが大切だと教えてくれた。そして着物を着て楽しむことが1番大事だと言っていた。
「完璧にやらなくてもいい。まずだいたいの形を作ってから、そこから余計なこと、無駄なことを削ぎ落として理想の形をつくってけばいいと思っている。」
わたしが、ここのシワを取りたい。ここもう少し綺麗にやりたいと言っても、
「今日はまだそこはいい。そこは気にしなくていいから次進みましょう。」
と言われ、少々不満を感じることもあったけど、今思うとそこは二の次三の次の問題で、その時、時間を割いて指導してもらうことではなかったということがわかる。
ちゃんと指導できる人は、全体を見据えて今その人に何が必要かをきちんと導いてくれる人なんだと思う。
壇蜜先生が教えてくれたことで、わたしのやる気がアップしたのも事実だけれど、みれい先生の指導は、わたしが早くひとり立ちして着物を一人で着て出かけられるようサポートしてくれた。
どっちの指導も間違ってはいないと思うけど、目的を達成させるためにわたしにあっていたのは、みれい先生のきびきびした指導だったのかもしれない。そしてわたしが上達するよう、自分の貴重な着物を惜しげなく無期限で貸してくれるみれい先生の方が、言葉だけ優しかった壇蜜先生よりも遥かに優しい。と今は思う。
時間はかかったが、少しずつ着物のアイテムを揃えてみれい先生に着物をお返しすることができた。
ちなみに、萬田久子御用達のエロ店主のお店でしっとりした着物を仕立てたのだ。
「衣紋をわたしくらい抜きたかったら、ここの部分のサイズを変更するけど、どうする?」
「....店主の半分くらいの抜き加減でお願いします。」
人よりちょっと衣紋が抜けるよう、仕立ててもらったのだった。
みれい先生と、ちょっと人より衣紋が抜ける素敵な着物のお陰でわたしは事あるごとに着物を着て出かけていた。フィリピンまで持って行って着るほど着物に熱意を持っていたのだが、去年くらいからブームが過ぎ去り、今年はまだエロ店主の店の着物を1度も着ていない。
誕生日の日にでも着て出かけようと思う。
また、着物はすっかり着なくなってしまったけれど、壇蜜先生の教え
「羽織るときは1つの動きを丁寧に。」
は、未だに守っており上着やパジャマを羽織るときに実行している。
そして壇蜜先生を思い出し、上着を羽織るときに無駄にクネクネ動いてセクシーに見えるよう心がけているのである。
だんご屋のバイト
高校3年生の頃、だんご屋でバイトをしていた。
このだんご屋は60歳くらいの茶髪の店長と、60歳をすぎているであろう、キビキビしたパートのおばさんと、どんくさい女子高生バイトのわたしで運営されていた。
夕方の5時から7時というたった2時間だけわたしはだんご屋で働いていた。
だんご屋は6時閉店だったので、学校が終わってだんご屋に着く頃には、だんご屋は閉店の準備をする時間であった。
わたしの仕事は、閉店の片付けの手伝いと、6時までにくるお客さんの接客だったのだが、わたしはだんごの値段を全く覚えることができなかった。
いらっしゃいませー!と元気よくだんごを売り、お会計の時には急に挙動不審になり始めるので、キビキビしたパートのおばさんが怖い顔をしてわたしをレジの奥に引っ込めてお会計から交代してくれていた。
お会計ができないなら店頭に立つべきではないのかもしれないが、ミーハーなわたしは花より団子のつくしちゃんのように笑顔で店頭に立ちたかったので、隙があれば店に立ちニコニコしていた。そして会計の度にキビキビしたパートのおばさんに首根っこを掴まれて奥に引っ込められるのであった。
だんごの値段を覚えるのも苦手だったが、もっと苦手だったのはだんごを製造する機械の片付けである。これは1番やりたくない仕事であった。
だんごの機械がシンクにつけてあればありがたいのだが、忙しかったりするとだんごをこねる機械がそのままになっている。
これをある程度解体して、シンクで洗い、また組み立て元に戻すという仕事がそれはそれは大変であった。
だんごをこねる機械は結構な大きさがあり、解体するときはナットレンチを使ってネジを外していた。
このナットレンチもまぁ大きくそして重い。
重い重いと言ってナットレンチを持ち上げナットを外していった。
ナットを外す。
外す。
ナットを外す。
外す。
外す。
外す。
外す。
外す。
「おいっっ!!!あんたどこまで外すんだよ!!!」
茶髪の店長が怖い顔をしてわたしからナットレンチを取り上げた。
「こんな外してどーすんだよ!だんごの機械どーすんだ?壊すつもりか?」
「ごめんなさい。。。」
複雑な機械、一体どこまでをはずしていいのやらさっぱりわからなかった。
それ以降、なるべくキビキビしたおばさんが怖い顔をして5時までの時間にだんごの機械を外し、水につけてくれていた。
またこのだんごの機械。組み立ても厄介なのである。
何がどうなっているのかさっぱりであった。
「おいっ!あんたいつまでネジ回してるんだよ!ネジも回せないのかよ!!」
「こんなどんくさい子初めてだわ。」
「あんた!就職しないほうがいいわ。あんたはさっさと嫁にでもいって、誰かの帰りをニコニコ待ってたほうが向いているわ!」
茶髪の店長の口調はきつく、時には悲しい気持ちになった日もあったが、
この時は、わたし自身も就職は向いてないと思っていたし、わたしもさっさと嫁にいって誰かの帰りをニコニコ待ちたいわ〜と心から思っていたので
「正論!」と思ってニコニコ立っていた。
口調のきつい茶髪の店長だったが、茶髪の店長がきつい口調でネジの回し方を教えてくれおかげで、機械の組み立ては覚えることができ、1人でできるようになった。
相変わらずだんごの値段は覚えられなかったけど、なんとなく仕事もスムーズにいくようになった、だんご屋バイト3ヶ月目。
わたしは受験勉強に専念をするということで、だんご屋を辞めることになったのだった。
それなりに楽しかったし、廃棄のだんごを大量に持ち帰っていたので、辞めるのが忍びなかっただんご屋のバイト。
最終日。だんご屋最後の労働を噛み締めていると、茶髪の店長がわたしを呼び止めこう言った。
「きみさ、本当にどんくさくて、この子社会にでて働けないわって思ってたんだけどさ、なんか一生懸命働いてるし、たぶんね、その姿をみてしょうがねぇなって面倒みてくれる人がいると思う。だから頑張んだぞ」
普段怒鳴ってばかりだった茶髪の店長だが、今日の口調は優しかった。
「ありがとうございます!頑張ります!」
わたしは茶髪の店長に元気よく言った。
まだ社会の荒波に揉まれる前の高校3年生であったが、この時の店長の言葉はわたしの胸に響き、とにかくなんでも頑張ってやろうと誓ったのである。そうじゃないと、わたしは社会にでたら即解雇・即クビ。頑張るはわたし最大の防衛。
この時の店長の言葉をそう解釈した。
そしてさらに店長は、
「あと、あんたさ...榎本加奈子に似てるよ。」
「え?」
急に店長に言われた榎本加奈子。
そして
「わたしもそう思ってた。」
と、普段は怖い顔のキビキビしたおばさんがこの時は笑顔でそう言い、わたしに近づいてきたのだった。
「店長....おばさん....。」
わたし、榎本加奈子に似てるのか。この言葉も先程の店長の言葉と同様、胸に響いたのであった。
その後だんご屋のバイトを辞めたわたしは、歯科衛生士学校の進学が決まり、無事歯科衛生士となり、東京までの定期が欲しいという理由で東京の歯科医院に勤務することが決定した。
そして今ではユニット(歯医者の椅子)の調子が悪くなればドライバーをくるくる回してせっせと直すことができるほど、わたしは頼もしくなったのだ。これもあの時ネジの回し方を教えてくれた店長のおかげだと思っている。
就職先が決まってたから、だんご屋に一度挨拶にいったことがある。
その時は店長もおばさんもとても喜んでくれた。
もうそれから10年は、そのだんご屋に行っていない。
茶髪の店長は元気だろうか。
口調はきついが、思いやりのあった店長。
わたしは知っている。おばさんが長時間労働にならないよう、架空の人物を雇っておばさんの払う税金を少なくしてあげていたことを、わたしは知っている。
そして、もう1つ気にかかっていることがある。それは、
榎本加奈子は元気か?ということである。