お立ち台から人生を感じた


わたしには地味な顔をしている割に毎週のようにクラブで遊んでいたパーティーピーポーな一面がある。
20代前半は主にヒップホップ系のイベントにでかけることが多く、渋谷のATOMやHARLEM VUENOS asiaなど円山町界隈を攻めていたかと思うと、箸休めに六本木なんぞへ繰り出していた。
六本木では今はなき「FLOWER」というクラブに行くことが多かった。
みなさんはFLOWERをご存知だろうか。
2012年9月2日に起きた「六本木クラブ襲撃事件」の現場、それがFLOWERであった。
事件が起きた頃は、箸休めに六本木なんぞへ繰り出すこともなくWOMBやWebなど大人の社交場でいそいそと活動していたので、その頃のFLOWERのことはよく知らない。しかし事件後閉鎖してしまったFLOWERにはいくつかの思い出があった。

そもそも、わたしが熱心にクラブに行っていた理由として「クラブで踊る」ということが挙げられる。踊ることが何よりも楽しい踊り子だったのである。とにかくクラブで遊んで踊りたかったので、当時は思いたったらクラブに自由に行ける環境を作りたかった。
そのためにはダンスが上手けりゃ1人でもクラブで楽しい時間を過ごせるのでは?と考え1年くらいハウスダンスを習ったのだった。しかし団子屋のバイトで団子の値段も覚えられなかったわたしが、もちろんダンスの振り付けを覚えられる訳もなく「君、覚えが悪いからノートとったら(怒)?」と講師から冷ややかにアドバイスを受けるような事もありました。ところが幸いガッツが世の中の平均以上にあるもんですから、ディスられながらも這いつくばって通い、下手なりにがんばった結果、すごい独創的な踊り方をするようになりました。
「混雑しているフロアでもさとみこんこんがどこで踊っているのかがわかる。」
と口々に言われるまでに成長。わたしの踊りはまずまずの評判であります。

そんな踊るの大好きな踊り子は箸休めの六本木FLOWERに行った際に衝撃を受けたのであった。
「おっ、お立ち台がある!」
円山町界隈のクラブにはステージはあってもお立ち台はなかったのであった。さらにFLOWERのお立ち台は女性なら誰でも乗ってOKという男女差別的なシステムを採用していた。
もちろんわたしは踊るの大好き踊るこんこんですからお立ち台を見た瞬間に登りたい欲にかられ、朝の女性車両のようにぎゅうぎゅうになったお立ち台の上でピーヒャラと楽しいひと時を過ごしたのであった。
なので「六本木クラブ襲撃事件」を知った時は、あぁ、もうお立ち台で踊ることもないのだなぁ。とちょっぴり悲しい気持ちになったのである。

それからFLOWERのお立ち台のことはすっかり忘れていたのだが、先日、ある写真を見てお立ち台のことを思い出したのであった。

わたしが研究員として携わっているサイト『素人の研究社』の「皆様のなんかいい写真を紹介します」という企画で、投稿いただいた写真に僭越ながらコメントをさせていただいたのだが、その中の投稿者かとみさんから寄せられた写真を見て「あっ!」となったのだ。
草っ原に白い三段ほどの段々がポツンと置かれている写真なのだが(表現が難しいのでサイトを是非ご覧ください。)
この写真に投稿者のかとみさんは「2D時代のドラクエの良さを思い出します」
とコメントをつけて送ってくださった。
わたしはこの写真を見て真っ先に「お立ち台!」が浮かび、ドラクエの良さよりも段に登って踊っていた懐かしさを感じたのであった。かとみさんの写真に「この上に乗って踊りたい」とコメントしたかったのだが、なんだこいつと思われたら嫌だなと人目を気にした結果「台に乗って両手をあげたい」と控えめなコメントを綴ったのだった。
この出来事から、過去の体験や経験が今の自分なのだなと改めて思った次第である。ドラクエをやっていないわたしはかとみさんの写真を見ても「ドラクエ!」とはならず、きっとかとみさんもあの写真を見て「お立ち台!」と思う人間がいるとは思っていなかったんじゃないかと思う。

「皆様のなんかいい写真を紹介します。」わたしはこのコーナーを通して人生を感じたのであった。いいコーナーですよね!




近所のホルモン屋

家の近所に新陳代謝の活発な店舗がある。その店舗に最近ホルモン屋が入った。以前は昼は蕎麦屋で夜は沖縄料理を出す店だった。その前はなんだったか忘れたけど飲食店だったと思う。とにかく入れ替わりが速く、とりあえず入れ替わったら食べに行くようにしている。
前の蕎麦屋はびっくりするくらい不味かった。だけどお店を切り盛りするお母さんの人柄と笑顔で店はなんとかもっているのか?という感じだった。しかし、人柄と笑顔だけではやっぱり店は上手くいかなかったようで蕎麦屋兼沖縄料理屋は数ヶ月で閉店。気がついたらホルモン屋になっていた。

この店舗、店の広さは3坪くらいで10人も入れば満席という狭い店である。
新しいホルモン屋の店構えは元蕎麦屋らしく扉はガラガラ横に開ける作りになっていて、入り口にはホルモンと書かれた赤い提灯がぶら下がっている。
扉にかけられた「商い中」の札には1080円のシールが貼りついたまま。
ホルモン屋のメニューは黄色い紙に直筆で書かれていて、さらにそれをカメラで撮影しプリントしたものを外の扉に赤いガムテープで貼り付けられている。プリントしたメニューの上には「いらっしゃいませ。間に合わせのメニューで御免」の文字。オープンしてすぐだからかな?と思っていたけどオープンから3ヶ月はたった現在も間に合わせのメニュー表は健在で、赤いガムテープでしっかり固定されている。
色々手が行き届いていない感じは店構えからも読み取れる。今回はいつまで続くだろうか。

例のごとく試しに店に入ってみることにした。
ガラガラ横に扉を開けると古い作りの店に不釣り合いな、大変立派な換気扇が各テーブルの網の上にしっかり構えられているこに驚く。
「いらっしゃい」
立派な換気扇に見惚れていると、厨房からおじさんが声をかけてくれた。
「空いてる席へどうぞ」
適当にカウンターに座ってとりあえずビールを注文した。

店の中には男性2名の陽気な客と、カウンターに1人黙々と食べる男性客が座っていた。
けして混雑しているわけではないが、客席からよく見える厨房で、おじさんはてんやわんやしていた。
どうやらおじさん1人で店を回しているようだった。
「ビールね!ちょっと待ってね!ごめんね」
おじさんはちょっと困り顔の笑顔で返事をした。
「ゆっくりで大丈夫です」
ゆっくり待っている間にメニューを読む。牛シマチョウ 牛丸小腸 牛レバー 牛ハラミ 牛ミノ...牛がメインのホルモン屋のようだ。中には牛フワという珍しい部位もあった。
「ごめんね。ビールお待たせしました。」
おじさんが厨房から出てビールを運んでくれた。
そのついでに丸小腸と名前が可愛い牛フワを注文した。
「ちょっと待ってね!」
困り顔の笑顔で返事をするおじさんは、ワタワタと再び厨房に戻っていく。
「おじさん!こないだの柔らかいのなんだけっけ?」
後ろの陽気な客がおじさんに声をかける。
「丸小腸じゃないですか?」
「丸小腸じゃないよー。ほらなんだっけー?あの美味かったやつ。」
後ろの陽気な客はもう顔馴染みなのだろうか。ワタワタしているおじさんに御構い無しで大声で話しかけている。

となりの男性客は一心不乱に肉を焼いてはモリモリ食べている。なかなかいいテンポだ。堅いの良い格闘家っぽい男性。この近所にはボクシングジムがあるから、もしかするとその帰りなのかもしれない。

「お待たせ!丸小腸と牛フワね!」
ワタワタしながらおじさんが肉を運んできた。
「タレはこれね」
小皿には味噌ダレっぽい赤茶のトロッとしたタレが入っていた。

まず丸小腸から焼いてみる。
ホルモンの焼き具合っていうのはわかりにくい。焼けた?焼けてるよね?食べてみるか。
こんな具合に、ホルモンを食べる時は少しばかりの勇気と冒険心が必ずついてくる。

しかし、この店の丸小腸には冒険心は不要だった。
「焼けてくるとコロコロ落ちてくるから注意してね」
焼けてくると山型になった鉄板から丸腸がコロコロ転がりだすらしい。焼くサイドではなく、丸小腸自ら冒険へと出発する。
なんてわかりやすいんだ。

まず真ん中にねっとりした丸小腸をのせてみる。
10分程度でねちゃっとしていた丸腸が縮みながらパンパンに膨れ上がって風船みたいになる。
それを箸で摘もうとすると鉄板を勢いよくコロコロ転がった。食べごろのサインだ。
パンパンになった丸小腸を食べる。
すごく美味しい!後味が潔い。濃厚だけど、しつこくない。潔いホルモンだ!
この手作り風の味噌タレも美味しい。ごはんがほしくなる。でもメニューにライスがない。
「おじさん、あの、ごはんないんですか?」
「ごめんなさい!人手不足でごはんまで手が回らないんです!」
ごはんってそんなに手のかかるものなのだろうか。
でもおじさんがそういうんだから、そうなんだろう。
丸小腸を美味しく食べたあとは牛フワを焼いてみた。
牛フワはシワシワで和紙みたいな肉だった。茶色くなるまで焼いてみた。たしかに食感はフワフワしている。味は淡白。美味しい!という感じではないがさっぱりしているので丸小腸のあとにはちょうど良い。
その後牛ミノや牛レバーも追加で注文した。

注文をした頃、陽気な2名客と1人で黙々と食べていた客が同時くらいに店を出ていった。
ワタワタしたおじさんの動きも落ち着いた頃、おじさんに声をかけてみた。

「おじさんは前からホルモン屋なんですか?」
「いや、違うんです。」
「ホルモン屋に憧れてたんですか?」
「いや、そういう訳じゃないんです。しょうがなくやってるのかな。しょうがなくってこともないんだけど...」
カウンターの前に構えられた厨房からおじさんは作業しながら話を続けた。
「もともと、僕。内臓屋なんです。ずっと牛とか豚を解体して、中の内臓を取り出して綺麗にする仕事をしてました。
で、僕。国民年金なんですよね。年金だけじゃ暮らしていけないじゃないですか。前の仕事もずっとできないし、どうしようかなぁって思った時に、これならできるかなと。」
おじさんはまた困り顔の笑顔でこちらを見て笑った。
「内臓屋。だからか!おじさん、ホルモンすごい美味しいです」
「ありがとうございます。美味しいホルモンをどこで手に入れられるか、どうやったら美味しく食べることができるかっていう点に関してはよく知ってると思うんですよね。だけどね、商売に関しては素人なもんでね...ほんとは人も雇いたいんだけど、人件費かかるでしょ。だから今は雇えなくて..」
「この換気扇もすごい立派ですよね。お金かかってそう」
「そうなんですよ!でもお客さんが臭くなるのは嫌だろなと思って」
店構えやワタワタするおじさんの様子から手が行き届かないのはよくわかったのだが、大きな換気扇、綺麗なアミ、すっきりしたカウンターから、おじさんが情熱を注いでいる点が何かということが、店の中に入ったことでわかったような気がする。
外の間に合わせのメニューなんてずっとあのままでいい。頑張っておじさん。

おじさんは話出したら止まらなくなってしまったようで、昔の内臓屋時代の話を色々聞かせてくれた。
「いけね!つい、話すぎました。すいませんね」
ホルモン屋のおじさんは話好きということもわかった。

また来よう。そろそろ会計をして帰ることにした。帰る前にトイレに行った。建物も古いので、トイレも古いんだろうな汚かったらやだなと思いながら入った。

しかし、トイレはめちゃめちゃ綺麗だった。綺麗な上に花まで飾っていた。
用を足して手を洗うと、蛇口から自動で水が出た。
さらに驚くべきことがあった。
蛇口が煌々と光るのだ。
「わ。光った!」
思わず呟いた。
(この光....いるか?)
蛇口を光らせるなら米を置いてほしい。

トイレから出て早速おじさんに
「おじさん!トイレすっごい綺麗だね!」
トイレの感想を伝えた。
「そうでしょ。トイレもリフォームしたんだよ」
おじさんは自慢げにわたしに言った。おじさんがニコニコ嬉しそうなので、光る蛇口は余計だと思うとは言えなかった。

たくさん食べてお酒を飲んでも1人1500円程度という大変良心的な金額を支払って店を出た。
また一つお気に入りの店が増えてよかった。
ただ、やはり心配なのは新陳代謝のいい店舗に店を構えた点。あのホルモン屋はいつまで続くかということである。


数週間後。
またホルモン屋を訪れると、店はほぼ満席でおじさんがパニックに陥っていた。
すると客である矢口真里似のおばさんが突然
「わたしやるから!」
といって厨房に入ってドリンクを作り出したのだった。
「すみませんね。」
おじさんはいつもの困り顔の笑顔で言った。
おじさんよりも堂々と厨房に立つ矢口真里似のおばさんも、他の客も、みんな笑顔だった。
なんか、この店は簡単につぶれないような気がする。
みんなにつられてわたしも笑った。


原因は鳩だった

昔から恋愛体質なのかわたしはわりと惚れっぽい。

若かりし頃は、犬も歩けば棒に当たるが如くわたしは歩けば恋に落ちていた。


これは高校生の時の話である。

入学して2、3日しかたっていない高校生活。たしか集会か何かで全校生徒が校庭に集められた時のことだったと思う。

集会が終わって校庭から教室に戻ろうとした時、下駄箱の出入り口の段差のところでワイシャツとズボンをだらしなく着たガラの悪い先輩が5人くらいでタムロしていた。

(あの人.....めっちゃかっこいい!)

そのうちの1人の先輩にわたしは一目惚れをした。

彼は亀梨和也をもっとイグアナに似せたような顔をしていた。

ちょっとガラが悪くて亀梨和也とイグアナに似たイケメンの先輩に、わたしは入学して3日でときめいたのだった。

そして入学してすぐに仲良くなった友達のたけちんに教室で報告したのであった。

「ね、ね、ね!たけちん!わたし、見つけた!心のオアシス!」

「心のオアシス笑?」

先輩の名前もわからなかったので、とりあえず亀梨和也とイグアナに似た先輩のことを「オアシス先輩」と呼ぶことにしたのだった(たけちんとわたしの中で)

やさしかった友達のたけちんは、

「さとみこんこん、いたいた!食堂にオアシス先輩いた!」

「さとみこんこん、いたいた!中庭のところにオアシス先輩いた!」

とオアシス先輩を見かけるたびにわたしに報告をしてくれた。そしてわたしはオアシス情報を聞きつける度に、オアシスを求めて一目散に走って見に行ったのだった。

「いた....!今日もかっこいい....」

口に手をあて物陰にかくれながらオアシス先輩を見ては心を潤わせていた。

そんなことを数ヶ月していたのだが、

ある時を境にオアシス情報はピタリと途絶えた。

まったく見かけなくなったのである。

(オアシス先輩最近みかけないな...)

オアシス先輩を見かけないままわたしは高校2年生を迎えることになった。

残念ながら仲の良かったたけちんとはクラスが分かれ、新しい友人達との生活が始まった。

2年生になったばかりの学年集会の時。

その学年集会に何故かオアシス先輩がいたのだった。

「え?あれ、オアシス先輩だよね?なんでいるの!?」

どうやら彼は出席日数が足りず留年となったようだった。

(ラッキー!前よりいっぱい見つめられるじゃん。)

わたしは彼を見てるだけで幸せ♡な割と謙虚な女子高生だったのである。

謙虚に見つめていた成果だろうか。

ある日、食堂で新しい友人3人くらいでごはんを食べていると、オアシス先輩と1つ上のガラの悪い先輩達がとなりの席に着席したのであった。

(オ、オアシス先輩....)

一気に箸が進まなくなってしまった。

固まりながらもなんとかごはんを食べてるわたしに、なんと

「髪、綺麗だね。」

とかなんとか言ってオアシス先輩が話しかけてくれたのだった。

この時わたしは頭が真っ白になってしまい、よく覚えていないのだが、最後に

「ねぇ、番号教えて。」

と言われたのであるキャーーーーーー!

その様子をみてガラの悪い先輩達はニヤニヤしている様子だったが、そんなことも気にする余裕もなく震えながら番号を教え、授業が始まるのでオアシス先輩と別れて教室に移動した。

「連絡するから」

食堂を後にするわたしにオアシス先輩が声をかけ、にっこり笑いかけてくれたのだったキャーーーーーー

オアシス先輩は約束通り連絡をくれ、わたしはオアシス先輩とのメールのやり取りが始まったのであった。

最初はメールだけであったが、仲良くなると、オアシス先輩と放課後に待ち合わせをして一緒に帰ったり、カラオケに行ったり、先輩と一緒にいる時間は増えたていった。

すると留年した怖めな奴とさとみこんこんが一緒に帰っていた!という噂は広まり、

「そうなの?」と友人に聞かれては

「やだーなんで広まっちゃてんの?」(もっと広まれ)

と思ったり、

「付き合ってんの?」と友人に聞かれては

「やだー付き合ってないってば!」(その予定)

と思ったり、非常に楽しい学園ラブロマンスをわたしは送っていたのだった。

ある日の帰り道、今日もオアシス先輩と途中まで一緒に帰っていた。

「俺の仲のいい奴がいて、そいつに誰か紹介したいんだけど、だれか可愛い子いない?」

「あー。わかりました。声かけてみますね。」

オアシス先輩の頼みならなんでも聞きますわたしは従順ですから。の意気込みで、わたしはミッションに挑んだ。

「前に同じクラスだったK子がいいかも。」

背が小さくて色が白くて目がぱっちりしているK子に声をかけてみた。

そしてオアシス先輩の友達にK子を紹介した。

先輩の友達は、すっかりK子を気に入ったようだった。ミッションは成功である。

さらにK子も満更ではなさそうだったので、我々は4人でディズニーランドに行くことになったのであった。

憧れのオアシス先輩と一緒に行ったディズニーランドは、まさに夢の国のようであった。浮かれていたせいかこの時のこともあまりよく覚えていないが、とても楽しかったことだけは覚えている。

そしてK子とオアシス先輩の友達は一緒に行ったディズニーランドの後、お付き合いがスタートしたのであった。

オアシス先輩とわたしはというと、ディズニーランドが終わったら、中間テストの勉強を一緒にしようと約束していた。

ディズニーランドに行く前に、次の土曜日は一緒に勉強するという予定になっていたのだ。が、しかし

「ごめん。土曜日都合が悪くなった」

とメールが入ったのだ。

じゃあいつにする?と返信すると、

「忙しいから無理かも」

との返事。


おかしい。オアシス先輩の様子は明らかに素っ気なくなったのだった。

要は避けられ始めたのだが、乙女心としては信じたくないのが心情。

もう相手がこのようになってしまった時は潔く身をひくのがベストだということは経験上今ではわかる(たぶん)


半年から数年すれば、ヤレそうでヤレなかった ないし ヤラなかった相手というのはふとした瞬間に思い出され連絡をしてみるものだ(わたし調べ)

しかしわたしの知能は待てのできない犬みたいなもんなのでいっぱいメールを送り、「あの時のあなた、戻ってこい」と必死になっていた。

しかし、悲しいかな、わたしは無視をされるようになり、オアシス先輩から避けられるようになった。

気の弱いわたしはたいそう落ち込み、これ以上オアシス先輩に迷惑をかけてはいけないと決め、わたしもオアシス先輩を全力で無視をすることにしたのだった。

その結果我々は高校卒業するまで1度も話をすることはなかった。そして、会話もしないままそれぞれの道へと進んだのだった。

オアシス先輩との学園ラブロマンスの話は以上である。


数年後。

5年以上はたったであろうある日のことである。

成人をとうに超えたわたしは、高校時代の友人 ゆきちゃんと飲んでいた。

そして飲みながら話していると、高校時代の話になったのだった。

「さとみこんこんってさぁ、留年した先輩といい感じだったときがあったよね?」

ゆきちゃんが、オアシス先輩の話を始めたのであった。

「あった!あったのよ、好きだったのに付き合えなかったんだよね。」

「わたしなんで付き合えなかったかしってる。」

ゆきちゃんはニヤニヤしながら言った。

「!!?!!」

「なんで?!なんでゆきちゃんが知ってんの?」

「K子にきいた」

「K子情報!それは信憑性が高いわ!」

「え?なんでなんで?おしえて」

いいよ。

といってゆきちゃんは何故か低い声のトーンでゆっくり話しをはじめた。

「あのさ、ディズニーランド行ったんでしょ?4人で。」

「うん、行った!行った!」

「そのさ、ディズニーランドでさ、さとみこんこんがさ、


鳩を追いかける姿をみて引いたらしいよ。」


「......。」

「は?」

「だから引いたらしいよ。」

「鳩で?」

「うん、鳩。」

「フラれた原因は鳩?」

「そう、鳩。」

「鳩...そう、そうなんだ。」


どうやらミッキーにもミニーにも目もくれずわたしはディズニーランドで鳩を追いかけていたらしい。

覚えていないが今でも鳩がいれば追いかけるのでたぶん熱心に追いかけていたんだと思う。

「で、でもふふっ、わたしは、ディズニーランドで、鳩をふふっ必死に追いかけてるさとみこんこん、ふふふ、可愛いと思うよふふふ」

なぜか笑いをこらえながらゆきちゃんはわたしのことを慰めてくれた。

「ありがとう。わたしもそんな自分は良いと思う。」


高校生の淡い恋は鳩を追いかけた結果、夢の国で消滅したのであった。

鳩を追いかけたことだけが原因な訳じゃないとは思うが、トドメを刺したのはおそらく鳩。鳩は幸せの象徴だったはずだが、わたしは鳩のお陰で不幸になった。

でも。

むしろ嫌われた原因が鳩でよかったのかもしれない。原因は鳩。とわかったことで「けっ、小さい男」と思えたのも事実。やっぱり鳩は幸せの象徴かもしれない。他のことが原因だったらそうは思えなかったかもしれないからだ。

そしてわたしは考えを改めることもなく、今現在も鳩を見かけると走って追いかけている。たぶん一生そうだと思う。


ちなみに、オアシス先輩。

卒業して2年後くらいにメールをくれたのだった。遊ぼうと連絡をくれたのだったが、予定が合わなかったか何かで結局会うことはなかった。

上記のわたし調べのヤレソウでヤラナカッタ奴には連絡する説はあながち間違ってはいないと思う。

最近あの人ったら冷たいわ〜なんて

意中の人が素っ気なくなったと感じたら、是非潔く身を引いて半年ぐらい気長に待ってみてほしい。おすすめする。


ただなかなか有効な手段だと自分では思っているのだが、

本人は鳩でも前を通れば追いかけたくなる狩猟本能が高い点や、待てのできない犬みたいな知能であることから

そんなことができた試しはほとんどないのである。


勘違いした脳

10年間くらい足の小指の爪が生えてこない時期があった。
もうそういうもんなんだろうと思って特に気にしていなかった。足の爪にマニキュアを塗るときはない爪のところを一生懸命にぬって、果たしてこれでいいのだろうか、この塗り具合でいいのだろうかと、ない爪と格闘をしていた。
爪も生えないことも悩みだが、オープントゥのサンダルやパンプスを履くと、やけに足指が空いた隙間から飛び出るという悩みも持っていた。
足の指2本が空いた隙間から飛び出るのだ。飛び出た足の指は、塩抜きをした時のあさりみたいだった。すごい嫌だった。

2つの悩みの原因を自分なりに考えてみると、小指の爪が生えてこないのは先天的異常で、あさりみたいになるのは足指が長いためと結論付けたのである。

ある日、わたしはニューバランスショップを訪れた。
そしてこの日わたしの人生を変える出来事が起きたのであった。

ニューバランスでは店員さんが足の長さを測定し、自分の足にあっているスニーカーをアドバイスするサービスがある。
わたしはこのサービスを何気なく受けたのだった。

わたしは24.5センチの靴を普段履いていた。多分10年以上は24.5センチを履き続けていた。
そして測定の結果

わたしの足は26センチ。男並みの足のサイズということが判明した。
さらに、

「足が変形しかけてますね。足の指が曲がってますよね。豆もすごいですね。このまま小さい靴を履いているともっと変形しますよ?」

店員さんは真顔でわたしの足の現状と今後の予測を伝えてくれた。 
さらに、

「足幅が狭いですね(足囲というらしいです。)足が細い。合う靴が少ないですね。細いからサイズが小さい靴も入ったんでしょうね。」

そういうと、店員さんは離席し、靴を選んで持ってきてくれた。選んでくれたのはニューバランスの990。26センチの男並みにでかい靴が運ばれてきた。

(ほんとでかいな..本当にわたしの足ってこんなでかい?)

試しばきさせてもらったところ、なんとも心地がよくて驚いた。
足が包み込まれるような感じ。みんな靴を履いた時はこのような感触だったのだろうか?

「足が細いサイズってあまりないんですよね、あなたの足には靴紐とかストラップがついたもののがいいと思いますよ。」

オープントゥの靴を履くと指が出てきちゃうんです。」

「それは靴が緩くて足が前に前に動いてしまうからですね。」

なるほど、足の指があさりになる原因がよくわかった。足指が長いのではなく、足幅が狭いことが原因な訳か。

これを機にわたしは26センチないし25.5センチの靴を履くようになった。
スニーカーを見るときはメンズコーナーを見るようになった。時々悲しい気持ちになったりもするが、足のサイズが深田恭子と一緒。と思って自分を勇気づけている。

少しずつ26センチの靴が増えていき、今までお世話になった24.5センチの靴は全て処分をした。

するとである。

数ヶ月すると小指の爪が生えてきたのだ!

「あ!爪が生えてきた!!」

圧迫しすぎて爪が生えてこれなかったようだ。可愛そうな小指の爪。靴のサイズは重要である。

ちなみにオープントゥのあさりはどうなったかというと、オープントゥそのものを選ばなくなったので、靴のサイズが変わってからは試していない。

26センチの靴に履きなれた現在、24.5の靴を履くと足が痛くてとても履けない。
これは脳の錯覚も影響しているらしく、24.5を履き続けていると、脳もそれでいいのだと思い込んで、痛くても気にしなくなるようだ。人間の適応能力はすごいけど、時に恐ろしいものでもある。 


そして、わたしはあることに気づいたのだった。

「足のサイズも実際は1.5センチも大きかったわけなんだから、もしかしたらブラジャーのサイズも、2カップくらい大きいのかもしれない!」

何事も思い込みはよくない。わたしは学ぶ女。
早速伊勢丹新宿のランジェリー売り場に行ってサイズを測ってもらうことにした。
その結果、2カップ上のブラジャーを紹介されたのであった。

「だれだよ貧乳って言った奴は!脳が勘違いしていたじゃないか!」

とにかくわたしは貧乳じゃないということがわかった。伊勢丹新宿店のお墨付きである。

しかし現状は、どうみても貧乳である。

もしかしたらまだ脳が勘違いしているのかもしれない。

早く脳が目覚めてほしい。
そして、2サイズ下のブラジャーをつけた時に「きつっ...。こんなの付けれない。」というセリフを言いたいものである。



エロ店主の着物教室

自分で着物を着ることができたらカッコイイなぁと思い立って、着付け教室に1年くらい熱心に通っていた時期がある。


その教室は、昔スタイリストをしていた女性が立ち上げた着物屋の教室で、プライベートで来店中の萬田久子に遭遇するような洗練された着物屋である。

萬田久子が好んで着るような着物のお店。そう想像していただくと、あぁ、きっと一筋縄ではいかない店だなとぼんやり思っていただけるかと思う。


そして店主がまぁ美人なのである。茶髪と黒の混じった髪の毛を夜会巻きにし、黒縁のザマス眼鏡をかけている。

さらに、江戸時代の浮世絵の着物の着方を参考にしているらしく、着物の衣紋をめちゃめちゃ抜くのだ。調子のいい日だと3分の1くらい背中が見えている。


簡単にいうと、この着物屋の店主はエロイ。


萬田久子もお忍びでやってくる店主がエロイ店。

そんな癖のある着物屋に気の弱いわたしは着付けのレッスンでお世話になることとなった。


初日、ドキドキしながら店へとやってくると、エロイ店主が笑顔で向かえてくれた。相変わらず衣紋はばっくり抜かれ、うなじから背中3分の1が美しく覗く。


(セクシーだな。わたしも着物を着た時に、あれくらい背中を開けることになるのだろうか。)


わたしは、着物教室と並行してうなじと背中の脱毛に通うこととなった。


申し込み用紙に必要事項を書いていると、着付けの講師の先生が、わたしに挨拶に来てくれた。


「はじめまして。どうぞよろしくお願いします。」


記入を止めてふと顔を上げると、


「....壇.....蜜...」


壇蜜のように美しい女性がにこやかに佇んでいた。

黒い長い髪をきちっと束ね、背筋がピンと伸びて華奢な体型。着物の衣紋はほどほどに抜かれていた。

顔のパーツは全て小さめ、ちょっと切れ長な目元がまた寂しげで実に色っぽい。極め付けは京都弁。文句なしのナイスエロ。



エロ店主の店の講師は京都弁の壇蜜。客は萬田久子


なんだこの店は。大人のエロスで溢れているじゃないか。


同じ空間で同じ空気を吸っているだけで自分もエロくなれるのではないだろうか。そんな気がした。


頑張ろう。


わたしは何を頑張るのかよくわからないが、この店で頑張っていこうと心にきめた。


レッスンは完全プライベート制なので、この着物屋では、講師とマンツーマンレッスンで着付けが学べた。


「わたしはずっと京都で着付けの講師をしていたのだけど、3週間前に東京に出てきたの。だから東京の生徒さんはさとみこんこんさんが初めてなんです。がんばろうね。」

壇蜜先生はそう言ってニコッと笑った。


極力標準語で喋ろうとする壇蜜先生。しかしときどき、ぽろっと自然にでてくる京都弁にone more please.

壇蜜先生は本当に魅力的であった。


着物は愚か浴衣も一人で着れなかったわたしは壇蜜先生のご指導のもと、浴衣の着付けから習うことになった。


3ヶ月間バイトをしていただんご屋で、だんごの値段を最後まで覚えることができずに卒業したわたしは、もちろん着付けを覚えるのも一苦労だった。


「ゆっくりやっていきましょう。」


壇蜜先生は劣等生のわたしに優しく呼びかけた。


また壇蜜先生は、所作についてもご指導してくださった。


「さとみこんこんさん、浴衣を羽織る時はガバッと羽織るのではなく、まず右肩に羽織って左肩に羽織る。次に右腕を袖に通して左腕を袖に通す。このように1つ1つの動きを丁寧にした方が、美しいですよ。」


さらに右、左、と袖を通す際に膝を軽く曲げて体をくねくねとくねらせる。壇蜜先生がこうです。とお手本を見せてくれた。


実にセクシー且つエロかった。


人間はくねくねするとエロイんだということを学んだ。


「座った状態から立ち上がるときの動作も、よっこらしょと立ち上がってはだめです。右足から膝を立ててすっすっとたちあがりましょう。」


「着付の他に、所作も同時にお伝えしていきたいと思います。同じことをやるにも、少し動き方を変えるだけで美しく見えますよ。」


一生ついていきます!壇蜜先生!


わたしは3週間に1度のペースで壇蜜先生のお稽古に励んだ。


「さとみこんこんさんは、わたしの東京の最初の生徒さんだから思い入れがあるの。だから綺麗に着物を着れるようにしてあげたいの。」


4回目のレッスンの時に壇蜜先生がわたしに言った。


わたしはとても嬉しかった。わたしも壇蜜先生のように可憐に着物を着て、はんなりした大人な女性になるんだと意気込んでいたので、

がってん!と壇蜜先生の美しいお顔をみて頷いた。

4回目のレッスンでも、相変わらず着物はおろか浴衣も着ることができなかったのだが、壇蜜先生一生ついていきます!の気持ちはより一層強くなったのであった。


そして5回目のレッスンのある日。


約束の時間にエロ店主の着物屋に向かうと、


エロ店主が笑顔で迎えてくれた。


しかし、笑顔のエロ店主からまさかの事実が告げられたのであった。


「さとみこんこんさん。実は、担当の講師なんですけど...都合によりお辞めになられました。」



「?!!?!!?」



え?5回目で辞職?!



え?こないだ言ったあの言葉、思い入れのある生徒だからというあのセリフ....



言ったばかりじゃんか!壇蜜先生!!



「え....!そうですか.....。」



肩を落としてわたしは落ち込んだ。



「急でごめんなさいね。それで、今日からは新しい講師にお願いしてるから。

もともとわたしの知り合いで、とっても教えるのが上手なの。それで、今どの程度までレッスン進んでる?」



「浴衣を習っている途中でした。」



「え?まだ浴衣やってんの?え?今日何回目?5回目でまだ浴衣やってるの?....はぁ....。」


「すみません。わたし物覚えが悪くて。」


「そうじゃないの。お金いただいてるんだからそんなダラダラやらないほうがいいと思うわ。カリキュラムをちゃんと作ってやらなきゃ。浴衣なんて精々2回くらいで終わらせなきゃ。しかもなんでこの季節(当時冬)浴衣の着付けやってるのかしら。」


エロ店主は呆れたという顔でわたしに愚痴っていた。


「今回お願いしている先生は、とにかく自分で着て覚えなさいという先生なの。わたしも同じ考えよ。早く自分で着てお出かけしなきゃ。だからこの季節に浴衣の指導ってのは...。こちらの先生のほうが上達が早いと思うわ。」


「こんにちはー!」


店主がわたしに愚痴っていると、新しい先生がやってきた。



「今日からよろしくお願いしまーす。」


今回の先生は全くエロスを感じなかった。衣紋も拳一個分しか抜きません。そのかわり靴下の重ねばきで体の毒素を抜いてます。というような雰囲気の先生で、実際に靴下を何枚も重ねて履いていた。わかりやすく言うと服部みれい系である。


「ねぇ。みれい先生。浴衣の着付けをやってたみたいなの。どうする?」


エロ店主が困った顔でみれい先生に小声で話しをした。


「あーー浴衣。でも途中で終わらしちゃもったいないですしね。じゃあ今日で浴衣終わらせましょう。じゃ、早速こっち来て。」


みれい先生はわたしのことをテキパキ誘導して、ちゃっちゃとお稽古を始めた。


「ここはそうして、ちょっと!違う!もう一回。」


「次は...そう。そう。それで?....だからこうでしょ!」


「なんでそっちなの、ここ、ここ、これをこうでしょ!」




「はぁーーーーーー!!!」(みれい先生のめちゃめちゃでかいため息)


みれい先生は初っ端から、はんなりとした壇蜜先生と違って強めな姿勢でご指導くださった。



「ゆっくりやりましょう!」


壇蜜先生の笑顔が懐かしい。



みれい先生のスパルタ指導真っ最中でも思い出すのは壇蜜先生だった。



「わたしの思い入れのある生徒さんだから綺麗に着れるようにしてあげたい!」


(だ、壇蜜先生....。)



「美しく見える所作も一緒に教えますからね。」



(だ、壇蜜先生....!)



気づくとわたしは、着付けをしながら泣いていた。


(うぅぅ。。なぜ...壇蜜先生。)



涙が溢れていた。ガチで泣き始めた。



「え!どうしたの!あ、あたしのせい?」


みれい先生は困惑していた。


どうしたの!のみれい先生の声でエロ店主も着付けの部屋に慌てて顔を出した。



「だ!大丈夫?」


「す、すみません....。」



泣きながらわたしは謝った。



アラサーの突然の号泣に2人がドン引きしているのがわかった。



するとエロ店主は、部屋からすっといなくなった。


「ちょっと座ろう。ごめんね。わたしが急いでやりすぎた。」


「違うんです。いろんな感情がちょっと込み上げてしまいまして...お恥ずかしい。」



みれい先生と話をしていると、エロ店主が戻ってきてコップに入ったオレンジジュースをわたしに手渡してくれた。



「ごめんね。急に講師が変更になっちゃったからね....」

エロ店主が言った。


「わたしが厳しく指導しすぎました。」

みれい先生は落ち込んでいるようだった。


「みれい先生は何にも悪くありません〜」

わたしは泣きながらオレンジジュースを飲んでいた。


オレンジジュースを飲み干す頃には気持ちが落ち着き、またみれい先生のご指導が再開された。

わたしが号泣したあとのみれい先生は、相変わらずテンポの速い指導だったが、口調が優しくなった。


みれい先生は宣言通り浴衣の指導をその日に終わらせた。

そして次回からは、着物の着付けの稽古となった。


着物を持っていなかったわたしに、みれい先生は着物を一式貸してくれた。


「返すのはいつでもいいよ。たくさん着て使って。お稽古のあとは着たまま帰ってもらうから。」


みれい先生はとにかく着物を着て、たくさん出かけろとわたしに指導した。


ぐちゃぐちゃでもいい。とにかく着物を着て、電車に乗ったりごはんを食べたり、日常を過ごして、そこからいろんな気づきを感じることが大切だと教えてくれた。そして着物を着て楽しむことが1番大事だと言っていた。


「完璧にやらなくてもいい。まずだいたいの形を作ってから、そこから余計なこと、無駄なことを削ぎ落として理想の形をつくってけばいいと思っている。」


わたしが、ここのシワを取りたい。ここもう少し綺麗にやりたいと言っても、


「今日はまだそこはいい。そこは気にしなくていいから次進みましょう。」


と言われ、少々不満を感じることもあったけど、今思うとそこは二の次三の次の問題で、その時、時間を割いて指導してもらうことではなかったということがわかる。


ちゃんと指導できる人は、全体を見据えて今その人に何が必要かをきちんと導いてくれる人なんだと思う。


壇蜜先生が教えてくれたことで、わたしのやる気がアップしたのも事実だけれど、みれい先生の指導は、わたしが早くひとり立ちして着物を一人で着て出かけられるようサポートしてくれた。


どっちの指導も間違ってはいないと思うけど、目的を達成させるためにわたしにあっていたのは、みれい先生のきびきびした指導だったのかもしれない。そしてわたしが上達するよう、自分の貴重な着物を惜しげなく無期限で貸してくれるみれい先生の方が、言葉だけ優しかった壇蜜先生よりも遥かに優しい。と今は思う。


時間はかかったが、少しずつ着物のアイテムを揃えてみれい先生に着物をお返しすることができた。


ちなみに、萬田久子御用達のエロ店主のお店でしっとりした着物を仕立てたのだ。


「衣紋をわたしくらい抜きたかったら、ここの部分のサイズを変更するけど、どうする?」


「....店主の半分くらいの抜き加減でお願いします。」


人よりちょっと衣紋が抜けるよう、仕立ててもらったのだった。


みれい先生と、ちょっと人より衣紋が抜ける素敵な着物のお陰でわたしは事あるごとに着物を着て出かけていた。フィリピンまで持って行って着るほど着物に熱意を持っていたのだが、去年くらいからブームが過ぎ去り、今年はまだエロ店主の店の着物を1度も着ていない。

誕生日の日にでも着て出かけようと思う。


また、着物はすっかり着なくなってしまったけれど、壇蜜先生の教え

「羽織るときは1つの動きを丁寧に。」

は、未だに守っており上着やパジャマを羽織るときに実行している。

そして壇蜜先生を思い出し、上着を羽織るときに無駄にクネクネ動いてセクシーに見えるよう心がけているのである。





だんご屋のバイト

高校3年生の頃、だんご屋でバイトをしていた。

このだんご屋は60歳くらいの茶髪の店長と、60歳をすぎているであろう、キビキビしたパートのおばさんと、どんくさい女子高生バイトのわたしで運営されていた。


夕方の5時から7時というたった2時間だけわたしはだんご屋で働いていた。

だんご屋は6時閉店だったので、学校が終わってだんご屋に着く頃には、だんご屋は閉店の準備をする時間であった。

わたしの仕事は、閉店の片付けの手伝いと、6時までにくるお客さんの接客だったのだが、わたしはだんごの値段を全く覚えることができなかった。


いらっしゃいませー!と元気よくだんごを売り、お会計の時には急に挙動不審になり始めるので、キビキビしたパートのおばさんが怖い顔をしてわたしをレジの奥に引っ込めてお会計から交代してくれていた。


お会計ができないなら店頭に立つべきではないのかもしれないが、ミーハーなわたしは花より団子のつくしちゃんのように笑顔で店頭に立ちたかったので、隙があれば店に立ちニコニコしていた。そして会計の度にキビキビしたパートのおばさんに首根っこを掴まれて奥に引っ込められるのであった。


だんごの値段を覚えるのも苦手だったが、もっと苦手だったのはだんごを製造する機械の片付けである。これは1番やりたくない仕事であった。

だんごの機械がシンクにつけてあればありがたいのだが、忙しかったりするとだんごをこねる機械がそのままになっている。

これをある程度解体して、シンクで洗い、また組み立て元に戻すという仕事がそれはそれは大変であった。

だんごをこねる機械は結構な大きさがあり、解体するときはナットレンチを使ってネジを外していた。


このナットレンチもまぁ大きくそして重い。

重い重いと言ってナットレンチを持ち上げナットを外していった。


ナットを外す。



外す。


ナットを外す。



外す。


外す。


外す。


外す。


外す。



「おいっっ!!!あんたどこまで外すんだよ!!!」



茶髪の店長が怖い顔をしてわたしからナットレンチを取り上げた。


「こんな外してどーすんだよ!だんごの機械どーすんだ?壊すつもりか?」



「ごめんなさい。。。」



複雑な機械、一体どこまでをはずしていいのやらさっぱりわからなかった。


それ以降、なるべくキビキビしたおばさんが怖い顔をして5時までの時間にだんごの機械を外し、水につけてくれていた。


またこのだんごの機械。組み立ても厄介なのである。

何がどうなっているのかさっぱりであった。


「おいっ!あんたいつまでネジ回してるんだよ!ネジも回せないのかよ!!」


「こんなどんくさい子初めてだわ。」


「あんた!就職しないほうがいいわ。あんたはさっさと嫁にでもいって、誰かの帰りをニコニコ待ってたほうが向いているわ!」



茶髪の店長の口調はきつく、時には悲しい気持ちになった日もあったが、

この時は、わたし自身も就職は向いてないと思っていたし、わたしもさっさと嫁にいって誰かの帰りをニコニコ待ちたいわ〜と心から思っていたので


「正論!」と思ってニコニコ立っていた。


口調のきつい茶髪の店長だったが、茶髪の店長がきつい口調でネジの回し方を教えてくれおかげで、機械の組み立ては覚えることができ、1人でできるようになった。



相変わらずだんごの値段は覚えられなかったけど、なんとなく仕事もスムーズにいくようになった、だんご屋バイト3ヶ月目。

わたしは受験勉強に専念をするということで、だんご屋を辞めることになったのだった。

それなりに楽しかったし、廃棄のだんごを大量に持ち帰っていたので、辞めるのが忍びなかっただんご屋のバイト。


最終日。だんご屋最後の労働を噛み締めていると、茶髪の店長がわたしを呼び止めこう言った。


「きみさ、本当にどんくさくて、この子社会にでて働けないわって思ってたんだけどさ、なんか一生懸命働いてるし、たぶんね、その姿をみてしょうがねぇなって面倒みてくれる人がいると思う。だから頑張んだぞ」


普段怒鳴ってばかりだった茶髪の店長だが、今日の口調は優しかった。


「ありがとうございます!頑張ります!」


わたしは茶髪の店長に元気よく言った。


まだ社会の荒波に揉まれる前の高校3年生であったが、この時の店長の言葉はわたしの胸に響き、とにかくなんでも頑張ってやろうと誓ったのである。そうじゃないと、わたしは社会にでたら即解雇・即クビ。頑張るはわたし最大の防衛。

この時の店長の言葉をそう解釈した。


そしてさらに店長は、


「あと、あんたさ...榎本加奈子に似てるよ。」



「え?」


急に店長に言われた榎本加奈子


そして


「わたしもそう思ってた。」


と、普段は怖い顔のキビキビしたおばさんがこの時は笑顔でそう言い、わたしに近づいてきたのだった。



「店長....おばさん....。」


わたし、榎本加奈子に似てるのか。この言葉も先程の店長の言葉と同様、胸に響いたのであった。


その後だんご屋のバイトを辞めたわたしは、歯科衛生士学校の進学が決まり、無事歯科衛生士となり、東京までの定期が欲しいという理由で東京の歯科医院に勤務することが決定した。


そして今ではユニット(歯医者の椅子)の調子が悪くなればドライバーをくるくる回してせっせと直すことができるほど、わたしは頼もしくなったのだ。これもあの時ネジの回し方を教えてくれた店長のおかげだと思っている。



就職先が決まってたから、だんご屋に一度挨拶にいったことがある。

その時は店長もおばさんもとても喜んでくれた。


もうそれから10年は、そのだんご屋に行っていない。


茶髪の店長は元気だろうか。


口調はきついが、思いやりのあった店長。


わたしは知っている。おばさんが長時間労働にならないよう、架空の人物を雇っておばさんの払う税金を少なくしてあげていたことを、わたしは知っている。




そして、もう1つ気にかかっていることがある。それは、






榎本加奈子は元気か?ということである。




おっさんの話

危機管理能力が欠如しているのか、わたしはまぁまぁ変な人に遭遇しやすい。

最近の話だと
「ナンパとかじゃないんで話を聞いてもらえますか。」
と仕事の帰り道におじさんに声をかけられた話がある。
なんだなんだと話を聞いてみると、
「僕は人体のパーツをごにょごにょ.....」
と声がデクレッシェンドしてしまったので、何を言ってるのかちゃんと聞き取れなかった。
おそらく人体のパーツをどうにかしている人物ということはわかった。小さい声でブツブツとまだ説明をしていたが、よく聞こえない。若干の好奇心からもう1度最初から言ってくれ!とダ・カーポを期待したが、
よく見るとおじさんの目が死んでいたので「ごめんなさい。用事があるので。」と言い、わたしはアッチェレランドな足取りでその場を去った。


話は変わって。
これは高校生の時の話だが、おのぼりさん状態でラフォーレ原宿に1人で行った際「ちょっとお話いいですか?」とラフォーレ内でおじさんに声をかけられた。雑誌の占いページを担当しているというおじさんであった。

「キスマーク占いという占いページがありまして、星座の横にその星座の女性のキスマークを乗せているんです。あなたの唇の形のサンプルを取らせてくれませんか?5000円あげます!この台紙にチュッとしてもらえばいいので。」

5000円もくれるの!?マクドナルドで7時間労働してやっと5000円くらいなのに、チュッの1秒で5000円もくれるの!?労働って何なんだろう!!
高校生のわたしの心は揺らいだ。

「結構多くの女性にご協力いただいてるんですよ。これはご協力いただいた方のキスマークです。」

台紙には、赤のキスマーク、ピンクのキスマーク、小さい唇から大きい唇まで様々なバリエーションのキスマークが付けられていた。
(みんなやってるんだ。それなら大丈夫だろう。)

「わたし、やります!」

高校生のわたしはラフォーレ原宿で元気よく返事をした。
まんまと引っかかったバンドワゴン効果。地方の女子高生はちょろかった。
「じゃあこっちに来てください。」とおじさんはわたしを人影のない方へと誘導した。

しかし人影の無いところで「実はもう一つやることがあって、キスマーク占いは、キスマークの横にこの唇の人のキスがどんなだったかを僕が感想を書いているんです。つまり....」と薄ら笑いをしてきたため

「わたし、辞めます!」

と、得意のアッチェレランドな足取りでラフォーレ内を逃走。
東京はおっかないと目に涙を浮かべながらも、電車賃払ってここまできたんだという意地で地方の女子高生はラフォーレ原宿に残留。買い物を続行した。幸いその変態に2度と会うことはなかった。

そして3人目は、もう一度会いたいと思わせる変なおじいさんの話である。

おのぼりさんからおマセさんに成長した19歳のわたしは銀座の中央通りを1人で歩いていた。
たぶんみゆき通り手前くらいだったと思う。
そこで初老に話しかけられたのだった。

「きみ、ちょっと。」

基本的にはお年寄りには優しい私ですから、何ですか?と足を止めた。

「ここは人の邪魔になるから端によって。」

中央通りの端の方へと誘導され、おじいさんはそのまま話をした。

「僕ね、基本的にはいつも車で移動してるんだ。運転手がいてね、いつもあっちだこっちだ連れまわされるから疲れちゃって。だから車から降りてちょっとゆっくり歩きたかったんだ。あとね、君みたいな普通の女の子と話がしてみたくてね。普通の女の子がいいんだ。」

「はぁ。」

「10分僕とおしゃべりしてくれたら、100万円あげる。」

「はぁ。」

「嘘だと思ってるよね。まぁね、そうだよね、じゃあね...見せてあげるから。」

といって、初老は財布から分厚い札束を取り出して、銀座の中央通りでわたしに札束を見せつけてきたのだった。

「!!!?!!」

わたしは初めて見る札の束に驚いた。

「わ、わかりました!わかりましたから早くしまってください!しまって!しまって!」

「はっはっはっ。」

初老は上機嫌だった。

「でもわたし...そんな大金いただけません。だから...いいです。」

19歳のわたしはピュアだった。今だったら「わ!太っ腹!OK、前払いでお願いします!」とノリノリで言うだろうが、19歳のわたしは違う、今は亡きピュアな心の持ち主なのだ。

初老もピュアなわたしを気に入ったのか、
「大丈夫、心配いらない。あげるって言われたものはありがたくもらわなきゃ。いい子だね君は。さっきのお嬢さんたちなんか、10分間話をしてくれたらバックを買ってあげる。っていったら喜んでおしゃべりしてくれたよ。2人いたから2人にバック代を渡して、ブランド物のバックを買っていたよ。君だけにしているわけじゃない。」

またでてきましたよ、バンドワゴン効果
しかしこれにより19歳の心はちょっと揺らいだのです。

「僕ね普段は森ビルの会社の偉い人なの。ほらね、名刺みて。」

「だから君みたいな普通の女の子と喋る機会なんてないの。わかるでしょ?」

この初老の言ってることは嘘なのか本当なのか。よくわからなかったが初老は淡々と話を続けた。

初老とお喋り10分100万円の話だったか、商談成立もしていないのに20分は初老の話を聞いていた。もういいからさっさと金をくれ。とも思わなかったのがピュアな19歳のわたし。

とにかく初老の話を聞いて、タイミングを見計らって立ち去ろうとしていた。

「おじいさん。やっぱりわたしは100万円は受け取れません。ごめんなさい。」

「何を言っている!あげるって言われたら素直に受け取ればいいんだ!」

「受け取れません!」  

「遠慮しないで!」

「受け取れません!」

「うーん。金額が少ないのかな、わかった。300万だしてやろう!!」

「さ、300万円も受け取れません!100万円でいいです!」

こうして交渉は成立した。
受け取れないと言いつつも、あの時みた札束が忘れられない。札束から逃れることはできなかったピュアな19歳。

「ここは人目も気になる、お金のやりとりもあるし、もっとビルの奥で話をしよう。」

初老に連れられ、ビルの奥の方へと入り込んだ。

100万円...何に使おう。
10分100万円。1秒5000円からの大出世だ!

ところが
「10分おしゃべりして100万円って言ったけど...キスもしてくれないとあげない。」

と初老がほざきだしたのだ。

しかし、ありがたいことにわたしには1秒5000円の仕事で免疫がついていた。
今回は動揺することなく、きっぱりと、

「お話はいいけど、キスはイヤです。」

とじーさんに伝えた。

すると初老は、

「じゃ。いいや、君じゃなくてもいいから。ばいばい。」

といって解放されたのであった。

この時は、得意のアッチェレランドな足取りが登場することもなく、
わたしはトボトボ銀座の街を歩いた。
ピュアな19歳の頭の中は札束でいっぱいになっていたのだ。
これで良かったのだろうか。我慢すればあの札束はわたしのものになったのではないだろうか。
30歳になった今でも、あのときの100万円が忘れられない。
10分100万円、10分100万円、10分100万円

わたしは株に手を出し始めた。
おのぼりさんから、おマセさん、おっさんへとわたしは進化している。