だんご屋のバイト

高校3年生の頃、だんご屋でバイトをしていた。

このだんご屋は60歳くらいの茶髪の店長と、60歳をすぎているであろう、キビキビしたパートのおばさんと、どんくさい女子高生バイトのわたしで運営されていた。


夕方の5時から7時というたった2時間だけわたしはだんご屋で働いていた。

だんご屋は6時閉店だったので、学校が終わってだんご屋に着く頃には、だんご屋は閉店の準備をする時間であった。

わたしの仕事は、閉店の片付けの手伝いと、6時までにくるお客さんの接客だったのだが、わたしはだんごの値段を全く覚えることができなかった。


いらっしゃいませー!と元気よくだんごを売り、お会計の時には急に挙動不審になり始めるので、キビキビしたパートのおばさんが怖い顔をしてわたしをレジの奥に引っ込めてお会計から交代してくれていた。


お会計ができないなら店頭に立つべきではないのかもしれないが、ミーハーなわたしは花より団子のつくしちゃんのように笑顔で店頭に立ちたかったので、隙があれば店に立ちニコニコしていた。そして会計の度にキビキビしたパートのおばさんに首根っこを掴まれて奥に引っ込められるのであった。


だんごの値段を覚えるのも苦手だったが、もっと苦手だったのはだんごを製造する機械の片付けである。これは1番やりたくない仕事であった。

だんごの機械がシンクにつけてあればありがたいのだが、忙しかったりするとだんごをこねる機械がそのままになっている。

これをある程度解体して、シンクで洗い、また組み立て元に戻すという仕事がそれはそれは大変であった。

だんごをこねる機械は結構な大きさがあり、解体するときはナットレンチを使ってネジを外していた。


このナットレンチもまぁ大きくそして重い。

重い重いと言ってナットレンチを持ち上げナットを外していった。


ナットを外す。



外す。


ナットを外す。



外す。


外す。


外す。


外す。


外す。



「おいっっ!!!あんたどこまで外すんだよ!!!」



茶髪の店長が怖い顔をしてわたしからナットレンチを取り上げた。


「こんな外してどーすんだよ!だんごの機械どーすんだ?壊すつもりか?」



「ごめんなさい。。。」



複雑な機械、一体どこまでをはずしていいのやらさっぱりわからなかった。


それ以降、なるべくキビキビしたおばさんが怖い顔をして5時までの時間にだんごの機械を外し、水につけてくれていた。


またこのだんごの機械。組み立ても厄介なのである。

何がどうなっているのかさっぱりであった。


「おいっ!あんたいつまでネジ回してるんだよ!ネジも回せないのかよ!!」


「こんなどんくさい子初めてだわ。」


「あんた!就職しないほうがいいわ。あんたはさっさと嫁にでもいって、誰かの帰りをニコニコ待ってたほうが向いているわ!」



茶髪の店長の口調はきつく、時には悲しい気持ちになった日もあったが、

この時は、わたし自身も就職は向いてないと思っていたし、わたしもさっさと嫁にいって誰かの帰りをニコニコ待ちたいわ〜と心から思っていたので


「正論!」と思ってニコニコ立っていた。


口調のきつい茶髪の店長だったが、茶髪の店長がきつい口調でネジの回し方を教えてくれおかげで、機械の組み立ては覚えることができ、1人でできるようになった。



相変わらずだんごの値段は覚えられなかったけど、なんとなく仕事もスムーズにいくようになった、だんご屋バイト3ヶ月目。

わたしは受験勉強に専念をするということで、だんご屋を辞めることになったのだった。

それなりに楽しかったし、廃棄のだんごを大量に持ち帰っていたので、辞めるのが忍びなかっただんご屋のバイト。


最終日。だんご屋最後の労働を噛み締めていると、茶髪の店長がわたしを呼び止めこう言った。


「きみさ、本当にどんくさくて、この子社会にでて働けないわって思ってたんだけどさ、なんか一生懸命働いてるし、たぶんね、その姿をみてしょうがねぇなって面倒みてくれる人がいると思う。だから頑張んだぞ」


普段怒鳴ってばかりだった茶髪の店長だが、今日の口調は優しかった。


「ありがとうございます!頑張ります!」


わたしは茶髪の店長に元気よく言った。


まだ社会の荒波に揉まれる前の高校3年生であったが、この時の店長の言葉はわたしの胸に響き、とにかくなんでも頑張ってやろうと誓ったのである。そうじゃないと、わたしは社会にでたら即解雇・即クビ。頑張るはわたし最大の防衛。

この時の店長の言葉をそう解釈した。


そしてさらに店長は、


「あと、あんたさ...榎本加奈子に似てるよ。」



「え?」


急に店長に言われた榎本加奈子


そして


「わたしもそう思ってた。」


と、普段は怖い顔のキビキビしたおばさんがこの時は笑顔でそう言い、わたしに近づいてきたのだった。



「店長....おばさん....。」


わたし、榎本加奈子に似てるのか。この言葉も先程の店長の言葉と同様、胸に響いたのであった。


その後だんご屋のバイトを辞めたわたしは、歯科衛生士学校の進学が決まり、無事歯科衛生士となり、東京までの定期が欲しいという理由で東京の歯科医院に勤務することが決定した。


そして今ではユニット(歯医者の椅子)の調子が悪くなればドライバーをくるくる回してせっせと直すことができるほど、わたしは頼もしくなったのだ。これもあの時ネジの回し方を教えてくれた店長のおかげだと思っている。



就職先が決まってたから、だんご屋に一度挨拶にいったことがある。

その時は店長もおばさんもとても喜んでくれた。


もうそれから10年は、そのだんご屋に行っていない。


茶髪の店長は元気だろうか。


口調はきついが、思いやりのあった店長。


わたしは知っている。おばさんが長時間労働にならないよう、架空の人物を雇っておばさんの払う税金を少なくしてあげていたことを、わたしは知っている。




そして、もう1つ気にかかっていることがある。それは、






榎本加奈子は元気か?ということである。