clubhouseについて

数週間前からclubhouseを利用するようになった。使ってみて思うことはなんかclubhouseを今後も利用するユーザーは少なそうだなと感じている一方、自分には使い勝手の良いサービスだなと感じている。

仕事を辞めて専業主婦になり1才の子供の世話と家のことをし親類知人が住んでいない地方に引っ越しをし感染症が蔓延してしまった私の生活は、人と話をする機会がめっきり減って段々喋る機能が衰えてきているように感じていた。夫とはよく話はするのだが、家族以外の誰かとも話をしたいという思いも感じていて、そんな時に彗星の如く現れたのがclubhouseだった。私はclubhouseを主に夕飯の準備中に発信し、ご飯を作りながら私の部屋にやってきた誰かとおしゃべりをするという試みをはじめた。zoomやLINEとかで話をするよりも気楽で身なりも気にしないですむし、家事も進むし、clubhouseいいやんと思っていた。

そんなふうにして久しぶりに人とおしゃべりをするようになった中で、自分は人に同意してしまいがちであるということに気が付いたのだった。「2人きりで喋るということは気まずくないか」との知人の問いに「まぁ確かにちょっとね」などと答えたのであるが本当は全然そんなこと自分は思っていなかったのにと後から振り返ったのだが、咄嗟に相手に同意をしてしまったのだ。これは今回に限らず私の人生こういうことが多かったと思っているのだが、相手に合わせることで仲を深めたいとか反論するのが面倒とかそういう気持ちがあってそれがもうクセみたいになってんだろうなと今更悟ったのであった。情けない。

上野千鶴子さんが今回の森喜朗氏の会見についてお話していたのだが「森氏のことも問題だがあの会見で黙ったままや笑った記者、関係者がいたことが大問題。あそこでちょっと今の言葉はおかしくないですか?と誰も発しなかったことが1番の社会問題だ」というような内容のことをお話されていたのを聞き、人に対して無意識に同調してしまう自分は社会的にも大問題なのではと目眩がする気持ちとなったのであった。

 

clubhouseの真っ当な使い方はテーマに対していろんな立場の人が自由に議論したり対話をしたりできることだと思っている。一番感動したのは「粘菌」をテーマにして人工生命とか精神学とかロボット学についての意見交換をしていた部屋があって、そこで現役高校生がスピーカーとなって大阪大学の特任准教授やその道の研究者にあれこれ質問をしている様子を聞いて、素晴らしいなと、その高校生の興味関心を自分の言葉として発している姿に、私は一体今までの人生何をやってきたのかと自問自答させられたのだった。

最近つくづく思うのは自分の考えや意見が自分がいかに言えない人間であるかということ、もういい大人なんだからきちんと意見が述べられる人間でありたいという気持ちを強く感じている。ブログも、私のブログは私の考えというより私の出来事を感情的に書いているものが多く、もうちょっとよく考えるクセをつけて自分の考えがきちんと書いてあるようなブログも書けるようになりたいと思う。

 

今は主に「さとみこんこんのお料理しながらおしゃべりリハビリ部屋」ばかりやっているのだが、テーマを決めてあれこれ話をする部屋もやってみたいという気持ちでいる。それまでみんなclubhouseをやめないでほしいと願っている。

 

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