ただの豆だった

最近麻布十番を訪れることが多い。その訳は兼ねてから勤しんでいるピラティスのスタジオが移転し、移転先が麻布十番になったからである。そのため月に2回とか3回麻布十番を訪れるようになったのだが、だいたい昼頃にピラティスの予約を入れるので、その後麻布十番で昼ご飯を食べて帰ることが多くなった。

麻布十番は面白い。老舗の店も多いが目新しい店も次から次へとできる。どちらかというと味のある老舗の店が好みなのだが、時たま根底にあるギャルの部分が垣間見えてしまう私は、今回はアメリカ系メキシカンスタイルの楽しめるブリトーの店に行ってみることにしたのだった。

ガラス扉を開けて入ると「いらっしゃいませ」とかったるそうなバイトに出迎えられた。「ご注文は?」と腹話術で喋ってんのかと思うくらい顔の筋肉が動かないバイトに聞かれるが、なんせ私はブリトービギナー。何の選択肢があるのかもわからずオロオロするしかなかった。ブリトー屋はサブウェイのようなシステムになっており、ガラスケースの中には彩り豊かな野菜や肉などが並んでいた。まずはベース選びから。ブリトーかタコスかその中身だけかを店員に問われ、迷わずブリトーをチョイスした。次にチキンか、ビーフか、ポークか。チキンは1000円、ビーフは1300円、ポークは1200円。私は驚いた。高い。ブリトーってアメリカでもメキシコでも庶民の食べ物のはず。1000円以上払って食べる食べ物なのか...思ってたのと違う!と正直ブリトー屋から走って逃げ出したかったが、わたしだって大人、わたしだってわかってる。ここは麻布十番だということを。基本この街に庶民は住めないし、物価は高いものなのだ。仕方がないので泣く泣く「ビーフ」と何故か1番高価な選択をして次のステップに移るのであった。サワークリームは入れてもいいですか?ライスも入ますか?ソースは?チーズは?追い立てられるように店員に問われ、頭の回転が遅い私はとりあえずはい!はい!と答え、店員の流れを止めないよう心がけた。すると今度は「お豆はどちらにしますか?ベーコンのお豆か、お野菜のお豆ですが」と豆だけはYESの回答ができず、はい!のリズムは崩れてしまった。焦る気持ちで自分はどちらの豆を食べたいか考えた。ベーコンのお豆っていうのは肉からできているのだろうか。そして何故この無愛想な店員は豆だけには丁寧な対応なのか。「じゃあベーコンのお豆で!」1番肉々しいビーフを選んだのだから豆もお肉の豆にして肉々しいブリトーにしよう。そう考えてベーコンの豆を選択し、一通り注文が終わった。

1300円のブリトー。さぞかしオシャレなんだろうとカウンターで楽しみに待っていると、お待たせしましたと店員がトレーに乗せて運んできたものはアルミホイルに包まれた物体だった。インスタ映えのカケラもなかった。アルミに包まれた焼き芋のようだ。looks like a 焼き芋。思ってたのと違う!と泣き出しそうになったが、おそらくこれがアメリカ系メキシカンスタイル。気取らないのが彼らのスタイル。大人しくアルミホイルで包まれた物体が乗ったトレーを受け取り座席に向かった。

店内は奥行きがあり、洞穴のようであった。窓がないので光が入らず薄暗いし、風通しも悪い。風水的な観点からみるとこの店はたぶんすぐに潰れる。そんなことを考えながら適当な所に着席した。

おしぼりで手を拭きアルミホイルを剥いて、ブリトーの頭を出す。そしてそのままパクっとかぶりついた。噛んですぐにご飯とソースの混ざった味がした。不味くないけど、美味しくもない。セブンイレブンブリトーの方が数倍美味しい。これならセブンイレブンブリトーを5個買った方が良かったと一口食べただけで残念な気持ちになった。しかしせっかく四苦八苦してオーダーしたブリトー、1番高い肉を選んで買ったブリトーである。味わっていただこう。私はブリトーを咀嚼しながら一口かじった後のブリトーの断面を観察してみた。中から豆が覗いていた。そうだベーコンのお豆。肉からできたベーコンのお豆を選んだことを思い出した。どんな味がするのか。ワクワクしながら豆だけをつまんで食べてみた....豆の味がした。ただの豆だった。思ってたのと違う!と再度アルミに包んでブリトーを焚き火に放り込もうかと思ったが、わたしだって知ってる。わたしだってわかってる。食べ物は粗末にしてはいけないことを。最後まで食べよう。しかし咀嚼するたびに広がる味は後悔。なんとも後味の悪い食事となった。

ブリトーを完食し終わったあと、すぐにインターネットを開いてベーコンのお豆を検索することにした。あいつは一体なんの豆だったのか。せめてベーコン豆の正体だけでもはっきりさせて少しはすっきりして帰りたい。しかし検索の結果「次元大介の好物」以外情報は見つからず、結局一体ベーコン豆がなんの豆なのかよくわからず、後味の悪さは軽減しないままブリトーの店を後にすることになった。

ベーコン豆の正体は謎のままであるが、肉からできていると思ったベーコンの豆は肉からできている訳ではない。その事に気付いただけでも私はまた一つ賢くなった。そう思うことにした。しかし帰りの電車の中でわたしはふとあることに気がついたのであった。

 

お野菜のお豆こそ、なんの豆だったのであろうか?

 

 

丸い男

どういう訳か専門学生時代からいつも眠い。それまでは授業中に寝るということはなく真面目に勉学に励む学生であったのに、専門学生になった途端毎日眠くなって90分の授業を全部寝て過ごすこともあった。隙あれば寝る。授業中以外でもバスや電車の移動中でも当たり前のように寝る。時々立ったままでも寝る。

この日もバスで爆睡していて、バスの車掌さんに終点で起こされたのであった。幸い自分の自宅がバスの終点から近く問題はなかったのだが、お客さーんとマイクで呼びかける声で目を覚まし、びっくりしてキョロキョロあたりを見回すと見覚えのあるバスターミナルで、あ、私寝てたんだと自分が爆睡していたことに気がつくのであった。まだ半分眠っている状態で誰も乗車していないバスをゆっくり歩いて降り口に向かう。定期券を運転手に見せてバスを降りると知らない太った男が待ち構えていた。おじさんなんだかお兄さんなんだかわからないような見た目で、眼鏡をかけ、長髪ぎみの頭はボザボサで、たしかジャージをはいていた。清潔とは言い難い、どちらかというと不衛生なそのおじさんだかお兄さんだかわからない男がニタニタと笑いながら私にかけてきた第一声は「お疲れのようで」だった。驚いた。この人も先程のバスに乗っていて、私が爆睡している様子を見ていたのだろうか。なんで疲れていると思ったのかと不審に思いながらも「はぁ。」と言いながら頭を下げて会釈した。すると男は続けて「これ、よかったら」と持っていたビニール袋からスッと何かを私に差し出した。

差し出された物はどらやきだった。たぶん自分で食べようと思い購入したのであろう、スーパーで100円くらいで売ってるオーソドックスなどらやきだった。何を出してくるのかと思いきや出てきた物はどらやき。まだ半寝の状態でドラえもんみたいに丸い男から突然どらやきを差し出され、茫然とし、しばしどらやきを見つめた。

「いらないです」

貰わないのが健全かなと少しの間の中で判断し断った。丸い男は相変わらずニタニタしていたが、何も言わずに静かにどらやきを袋の中にしまった。「いらないです」と答えてすぐにその場を早歩きで立ち去ったが、丸い男は追ってくる様子もなくその人とは二度と会うことはなかった。

10年以上前の話であるが時々バスを降りたらどらやきを差し出されたことを思い出す。たぶんあの男性はどらやきを受け取ったからといって何かしてくるつもりもなかったのかもしれないなと思うと、せっかくのご厚意、有り難く頂戴すれば良かったと思う。わたし好きだし、どらやき

知らない人からの突然の善意というのは少々気味が悪く、何か裏があるんじゃないかと疑ってしまいがちだが、ありがたい!と素直に受け取ってみれば、ただお互いが気持ちが良くなるだけでなんてことはないのかもしれない。素直になってみようと思った。

前澤さんの100万円のお年玉が当たりますように。

 

麻布十番のエレベーターの中で

先日用事があり麻布十番のマンションを訪れた。

用事を済ませ、マンションの12階からエレベーターに乗り1階のボタンを押した。エレベーターの中には私1人だった。ぼんやりエレベーターに乗っていると7階でエレベーターが止まり、茶髪のマスク姿の女性がベビーカーを押しながらエレベーターに乗り込んできた。ベビーカーには幼い子供、そして1〜2歳くらいの目のクリっとした女の子が女性の胸に抱き抱えられていた。

狭いエレベーターは私と女性とベビーカーで満員となり身動きの取りづらい状態となった。窮屈なエレベーターはなんとなく気まずかった。誰も声を発することはなくエレベーターは静かに下っていく。視線を下に向け体を小さくしてエレベーターが1階に到着するのを待った。そして私は気づいたのだった。何か感じると。俯いた状態から何かを感じとって目線を少し上に上げた。何かの正体はベビーカーに乗った赤ん坊の視線だった。

赤ん坊は表情も変えぬまま、瞬きも身動きもせずにじっと私を見ていた。真剣にこちらを見ている。このままだと私が石にでもなるんじゃないかと思われるほど凝視している。なんだか怖くなり、堪らず赤ん坊から目を逸らし右側に視線を逸らした。

視線を逸らすとまた目が合ってしまった。今度目が合ったのはマスク姿の女性に抱き抱えられている女の子であった。クリっとした瞳でこちらもじっと私を見ている。なんでなのかはわからないけれど、こちらも石になるんじゃないか、もしくは穴が開くんじゃないかというほど私を見ている。

2人の幼い子供にじっとりと見つめられ、気まずさと居たたまれなさは最高潮に達した。逃げ出すこともできず、気づいた時には「ははは」と声を出して笑っていた。静まり返るエレベーターで壮年女性が突然笑い出した。幼い子供たちの視線よりも怖いのは確実に私である。

まずい。このままだと不審者である。私は自分を擁護するために目線を下に向けたまま「すみません、2人がすごい見てくるので」とボソボソとマスクの女性に訴えた。

するとその数秒後、マスクの女性は甲高い声で笑い出した。手まで叩いている。ウケてる...すごい笑っている。「こ、この耳あてかな...耳あてが気になるのかな〜?」続けてボソボソと呟いた。

私は最近毛がモシャモシャした耳あてをして歩いている。最近気づいたのだが、東京で耳あてをして歩いている人などほとんどいない。この冬私以外に耳あてをつけていたのは今のところ、飲み屋の隣の席のサラリーマン、電車で隣に座った中学生、友人、そして私の4名だけである。私が耳あてをしている姿を見て実家の犬がすごく興奮していたので、もしかしたらこの赤子達も耳あてに興味を示したのかもしれない。ましてやここは麻布十番、耳あてをしている人もまぁ、見かけないのだろう。

そんなことを思って呟いた「この耳あてかな〜?」の言葉がマスクの女性にも響いたようで女性はさらに手を叩き笑い出したのであった。

女性がヒーヒー言っているので、私もハハハと一緒になって笑っていた。するとさっきまで女性の胸に抱かれ真顔でガン見していた女の子もへへへと声を上げて笑い出したのであった。

静寂するエレベーターの中は一転し和やかな空間に包まれていた。ハハハと笑いながら「お子さん何才なんですか?」と女性に尋ねると「3ヶ月と、2才。もー猿の子かってほどキッキッうるさくて〜」と答えてくれた。女性の声は酒焼けして掠れていた。

その後エレベーターは1階に到着し、女性はベビーカーを押しながらぺこりと頭を下げて歩いていった。私はエレベーターの開のボタンを押しながら「またね」と手を振って見送った。また会うわけないだろうが、またこの親子に会いたいなと純粋に思って出た言葉だった。

駅までの道のりは高層マンションが連なり、閑散として生活感の欠片も見当たらない。この街に住む人はほんの一握りの特別な人種で、生涯私とは縁のない街だと思っている。マスク姿の若い女性はどうしてこの街に住むことになったのだろうか。「猿みたいにキッキッうるさいの」と酒焼けして掠れてた声が頭の中で繰り返されていた。

 

 

マヨンセとの思い出

初めてインターネットで知り合った人と実際に会ったのは21歳の時であった。その相手の名前はマヨンセといい、マヨンセとはmixiで知り合った。mixiには同じ趣味や関心ごとを持つ人達が集まるコミニュティーというサービスがあり、私もいくつか入っていたのだが、マヨンセとはHarlemという渋谷にあるクラブのコミニュティーで知り合った。Harlemというコミニュティーの中でたまたま私と誕生日が一緒だったマヨンセがメッセージをくれたのが出会いのきっかけであった。

マヨンセのプロフィール画像ビヨンセであった。おそらくビヨンセをもじってマヨンセと付けられたのであろう。一方わたしはチアリーダー姿のアフリカ系女性をプロフィール画像にしていた。当時生まれ変わったら黒人になりたいと意気込んでおり、髪も肌も黒く白地にゴールドの文字の服やアニマル柄ばかりを着ていた。誰だか知らないけど、この画像のような可愛い女性になりたい。そう思って設定したものだった。ちなみに現在はてなブログプロフィール画像は自分で書いた白米である。まさか黒い肌の女性から白米をプロフィール画像に設定するようになるとは21歳の私も思いもよらなかったであろう。10年間で黒人から白米へ。我ながらセンスの振り幅が鬼束ちひろ並だと感じる。

話が逸れてしまったがおそらくビヨンセが好きでクラブも好きで音楽も好きなら誕生日も一緒だったマヨンセと気が合わないわけないだろう、私はそんな風に思っていた。たぶんマヨンセも似たような感情を持ってくれていたのだと思う。そんなわたし達は自然と会おうという話になり、2008年のスプリンググルーブというイベントに一緒に行くことにしたのであった。この時の出演者はカニエウエストやNERD、Ne-Yo、ショーン・キングストーン、リアーナ、キーシャ・コールなど憧れのブロンズ肌の面々が勢揃いの豪華なラインナップであった。さらに初めて行く大きなライブで初めてマイミクさんとお会いするとなれば普段から前のめりな性格のわたしが張り切らないわけがなかった。しまっていこう。私はデニムのショートパンツにピタッとしたやや長めのTシャツを着て、アメアパで買った紫の二本ラインのサッカーソックスを履き、でかでかとゴールドの字でDCと書いてある白地のDCシューズを合わせて出かけたのだった。気分は黒人のチアリーダー。気合い充分で幕張メッセを目指した。

まだ会ったことのないマヨンセとこんな広い会場ですぐに合流できるのか不安であったが、割とすぐに落ち合うことができた。

「マヨンセですか?」

「さとみこんこんですか?」

お互いが本人であるということがわかるとキャーと言って手を取り合って喜んだ。

マヨンセは茶髪のロングヘアで前髪は目の上でぱつっときり揃えられていた。大きな目にまつ毛が付けまつげで増毛されていることで、より目が大きく強調されていた。服装は短い丈のワンピースを片方だけ肩を外してセクシーに着こなしている。お互い衣類が肌を覆っている割合が大体30%くらいであった。その上おそらくマヨンセは172㎝くらいあってガタイも良かったため、マヨンセの存在感はなかなかなものであった。そしてもう1つビヨンセの画像ではわからなかったマヨンセの特徴があった。マヨンセはすごい訛っていた。話を聞くと茨城県は土浦からやってきたらしい。渋谷、クラブ、ビヨンセ!とマヨンセに対し洗練されたイメージを持っていたため少々ギャップを感じてしまったのが正直なところであった。しかしそれはマヨンセも同様で、渋谷、クラブ、黒人チアリーダー!のイメージと異なり、実際は埼玉からやってきた張り切った女だったことに戸惑いを感じたのであろう。「随分速く走れそうな格好だね」と褒めてんだか褒めてないんだかよくわからない言葉を私にかけていた。今振り返ってみると黒人のチアリーダーというよりは靴下を伸ばしたサンシャイン池崎という方がしっくりくる格好をしていたため「速く走れそう」というマヨンセの言葉は実に真っ直ぐな感想であったと思う。

ライブ会場はものすごい人でとてもスムーズに移動できるような状況ではなかったため、見たいゲストを確実に見れるようマヨンセと作戦を立てた。お互いに外せないゲストを出し合った結果、NERD、キーシャ・コール、カニエウエストを見ることを決めたのだった。

「ファレルは絶対に外せない」マヨンセは息を荒げて言っていた。この時代のギャルは皆ファレルに抱かれたいと思っていた。少なくともわたしの周りはそうであった。

なるべく前方でファレルを見ようとマヨンセと私は一個前の出演者の時から会場に入り、入れ替わりの時に一気に前に詰める作戦にでた。しかしなかなか上手いこといかず、真ん中くらいのところでファレルを見ることになってしまった。NERDが始まると会場はワーっという歓声で埋め尽くされ、観客は縦に揺れたり横に揺れたりし始めた。遠くのステージでファレルが歌っているのが見える。「ファレルー!ファレルー!」周りの歓声に負けじとマヨンセも私も大きな声でファレルの名前を呼んだ。ステージも中盤にさしかかったころでノッてきたファレルがステージから降り、ステージの真ん中にあった観客通路で手を広げながらダッシュし、観客と高速ハイタッチをしだした。それを見てマヨンセは「ファレルー!」と叫びながら瞬時に体を通路側に押し込んで手を伸ばしていた。速く走れそうな池崎の格好をしていた割に動きの遅かった私は、マヨンセが通路側に突進していく様子を黙ってみていた。マヨンセの努力は報われ、見事ファレルとマヨンセはハイタッチをすることができたのであった。ステージの後ろの方まで走ったファレルは再びステージに戻るべく高速でステージまで走り、また何事もなかったようにステージ上に戻って歌を歌いだした。通路側から戻ってきたマヨンセは「ファレルが触った!ファレルが触った!」とクララが立ったのテンションで繰り返し言うもんだから、わたしは心を込めてよかった!よかった!と言ってマヨンセと喜びを分かち合ったのであった。

その他お目当てであったキーシャ・コール、カニエウエストも無事に見ることができ、キーシャ・コールに関しては結構ステージに近い所で見ることができた。迫力のあるキーシャの歌声を聴いて「泣きそう、泣きそう」と2人で小さい声で呟いた。この時代のギャルはいい歌はとりあえず泣きそうといいがちなのであった。

お目当ての出演者がいない時間はマヨンセとお酒を飲んで休憩をした。バーカウンターでお酒を買う時に「いい、いい、ここはわたしが買うから」とマヨンセはそう言って私のお酒まで買ってくれた。そうしてバーカウンターから受け取ったお酒を私に手渡ししてくれた時に「わたしさ、キャバやってるからお金あるの。だから気にしないで」と小声でさりげなく言ったのであった。私は申し訳ない気持ちであったが、マヨンセがいいのいいのと笑顔でいうのでありがたく頂戴した。女の子にお酒をご馳走してもらうのは初めてで、マヨンセは懐が広いなと関心した。マヨンセと談笑しながら、私はマヨンセが土浦のキャバクラで稼いで買ったお酒をチビチビと大切に飲んだのであった。

マヨンセとの時間は楽しくあっという間であった。しかし別れの時の様子をあまり覚えていない。なんと言って別れたのかはわからないけど、また遊ぼうと言ってまた会うことを約束したのは覚えている。今度会った時にはわたしがお酒を奢ってあげたい。そう思っていた。

しかし約束の日が近づくと、mixiに「ごめん、都合が悪くなっちゃった」とマヨンセからメッセージが入ったのであった。

「また今度遊ぼうね」と言ったっきり、マヨンセとはそれ以来会っていない。

 

 

初めて見た芸能人は藤原組長だった

通っていた小学校の近くに藤原組長が住んでいた。私が藤原組長のことを知ったのは小学校3年生か4年生の頃で、知ったきっかけは「おまえは藤原組長を見たことがあるか?」という同級生らの問いかけからその存在を知ったのであった。藤原組長を見かけたことがある者達は「私は3回見た」や「俺は挨拶もしたこともある」などと組長自慢をしてマウントを取り合っていた。現在は藤原組長のお姿をテレビで見かけることはなくなったが、その当時、組長はタレント活動を精力的に行なっていたようで結構テレビにでていたのであった。テレビで見かける組長は決まって怖い形相をしながら共演者のタレントや司会者に高圧的な態度で接し、そんな組長にビビる共演者という構図がお決まりのパターンだったように思う。そんな強面で凶暴な(キャラの)組長と挨拶を交わした日にはただでさえすぐ調子に乗る小学生のことである。気分は組長とマブダチ。そして翌日には「俺、昨日組長と挨拶したし」とポーカーフェイスで自慢をするのであった。多くの同級生が組長に遭遇する中わたしはなかなか組長に出会うことができず、テレビで組長を見かけては「藤原組長がテレビにでてるよ!」と息を荒げて家族に呼びかける日々が続いた。

影ながら組長を応援する少女の様子をお天道様は見ていたのだろうか、その後わたしも一度だけ藤原組長にお会いすることができたのであった。ある日用事があり1人で自転車に乗っていると、前方からボウズ頭でジャージ姿の怖い顔のおじさんが、同じく怖い顔をしたでかい犬を引き連れてジョギングをしていた。(もしや...あれは組長...)胸の高鳴りを鎮めるかのようにわたしはゆっくりペダルを漕いで、少し離れた距離から怖い形相の人間と犬を観察した。人間と犬の距離が近づくにつれて険しいその顔立ちはより顕著となり、あれは組長に間違いないと確信をしたのである。やっと念願の組長を見ることができた。わが町の誇り組長に会えた喜びを噛み締め、引き続きゆっくりペダルを漕いだ。組長に会えた。ついてるぞ!せっかくだから挨拶もしてみよう。勢いづいた私は低速で自転車を運転し、組長と怖い顔の犬に「こ、こんにちは!」と声を振り絞って挨拶をした。すると「はいこんにちは!」と組長はドスの効いた痺れる声で挨拶を返してくれ、顔の怖い犬と颯爽に走り去っていった。

ついに組長に会えた。「トトロに会っちゃったー!」サツキとメイがテンション高めで父親に告げるシーンかのように「組長に会っちゃったー!」とその夜、わたしは溢れんばかりの笑顔で父と母に組長に会ったことを報告した。翌日は友達に自慢していたと思う。この日の組長との思い出は私の胸の中で大切にしまわれていた。中学生になると誰も藤原組長の話をする者などいなかったが、挨拶までした唯一の芸能人ということで相変わらず大切な思い出であった。そう中学生までは。

高校生になった時の話である。

ジュディマリYUKIちゃんに会ってサインを貰った」という生徒が現れた。話をきくとORANGE RANGEも会ったことがあるとのこと。YUKIちゃんか...羨ましい。さぞかし可愛いだろうに。ORANGE RANGEも羨ましいな。わたしって芸能人に会ったことないな。いや、そういえば会ったことあったぞ、藤原組長に...そんな心の声が気付いた時には言葉となって「いいなー。わたしはまだ藤原組長にしか会ったことないや」とぼそりと発していたのだった。すると次の瞬間友人は声を震わせ「ふ、藤原組長...」と静かに笑いだした。静かだが随分長い時間笑っていた。こいつ...今いい気分になって笑ってやがるな。わたしは少しばかりのイラつきを感じながらも、YUKI と藤原組長のどっちに会いたいかと問われた時に秒速でYUKIと答える自信があったので、友人と一緒に静かに笑ったのであった。

久しぶりに思い出した初めてあった芸能人、藤原組長は元気であろうか。気になってウィキペディアで調べてみたところ、イラストを描いたり、陶芸をしたりと思いもよらず穏やかな老後を過ごしている模様。組長と同じように怖い顔をして走っていた犬のマックスは残念ながらお亡くなりになったようだ。わが町の誇り、わが町のヒーロー藤原組長。そんな彼がテレビから姿を消した今、新しいわが町のヒーローが現れた。古市憲寿。しかし彼はこの街に住んでいたことをおくびにも出さない。

 

 

 

 

 

カレー

好きな食べ物は何かと尋ねられて一度たりともカレーと答えたことはないが、今日はカレーだよと言われたらなんか嬉しかったり、時々無性に食べたくなったり、晩御飯のメニューが全く浮かばないときに「そうだカレーにしよう」となんとなくカレーにしてみたりと、私の人生においてカレーとは好印象で頼もしい食べ物のように思う。

ある日、おぎやはぎのメガネびいきを聴きながら作業をしているとたまたまカレーの話題になった。別にテーマだった訳でもなく突然カレーの話になったのだが、おぎやはぎは結構長いことカレーについて語っていた。その内容はというと、やはぎの嫁が作ったカレーがまぁ美味いとか小木が2日目のカレーには菌がいっぱいだとうるさいなど結構どうでも良い話だったのに何故か妙に聞き入ってしまった。

そんなおぎやはぎのたわいもないカレー話を聴いて思い出したのは、幼い頃の我が家のカレー事情であった。我が家は毎週土曜日はカレーの日であった。私には3つずつ離れた姉と妹がおり、三姉妹は親の方針で全員スイミングスクールに通わされていた。そのスイミングスクールというのが土曜の午後からだったのだが、子供達がスイミングスクールに行くことで母もなにかと忙しかったのか、その日の晩御飯は簡単にできるカレーをよく作っていた。そしていつの日からか「土曜の夜はカレー」が定番化していった。毎週カレーでも文句を言う者などおらず、むしろ今日はカレーだと皆喜んでいたように思う。ひと泳ぎして帰って食べるカレーは美味しかった。毎週同じカレーだけど飽きることはなかった。次の日の朝がカレーでも嬉しかった。次の日の昼がカレーうどんになっていると小躍りした。側からみればめちゃくちゃカレー好きなのに、けれどもカレーが一番好きと言ったことはなかった。なんならセカンドとも思ったことがないし、サードでもない。トップテンに入ってるかも怪しい。だけどカレーだよと言われれば今日はカレーかぁ♡なんて嬉しくなるのだからカレーは大したもんである。

そのほか三姉妹が幼い時期は甘口と辛口のカレーを作るために2つの鍋にカレーを分けて作っていたけれど、ある時を境に辛口だけの鍋になったよなとか、親戚のおばさんの家に行った時に晩御飯に出てきたカレーのスプーンが何故かお冷のカップの中に浸されて登場し衝撃を受けてしばらく真似したよなとか、あの時の彼に初めて作った手料理はカレーでしたなどとカレーとの思い出は結構多く、カレーは私の人生にそっと寄り添っている食べ物だと気がついたのであった。

だからこそ人の家のカレー事情も気になるのであろうか。おぎやはぎのカレー話が気になったのも、正月に必ずカレーを作るタモリさんの話も、アメリカに住むイチローが毎朝カレーを食べていることも、友人が盛り付けたご飯とルーをピッタリ食べきるまで食べるのを絶対にやめない話も(皿にご飯だけ残ってしまったらルーを足しに鍋に向かうそう。逆も然り)やけに記憶に残っている。そして結構多くの人がカレーエピソードを持っているのは、カレーがめちゃめちゃ好きというより、カレーに愛着があるからなのだろうか...うーんよくわからないけど今日はカレーにしよう。

 

 

 

 

キキララのバイト

若かりし頃、12月に入ると決まって話題になるのがクリスマスをどう過ごすかということであった。勿論ピチピチギャルであった私もクリスマスには思い入れがあり、彼氏のプレゼントを何にしようとかちょっといいホテルに泊まりに行きたいわとかクリスマスに着るワンピースが欲しいし下着も買わなきゃ!なんてことをキャッキャしながら話していたのだが、最終的にクリスマスの話題の結末はお金かかるね、お金ないよね。ということで幕を閉じることが多かった。田舎のギャルが理想的なクリスマスを過ごすためには何かとお金がかかるのである。

たしか19歳の時の話である。この年もクリスマスが近づく頃にやはり今年のクリスマスをどう過ごすかということが話題になった。そして例のごとくお金かかるね、お金ないよねで話が終わろうとした時。友人が言ったのかわたしが提案したのかは忘れてしまったが「一緒にキャバクラでバイトしないか?」という話になったのであった。キャバクラの時給は良かった。当時バイトをしていた大戸屋の時給は900円だったのに対しキャバクラの体験入店の時給は2500円だった。大戸屋で5時間働くよりもキャバクラで2時間体入する方が稼げるのである。しかもお喋りして座っていられて、いいじゃないの!と早速友人と家からバスで30分の距離にあった川口駅のキャバクラ店に体験入店の電話を入れたのであった。

体験入店の日。友人と遊びに行ってくるから今日は遅くなるよと家族に嘘をついて家を出た。近所に住む友人と落ち合い、一緒にバスに揺られ川口のキャバクラを目指した。22時から0時の労働条件であったが、面談や説明があるから店には20時に到着するよう指示を受けていた。20時ちょっと前に川口のキャバクラ店に入ると、まだ人はおらずシーンとしていた。出入り口でドギマギしながら友人と立ち止まっていると、黒服を着た男性が奥の方からこちらへやってきた。やってきた男性に小部屋に案内され、パイプ椅子に座るよう促された。椅子に座ると、黒服の男性から名前や年齢、なんでバイトをしたいのかなど簡単に聞かれた後、じゃあ22時から働いてもらいましょう!と晴れてキャバ嬢になる資格を得ることができたのであった。「君たちは仲が良さそうだからキキララでいこう」この黒服のセンスによりわたしがキキ、友人がララ、2人合わせて川口のキキララとして働くことになったのであった。キキララのキキって男じゃなかったっけ?とどうでもいいことに不満を感じながらも黒服と一緒に更衣室へと向かいキャバ嬢になる準備をした。「ドレスは今日持っていないよね?用意するから」と言って黒服は部屋の奥の方から2着のドレスを持ってきてくれた。1着は少し長めのロングドレス、もう1着はチューブトップにやたらスカートの短いショートドレス。どっちのドレスもセンスが最悪であった。(どっちも着たくないわぁ...)そう思いながら友人を見ると友人も同意というような顔つきでチラッとわたしを見た。強いて選ぶなら露出の少ないロングが良いなと思いながら黙ってドレスを見つめていると、友人も同意というような顔つきでスッとロングのドレスを黒服から受け取ったのであった。(え...わたしこの短いドレスなの?)と思いながらも平和主義な私は黙ってやけに短いショートドレスを受け取った。じゃあここで着替えてねと言って黒服が部屋を去ると、私はあることに気がついたのであった。やけに短いドレスからワキガみたいな臭いがする。結構臭かった。おそらく、巡る巡る時の中でこのやけに短いドレスが様々なキャバ嬢に着回され、キャバ嬢達の汗と涙の結晶、それがこのドレスに染み付いているということがわかったのであった。そんなありがたいドレスに対して募る想いは「洗濯しろ」であり、センスも悪いしダサいし臭いし益々着るのが嫌になったのであった。

着替えてみると私のムチムチした足と二の腕は予想通り露わとなり、我ながらマジで下品な仕上がりであった。せめて髪くらいきちんとしたいという気持ちであったが、そんな技術もなければセットする道具もないのでクリップみたいなもので適当にアップにしてそれなりに見えるよう努力をした。しかしその努力も虚しく、頭はグシャグシャドレスはピチピチおまけにクサイときたもんだから憂鬱でしかなった。

21時を過ぎると続々とキャバ嬢達が来店し、今まで友人と私しかおらずスカスカだった更衣室はお姉様方で満杯になった。お姉様方は小慣れた様子で綺麗なドレスに着替え髪を整え、着々と準備をしていった。きっとドレスも皆自前なのであろう。自分もその一員として働くことなど忘れてただただ綺麗にドレスアップしていくキャバ嬢の皆さんの様子に見惚れたのであった。

22時。開店の時間である。新参者の川口のキキララはまず店内の控え場みたいな椅子に座っているよう指示を受けた。まだオープンしたばかりで客がほとんどいない状態であった。新入りがついても問題ない客が現れるまで川口のキキララは出番を待った。30分くらい待機したくらいだろうか。「キキさん!ララさん!行ってください!」黒服に声をかけられ、ようやくキキララにGOサインが出たのだ。ドキドキしながら川口のキキララは指定された客の元へと向かい「キキです、ララです」と挨拶をした。すると「キキララちゃんかぁ〜」とお客さんは予想通りのリアクションで初仕事のキキララを迎え入れてくれたのであった。初めてのお客さんは40代くらいのおじさんだったと思う。緊張していることもあり会話の内容をほとんど覚えていない。座って10分たったくらいであろうか。「キキさん!ララさん!行ってください!」再び黒服に声をかけられ、新しいお客さんのもとへと向かった。次についたお客さんは結婚式の参列帰りの30代くらいの男性グループであった。「キキです、ララです」とお決まりの挨拶をすると「キキララちゃんだ〜」と予想通りの声がまた返ってくるのだからキキララは良い仕事をしているとサンリオに感謝するのであった。年齢も割と近いこともありここのお客さんとは割とよく話した印象であった。ボサボサでムチムチで臭くても「19歳でーす」と言っていればそれなりにウケたのでありがたい席であった。お酒を1杯キャバ嬢にご馳走するとキャバ嬢に500円のマージンが入る仕組みだとわかるれば1杯ご馳走してくれ、引き出物のバームクーヘンをくれたりとお客さんに結構良くしてもらえるもんだから「キャバ嬢っていいかも〜」なんてその気になったりしていた。その後も「キキさん!ララさん!行ってください」と再び黒服の合図で席を移動。夜の蝶とはこのことかしらなんて思いながらあちこちの席へと飛び回りあっという間に約束の0時となったのであった。もう終わったのか。これが初キャバ嬢の感想であった。

ダサいドレスから着替えた後、今日の報酬5500円が手渡された。報酬ももらったしさて帰りましょうと思ったが「送迎の車が出払ってしまっているからちょっと待っててほしい」とまた待機するよう指示を受けすぐに帰宅することができなかった。バスはとっくに最終が出てしまったし、タクシーで帰るなんてお金がかかるので論外。仕方がないので黒服の指示に従い送迎車を待つことにした。結局家についたのは2時半。家族を起こさぬよう静かに家に入りもらったバームクーヘンを冷蔵庫に入れて眠りについた。

キャバ嬢っていいかも〜なんてやる気になった日もあったが、翌日冷静になって考えてみるとキャバクラには20時〜1時の約5時間いた訳だが、それで5500円なら大戸屋の労働とあんまり変わらないじゃないかということに気づいてガックリきてしまったのであった。しかも昨日はボサボサ頭で臭いドレスを着て働いていたが、きちんと仕事をするにはドレスを新調して、髪もきちんと整えなければいけないし、19歳でーすの勢いだけではなくきちんと会話ができるようにならなければいけないし、遅くまで頑張らないといけないし、毎日やるにはキツイしお金のかかる仕事だと悟ったのであった。それから私がキキと呼ばれる日は訪れることはなく、ドレスを纏う代わりに頭に三角巾をつけて大戸屋で働いたのであった。

彼氏と楽しいクリスマスを過ごすためにキャバクラで稼いだお金は彼氏のクリスマスプレゼント代の足しにした。確かニューエラの帽子を買った気がする。ダンサーの彼氏に似合うと思って買ったのだ。ちなみに私が彼に貰ったプレゼントは以前ブログで綴った「緑の帽子」である。

 

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