FLOSS OR DIE を閉鎖する

 

floss-navi.tokyo

pcデポで講習を受けるほどインターネット弱者な私ですが、一丁前にサイトを運営していました。フロスを紹介するこちらのブログははてなブログよりも長いことやっており、私のブログライフはここから始まったと言っても過言ではなく結構思い入れの強いブログなのですが、2019年3月31日をもって閉鎖することを決めました。

丁度サーバーの年間の更新のお知らせが届いたということもきっかけだったのですが、閉鎖の1番の決めては朝に食べていたパンでした。

私はいつも納豆ごはんを食べているのですが、パンも好きなので月に2回くらいパン屋さんで美味しそうなパンを買ってきてはうまいうまいとパンを食べていました。

楽しみに買ってくる月2回のパンの値段はだいたい1400円前後。そしてFLOSS OR DIEを運営するのにかかる費用が月に1400円程。

朝、パンを食べながら「私はFLOSS OR DIEの運営と美味しそうなパンを買ってきて食べるのとではどちらが幸せと感じるのか?」ということをふと真剣に考えてみたときに、パンだな。という結論に至り解約を決意しました。

自分の得意分野でブログを開設して副収入で小銭を稼ごうと始めたのが「FLOSS OR DIE」だったのですが、フロスをするのは得意でもインターネットをするのは苦手でサイトの運営にはかなり苦戦していました。周りに詳しい人などもいなかったし、そのころはPCデポの存在も知らなかったため「いちばんやさしいワードプレスの教本」を片手に必死にブログを管理しておりました。フロスもたくさん買って、使った感想・評価などを中心にブログにアップしていました。結局広告の貼り方が分からず一銭にもなりませんでしたが、書くことが思いのほか好きだということがわかり、1年半くらいコツコツやっておりましたが、しかしそれ以降激減。ご縁あって他のサイトで記事を書く機会ができてからさらに激減、またはてなブログで好き勝手書き始めてからはさらにさらに激減。そうしてただ保管している形となっていきました。

そしてもう一つ書かなくなった決定的な理由として、これ以上フロスを買いたくないという気持ちになっていたことも挙げられます。「マニアが教える!」とかかっこつけてフロスマニアぶってましたが、家にフロスが増えて行くたびにこれ以上フロスをこの狭い家に増やしてどうすんだよという葛藤が付きまとっていました。家のフロスボックスはパンパンになり、しょうがないのでフロスを居間に飾ってオブジェにしたりしているのですが、正直飾るほどフロスは好きじゃないです。マニアの人はたぶんこういうことで悩んだりしないと思うのですが、私はもう買いたくねーよが先行して買う気が失せてました。全然マニアじゃない。そもそも何に対してもコレクター気質がなく、どちらかというと気に入ったものを使い続ける保守的な性格なものですから、使わないし愛でることもない物が増えていくことがストレスでした。マニアになるにも才能と素質がいるんだということを学びました。

マニアではないけど、専門家としてフロスは心から使った方がいいと思ってるのは本当で、自信を持ってオススメできるし頭下げるから使って欲しいくらいの気持ちでいます。私は今31歳だけどむし歯もなければ歯周病もないし銀歯も被せ物もない美しい天然歯(前歯は欠けて一部コンポジットレジンだが)なのはフロスのおかげという部分もあると思っています。ナッツとか入った硬いハード系のパンをうまいうまいと言って食べられるのも歯が丈夫だからです。

例えばムシ歯になって神経を取ることになったとします。神経を取ってもしばらくの間は何事もなくむしゃむしゃ食べられるけど、歳とって硬いハード系のパンとかむしゃむしゃ食べてると神経取った歯はハード系のパン食をべた衝撃でヒビが入ることがあります。場合によっては歳とってなくてもヒビ割れします。どんなに手入れが良くても神経を取った歯は弱いので破折のリスクがあるのです。私はそうやって歯にヒビが入ったり脱臼させた人をたくさん見てきました

「固いパンには気をつけてくださいね!」「だからタコとかイカは柔らかくてもコシがあるからダメなんですって!」「スルメ?スルメはダメですよダメ!」

そう言って何度もお伝えしましたが、うっかり忘れて噛んでしまい抜歯になってしまった人をたくさん見てきました。その度に思うのは、神経は取らないで済むように気をつけようということです。

歯がないなら入れ歯でいいじゃんとか歯が抜けたらインプラントがあるじゃんと思われるかもしれませんが、自分の歯ほど噛みやすいものはありません。

今ある自分の歯をできる限り傷つけないようにして維持していくことは、すごく有益なことです。コスパもいいし、何より気にしないでなんでも食べられることができることはこの上ない幸せです。先人達も言っております。みんなに言ってあげて欲しいと入れ歯の人に頼まれたこともあります。現場で働いている私は歯は大事にしないといけませんなとヒシヒシと感じております。

FLOSS OR DIEは終了しますが、みなさんのフロスライフは是非継続してやってください。やってない人はこれを機に頑張って欲しいです。いいことありますよ。

あとフロスを集めるのは嫌けがさしましたが、海外の歯医者に行くのは全然飽きてませんので海外の歯医者レポートははてなブログで継続していきたいと思います。

私のブログを読んでフロスを始めてくれた方、ブログを手伝ってくれた方、フロスのブログを見て歯医者に来てくれた方、ブログを紹介してくれた方、私のブログを通して知り合った方に感謝です。

 

感謝のしるしとして家に溢れかえっているフロスをプレゼントしますので欲しい人は言って下さい。

 

 

 

 

 

 

はじめてのぎっくり腰

そもそも私は腰弱者なのである。側弯症という背骨の病気を手術した影響で、人よりも腰には気を使って生きていかなければいけないのだ。さらに現在妊婦という要素も加わり、弱点腰の素質はより一層強いものとなっていたのにも関わらず、わたしはそのことなどすっかり忘れ没頭してしまったのだ。掃除機の掃除に。

新年早々、勤め先の歯科医院の掃除機の吸い込みが悪く掃除機が止まってしまった。これはきっとゴミの溜まりすぎが原因だということで、スタッフオンリーの技工室という部屋で一人掃除機を分解し、中に溜まったゴミを出していた。髪の毛ホコリを筆頭に色んなものが絡まっており、使用済み歯ブラシなどを駆使してゴミをかき出していた。しかしいくらかき出してもゴミは出てくる出てくる。掃除機のフィルターは一向に綺麗にならなかった。ムキになって冷えた床に座りこみ、体育座りをした足の間にゴミ箱を挟み必至になって無限にゴミの出る掃除機フィルターと格闘していたのであった。

そしてことは急に起こった。腰が伸びたのだ。最初は本当にそう思った。その次に激痛を感じた。腰を伸ばしすぎて体の一部が切れたんじゃないかと思った。「痛い!」と一声あげた後四つん這いになった。そしてその状態から一歩も動けなくなってしまった。1ミリでも動いたら激痛。冷や汗をかきながら体を支え、私はなるべく体を動かさないよう務めた。

どうしよう。痛くて動けない。1人冷たい技工室の床で狼狽えた。これが俗に言うぎっくり腰なのだろうか。それならばもっとネーミングを考えた方が良い。ぎっくり腰なんてお茶目な名前にするな。痛すぎて息もまともにできない。もっと痛々しい恐れられる病名にするべきだろう。痛い...もしかしてあれか?厄年のせいか?本厄なのに「本厄でも本厄の年に子供を産む人はセーフ」という都合の良い迷信を信じてるからバチが当たったのだろうか...

激痛を感じてから2分くらい経過したくらいだろうか。だんだん体を支えている手が疲労でプルプル震えだした。しかし痛みは一向にひかず動いたら激痛。声をあげて応援を呼んだところで誰かに来てもらって解決する問題でもない。しかも今日は仕事始め。何かと忙しいのに迷惑もかけたくない。耐えよう。両手をプルプルさせながら引き続き四つん這いでじっとしていた。

新年早々ゴミまみれ。四つん這い。震えてる。私は一体何をやっているのだろう。気がつくと「ははは」と声を出して笑っていた。自分の滑稽さが可笑しくて情けなくて笑えた。

ひとしきり「ははは」と笑ったあと「ははは」と笑いながら今度は泣いた。自然と涙が溢れてきた。いつまでこんな格好でいればいいのか。笑いと悲しみは紙一重なんて誰かが言っていたけど、まさにそれだった。この状態は可笑しくも切なかった。

四つん這いになりおいおい泣いていると、ようやっとパートのスタッフが技工室にやってきた。部屋に入ってくるなりバラバラになった掃除機、散乱したゴミ、そしてその中で泣きながら四つん這いになっている私が目に入り、彼女は悲鳴をあげた。

おいおい泣きながら痛いよ痛いよと四つん這いのままボソボソつぶやくわたしを見て彼女は理解したようだった、こいつ腰をやってるなと。

出産経験のある彼女は速やかにわたしのそばに駆け寄り、腰をさすってくれた。

「今腰弱い時期だもんね...」彼女はわたしの腰をさすりながら言った。誰か来てくれたところで解決する問題ではないと思っていたが不思議とさすってもらうと少し楽になった。しかしさすってもらってもまだ動けるほど痛みは引かず、彼女も他に仕事もあるので数分後、私の元を去っていった。そして、私はまた1人になった。

涙は引いたが痛みは引かず、また1人で四つん這いになって手を震わせていた。

しばらくすると、また1人技工室に人がやってきた。今度は親ほど歳の離れた主任衛生士だった。主任は険しい顔で技工室に入ってきたかと思いきや、抱えてきたブランケットを何も言わずに私の横に広げ「さぁこっちに乗って!」と言った。そう言われても無理なのである。横に動けるならとっくに縦に動いて立ち上がっている。せっかく引いた涙がまた溢れだし「無理です、無理です」と言って手を震わせていた。「そうは言ってもこのままだと体も冷えていくし...頑張って!」頑張ってどうにかなるなら最初からそうしている。バカにしてないか?バカにしてるだろうぎっくり腰を...

その後も主任は赤子のハイハイを見守るかのようにほら!ほら!とブランケットの上に乗るように促した。仕方がないので恐る恐る体を動かしブランケットの方へと歩み寄った。案の定激痛。「あーーーーー!」負傷した足を死海に突っ込んだナウシカの如く悲鳴を上げ、なんとかブランケットの上に上陸。そして私の上陸を見届けた主任も他に仕事があるため私の元を去っていった。そして、私はまた1人になった。

ブランケットの上に四つん這いになって手を震わせていると、今度は主に電話などを取ってくれるスタッフがやってきた。

彼女は小さめの電気マットを持って技工室にやってきて、その電気マットを私の腰にあてた。

「私もぎっくり腰やったことあって...」彼女は電気マットで腰を温めたあと、腰のあたりをさすってくれた。やはり腰をさすってもらうと少し楽になった。

「手当って言うけど、本当に手を当てもらっているだけで不思議と少し楽になるんですよね」

確かにそうですね。と四つん這いになっているため俯きながら同意した。比較的手の空いていた彼女はしばし私の腰をさすってくれた。

しばらく私の腰を黙ってさすってくれていた彼女だったが、私の痛みは引かずまだ立てそうにない状況を不憫に思ったのか重症と判断したのか、彼女は私の腰をサスサスしながら彼女の信仰する宗教のまじないを唱えはじめたのだった。

「...痛みを取り除きたまえ.........ーレ!」

なんちゃらターレ!と唱えながら私の腰を勢いよくさすってくれた。私は無宗教ではあるが宗教を信じている人のことは否定しないしそれで気持ちが楽になったり元気になったりするのであれば良いと思っているが、何故だろう。相手から「宗教」を感じてしまうと憂鬱な気分になるのは。私だってクリスマスはお祝いするし、初詣には行くし、戌の日だって行った。だけどなんちゃらターレを信じている彼女のまじないをかけられた瞬間、私の気分は確実に重くなった。だけど、なんかもうそんなこともどうでもいい気分になり、神さま仏さまターレさま誰でもいいから早くわたしから奪った二足歩行を返してほしいと私も天に祈ったのであった。

2人の祈りが通じたのか彼女の手当が効いたのかはわからないが、時間の経過とともに激痛のピークは遠のき少し立ってみようかという気持ちになってきた。台にしがみ付いて鉛のように重たい腰を少しずつ浮かせた。ジンジンする痛みに耐えながら少しずつ、少しずつ。激痛を感じてからかれこれ30分。ようやっと私の二足歩行は復活した。

「よかった!」まじないをかけてくれた彼女は満足した様子でわたしの元を去って行った。よかった訳ではない。立つことはできたが治った訳ではないので、抜き足差し足忍び足で腰に負担がかからないようゆっくりした動作で私も仕事に戻ったのだった。

2日目はベットから起き上がることができないほど痛くなり、靴下もパンツもスムーズに履くことができず仕事を遅刻した。仕事に行ってもろくに働けないため早退しろと言われ早退し、帰宅後すぐに横になって体を休めた。3日目から痛みがマシになり、1週間もすれば何事もなかったように痛みが消えたのだった。

ぎっくり腰のことを欧米では魔女の一撃というらしい。ぎっくり腰より確実に良いネーミングだと思う。なんの前触れもなく突然襲った悲劇。相変わらず彼女には悪いがなんちゃらターレは信じないけれど、ぎっくり腰には「手当」が効くということを実感した。そして厄祓いにはやっぱり行っておこうかと思うのであった。神さまも仏さまもターレさまもよく知らない私が信じているものが一体何なのかもわからずに。

 

 

ただの豆だった

最近麻布十番を訪れることが多い。その訳は兼ねてから勤しんでいるピラティスのスタジオが移転し、移転先が麻布十番になったからである。そのため月に2回とか3回麻布十番を訪れるようになったのだが、だいたい昼頃にピラティスの予約を入れるので、その後麻布十番で昼ご飯を食べて帰ることが多くなった。

麻布十番は面白い。老舗の店も多いが目新しい店も次から次へとできる。どちらかというと味のある老舗の店が好みなのだが、時たま根底にあるギャルの部分が垣間見えてしまう私は、今回はアメリカ系メキシカンスタイルの楽しめるブリトーの店に行ってみることにしたのだった。

ガラス扉を開けて入ると「いらっしゃいませ」とかったるそうなバイトに出迎えられた。「ご注文は?」と腹話術で喋ってんのかと思うくらい顔の筋肉が動かないバイトに聞かれるが、なんせ私はブリトービギナー。何の選択肢があるのかもわからずオロオロするしかなかった。ブリトー屋はサブウェイのようなシステムになっており、ガラスケースの中には彩り豊かな野菜や肉などが並んでいた。まずはベース選びから。ブリトーかタコスかその中身だけかを店員に問われ、迷わずブリトーをチョイスした。次にチキンか、ビーフか、ポークか。チキンは1000円、ビーフは1300円、ポークは1200円。私は驚いた。高い。ブリトーってアメリカでもメキシコでも庶民の食べ物のはず。1000円以上払って食べる食べ物なのか...思ってたのと違う!と正直ブリトー屋から走って逃げ出したかったが、わたしだって大人、わたしだってわかってる。ここは麻布十番だということを。基本この街に庶民は住めないし、物価は高いものなのだ。仕方がないので泣く泣く「ビーフ」と何故か1番高価な選択をして次のステップに移るのであった。サワークリームは入れてもいいですか?ライスも入ますか?ソースは?チーズは?追い立てられるように店員に問われ、頭の回転が遅い私はとりあえずはい!はい!と答え、店員の流れを止めないよう心がけた。すると今度は「お豆はどちらにしますか?ベーコンのお豆か、お野菜のお豆ですが」と豆だけはYESの回答ができず、はい!のリズムは崩れてしまった。焦る気持ちで自分はどちらの豆を食べたいか考えた。ベーコンのお豆っていうのは肉からできているのだろうか。そして何故この無愛想な店員は豆だけには丁寧な対応なのか。「じゃあベーコンのお豆で!」1番肉々しいビーフを選んだのだから豆もお肉の豆にして肉々しいブリトーにしよう。そう考えてベーコンの豆を選択し、一通り注文が終わった。

1300円のブリトー。さぞかしオシャレなんだろうとカウンターで楽しみに待っていると、お待たせしましたと店員がトレーに乗せて運んできたものはアルミホイルに包まれた物体だった。インスタ映えのカケラもなかった。アルミに包まれた焼き芋のようだ。looks like a 焼き芋。思ってたのと違う!と泣き出しそうになったが、おそらくこれがアメリカ系メキシカンスタイル。気取らないのが彼らのスタイル。大人しくアルミホイルで包まれた物体が乗ったトレーを受け取り座席に向かった。

店内は奥行きがあり、洞穴のようであった。窓がないので光が入らず薄暗いし、風通しも悪い。風水的な観点からみるとこの店はたぶんすぐに潰れる。そんなことを考えながら適当な所に着席した。

おしぼりで手を拭きアルミホイルを剥いて、ブリトーの頭を出す。そしてそのままパクっとかぶりついた。噛んですぐにご飯とソースの混ざった味がした。不味くないけど、美味しくもない。セブンイレブンブリトーの方が数倍美味しい。これならセブンイレブンブリトーを5個買った方が良かったと一口食べただけで残念な気持ちになった。しかしせっかく四苦八苦してオーダーしたブリトー、1番高い肉を選んで買ったブリトーである。味わっていただこう。私はブリトーを咀嚼しながら一口かじった後のブリトーの断面を観察してみた。中から豆が覗いていた。そうだベーコンのお豆。肉からできたベーコンのお豆を選んだことを思い出した。どんな味がするのか。ワクワクしながら豆だけをつまんで食べてみた....豆の味がした。ただの豆だった。思ってたのと違う!と再度アルミに包んでブリトーを焚き火に放り込もうかと思ったが、わたしだって知ってる。わたしだってわかってる。食べ物は粗末にしてはいけないことを。最後まで食べよう。しかし咀嚼するたびに広がる味は後悔。なんとも後味の悪い食事となった。

ブリトーを完食し終わったあと、すぐにインターネットを開いてベーコンのお豆を検索することにした。あいつは一体なんの豆だったのか。せめてベーコン豆の正体だけでもはっきりさせて少しはすっきりして帰りたい。しかし検索の結果「次元大介の好物」以外情報は見つからず、結局一体ベーコン豆がなんの豆なのかよくわからず、後味の悪さは軽減しないままブリトーの店を後にすることになった。

ベーコン豆の正体は謎のままであるが、肉からできていると思ったベーコンの豆は肉からできている訳ではない。その事に気付いただけでも私はまた一つ賢くなった。そう思うことにした。しかし帰りの電車の中でわたしはふとあることに気がついたのであった。

 

お野菜のお豆こそ、なんの豆だったのであろうか?

 

 

丸い男

どういう訳か専門学生時代からいつも眠い。それまでは授業中に寝るということはなく真面目に勉学に励む学生であったのに、専門学生になった途端毎日眠くなって90分の授業を全部寝て過ごすこともあった。隙あれば寝る。授業中以外でもバスや電車の移動中でも当たり前のように寝る。時々立ったままでも寝る。

この日もバスで爆睡していて、バスの車掌さんに終点で起こされたのであった。幸い自分の自宅がバスの終点から近く問題はなかったのだが、お客さーんとマイクで呼びかける声で目を覚まし、びっくりしてキョロキョロあたりを見回すと見覚えのあるバスターミナルで、あ、私寝てたんだと自分が爆睡していたことに気がつくのであった。まだ半分眠っている状態で誰も乗車していないバスをゆっくり歩いて降り口に向かう。定期券を運転手に見せてバスを降りると知らない太った男が待ち構えていた。おじさんなんだかお兄さんなんだかわからないような見た目で、眼鏡をかけ、長髪ぎみの頭はボザボサで、たしかジャージをはいていた。清潔とは言い難い、どちらかというと不衛生なそのおじさんだかお兄さんだかわからない男がニタニタと笑いながら私にかけてきた第一声は「お疲れのようで」だった。驚いた。この人も先程のバスに乗っていて、私が爆睡している様子を見ていたのだろうか。なんで疲れていると思ったのかと不審に思いながらも「はぁ。」と言いながら頭を下げて会釈した。すると男は続けて「これ、よかったら」と持っていたビニール袋からスッと何かを私に差し出した。

差し出された物はどらやきだった。たぶん自分で食べようと思い購入したのであろう、スーパーで100円くらいで売ってるオーソドックスなどらやきだった。何を出してくるのかと思いきや出てきた物はどらやき。まだ半寝の状態でドラえもんみたいに丸い男から突然どらやきを差し出され、茫然とし、しばしどらやきを見つめた。

「いらないです」

貰わないのが健全かなと少しの間の中で判断し断った。丸い男は相変わらずニタニタしていたが、何も言わずに静かにどらやきを袋の中にしまった。「いらないです」と答えてすぐにその場を早歩きで立ち去ったが、丸い男は追ってくる様子もなくその人とは二度と会うことはなかった。

10年以上前の話であるが時々バスを降りたらどらやきを差し出されたことを思い出す。たぶんあの男性はどらやきを受け取ったからといって何かしてくるつもりもなかったのかもしれないなと思うと、せっかくのご厚意、有り難く頂戴すれば良かったと思う。わたし好きだし、どらやき

知らない人からの突然の善意というのは少々気味が悪く、何か裏があるんじゃないかと疑ってしまいがちだが、ありがたい!と素直に受け取ってみれば、ただお互いが気持ちが良くなるだけでなんてことはないのかもしれない。素直になってみようと思った。

前澤さんの100万円のお年玉が当たりますように。

 

麻布十番のエレベーターの中で

先日用事があり麻布十番のマンションを訪れた。

用事を済ませ、マンションの12階からエレベーターに乗り1階のボタンを押した。エレベーターの中には私1人だった。ぼんやりエレベーターに乗っていると7階でエレベーターが止まり、茶髪のマスク姿の女性がベビーカーを押しながらエレベーターに乗り込んできた。ベビーカーには幼い子供、そして1〜2歳くらいの目のクリっとした女の子が女性の胸に抱き抱えられていた。

狭いエレベーターは私と女性とベビーカーで満員となり身動きの取りづらい状態となった。窮屈なエレベーターはなんとなく気まずかった。誰も声を発することはなくエレベーターは静かに下っていく。視線を下に向け体を小さくしてエレベーターが1階に到着するのを待った。そして私は気づいたのだった。何か感じると。俯いた状態から何かを感じとって目線を少し上に上げた。何かの正体はベビーカーに乗った赤ん坊の視線だった。

赤ん坊は表情も変えぬまま、瞬きも身動きもせずにじっと私を見ていた。真剣にこちらを見ている。このままだと私が石にでもなるんじゃないかと思われるほど凝視している。なんだか怖くなり、堪らず赤ん坊から目を逸らし右側に視線を逸らした。

視線を逸らすとまた目が合ってしまった。今度目が合ったのはマスク姿の女性に抱き抱えられている女の子であった。クリっとした瞳でこちらもじっと私を見ている。なんでなのかはわからないけれど、こちらも石になるんじゃないか、もしくは穴が開くんじゃないかというほど私を見ている。

2人の幼い子供にじっとりと見つめられ、気まずさと居たたまれなさは最高潮に達した。逃げ出すこともできず、気づいた時には「ははは」と声を出して笑っていた。静まり返るエレベーターで壮年女性が突然笑い出した。幼い子供たちの視線よりも怖いのは確実に私である。

まずい。このままだと不審者である。私は自分を擁護するために目線を下に向けたまま「すみません、2人がすごい見てくるので」とボソボソとマスクの女性に訴えた。

するとその数秒後、マスクの女性は甲高い声で笑い出した。手まで叩いている。ウケてる...すごい笑っている。「こ、この耳あてかな...耳あてが気になるのかな〜?」続けてボソボソと呟いた。

私は最近毛がモシャモシャした耳あてをして歩いている。最近気づいたのだが、東京で耳あてをして歩いている人などほとんどいない。この冬私以外に耳あてをつけていたのは今のところ、飲み屋の隣の席のサラリーマン、電車で隣に座った中学生、友人、そして私の4名だけである。私が耳あてをしている姿を見て実家の犬がすごく興奮していたので、もしかしたらこの赤子達も耳あてに興味を示したのかもしれない。ましてやここは麻布十番、耳あてをしている人もまぁ、見かけないのだろう。

そんなことを思って呟いた「この耳あてかな〜?」の言葉がマスクの女性にも響いたようで女性はさらに手を叩き笑い出したのであった。

女性がヒーヒー言っているので、私もハハハと一緒になって笑っていた。するとさっきまで女性の胸に抱かれ真顔でガン見していた女の子もへへへと声を上げて笑い出したのであった。

静寂するエレベーターの中は一転し和やかな空間に包まれていた。ハハハと笑いながら「お子さん何才なんですか?」と女性に尋ねると「3ヶ月と、2才。もー猿の子かってほどキッキッうるさくて〜」と答えてくれた。女性の声は酒焼けして掠れていた。

その後エレベーターは1階に到着し、女性はベビーカーを押しながらぺこりと頭を下げて歩いていった。私はエレベーターの開のボタンを押しながら「またね」と手を振って見送った。また会うわけないだろうが、またこの親子に会いたいなと純粋に思って出た言葉だった。

駅までの道のりは高層マンションが連なり、閑散として生活感の欠片も見当たらない。この街に住む人はほんの一握りの特別な人種で、生涯私とは縁のない街だと思っている。マスク姿の若い女性はどうしてこの街に住むことになったのだろうか。「猿みたいにキッキッうるさいの」と酒焼けして掠れてた声が頭の中で繰り返されていた。

 

 

マヨンセとの思い出

初めてインターネットで知り合った人と実際に会ったのは21歳の時であった。その相手の名前はマヨンセといい、マヨンセとはmixiで知り合った。mixiには同じ趣味や関心ごとを持つ人達が集まるコミニュティーというサービスがあり、私もいくつか入っていたのだが、マヨンセとはHarlemという渋谷にあるクラブのコミニュティーで知り合った。Harlemというコミニュティーの中でたまたま私と誕生日が一緒だったマヨンセがメッセージをくれたのが出会いのきっかけであった。

マヨンセのプロフィール画像ビヨンセであった。おそらくビヨンセをもじってマヨンセと付けられたのであろう。一方わたしはチアリーダー姿のアフリカ系女性をプロフィール画像にしていた。当時生まれ変わったら黒人になりたいと意気込んでおり、髪も肌も黒く白地にゴールドの文字の服やアニマル柄ばかりを着ていた。誰だか知らないけど、この画像のような可愛い女性になりたい。そう思って設定したものだった。ちなみに現在はてなブログプロフィール画像は自分で書いた白米である。まさか黒い肌の女性から白米をプロフィール画像に設定するようになるとは21歳の私も思いもよらなかったであろう。10年間で黒人から白米へ。我ながらセンスの振り幅が鬼束ちひろ並だと感じる。

話が逸れてしまったがおそらくビヨンセが好きでクラブも好きで音楽も好きなら誕生日も一緒だったマヨンセと気が合わないわけないだろう、私はそんな風に思っていた。たぶんマヨンセも似たような感情を持ってくれていたのだと思う。そんなわたし達は自然と会おうという話になり、2008年のスプリンググルーブというイベントに一緒に行くことにしたのであった。この時の出演者はカニエウエストやNERD、Ne-Yo、ショーン・キングストーン、リアーナ、キーシャ・コールなど憧れのブロンズ肌の面々が勢揃いの豪華なラインナップであった。さらに初めて行く大きなライブで初めてマイミクさんとお会いするとなれば普段から前のめりな性格のわたしが張り切らないわけがなかった。しまっていこう。私はデニムのショートパンツにピタッとしたやや長めのTシャツを着て、アメアパで買った紫の二本ラインのサッカーソックスを履き、でかでかとゴールドの字でDCと書いてある白地のDCシューズを合わせて出かけたのだった。気分は黒人のチアリーダー。気合い充分で幕張メッセを目指した。

まだ会ったことのないマヨンセとこんな広い会場ですぐに合流できるのか不安であったが、割とすぐに落ち合うことができた。

「マヨンセですか?」

「さとみこんこんですか?」

お互いが本人であるということがわかるとキャーと言って手を取り合って喜んだ。

マヨンセは茶髪のロングヘアで前髪は目の上でぱつっときり揃えられていた。大きな目にまつ毛が付けまつげで増毛されていることで、より目が大きく強調されていた。服装は短い丈のワンピースを片方だけ肩を外してセクシーに着こなしている。お互い衣類が肌を覆っている割合が大体30%くらいであった。その上おそらくマヨンセは172㎝くらいあってガタイも良かったため、マヨンセの存在感はなかなかなものであった。そしてもう1つビヨンセの画像ではわからなかったマヨンセの特徴があった。マヨンセはすごい訛っていた。話を聞くと茨城県は土浦からやってきたらしい。渋谷、クラブ、ビヨンセ!とマヨンセに対し洗練されたイメージを持っていたため少々ギャップを感じてしまったのが正直なところであった。しかしそれはマヨンセも同様で、渋谷、クラブ、黒人チアリーダー!のイメージと異なり、実際は埼玉からやってきた張り切った女だったことに戸惑いを感じたのであろう。「随分速く走れそうな格好だね」と褒めてんだか褒めてないんだかよくわからない言葉を私にかけていた。今振り返ってみると黒人のチアリーダーというよりは靴下を伸ばしたサンシャイン池崎という方がしっくりくる格好をしていたため「速く走れそう」というマヨンセの言葉は実に真っ直ぐな感想であったと思う。

ライブ会場はものすごい人でとてもスムーズに移動できるような状況ではなかったため、見たいゲストを確実に見れるようマヨンセと作戦を立てた。お互いに外せないゲストを出し合った結果、NERD、キーシャ・コール、カニエウエストを見ることを決めたのだった。

「ファレルは絶対に外せない」マヨンセは息を荒げて言っていた。この時代のギャルは皆ファレルに抱かれたいと思っていた。少なくともわたしの周りはそうであった。

なるべく前方でファレルを見ようとマヨンセと私は一個前の出演者の時から会場に入り、入れ替わりの時に一気に前に詰める作戦にでた。しかしなかなか上手いこといかず、真ん中くらいのところでファレルを見ることになってしまった。NERDが始まると会場はワーっという歓声で埋め尽くされ、観客は縦に揺れたり横に揺れたりし始めた。遠くのステージでファレルが歌っているのが見える。「ファレルー!ファレルー!」周りの歓声に負けじとマヨンセも私も大きな声でファレルの名前を呼んだ。ステージも中盤にさしかかったころでノッてきたファレルがステージから降り、ステージの真ん中にあった観客通路で手を広げながらダッシュし、観客と高速ハイタッチをしだした。それを見てマヨンセは「ファレルー!」と叫びながら瞬時に体を通路側に押し込んで手を伸ばしていた。速く走れそうな池崎の格好をしていた割に動きの遅かった私は、マヨンセが通路側に突進していく様子を黙ってみていた。マヨンセの努力は報われ、見事ファレルとマヨンセはハイタッチをすることができたのであった。ステージの後ろの方まで走ったファレルは再びステージに戻るべく高速でステージまで走り、また何事もなかったようにステージ上に戻って歌を歌いだした。通路側から戻ってきたマヨンセは「ファレルが触った!ファレルが触った!」とクララが立ったのテンションで繰り返し言うもんだから、わたしは心を込めてよかった!よかった!と言ってマヨンセと喜びを分かち合ったのであった。

その他お目当てであったキーシャ・コール、カニエウエストも無事に見ることができ、キーシャ・コールに関しては結構ステージに近い所で見ることができた。迫力のあるキーシャの歌声を聴いて「泣きそう、泣きそう」と2人で小さい声で呟いた。この時代のギャルはいい歌はとりあえず泣きそうといいがちなのであった。

お目当ての出演者がいない時間はマヨンセとお酒を飲んで休憩をした。バーカウンターでお酒を買う時に「いい、いい、ここはわたしが買うから」とマヨンセはそう言って私のお酒まで買ってくれた。そうしてバーカウンターから受け取ったお酒を私に手渡ししてくれた時に「わたしさ、キャバやってるからお金あるの。だから気にしないで」と小声でさりげなく言ったのであった。私は申し訳ない気持ちであったが、マヨンセがいいのいいのと笑顔でいうのでありがたく頂戴した。女の子にお酒をご馳走してもらうのは初めてで、マヨンセは懐が広いなと関心した。マヨンセと談笑しながら、私はマヨンセが土浦のキャバクラで稼いで買ったお酒をチビチビと大切に飲んだのであった。

マヨンセとの時間は楽しくあっという間であった。しかし別れの時の様子をあまり覚えていない。なんと言って別れたのかはわからないけど、また遊ぼうと言ってまた会うことを約束したのは覚えている。今度会った時にはわたしがお酒を奢ってあげたい。そう思っていた。

しかし約束の日が近づくと、mixiに「ごめん、都合が悪くなっちゃった」とマヨンセからメッセージが入ったのであった。

「また今度遊ぼうね」と言ったっきり、マヨンセとはそれ以来会っていない。

 

 

初めて見た芸能人は藤原組長だった

通っていた小学校の近くに藤原組長が住んでいた。私が藤原組長のことを知ったのは小学校3年生か4年生の頃で、知ったきっかけは「おまえは藤原組長を見たことがあるか?」という同級生らの問いかけからその存在を知ったのであった。藤原組長を見かけたことがある者達は「私は3回見た」や「俺は挨拶もしたこともある」などと組長自慢をしてマウントを取り合っていた。現在は藤原組長のお姿をテレビで見かけることはなくなったが、その当時、組長はタレント活動を精力的に行なっていたようで結構テレビにでていたのであった。テレビで見かける組長は決まって怖い形相をしながら共演者のタレントや司会者に高圧的な態度で接し、そんな組長にビビる共演者という構図がお決まりのパターンだったように思う。そんな強面で凶暴な(キャラの)組長と挨拶を交わした日にはただでさえすぐ調子に乗る小学生のことである。気分は組長とマブダチ。そして翌日には「俺、昨日組長と挨拶したし」とポーカーフェイスで自慢をするのであった。多くの同級生が組長に遭遇する中わたしはなかなか組長に出会うことができず、テレビで組長を見かけては「藤原組長がテレビにでてるよ!」と息を荒げて家族に呼びかける日々が続いた。

影ながら組長を応援する少女の様子をお天道様は見ていたのだろうか、その後わたしも一度だけ藤原組長にお会いすることができたのであった。ある日用事があり1人で自転車に乗っていると、前方からボウズ頭でジャージ姿の怖い顔のおじさんが、同じく怖い顔をしたでかい犬を引き連れてジョギングをしていた。(もしや...あれは組長...)胸の高鳴りを鎮めるかのようにわたしはゆっくりペダルを漕いで、少し離れた距離から怖い形相の人間と犬を観察した。人間と犬の距離が近づくにつれて険しいその顔立ちはより顕著となり、あれは組長に間違いないと確信をしたのである。やっと念願の組長を見ることができた。わが町の誇り組長に会えた喜びを噛み締め、引き続きゆっくりペダルを漕いだ。組長に会えた。ついてるぞ!せっかくだから挨拶もしてみよう。勢いづいた私は低速で自転車を運転し、組長と怖い顔の犬に「こ、こんにちは!」と声を振り絞って挨拶をした。すると「はいこんにちは!」と組長はドスの効いた痺れる声で挨拶を返してくれ、顔の怖い犬と颯爽に走り去っていった。

ついに組長に会えた。「トトロに会っちゃったー!」サツキとメイがテンション高めで父親に告げるシーンかのように「組長に会っちゃったー!」とその夜、わたしは溢れんばかりの笑顔で父と母に組長に会ったことを報告した。翌日は友達に自慢していたと思う。この日の組長との思い出は私の胸の中で大切にしまわれていた。中学生になると誰も藤原組長の話をする者などいなかったが、挨拶までした唯一の芸能人ということで相変わらず大切な思い出であった。そう中学生までは。

高校生になった時の話である。

ジュディマリYUKIちゃんに会ってサインを貰った」という生徒が現れた。話をきくとORANGE RANGEも会ったことがあるとのこと。YUKIちゃんか...羨ましい。さぞかし可愛いだろうに。ORANGE RANGEも羨ましいな。わたしって芸能人に会ったことないな。いや、そういえば会ったことあったぞ、藤原組長に...そんな心の声が気付いた時には言葉となって「いいなー。わたしはまだ藤原組長にしか会ったことないや」とぼそりと発していたのだった。すると次の瞬間友人は声を震わせ「ふ、藤原組長...」と静かに笑いだした。静かだが随分長い時間笑っていた。こいつ...今いい気分になって笑ってやがるな。わたしは少しばかりのイラつきを感じながらも、YUKI と藤原組長のどっちに会いたいかと問われた時に秒速でYUKIと答える自信があったので、友人と一緒に静かに笑ったのであった。

久しぶりに思い出した初めてあった芸能人、藤原組長は元気であろうか。気になってウィキペディアで調べてみたところ、イラストを描いたり、陶芸をしたりと思いもよらず穏やかな老後を過ごしている模様。組長と同じように怖い顔をして走っていた犬のマックスは残念ながらお亡くなりになったようだ。わが町の誇り、わが町のヒーロー藤原組長。そんな彼がテレビから姿を消した今、新しいわが町のヒーローが現れた。古市憲寿。しかし彼はこの街に住んでいたことをおくびにも出さない。