怒ってリモコンを破壊してしまった

 先日リモコンを破壊してしまった。ことの発端は息子のYouTubeだ。良い気になってYouTubeを見せていたら息子が寝ても覚めてもYouTubeが見たいというようになり、さらにあれも嫌これも嫌と番組を選り好みするようになってしまった。このままでいいのだろうかと思い悩んでいた矢先、夕飯の支度で忙しなくしている私に息子のYouTube入れてくれコールが始まり、揉みあいの結果、うっかり息子にキレてしまった私がテレビを切ったあとベットに投げつけたつもりだったリモコンをコントロールが悪く床に叩きつけてしまい、リモンコンは砕け、電池は飛び出し、私は青ざめ、息子は固まるという最悪な出来事を起こしてしまった。それから息子はYouTubeが見れなくなってしまった悲しみから30分くらい泣き続けたが、その後は立ち直り違う遊びをするようになった。それでも2〜3日はYouTubeのことを思い出しYouTubeを入れえほしいと頼まれたが「ごめん、お母さんリモコンを壊してしまって」と壊れたリモコンをソロソロと見せると「そうだったね」という感じできちんと理解を示し、時期に要求することもなくなった。リモコンは早急に手配し、もう家に新しいものがあるのだが夫婦間で動画の見せ方についての方針が決まるまではしばらくお休みということにした。

この出来事の後、私は息子を暴力で支配してしまったということにすごく落ち込み、怒りを物にあたって沈めるようなことはしちゃいかんと反省した。私は自分で言うのもなんだが、割と温厚なイメージを人に与えることが多いいし人と争うことも苦手なのだが、家族の前で腹がたつとよく物にあたり何かを破壊したい衝動に駆られることが昔から大いにあって、とにかく暴力によって発散するのはやめようとそう心に決めた。

しかし決意を固めたはずの翌日。眠いのになかなか昼寝のできない息子に手をかけやっと寝かしつられた後、リビングにやってくると夫が横になって休んでいた。多分残っていたお風呂掃除もしていないよなと思いながらお風呂掃除をお願いすると夫は快く引き受けてくれた。そうしてトイレに向かったところ玄関の前に18ℓの水のダンボールが置いてあるのを発見。夫が置き配で届いた水を玄関に入れてくれたのであったが、所定の場所になぜ持っていかないのか?私にやれと言うことか?と思うとフツフツと体の内側が煮立ってくるような感覚を感じた。しかし夫はよく家事を嫌な顔せずにやってくれているし、私がやればいいと思い怒りとともに18ℓの水を引きずって所定の場所に運んだ。ところが18ℓのダンボールを所定の場所に収めてもどこかがひっかかり思うように動かなかった。思うようにいかず苦戦した後私はキレた。クソがと思いながらダンボール箱に座り蹴りを入れて収納していると「ちょっとちょっと汗」とまさに冷や汗をかいたような声を出しながら私の様子を夫が後ろから見ていて声をかけてきた。夫の存在に気がつかずキレていたのでちょっと気まずい気持ちにもなったが、私は今とても怒ってる。怒ってんだよ!という苛立ちの顔をしてその場を離れると夫は無言で風呂を洗いに行ってしまった。わたしは収まらない怒りをどうにかすべく黙って家を飛び出した。

どうしたらいいんだこのムカつきを。私は近所の畦道をながらめながら道路をドスドス歩いていた。ふと、泣いてみたらスッキリするかもしれないなと思い、よし泣こうと意気込み昨日リモコンを暴力により破壊したこと、夫への不満、思ったように動けない今の人生のもどかしさなどを思い返してみると怒りのような悲しみのような気持ちが高まってきて一筋の涙が流れ頬を伝った。涙出た!と心がガッツポーズをしたもののその後に続く涙は出てこず私の涙産業は終息した。

私には泣くことも許されないのかと思うと余計に腹が立ってきてそのまま怒りと共に道路を闊歩した。ずんずん突き進むがあんまり遠くに行くと家に帰るのが大変になるよなと思い、ちょっと田んぼでも見て心を沈めようと思って道路の脇の雑草が生い茂る中でしゃがみ込んでみた。すると田舎道のわりに意外に車や散歩中の犬などが私の後ろを通って行くためノビルでも取っていると勘違いされるかなとかまさか用を足していると思われないかなどと余計なことが気になって、己を見つめることが全然できなくて腹が立ってきたので帰ることにした。帰宅するとどこに行っていたのかと心配そうに声をかける夫に「落ち込んでいるのでほっといて下さい」と言いながら私は昼食のそうめんを茹ではじめた。

こんなことが今回だけではなく過去に何度かあり、突然キレる妻を持つ夫が不憫だし子供にも悪影響を与えかねないのでどうしようかと困っていたところ、とても良い漫画を見つけた。田房永子さんの「キレる私をやめたい」というピッコマの無料漫画から見つけたのだがまさに漫画のタイトル通りのことを私は求めていたので、早速ピッコマで漫画を読んでみたのだが、肝心の解決策のところで課金制になってしまったので漫画を購入することにした。

解決方法の一貫として「今ここにいる」ということに着目することが大切だと書いてあり、例えばなんとなくイライラしてきた時に今花が見えるとかテレビの音が聞こえますとか今の現状に着目していくと落ち着いてくるとのことだったり、あとはなるべく意識して休息することなどが書いてあった。そういえば私がキレてしまうときはだいたい疲れていることが多く、あれもこれもと目標を掲げて好きな時間にこなすことを生きがいとしてやってきたのだが、それがストレスの原因になっているかもしれないと反省した。ブログや英語を頑張りつつ散歩とかあまり脳を刺激しない時間を定期的に作ろうと思う。

あとはどうも育った環境なども影響していてなるほどと思いながら拝読したので、私もキレて暴力を振るってしまい困ってますという方がおられたら是非読んでみてほしい。一緒に脱暴力を目指しましょう。

 

ようやっと運転免許を取得した

やっと本試験に合格して運転免許を取得した。本試験での話はハイエナズクラブに長々と投稿しましたので、お時間・体力・気力のあるときに読んでいただければとっても嬉しく思います。

hyenasclubs.org

 

免許を取得したもののやはり乗らないと「いざ」の時に活用できないので免許取得から期間が空かないうちに車に乗りなさいよと先任達から何度も説かれていたので、車を買うかレンタルするかシェアするかして乗らないとなと検討していたのだが、特に欲しい車も必要性もお金もないのでカーシェアリングを利用することにした。

具体的なカーシェアのことは美容師さんとのおしゃべりの中で得た情報であった。Timesのカーシェアのサービスは月額880円の固定費で15分から220円で使えて保険もガソリン代も込みで自分は使いやすくて良いと思っていますよと美容師さんが言っており、それはいいですねとなって早速申し込みをして先日第一回目の走行をしてきた。

Googleマップを見ながら道に迷ってしまうほど方向感覚がないので、一応走行する前に自転車で走行予定の道をシュミレーションして走ってから車に乗った。にも関わらず、走行する道を誤ってしまい予定とは違う道が出てきた時にはパニックになりこのまま無事に戻れるのかと震えながら運転したのだが、なんとか予定した経路に戻ることができTimesに戻ってきたときは無傷で生還したことを心から嬉しく思った。駐車もなんとか隣の車に当たらないで入れることができ「やればできるよ私」と少し自分に自信がついた。つくばの道は広くて運転しやすいが、油断しているといつの間にかに3レーンが4レーンに増えていたり、一番左側を走っていた通りが左折可のレーンになってしまったりするのでそういうところが難しいと感じている。今まで自転車でばかり移動していたから道を間違えたと思えば止まって確認したりUターンして戻れるけど、急に止まったりしたら事故になるかもしれないので初めて通る道はイメージトレーニングをしっかりしないとと思っている。

今回は近所をウロウロ走っただけなんだけど、次は自転車ではなかなか行けない店にエクレアを買いにドライブしてみようと計画している。市をまたいでフルーツサンドも買いに行きたい。あと5回練習したら家族も乗せられるだろうか。頑張ろう。

ドラマティックな息子

以前のブログにも書いたのだが2歳の誕生日が近づくにつれて息子の癇癪がひどくなっているように感んじている。癇癪が始まり出した頃は泣いて転がりだすことや泣いて泣き止まないことに戸惑いうるさいとつい怒鳴ってしまった日もあるのだが、癇癪にもだいぶ慣れてくると「そっかそっか」と泣き散らかす息子を聖母の眼差しで見つめ、癇癪が通り過ぎ息子が落ち着きを取り戻すまで見守る余裕がでてきた。ただ「うるさい」と思う心理状況であることには変わりないのだけど。

そんな訳で私は子育てに苦戦し疲労しているのだが、この日常の鬱憤をオンライン英会話の講師に聞いてもらおうと自分の近況をせっせと英訳することにした。予約日、息子と一ヶ月違いの子を持つ馴染みの講師に「最近どうよ?」と近況を聞かれたので待ってましたという気持ちで「アイムタイヤード」とため息を交えながら答えると「タイヤード?どうしたのさ!!」と予想通りのリアクションが返ってきたので準備をした英語でしばし息子が癇癪を起こし疲れるという話をした。その後、子供は癇癪を起こすのか?とそちらの子供について聞いてみたところnoの返事が返ってきた。話を聞くところによると、癇癪は起こさないけど最近自分の子はdramaticでどんなことにもオーバリアクションだし泣いていたかと思うと15分後には平然と飲み物を飲んでいるしコロコロ状況が変わるというようなことを話ていた。

その時はそちらは癇癪がなくていいなと思って話が終わったのだが、その数日後、ふと思ったことはもしかしたら自分の息子も癇癪がひどくなったわけではなく、様々な感情が大げさにドラマティック になってきただけだったのではないかと思い立ったのであった。そういえばバスを見つけた時に指をさして声を出し喜ぶようになったし、好きな音楽が流れると踊りを踊りだすし、嬉しいと拍手をすることだってある。泣くということだけに執着し癇癪ばかりに囚われすぎていたのではないだろうか。もしかしたらうちの子もドラマティックなだけなのかもしれない。

そう思うようになってから、私は息子がなかなか泣き止まない時には「今日もドラマティックですね!」と言いながら聖母の眼差しで見つめるようになった。ただ感情表現が豊かになっているだけ。息子に癇癪のレッテルを貼ってため息を漏らしていた時に比べると随分と心に余裕が持てるような気がしてきた。

ある日の夜、お馴染みの息子のドラマティックが始まったので「今日もドラマティックが始まりましたね!!」と言いながら泣いて転がる息子に駆け寄り息子を宥めた。大声で泣く息子の泣き声は狭い部屋を反響しただでさえうるさいのにいつも以上にうるさく感じられた。皆団欒もしくは早ければもう寝床に着く者もいる時間の大泣きはいつも以上に隣近所を意識し「泣きやめ」の言葉が心を埋め尽くし、イライラが募っていった。そんな中で私はまたあることに気がついたのであった。「これはドラマティックって言える状況か?」子供の成長をドラマティックと表現した英会話講師の心の豊かさと寛大さに感心をしたのだが、たぶんこれは心の問題だけではなくカナダ在住である彼の家が広いという物理的な側面も十分関係しているのではなだろうか。

「子育てに大切なのは心の広さと家の広さ」

子育て同様上手くいかない俳句を唱え、泣き続ける息子の背中をさすり続けた。

 

YouTubeを見ている2

息子は動画が好きでほぼ毎日熱心に動画を見ているのだが、一歳をすぎた頃から好みもはっきりしだし、最近は乗り物やクレーンゲームなどの動画を好んで見ている。どうせなら自分も関心のある英語の動画を一緒に見られればと思っていた矢先、同じ年頃の子をもつオンライン英会話の講師が自分の子が好きでよく見ているという動画を教えてくれた。教えてくれた動画を全て喜んで見るかというとそうではなくて極めて部分的なのだが、一緒に楽しんで見られる動画が増えたことは嬉しい。

 

 

ブリッピーという男性が踊りながら遊んでいる動画なのだが、簡単な英単語をはっきりと発音・表記してくれてわかりやすい。息子は特にこのバスの動画がお気に入りで笑いながら見て調子がよければ踊る。バス以外の乗り物の動画もあるのだが、バス以外をいれると今のところ苛立ちを露わにされることが多い。ブリッピーがプレイランドに遊びに行く動画が多い印象。

 

youtu.be

 

どうも息子は乗り物の中ではバスが別格の様子で、バス関係の動画を気に入ってくれることが多い。cocomelonはピクサーみたいなタッチのキャラクターが歌いながら動作をするミュージカル調の番組で個人的にこの絵柄があまり好きではないのだが、楽しい気分になれる動画だと思っている。この動画を教えてくれた英会話講師曰く、子供に英語に興味を持ってもらうのにcocomelonはとても良い動画だといっていた。

 

youtu.be

 

ペッパピッグは近所のインドの女の子が息子にと見せてくれた動画なのだが今のところ息子はブタさんに関心がない様子で見せると速攻で機嫌が悪くなってしまう。調べてみたところ日本語の吹き替えもあり、世界中に人気のアニメーションであったことを知った。blippiやcocomelonに比べると話すテンポが早い。

 

このような番組を「これが見たいのかなぁ〜?」などと呟き日本語もまだ話さない息子に意気揚々と見せているのだが、動画をきっかけに英語に興味を持ってくれたらよっしゃーだなと思っている。

私が思うに息子がバスに特別興味を持っているのは、動画や本からバスの存在を知って実際の道路を走っている様子や自分がバスに乗る体験をしてバスのファンみたいになったのではないかと思っている。コロナの影響もあり電車には乗る機会がなく電車を見かけることも少ないので、電車に乗る機会が増えれば今度は電車に移行していくのかなと感じている。

だから英語も情報を与えて使う機会をどんどん作って体験させることが関心を持ってもらえる道筋になるのではないだろうかと思っている。義理の兄が「インターナショナルスクールに入れることよりも親が英語喋ってんのが一番興味を持つきっかけになる」とアドバイスをしてくれたのだが、このしょぼい英語を子に聞かせる気にはとてもなれんと思いながら今日も英語の勉強をするのであった。

 

私とミスタードーナツ

最近何かと理由をつけてはミスタードーナツを買っている。最初は美容室に行った帰りに駅前にあるミスタードーナツに立ち寄りドーナッツを数個買うことを楽しみにしていたのだが、ここ数週間で息子がバスにかなり興味を持ち始めバスに乗って駅まで行くという機会が増え、私とミスタードーナツの距離はグンと縮まった。ちょっと子とバスに乗ってくるよというのは私の中ではミスタードーナツに行ってきますねということと等しくなったのだ。

ミスタードーナッツはいいですね。ミスタードーナツは安くて美味しくて華もあって満足感もあって特別感もあって種類も豊富でレジも早くて素晴らしい。幼少の頃、家の近くにミスタードーナツはなく、車で20分ほどの遠くの駅前に一応ミスタードーナツはあったのだが、うちの親が「ミスタードーナツは美味くない」というアンチミスド派だったため我が家がミスタードーナッツに近づくことはなかった。その後、アンチミスド派の家の娘は高校生になり、最寄り駅にミスタードーナツのある高校に進学したのだがなんせ私はアンチミスドの家の娘だし、さらにその頃はダイエットに勤しみ痩せすぎて保健の先生に呼び出されるほどだったため「あんな油であげたワッカ食えるか」と言ってミスタードーナツを口にすることはほぼなかったのだ。

成人後も、職場に清掃に来るダスキンのお兄さんから時々もらうミスタードーナツパスポートというこれを見せればドーナツがみんな100円だよ!というカードをもらうことくらいしかミスドとは接点がなく、しかもそのカードをもらっても「なんだよまたミスドのカードか、スポンジくれよ」と私の中ではミスドの価値はダスキンのスポンジよりも低く、もちろんそんな価値観で生きていたためその後もわたしがミスタードーナツを口にすることはなかった。

そんな私がミスタードーナツの虜になったのは30も過ぎた頃であった。出産という人生経験を機に趣味の飲酒を断つと私の欲の矛先は甘いものに向き、とにかく甘い物への執着が高まった。さらに引越しをして家からミスタードーナツが割と近くにあることで、私はミスタードーナツへの興味が湧いたのであった。

こんな経緯で私はミスタードーナツのアンチからファンへと移行した。いや、ファンとはまだ言えないかもしれない。ただアンチから脱出しただけの生まれたてのヒヨコ。ミスドの関心は高まりつつあるがミスドについては右も左もわからず、ミスタードーナツの中で一番好きなドーナツが何とも言えない。いつもミスドに行くと悩んでしまうのでなかなか思い切って列に並ぶことができず、ドーナツの並ぶディスプレイの2メートルくらい離れたところから今日はどのドーナツにするかを悩んでいる。しかしもいざドーナツの列に並ぶとやっぱりあれを取りたかった!ともう列から過ぎ去ってしまったドーナツのことが急に恋しくなってしまい、眉毛を八の字にさせて「すみませんすみません」と本当に申し訳なさそうな顔を作って列を逆走し、お目当のドーナッツをトングで取ったあと再び最後尾に並んだりしてるのだが、そんな時の苦労して取ってきたドーナツのうまいこと!でもできることならさっさとお気に入りのドーナツを見つけて迷うことなくレジまで運べるようになりたいと願う。

モチモチした食感のポンデリング、華やかで天使の輪のようなエンゼルフレンチ、ゴツゴツしてかっこいいオールドファッション。みんなどれも良くて今のところランキングをつけることができないでいるが、正直どれもさほど大差なく平均的にまぁみんな美味しいよねミスドはという冷静な分析をする自分もいる。

ご近所付き合い

茨城に引越しをしてから半年以上が経ち、この土地に引越しをして初めて外国人の知り合いができた。マンションで知り合いになったインド人家族のことは過去のブログにも書いたのだが、その後公園で知り合ったエジプト人家族や国際結婚をしたインド人と日本人の家族とも知り合い息子に様々な国のお友達が増えていった。それは私にとって喜ばしいことで、このまま見た目や言語で萎縮することなく多様な価値観をいろんなお友達と共有してくれるようになってほしいと願っている。国際結婚をしたインド人のお父さんが「僕たちの子供達はきっと色々なことを英語で語り合うようになると思うよ」と日本語でペラペラ言っていたのだが、私もそうであってほしいとぼんやり思っていたことを知り合って間もないインドのお父さんが言ってくれたことで、近い未来きっと息子達はそうなるんだろうなと思った。私自身もそうでありたいのだが、語るほどの英語力もないしここ最近は自分の意見も日本語できちんと言えないことをひしひしと感じていたので頑張らなければと思っている。

嬉しいことに先日同じマンションのインド人の自宅にお邪魔させてもらった。実家からトマトがたくさん届いたので息子と自宅に届けると「ありがとう!どうぞ入って」と笑顔で出迎えてくれたのだ。最初まさか家にお邪魔することになると思わず「え、今?今?」と玄関前でオロオロと狼狽えてしまったのだが「そうだよどうぞどうぞ」とインドのお母さんが優しく手をひき中に案内してくれたので遠慮なくお邪魔することにした。玄関で靴を脱いでいるとその家の娘が家の中を「イエーイ」と言いながら走り周っていた。

「ちょっと散らかっているけど座って」インドのお母さんは忙しそうに私を案内してくれたのでそのまま床に腰を下ろすと「ダメだよソファーに座ってよ」とソファーに座るように指示をした後に台所に消えていった。私は床の方が落ち着くからそれでよかったのに遠慮してると思われたのだろうかなどと思い落ち着きなくソワソワしていると、同じように肌色の違うお客がきてソワソワするインドの女の子がアナと雪の嬢王の塗り絵やiPadでお気に入りのyoutubeなどを見せてくれた。1人だけ堂々としていたのはうちの息子で、彼は熱心にリモコンを探って遊んでいた。そんなふうにして各々過ごしているとインドのお母さんが温かい飲み物とリッツをお皿に並べて持ってきてくれたのだ。湯気のたつ温かい飲み物を受け取り「いただきますって英語でなんて言うんだっけ?」とボソボソ言いながら飲み物を口にした。その飲み物はここ最近飲んだ水分で一番美味しかった。「これはチャイ?」と聞くとそうだよとのこと。今まで飲んだチャイの中で一番美味しい。きっとインドの専門店とかで買っているのだろうと思いどこで売っているのかと聞くと「リプトンだよ」とよく知る名前の茶葉で作っていて驚いたのだった。作り方を聞いたところリプトンの紅茶を煮出して牛乳と砂糖を少し入れて作ったとのこと。このチャイにスパイスを足すとマサラチャイになるそうだ。

「チャイにリッツを浸して食べると美味しいよ」と言われ、言われるままリッツをチャイに浸して食べてみたところ口の中でインドが広がった。チャイのまろやかさと甘さの中にリッツの塩っぱさが相まって最高だった。小さい頃から家にあってもあまり嬉しくなかったリッツ、大人になって自由にお菓子が買えるようになっても一度も手に取ることのなかったリッツをインドのお母さんは「スーパーで1番よく買う食べ物」と評価していた。私はいささかリッツのことを見くびっていたのかもしれないと思っていると女の子が私の目の前に置かれたリッツの皿を奪ってボリボリ食べ始めた。

それから我々は日常生活の話やインド料理の話をしながらチャイをすすり、1時間ほどお邪魔して自宅に帰ってきた。お土産にインドのスパイス、カルダモンをもらったのだが、せっかくなので家にあるものでカルダモンを使ったサラダを作ってみることにした。エビとさいの目切りにしたアボカドとトマトを潰したカルダモンにレモン汁と白ワインを入れてマヨネーズであえて塩コショウをただふっただけのサラダなのだが、食べてみると口の中で異国の味わいがした。「インドっぽいね」「インドっぽいよね」インドにはまだいったことのない我々夫婦をインドのお母さんがくれたカルダモンの実が瞬間的にインドの地へと導いてくれたのだった。

地元で採れたトマトと交換にインドから持ってきたというカルダモンをもらいわらしべ長者のような出来事が起きたのだが、私の今回の一番の発見は近所のスーパーでリプトンとリッツを買ってくれば頻繁にインドに行けるということをインドのお母さんに教えてもらったということである。

 

子育ては大変だ

最近子育てに疲れている。出産後に鬱になりかけた時ぶりに子供育てるのって大変だと思っている。出産後は右も左もわからず、私には向いてないかも赤ちゃん可愛そうって思ってメソメソ泣いてたんだけど、今は違う。なんかもうキレそうな感情をグッと歯を食いしばって怒りを封じ込めていて、それが疲れる。

最近子に「やりたい」という欲求が強くなり、好きな動画をみたい、好きな絵本読んでほしいということや、靴を履きたいお掃除したいなど様々なことにも挑戦をしたがるようになった。それはとても喜ばしいことなのだが、お気に入りの絵本は永久に親に読み続けてほしいし、公園のすべり台の降り口でお友達が降りてくるのを待ちたいし、池にも入りたいと言ってくる。そう言った時にその欲求を叶えることが無理であることを諭すとうちの息子は地ベタにひっくりかえったりわざと転んだりして泣きわめくのである。自分の精神的に余裕があるとそれを受け止められるのだが、体調が悪かったり疲れていたりすると無理!と思ってしまう。一度だけ思わず「うるせー」ととっさにうるせーと大声で言ってしまったことがある。なんかもう心の底からうるせーと思ってしまったのだ。己の欲求に忠実に生きてきたわたしに我慢はしんどく辛いものであった。ただ気持ちが爆発した後にふと息子を見ると、母のうるせーにびっくりして硬直し、3秒後くらいに猛烈に泣き出した姿を見て本当にごめんという気持ちになった。もう絶対うるせーは言わないぞと心に決めてからというものうるせーという気持ちが爆発しそうになった時にはトイレに駆け込んで避難したり、ベットに駆け込み布団を頭から被ってみたりしてごまかしながら息子と自分の感情に付き合っている。あとここ最近スピ系が強まった私の好きなモデルが「子供が泣いている時に、この子は大丈夫、自分で泣き止む力があるんだって信じてあげる」と言っており、私もそれを採用することにしている。息子が泣きわめいて辛い時は「この子は大丈夫、信じているわ...」という気持ちでいる。

とにかく自分の機嫌をとっておおらかな気持ちでいたい。今日も好きなお菓子を食べて好きな音楽を聞いてブログに愚痴を書いて可能な限り子供の好きな絵本を読んであげたいと思う。