ドラマティックな息子

以前のブログにも書いたのだが2歳の誕生日が近づくにつれて息子の癇癪がひどくなっているように感んじている。癇癪が始まり出した頃は泣いて転がりだすことや泣いて泣き止まないことに戸惑いうるさいとつい怒鳴ってしまった日もあるのだが、癇癪にもだいぶ慣れてくると「そっかそっか」と泣き散らかす息子を聖母の眼差しで見つめ、癇癪が通り過ぎ息子が落ち着きを取り戻すまで見守る余裕がでてきた。ただ「うるさい」と思う心理状況であることには変わりないのだけど。

そんな訳で私は子育てに苦戦し疲労しているのだが、この日常の鬱憤をオンライン英会話の講師に聞いてもらおうと自分の近況をせっせと英訳することにした。予約日、息子と一ヶ月違いの子を持つ馴染みの講師に「最近どうよ?」と近況を聞かれたので待ってましたという気持ちで「アイムタイヤード」とため息を交えながら答えると「タイヤード?どうしたのさ!!」と予想通りのリアクションが返ってきたので準備をした英語でしばし息子が癇癪を起こし疲れるという話をした。その後、子供は癇癪を起こすのか?とそちらの子供について聞いてみたところnoの返事が返ってきた。話を聞くところによると、癇癪は起こさないけど最近自分の子はdramaticでどんなことにもオーバリアクションだし泣いていたかと思うと15分後には平然と飲み物を飲んでいるしコロコロ状況が変わるというようなことを話ていた。

その時はそちらは癇癪がなくていいなと思って話が終わったのだが、その数日後、ふと思ったことはもしかしたら自分の息子も癇癪がひどくなったわけではなく、様々な感情が大げさにドラマティック になってきただけだったのではないかと思い立ったのであった。そういえばバスを見つけた時に指をさして声を出し喜ぶようになったし、好きな音楽が流れると踊りを踊りだすし、嬉しいと拍手をすることだってある。泣くということだけに執着し癇癪ばかりに囚われすぎていたのではないだろうか。もしかしたらうちの子もドラマティックなだけなのかもしれない。

そう思うようになってから、私は息子がなかなか泣き止まない時には「今日もドラマティックですね!」と言いながら聖母の眼差しで見つめるようになった。ただ感情表現が豊かになっているだけ。息子に癇癪のレッテルを貼ってため息を漏らしていた時に比べると随分と心に余裕が持てるような気がしてきた。

ある日の夜、お馴染みの息子のドラマティックが始まったので「今日もドラマティックが始まりましたね!!」と言いながら泣いて転がる息子に駆け寄り息子を宥めた。大声で泣く息子の泣き声は狭い部屋を反響しただでさえうるさいのにいつも以上にうるさく感じられた。皆団欒もしくは早ければもう寝床に着く者もいる時間の大泣きはいつも以上に隣近所を意識し「泣きやめ」の言葉が心を埋め尽くし、イライラが募っていった。そんな中で私はまたあることに気がついたのであった。「これはドラマティックって言える状況か?」子供の成長をドラマティックと表現した英会話講師の心の豊かさと寛大さに感心をしたのだが、たぶんこれは心の問題だけではなくカナダ在住である彼の家が広いという物理的な側面も十分関係しているのではなだろうか。

「子育てに大切なのは心の広さと家の広さ」

子育て同様上手くいかない俳句を唱え、泣き続ける息子の背中をさすり続けた。