3コール以内で電話にでてください。

わたしは普段、歯医者で歯科衛生士として働いている。


社員はわたしの他に、30歳年上の歯科衛生士の先輩と前期高齢者の医院長のみという大変人手不足かつ、高齢化の進んだ歯医者で10年間働いている。

人手不足の環境故に、うちの職場では歯科衛生士業務以外の歯科医院の運営に必要なこと(例えば、掃除、洗濯、電話対応、受付、患者管理、器具滅菌、日計等)をわたしと先輩の2名でこなしている。正直、大変忙しい環境なのだ。

ここまで読むと誰か雇わないのか?と心配してくれる心優しいお方もいるでしょう。わたしだって大変だから誰か入れてよと初期の頃はそう思っていた。

しかしそんな想いは届かず、この10年のあいだ一度も後輩ができたことはなかった。おそらく今後もその予定はない。つまり、この職場環境では生涯下っ端&若手というポジションでせっせと働いて終わることが予測されるのである。

さらにこの職場は業務が多いだけではなく、他の歯医者ではないであろう、当院独自の細かいルールがいくつかあり、最初の頃はかなり戸惑った。

まず、独自ルールとして、基本的に診療室内でのスタッフ間の会話は禁止されている。喋っちゃダメ。用事があっても声をかけてはいけないのだ。
じゃあ用事があるときはどうするかというと、
筆談かジェスチャーでやりすごさなければいけない。

何故診療室内で話してはいけないかは、それなりに理念があって決まっていることなのだが、急いでいるときに筆談をしないといけないのは、なかなかもどかしいものである。なのでジェスチャーでいける時はその方が早いのでジェスチャーか口パクで思いを伝えるようにしている。
相手が診療中でも、当院では声を出して呼びかけてはいけないので、
用事があるときは肩を軽くトントンと叩き、先輩ないし医院長が振り向いたタイミングで手はアロハポーズ!そして耳に近づける。これで「電話です!」が伝わる。

人が集中しているときのトントンは結構イラッとするものである。
ちっ、なんだよ。と、振り向けば電話ですのジェスチャー。振り向けば耳もとでアロハポーズが待っているのだ。いいんですいいんです。これが当院の正解。
さらにわたしは相手の心情を考え、場を和ませるために耳元でアロハポーズをとった際は、首を少し傾け、顎を引き、そして気持ち目を大きく開いて頷くようにしている。
そういう一手間、大事だと思ってますから。

次に独自ルールというわけではないが、物音を立ててはいけないというルールがある。物を落とすのはもってのほか。初期の頃は歩くときの足音がうるさいとこっぴどく叱られた。勿論走るなんて論外。
わたしはそこそこ従順なもんですから、注意を受ければ気をつけますねと素直に従うタイプである。なので足音がならないよう訓練した。
直向きな自主訓練から、足音がしないコツを見つけた。かかとから踏み込んで徐々につま先をつける。そうすることで床に足をつけた際の接触音は軽減され音がならない。この歩き方を10年間続けている現在のわたしはゾルディック家顔負けの足音となった。

さらに、電話は3コール以内ででるという決まりもある。また通常の声よりオクターブあげて電話にでなければならない。

電話がかかってきた場合、わたしか先輩が電話に出るのだが、
2人とも患者さんのスケーリング(歯石とり)をしている場合は誰がでると思います?

前期高齢者の医院長はでてくれませんよ。


では、先輩とわたしどっちがでると思います?


...どっちも電話に出ようとするんですね!


うちの職場の素晴らしいところは社員が仕事に従順、かつ真面目に取り組むところなんです。
30歳上だろうがスリーコール以内に電話に出ようとしてくれるんです。
わたしも仕事に真面目なものですから、いやいや、先輩。ここはわたしが!と言わんばかりに施術を切り上げ電話に出ようとする。
2人がユニット(治療用の椅子。)から全力で子機を取りに行く姿はまるでビーチフラッグス!

さらにもう一つお伝えしたいことがある。
当院、無駄に広いんですね!

3コール以内!電話まで遠い!でも走っちゃだめ!足音はゾルディック家!

先輩を抑えつつ、ルールを死守し、どうにか受話器までたどり着いた!
3コール以内に受話器をとる!電話にでた!よし!やったぞーーー!


と思ったあなたは失格です。


覚えていますか?


診療室で喋っちゃいけないのです。


受話器をもってさらに「裏」と呼ばれる部屋に行って電話にでないと、失格。前期高齢者の医院長に怒られるのです。

とにかく電話にでるにも細かい取り決めがあつて大変。
その苦労を一部の患者さんは薄々気づき始めているようであった。

ある日、わたしと患者さんがユニットで話をしていると電話が鳴った。
3コール以内で電話にでないといけない決まりだが、特例がある。
患者さんと話しているときは電話にでなくて良いのだ。
わたしは大きな顔をして患者さんと話していた。先輩ごめんね。わたしは絶賛特例中です。するとわたしと喋っていた患者さんが、

「電話!!でて!いいから!!はやく電話!!!」

と叫びだしたのであった。
 
全ての人に従順なわたしですから
「は、はい!」と返事をするやいなや速やかにゾルディック家歩きで競歩しながら電話まで向かい、子機をとり、裏にいってオクターブ上がった声で応対!そして速やかに診療室に戻って先輩のところへ行き、トントンと肩をたたいて例の目をちょっと大きく開いてアロハポーズをとるのである。



今回何が言いたいかというと、
わたしは結構この職場が好きなんです。