近所の肉屋の話

近所の商店街に安くて狭い肉屋がある。存在は随分前から知っていたけれど店相というのだろうか、なんとなく店から負のオーラが出ているというか、なんとなく近寄りがたく、とにかく店相が悪い。日本一安いという手書きの張り紙は大げさだし、賞味期限切れの水をサービスで配っているし、安かろう悪かろうだな。あの店はきっとそういうことだと判断し、安くて狭い肉屋を避けてきた。

私はサミットが好きで、サミットの生鮮食品には絶大の信頼を寄せている。だけどサミットは少々高いので、スマホにアプリをインストールし、店舗に置いてある広告を持ち帰りサミット情報を入念にチェックしていた。そうして安い肉の日は目を血走せながらサミットまで駆け足で向かい、少しまとめ買いして冷凍して調理していた。

ところが事件は起きた。聖地であるサミットがコロナウィルスの騒ぎと比例して人が殺到するようになった。レジは大行列を作り店内は人でギュウギュウ、なのに風通しが悪い。三つも四つも密が重なりあっているような状態に私は危機感を感じた。聖地がヤバイ。もうここにはしばらくこないようにしよう。私は大好きなサミットとしばしお別れをすることを決めた。

しかし食料は調達しなければならない。幸いサミットとお別れしても少しだけ足を伸ばせば近所に商店街があり、八百屋も魚屋もそして店相の悪い肉屋もある。小さな商店街の店々は人が殺到することもなかったため、買い物の拠点をこちらに移すことにした。

そんなこともあったため、店相が悪く近寄らなかった肉屋にも入ってみることにした。導線がコの字になっている店内に入り私は瞬足で震えた。「国産豚バラブロックが400グラムが350円だと?」驚異の安さに目が点になった。サミットならば1000円超えである国産豚バラブロック400グラムが350円。しかも美味しそうだ。是非とも角煮にしたい。ちなみにこの店は導線がコの字で極狭なので引き返すことはできない。それが意味することそれは回転寿司。つまり直感でビビットきたものは取らないと後悔する仕組みになっているのだ。

鶏肉も豚肉もひき肉もサミットよりも安い。安い安い美味しそう。ちょっと偵察で入ったのに次から次へと目に飛び込んでくる肉に感動し、トレーが私の手元で高く積み上がってしまい胸の鼓動とは裏腹に足取りは減速した。ゆっくりゆっくりほぼ1方通行の店内を歩き、コの字の終点に設置されたレジに肉の入ったトレーを積み上げた。ピッピッと軽快なリズムで会計され、その後店長と思われるレジのおじさんが速やかに袋詰めし、大きな袋を手渡され店内を出た。

自宅に帰ってから買った肉を簡単に下味をつけ冷凍作業をした。そして改めてわかった。いい肉だということを。「いい肉じゃんか...」店内で手にとった時もなかなかいい肉だとは思っていたけれど、いざラップを外しトレーから出した肉をまじまじとみると改めていい肉であった。これはいい体してるであろうと予測はしていたけれど脱いだら想像以上だったラッキーboyの気持ちと多分同じだろう。そんなことをふと思いながら私はいい肉に菊正宗を振った。

 それからというもの私は週末になると自転車を飛ばして店相の悪い肉屋に出かけるようになった。常に驚異の安さ豚バラブロックは350円で売られており、週末角煮ばかり作っていたら、夫から次の角煮は半年先にして欲しいとやんわりクレームが入ったため、角煮ではなく豚バラ肉のカレーなどを作って楽しんでいた。店はこの安さであるからまぁまぁ人が入っていて、いつも店長と思われるレジのおじさんは忙しそうにしていた。

先週、店を訪れると珍しくお客はおらず店内はガランとしていた。いつものようにたくさんの肉を手に取ってコの字の終盤に設置されたレジに向い、いつものようにピッピと手際よくおじさんがレジをしてくれた。私はそんなおじさんを見ていたら胸が熱くなり気がついた時にはおじさんに声をかけていた。

「あの、ここのお肉は安くて美味しくて助かってます」

自分でもびっくりした。店相が悪いと毛嫌いしていた肉屋に「助かります!美味しい!」なんていう日がきたことに。

おじさんはというと、突然感謝を述べる客に驚いた様子で一瞬機敏な動きを止めた。そして

「ありがとうございます。わかってもらえて嬉しいです」

と俯きながらだけど口元には笑みを浮かべ、そうしていつものように手際よく会計済みの商品をどさどさ袋に詰め私に手渡し

「出口のところに置いてある水、何本でも持っていっていいですからね!」

と、大きな声で言い私のことを見送ってくれた。

わかってもらえて嬉しい。

おじさんもはこんなに安くて美味しいのにそれにしては人が来ない..と悩んでいたのだろうか。それとも私が店相が悪いと近づかなかったことをなんとなく感じ取っていたのだろうか。真相はわからないけど、ちょっとおじさんは嬉しそうだったのでうっかりではあったけど話しかけてみてよかったし、この店が美味しくて安いことに気がついてよかった。また来週も肉屋に来よう。

そんなことを思いながら私は出口のところに積まれた賞味期限切れの水の前を素通りした。

 

労働を考える

10年間正社員として頑張ってきた職場は育児休業あけにはパートタイマーとして復帰することが決まった。本当は正社員のまま時短勤務を希望していたのだが、職場はそれに応じることが難しく週に数回のパート勤務となった。そんな矢先コロナウィルスが世界的に大流行しまともに働くことができない環境は世の中にも広まった。

夫は在宅勤務になった。うさぎ小屋のような小さな家でうさぎのように身を寄せ合って暮らしている我が家族。そんな我が家に夫が仕事をするようなスペースはなかった。デスクと椅子が必要という夫にさてどこにそんな置き場なんてありますか?と反論する妻私。子供は掴まり立ちやハイハイに勤しむ今日この頃。なるべく物を最小限にし事故防止の環境を整えてあげたいと思っている。が、夫がしっかり仕事に取り組めないのも困ってしまう。話し合いの結果、座椅子を購入しデスクは食事用のちゃぶ台でなんとか頑張ってもらうことに。家の家具をテトリスのように移動し、ベット横のスペース2.5畳程度に座椅子とちゃぶ台を敷き詰めワークスペースを確保。こうして我が家にもなんとかワークスペースを設けることができコロナウィルスと社会に立ち向かう環境を整えることに成功した。ワークスペースがキッズスペースの4分の1くらいしかないが、漫喫みたいでいい感じである。朝のテレビでパックンがニューヨークでは在宅ワークをするスペースがないことが問題、でも皆工夫を凝らして頑張っている。と言った後に頑張っているニューヨーカーの様子をVTRと共に紹介していた。アイロン台でデスクワーク、トイレでデスクワーク、風呂場でデスクワーク。みんな工夫して頑張っているとパックンは笑顔で言っていた。うちもニューヨーカーと一緒だね。私もパックンに続いて笑顔を見せるが、夫は笑ってはいなかった。

 パートタイマーとなった私は、働くことについて考えることが増えた。別に好きでなったわけでもない歯科衛生士の仕事をこのまま続けていくべきなのだろうか。辞めてディスクユニオンで働くことを考えついた時にはすごく楽しい気持ちになり「ディスクユニオンで働くの、いいかも〜」とディスクユニオンで働く自分を想像してみた日も多いにあった。が、私は曲名や歌手名を覚えるのがすこぶる苦手である。私の好きなアーティストMndsgnは何回覚えても読み方がわからなくなり曲のタイトルは1曲も覚えていない。ヨ・ラ・テンゴは何回覚えてもヨ・コランデが邪魔をしてくるし、バーバルをバーバラだと思っていてバカにされた。そんな私に果たして店員は務まるのだろうか。「すみません、〇〇の〇〇ってどこにありますか?」「すみません、ちょっとよくわからないんで歌ってもらっていいですか?」たぶん客とこのやりとりを100万回すると思う。そんな店員を客とディスクユニオンは温かい目で見守ってくれるのだろうか。

私は音楽が好きだ。毎日音楽を聴いている。でも詳しくはないし知っていても曲名がわかならない。これまで音楽が好きだと言った相手に、これも知らないの?あれも知らないの?と言われ呆れられきた。知らないよだって曲名が覚えられないんだから。でもそもそも音楽の好きは知識の量ではかるものなのだろうか。私は私で音楽と向き合って好きだと思ってんだからほっておいてよ。と思っていたが果たしてディスクユニオンでこれは通じるのだろうか。いやあんた曲名くらいちゃんと覚えなさいよと言われて徹夜をして曲名を覚えなければいけなくなった時に、私は音楽を好きでいられるのだろうか。ディスクユニオンで働くことが嫌にならないだろうか。じゃあ今まで通り私が向き合ってきた音楽を糧に就労したときに、私は客に何が提供できるのだろう。そう考えると、私がディスクユニオンで働くことは今まで通り心の中の希望としてしまっておいた方がいいのではないか、という結論に至った。たぶん。わからないけど。

それと今回のコロナウィルスの影響を受けて、やっぱり私もきちんと収入を得られるようにしておくべきだと実感している。生活を守るためにはお金が必要で、夫の稼ぎが少なくなったときに自分も頑張って家計に貢献できる状態は作っておきたい。それにもし離婚することになったときは親権は獲得したいので、経済力がやっぱり私には必要なのである。そうなるとでディスクユニオンのバイトでは不安だし、歯科衛生の仕事で生計を立てられるよう努力することが自分にはあっているのではないだろうか。歯科衛生士は好きな仕事ではないが、私は白い歯が好きだし、歯のマンガも好きだし、そうやって落とし所を見出して、心地よい生活を維持するために労働することが私にはお似合いなのかもしれない。

 

お母さん情報

四月後半の復職に向けて我が家の生活様式は変化した。

息子は保育園が始まった。預けることに不安を感じていたものの、一度もお預けの際に泣くことはなく、それどころか自らハイハイをしながらお部屋に入っていくほどであった。先生との連絡帳のやりとりの中でも楽しそうに過ごしている様子が伺えホッとする一面もあったが、世界的な感染症が流行しているのに果たしてこのまま預けていていいのだろうかという思いは拭えきれなかった。が、〇〇くんお母さん情報によるとコロナウィルス騒動で5月までの職場復帰を6月まで延長することが可能になったとの旨を聞き、役所に問い合わせをするとこに。その結果育児休暇を延長すればそれが可能とのことだったので、速やかに職場に連絡をして育休延長をお願いした。息子は5月末まで保育園を休園し、自宅で見れることとなった。

〇〇くんお母さん情報がなければ、私は抱える不安を見ないふりしてお預けすることを続けていたので、ちょっとでも不安があれば役所に問い合わせるべしと学んだ。

あとお母さんネットワークっていうのはすごい。〇〇ちゃんお母さんに「あの角の店、ベビー用品が100円でしたよ!」と教えてもらい行ってみることに。まず店内が三密でないことを確認して入店。入って奥の棚のカゴに1000〜2000円くらいしそうなおもちゃやらスタイやらタッチ転倒防止の背負わせるハチなどが100円で売っており蚊の鳴くような声で「おっしゃー」と言い物色。息子用のおもちゃとよだれかけを購入しレジに持っていくと「200円です。あとこれ、手作りのマスクなんですけど...よかったらどうぞ!」とたった200円の買い物に今入手困難であるマスクを今高嶺の花であるマスクを付けてくれたのであります。お母さんは驚きました。腹の底から「いいんですか???」と言ってマスクの下で満面の笑みを覗かせました。

満足げに店を出た後、子供のお迎えギリギリであることに気づいて猛スピードで走っていると〇〇くんお母さんと遭遇。「え?さとみこんこんお母さん、もしかしてあの角に住んでんですか?」「いや違いますよ、あそこに店があってベビー用品とか100円で売ってて、えっとこのおもちゃとこのスタイも100円で、しかもですよ?手作りのマスクまで付けてくれるんですよ!!」「えー私も行きます!」「是非是非!あの角にありますから」

翌日「〇〇くんお母さんおはようございます」「あ!さとみこんこんお母さんおはようございます、あの、昨日行ってきました」「あー!行きましたか、わかりましたか?100円のコーナー」「わかりましたわかりました、あの店他にも色々ベビー用品あるじゃないですか?あれもいいこれもいいで結局8000円くらい買ってて...」「え?やばくないですか」「やばいですよねちょっと寄って8000円って...」「マスクもらいました?」「もらいましたもらいました!しかもなんかあそこの店員さん意外じゃなかったですか。その...」「あ、なんか筋肉質のおじさんですよね」「そうなんですそうなんです!ベビー用品店なのに筋肉質のおじさん(笑)」

 

役所とお母さん情報は重要であります。

茂みの中から

小学生の頃とても仲の良い友人がいて、その友人とは1年生の頃から毎日一緒に帰り、学校が終わってからも一緒に遊んでいた。二人で遊ぶことが楽しく、喧嘩もよくしたが毎日毎日飽きることなく遊んでいた。

ある日、いつものように二人で帰ろうとすると「一緒に帰りたい」と1人の女の子が声をかけてきた。その子はよくいじけるしよく泣くし、たぶんクラスの大半がそういう認識をしていたと思う。「いいよ」と言って我々はその子を迎え入れたが、正直いうと二人で帰っている方が楽しいのにと思って帰った。

それから翌日も翌々日も、その子は「一緒に帰ろう」と言ってきたので「いいよ」と言って迎え入れた。

その子の「一緒に帰ろう」が定番化していった頃、私が言ったのか友人が言ったのか忘れたが「二人で帰ってる方が面白くないか」という話になった。「声がかかる前に、今日は走って帰ろう」ふつふつとこみ上げた気持ちが相手と同じであったことがわかり、二人は顔を見合わせ頷いた。

学校終了後、二人は猛ダッシュをして下校した。血相を変え徒競走をする我々をよくいじけてしまうその子が発見し「なんで走って帰るの?」と叫びながら追ってきた。猛ダッシュしながらその子が付いてくることを確認すると、近くの茂みに隠れた。見つからないようにそおっと茂みの中からのぞいて見えたのは、よくいじけるその子が泣きじゃくりながら我々を探す姿であった。かわいそうだなという気持ちを感じながらも、今まで楽しく帰っていた下校時間を気を使いながら帰るのも嫌だしなという思いに苛まれ、泣きながら走っていくその子を茂みの中からジッと見つめていた。

それからよくいじけてしまうその子と帰ることはなくなった。私たちはお望み通り二人で帰ることができるようになり、小学校を卒業し、別々の高校に進学するまでほぼ毎日一緒に帰った。その子はというとなかなか友人と馴染むことができず、中学校の途中から不登校になってしまった。

 

それからしばらく経って私は結婚し、子供ができ母となった。毎日のように共に下校していた友人は私よりも随分前に結婚し、もうすぐ小学校を迎える子と幼稚園に通う子を持つ二児の母である。自宅に距離があり頻繁に会うことはできないが、お互いの誕生日にはおめでとうのLINEを、お正月には家族の顔の写った年賀状を送り、そして近況を話しあうために年に数回お茶を飲みに友人宅に遊びに行っている。

 

先日実家の帰省に合わせ友人と会うことになった。子供が幼稚園に行っている間にお茶を飲むことになり、午前中にまだ小さい我が子と一緒に友人を訪ねた。

ケラケラと笑いながら近況を話し、時々思い出話を交わした。その延長で、私は心の隅にずっと残っているあの日の出来事を友人に話した。私はまだ悩んでいるのだ、あの時のことを。あの時、泣きじゃくりながら我々を探すあの子に対してどうすれば良かったのか。そして私の側でアンパンマンのおもちゃに夢中で噛り付いている我が子に同じような出来事があった時に、親としてなんと言えばいいのかわからないでいるのだ。

「そんなことあったっけ?性格悪いね」そう言いながら笑う友人に私は話を続けた。もし自分の子が同じような出来事があった時に、なんて言ってあげる?と。

「うちの子は私と違って優しいし、仲間に入れてあげると思うんだよね」そう言って友人は優しい顔をして目を細めた。

わかる。優しい子なのはわかるけど、優しい我が子が自分の感情を押し潰して友人と遊んでいるのは、それで幸せなのだろうか?

大人になっても私にはそれができず、好意的な相手には尻尾をふった犬みたいに近づいていくけれど、一緒にいて居心地の悪い思いをすると未だに徒競走をして茂みに隠れているのだ。もちろん人には良い面も悪い面もあることは承知で、それでも心を許すことができないと判断すれば茂みに隠れるようにしているのだ。そんな親にみんなと仲良くなんて子供に言えるわけもなく、だからと言って嫌な相手は茂みに隠れろなんて言うつもりもない。

「そっか」微笑む友人に思いの丈をぶつけることはせず、私は話を終わらせてしまった。

 

私は未だに泣きながら走っていくその子を茂みの中からジッと見つめたままである。

 

日常

家、ついていってイイですか?の取材が来たときにワイプのおぎやはぎの矢作が「部屋きれいにしてるなぁ」と言ってくれるくらいの部屋を維持するよう努めている。家、ついていってイイですか?を見ている限り、多分矢作はうちの部屋を綺麗だと言ってくれると思う。そのために毎日掃除機をかけ、1日2回は絨毯をコロコロし、2日に1回は床拭きをする。我が家はおぎやはぎの矢作によって部屋の秩序が保たれている。

 

数ヶ月前に吉本ばななを初めて読んだ。実家で暮らしていた頃、姉の部屋に吉本ばななのキッチンが漫画と一緒に並んでいたことがずっと気になっていたのになんとなく手に取らずに10年以上が経過したのだが、先日僕のマリさんのブログに吉本ばななのキッチンのあとがきのことが書いてあって、今度こそ私も吉本ばななを読もうと思った。それからしばらくして実家に帰省したので元姉の部屋に置き去りのキッチンを自宅に持ち帰った。僕のマリさんが吉本ばななのあとがきを読んでお守りのような言葉に出会えて幸せだと綴っていたことが羨ましかったので、薄くてすぐに読めてしまいそうなキッチンを1日5ページくらいかけてじっくり読んだ。 私にもお守りのような言葉が見つかってほしかった。

林真理子のなんという小説か忘れてしまったけど映画館の映画とセックスは似ているという文があって、映画館は行かなければなんてことないけど1度行き出すとまた映画館に行きたくなってしまう。セックスもしなければなんてことないけどしだすとまたしたくなるというような文を若かりし頃に読んでほぉ。と思ったのだが、それくらいしか小説で覚えている文章がないのだ。このままでは私のお守りの言葉は映画館の映画と云々になんてしまうのではないだろうか。もうちょっと違う文章がいい。私に寄り添ってくれるような優しい文章が見つかるといいなぁ。そう思っていたらキッチンの中に今の私にしっくりくる良い文章があり嬉しくなった。きっと、ふとしたときに思い出してこの文章に励まされると思う。よかった。このまま忘れずに私の中に残ると良いなぁ。映画館の映画と云々だけじゃなくて..

 

角煮が好きなんだけど、うちの母が肉の脂身が嫌いだったので実家の食卓に角煮が並んだことが一度もなかった。なので我が家の食卓では角煮をたくさん登場させたいと思っている。私は鶏皮とかカルビとか、トンカツやステーキの端っことか脂っこい肉が好きで、その中でも角煮とかラフテーみたいな煮込んだ豚の脂身が大好きだ。去年のクリスマスプレゼントに圧力鍋を買ってもらい今年に入って念願の角煮作りに2回挑戦した。私の作り方は圧力鍋で下ゆでした後にタレと一緒に再度圧力をかける作り方なんだけど、肉を焼いて圧力をかける作り方もあってどの調理方法が良いか研究中である。角煮について語り合える仲間がほしいなぁ。そういえばmixiのコミニュティーに角煮とかあるんじゃないだろうか。わたしは久しぶりにmixiを覗いてみることにした。するとmixiに角煮のコミニュティーが、あった。「美味しい角煮の作り方教えてください!」の書き込みに78もの投稿がされていた。まだじっくり読めていないのだが、サイダーをいれるなどの驚きのレシピなどもあり、ますます角煮作りが楽しみになってきた。いまさらmixiの角煮コミニュティーに参加し、2013年以降誰も書き込みされない角煮コミニュティーを盛り上げていきたい、そう思う。

 

 

心はディスクユニオンのバイトで支えられている

多分厄年の影響で、昨年に引き続きわたしの人生は何かと理想から脱線してしまう。

4月からは息子は保育園、私は仕事を復帰することになっているのだが10年以上正社員として働いていた職場から正社員として迎えられず、パートとして復帰をすることを求められた。

時短勤務を希望して産休に入ったので時短勤務で復帰できるもんだと思っていたのだが、私の産休中にクリニックに色々なことがあったこともあり、もう正規雇用できないということになったようである。でもそもそも30年も続く歯科医院なのに育休取得者は私が初、育休が明けて正社員で働いた人の実績もないので復帰後はパートで働いてもらおうと雇用側は考えていたのだと思う。

そんなことありまっかと思い、同じ境遇の人を見つけてひとりじゃないよと自分自身を励ますために発言小町などを覗いてみたところ、中小企業や個人経営あるあるの出来事らしく同じ境遇の人は多くいるようであった。そういえば産休が取れず退社をした友達も実際にいて、業界的に産休も育休もまともに取得できないのである。男性の育児休暇も良いがこっちもなんとかしてもらいたい。

労働基準法で時短勤務を申請する権利が私にあることは知っている。でも仮に声を大にして訴えて取得したとしても、職場の風当たりは冷たいものになるであろう。子供が熱を出して迎えに行くことになったときに仕事のしわ寄せがくるのは他のスタッフ。気持ちよく仕事をお願いできる環境を作るためには周囲の理解も必要なのでなるべく穏便に仕事に復帰したい。転職も考えたが、上記の理由もあるのでなるべくコミニュケーションの取れた環境でしばらくは働くことを決めた。

役所にも相談をし、なるべく自分と家族にとって都合の良い働きかたになるようにやっていきたい。別にもう半分クビみたいなものだから他のバイトをしても良いかと思う。ディスクユニオンで働くのはどうだろうか。良い。ディスクユニオン

私の通っていた御茶ノ水の歯科衛生士学校の隣がディスクユニオンで、試験勉強に嫌気がさすと私はディスクユニオンに気晴らしに行っていた。目ぼしい中古アルバムを探したり、知らない曲をぼんやり視聴したりする時間が好きだった。もし国家試験に落ちてしまったら歯科衛生士は諦めて御茶ノ水ディスクユニオンで働こう。そう思うとすごく気が楽になったし、落ちても良いなって思った。

そんなことを思い出しながら、私は早速インターネットでディスクユニオンの求人情報を調べた。主婦歓迎。ディスクユニオンは私を歓迎していた。私は速やかにディスクユニオンで働く主婦のブログを探した。ディスクユニオンで働く主婦のブログは見つからなかった。では私が書こう。

「お前の母ちゃんディスクユニオンで働いてるの?」息子は友人にそう言われるだろう。母親がディスクユニオンで働いている。母親はディスクユニオン。良い。すごく良いディスクユニオン。歯科衛生士辞めても良いかも。

そう思うとすごく気が楽になった。

 

 

 

愛おしい日々

実家からイチゴをもらうと決まって翌日の朝はイチゴパンを作る。作り方は簡単でこんがり焼いた食パンに生クリームをたっぷり絞って、その上にもらったイチゴを細かく刻みパンが見えなくなるほど乗っけて食べる。イチゴはこうやって食べるのが一番好きだ。だいたいパンの上からイチゴが一つか二つダイブして床に転がってしまい、床からイチゴを拾って食べる羽目になるけれど、イチゴを山盛りにしてかぶりついたときに幸せを感じているのでお行儀は悪いがこれで良しとしている。

 

息子が4月から保育園に通うことが決まり、産休もあとわずかとなってしまった。今までは息子が昼寝をしている間にあれこれやりたいことをこなすようにしていたけれど、もう一緒のお布団で昼寝をすることも貴重な時間になってしまうんだと思うとそんな時間も愛おしく思ってしまい息子と一緒にスヤスヤ眠る日が増えたのだが、もう昼下がりにおやつを食べながらダラダラブログを書く時間もなくなってしまうのかと思うと、そんな時間も愛おしく思ってしまい息子がスヤスヤ眠る布団に入ってこのブログを書いている。わたしは基本欲張りなのであれもこれもやりたいのだ。さすがにおやつは布団には持ち込んでいない。

 

息子の保育園が決まり、少なくともこの街にあと5年はいることが決定した。本当は家賃相場も高いし今よりもっと郊外に引っ越そうかとも思っていたのだけど、せっかく保育園も決まったし、何かと便利だし、スーパーのおばさんも郵便局のおばさんもその辺のおじさんも気さくな人が多くて良い街だと思っていたので、予定は崩れたけどもうしばらくこの街にいなよと言われたようでなんだか嬉しい。頑張って働こうと思う。

今住んでいる家は居心地は良いけど狭いし小さい子供がいると不便な点も結構あるので引っ越しを検討している。内見もいくつかしているけどなかなか良い物件が見つからない。このまえ内見した物件は少し狭いけど築浅で追い焚きもできるし宅配ボックスもあるしオートロックもあるのにセコムまで入っていて日当たり良好で良いなーって思ったのに、玄関を出てすぐの壁に まんこ って落書きしてあるのを見つけてしまい思わず まんこ と呟いてしまった。壁のすす汚れに指でなぞって書かれたまんこ。前住んでいた人の仕業なのか、それとも隣人の仕業なのか....セコムまで入っているのにまんこの落書きがされていることにわたしはショックを受けた。夫に小さい声で落書きを指摘したところ「ポストがある共用部分のゴミ箱のところも見た?」と言われ部屋の内見の後、夫と速やかにポストのもとへ向かうと「このゴミ箱に家庭の生ゴミを捨てないでください!!臭いです!!管理人」と手書きで書かれた張り紙がされていた。わたしは驚いた。書かれた張り紙から管理人は元ギャルであることが読み取れるからである。管理人の字が今は珍しいギャル文字であった。

管理人もやばそうだけど共用部分に生ゴミを捨てる隣人の方がやばいだろと夫から指摘を受け、我々はエレベーター付きウォシュレット付きオートロックありでセコムまで入っているのに共用スペースには生ゴミ壁にはまんこの落書き管理人はギャル紹介者は中国人の物件を後にした。

 わたしの物件探しは続く。