朝の好きなおかずは目玉焼きです。

わたしは最近、朝飲みというものを初体験した。


この日のメンバーは私の友人メガネ先輩。メガネ先輩のお知り合いの監督。そしてわたしの3名だった。

メガネ先輩は友人であり飲み友達でもある。特にお互い、コの字の酒場に深い関心があるためよく一緒に調査に出かける仲なのだ。

メガネ先輩のお知り合いの監督は、立石を知り尽くした男といっても過言ではない、言わば立石のプロ、立石マスター、プロフェッショナル立石。
簡単に言うと、よく立石で朝から飲んでいるおじさんなのだが、今度の土曜日も朝飲みに出かけるというので、興味を持ったメガネ先輩が便乗。そしてさらにわたしも便乗。という経緯からこの日の朝飲みの会が発足されたのであった。

この日の朝は早かった。
8時45分立石集合。立石駅改札から出て右の列に並べ!というミッションが課せられ、わたしは懸命に立石へと向かっていた。
しかし、途中電車の乗り間違いを2度もしてしまい、さらに焦りと緊張のせいか腹を下してトイレに立ち寄った結果、結局30分も遅刻するという大失態を犯してしまったのだった。


「あー来た来た!おーい!」

遅れたわたしを優しく迎えてくれる仲間。もちろん、メガネ先輩も監督も時間通りに来ていた。
おそらくメガネ先輩は内心キレていたと思うが、わたしに甘いメガネ先輩は何故今日8時45分にこだわっていたのか、30分も遅刻をしている私に説明をしてくれた。

今回朝飲みの舞台となる『宇ち多゛』は創業昭和21年。70年も続くもつ焼きの名店だ。その美味しさから土曜日は開店の10時から始まって13時頃には売り切れのため閉店するという大人気店なのだ。
さらに開店と同時になくなるレアなメニューもあるので、開店と同時に入りたい!という熱心なファンも多く、8時くらいから列ができるのだとか。また後から来た人が待ち合わせということで入り込むことはできないシステムらしく、その場合は全員後ろから並びなおさないといけないらしい。
そして9時頃になると席ぎめを客の間で話し合われ、座りたい席によって並び方が変わるのだ。単純に一列に並べばいいわけではなく、自分の席にスムーズに座れるよう、計算して並ばなければならない。
また注文も店内には「もつ焼き」としかメニューには書いていないので、どの部位を、なんの味で、どのくらいの焼き加減でをスラスラと言えないとダメらしい。例)シロたれよく焼き

とにかく細かいルールが沢山あるため、
初見にはなかなかハードルの高い店だということを説明してくれた。
細かいルールのお陰で、宇ち多゛攻略法の記事がネットにあるくらいなのだ。

それなのに30分も遅刻したわたしをこいつは見逃してやっておくれよと、立石マスターa.k.a監督が交渉してくれ、監督が言うなら...という感じでなんとか宇ち多゛入が認められた次第であった。すみませんねみなさん。

しかし、今日は3人のはずだと思っていたのだが、輪の中には他におじさんが2名おり、ニコニコしながら話の一部始終を聞いていた。

はて?というわたしの顔を察してくれたのか、おじさん2人が自己紹介をしてくれたのだが、宇ち多゛システムもよく理解できずにパニックになっていたわたしは2人の名前を瞬時に忘れてしまったのであった。

しかし、そのうちの1人のおじさんはちょっと一味違う雰囲気でその時は名前を覚えられなかったのだが、なんか気になるおじさんということで注目をしていた。
その訳は、渋谷直角氏の漫画「デザイナー渋井直人の休日」にでてくるおじさんがそのまま現れたような人だったからだ。
上質なダッフルコート、ほどよく細めのパンツ、足元は手入れをされたコンバース、白髪の髪にはお洒落な水兵帽。そして素敵なメガネをかけていた。

わたしは渋谷直角氏の観察力を尊敬した。
業界臭漂うおじさん=上質なダッフルコートは方程式として覚えて良いということを実感したのだった。

客同士の場所決めが決まると、近くであれば列から離れて出かけても良い。との決まりがあるようで、上質なダッフルおじさんは「僕はコーヒーを買いにいってきます。」と優雅に列を離れていった。

我々が列を作っている場所は、立石のアーケードの中であった。このアーケードがまた昭和の雰囲気が漂い、良い味を醸し出している。
アーケード内にある宇ち多゛の隣のお惣菜屋のおじさんは、朝からせっせと蒟蒻に隠し包丁を入れていた。
アーケード内を掃除するおじさんは、カラフルな地面を入念に清掃し、店の入り口のステップを持ち上げその下まで掃除をしていた。丁寧に仕事に打ち込むその姿に心が打たれた。
一方、早朝から列をつくる暇なおじさんたちは、まだかまだかと目を輝かせて待っていたのだった。
働くおじさん。休暇のおじさん。どっちのおじさんの姿もなんかいい。立石はいい町だと思った。

コーヒーを買いに行ったダッフルおじさんが戻ってきた頃、宇ち多゛の開店まであと10分となった。
すると今まで無音だったアーケード内に、スーパーのBGMのような躍動感ある音楽が鳴り始めたのだった。妙な音楽にテンションが上がる。

そしてここからさらにつっこんだ席決めが始まった。座る場所が決まったテーブルのどの位置に座るのかという会議になり、

「君たちは端の席が良いので、あなたが列の先頭に行きなさい。」

と、ダッフルおじさんから指示を受けた。

「そのあとは監督が行って!」

わたしの次に並ぶのは監督と決まった。ダッフルおじさんはコーヒーを持って帰ってきたと思ったらテキパキと仕切りを始めたのだった。

「僕はメガネちゃんと後から行くから。」

この決め事の詳細は謎だが、ダッフルおじさんはわたしよりメガネ先輩がお気に入りというのはわかった。

「あ!大将がトイレに行った!」

立石アーケード内の店舗には店内にトイレがないため、トイレに行く場合はアーケード内にある公衆便所に行く必要がある。
 
大将がトイレに行ったら、間も無く宇ち多゛オープンのサインらしい。

トボトボと歩く大将の後ろ姿が見えなくなった次の瞬間、

ガチャーンと小さな扉2つが一斉に開いた。

「入れーーー!!!!!」

なんだかよくわからないまま、先頭のわたしは後ろから押し込まれるようにして店へと入り、めちゃめちゃ狭い席の1番端席へと座った。その横に監督、そしておじさん、おじさん、おじさん!
長細い木の机の向かい側にはメガネ先輩、そしてその横にダッフルおじさん、そしておじさん、おじさん、おじさん。

座席について今までの説明の意味がやっとわかった。

基本的に宇ち多゛には長細い机しかないのだ。
そこを家族のようにみんなで囲んで飲み食いするというような形だった。わたしの席は約10名のパーティーを組んで座ったという訳である。

トイレに立つには一度全員に立ってもらわないとならないほど座席は狭く、狭すぎてコートも脱ぐことができなかった。
着席するや否や、店員さんが一升瓶を持って各テーブルを周り、座席にあらかじめ用意されているコップに焼酎をなみなみと注いでくれた。なみなみと注がれた焼酎はそのままコップの受け皿にしたたり落ち、そして仕上げに梅のシロップがほんのり注がれる。これが宇ち多゛で人気な飲み物「梅割り」なのだ。

食べ物もじゃんじゃん運ばれてくる。どうやら並んでいる時に注文の受付が始まっていたようで、監督やダッフルおじさんが注文しておいてくれたオススメメニューが机に並べられた。
その中でもタン刺がめちゃめちゃ美味しかった。宇ち多゛のタン刺しはローストビーフより美味しい!これはわたしの感想である。

周りのおじさんたちは好みの焼き物をスラスラとスピーディに注文していた。その姿は呪文を唱えているようでなんだかかっこよかった。

メガネ先輩とわたしの宇ち多゛初心者組は結局難易度が高くて注文できなかったのだが、おじさんたちから、これもどうぞあれもどうぞと回ってくる食べ物を食べてどれも美味い!と喜んでいた。しかもこのお店の料理は全て1皿200円という驚きの値段設定なのだ。

食べてる途中にも関わらず、また来よう、絶対来ようと次の来店を考えてしまう。
宇ち多゛はそんな素晴らしい店であった。

最初は皆、美味い美味いとだけ呟いてほぼ会話をせずにいたのだが、そこそこお腹が一杯になってくると話が弾むようになった。
あの人はお寿司屋さんでこれからランチ営業があるんだよとか、からしは持ち込んでもいいけど、もつ焼きに直接つけて皿は汚さないようにするんだよとか、南千住もイケてるよねとか...

そんなゆるい世間話で盛り上がる中、
急にダッフルおじさんが最近ハマっているドラマの話をしだした。

仲里依紗が出ているドラマを楽しみに見ていて、あのドラマはすごい!という話であった。
あーそうなんですかー!
見てないなーと心の中で思いながら話を聞いていると、
「ここまで最近のドラマはやるのかってほどすっごいんだよね。仲里依紗の夫が浮気する話なんだけどね。その浮気相手がいいだよー。足開いて××××××シーンがもう最高で!それを朝起きてから見て、×××××してからじゃない活動できないんだよね。」
もつ焼きの注文と同じくらいに突然スラスラと卑猥な話をするダッフルおじさんの表情は良い笑顔であった。
10人でゆるやかに囲んでいた朝食の時間。
ダッフルおじさんは突然、朝の好きなおかずの話を語り出したのであった。
しかもダッフルおじさんと目があってしまった。どうしよう。。わたしは下ネタが苦手なのだ。
どうしよう。。わたしは目玉焼きが好きですとか言ってみようか。。

幸いなことに、ダッフルおじさんを除く9人の誰も口を開かなかったので、わたしも黙っていることにした。そのかわりニコニコと笑顔だけは絶やさないよう努めた。

するとダッフルおじさん。今度は
「奥さんが隣に座っていても横の女性を口説いてしまって怒られる。」という話になった。
ダッフルおじさん、この話題ならいけるかも!というこで、はいはいと相槌を打つわたしと裏腹に「最低だ。」とメガネ先輩は小さい声で呟いていた。

「だから奥さんに言われるだよね。頼むから既婚者と彼氏がいる子を口説かないでって。」
はいはい。と聞くわたしの前で、「当たり前だよ。」とメガネ先輩が小さい声で呟いた。

ここでわたしはあることに気づいた。奥さんの懐の広さに!
「でも奥さん優しいですよ!だってフリーの子は口説いてもいいってことですもんね!」
今度は自分の意見を発言できたぞ!と喜ぶわたしの一方で「その考え最低だな。」とメガネ先輩は普通の声で私に言った。

「それはしない。僕、人のものじゃないと燃えないから。」
そうきたか。と思うわたしの横でメガネ先輩はもう何も言わなかった。

ノリノリで話をするダッフルおじさんの勢いは止まらない様子だった。
周りのおじさんは気まずいからか聞こえないフリをしているようだった。
しかし宇ち多゛の店員が現れて、喋ってばかりいないで早く飲んでくださいよ!とダッフルおじさんの勢いを阻止し始めたのだった。
 
ダッフルおじさんは、はーい。とニコニコしながら残っているお酒を飲み始めた。

開店から1時間が経つ頃、「ではそろそろ。」と移動の準備が始まった。立石のマナーとして1つの店に長居をしないというのが暗黙のルールであるようであった。特に宇ち多゛のような人気店は、外で待っている人への配慮からもそうしているようであった。非常に粋な飲み方である。

一緒に入った10人はほぼ同じタイミングで店を後にした。
だけどみんなその後は各々好きな店へとてんでばらばらに消えて行ってしまった。それはダッフルおじさんも然り。

「僕、メガネちゃんみたいな子タイプなんだよね。」
最後はちゃんとメガネちゃんを口説いてダッフルおじさんは消えていったのだった。


我々3人は宇ち多゛の後に7件ハシゴをすることになり、立石の町には夜の10時まで入り浸ることになったのだった。
こうして思い出深い人生初の朝飲みの会は幕を閉じた。7軒目の餃子屋でわたしは生きてて良かったと連呼していたことをなんとなく覚えている。
そのくらい立石の町が楽しかったので、思わずブログに書いてしまった次第である!

しかしどうか。メガネ先輩には見つからないでいてほしい。

このブログを彼女が読んだらキレるであろう。
でもわたしに甘いメガネ先輩だから、たぶん見て見ぬふりをしてくれる気もする。

3コール以内で電話にでてください。

わたしは普段、歯医者で歯科衛生士として働いている。


社員はわたしの他に、30歳年上の歯科衛生士の先輩と前期高齢者の医院長のみという大変人手不足かつ、高齢化の進んだ歯医者で10年間働いている。

人手不足の環境故に、うちの職場では歯科衛生士業務以外の歯科医院の運営に必要なこと(例えば、掃除、洗濯、電話対応、受付、患者管理、器具滅菌、日計等)をわたしと先輩の2名でこなしている。正直、大変忙しい環境なのだ。

ここまで読むと誰か雇わないのか?と心配してくれる心優しいお方もいるでしょう。わたしだって大変だから誰か入れてよと初期の頃はそう思っていた。

しかしそんな想いは届かず、この10年のあいだ一度も後輩ができたことはなかった。おそらく今後もその予定はない。つまり、この職場環境では生涯下っ端&若手というポジションでせっせと働いて終わることが予測されるのである。

さらにこの職場は業務が多いだけではなく、他の歯医者ではないであろう、当院独自の細かいルールがいくつかあり、最初の頃はかなり戸惑った。

まず、独自ルールとして、基本的に診療室内でのスタッフ間の会話は禁止されている。喋っちゃダメ。用事があっても声をかけてはいけないのだ。
じゃあ用事があるときはどうするかというと、
筆談かジェスチャーでやりすごさなければいけない。

何故診療室内で話してはいけないかは、それなりに理念があって決まっていることなのだが、急いでいるときに筆談をしないといけないのは、なかなかもどかしいものである。なのでジェスチャーでいける時はその方が早いのでジェスチャーか口パクで思いを伝えるようにしている。
相手が診療中でも、当院では声を出して呼びかけてはいけないので、
用事があるときは肩を軽くトントンと叩き、先輩ないし医院長が振り向いたタイミングで手はアロハポーズ!そして耳に近づける。これで「電話です!」が伝わる。

人が集中しているときのトントンは結構イラッとするものである。
ちっ、なんだよ。と、振り向けば電話ですのジェスチャー。振り向けば耳もとでアロハポーズが待っているのだ。いいんですいいんです。これが当院の正解。
さらにわたしは相手の心情を考え、場を和ませるために耳元でアロハポーズをとった際は、首を少し傾け、顎を引き、そして気持ち目を大きく開いて頷くようにしている。
そういう一手間、大事だと思ってますから。

次に独自ルールというわけではないが、物音を立ててはいけないというルールがある。物を落とすのはもってのほか。初期の頃は歩くときの足音がうるさいとこっぴどく叱られた。勿論走るなんて論外。
わたしはそこそこ従順なもんですから、注意を受ければ気をつけますねと素直に従うタイプである。なので足音がならないよう訓練した。
直向きな自主訓練から、足音がしないコツを見つけた。かかとから踏み込んで徐々につま先をつける。そうすることで床に足をつけた際の接触音は軽減され音がならない。この歩き方を10年間続けている現在のわたしはゾルディック家顔負けの足音となった。

さらに、電話は3コール以内ででるという決まりもある。また通常の声よりオクターブあげて電話にでなければならない。

電話がかかってきた場合、わたしか先輩が電話に出るのだが、
2人とも患者さんのスケーリング(歯石とり)をしている場合は誰がでると思います?

前期高齢者の医院長はでてくれませんよ。


では、先輩とわたしどっちがでると思います?


...どっちも電話に出ようとするんですね!


うちの職場の素晴らしいところは社員が仕事に従順、かつ真面目に取り組むところなんです。
30歳上だろうがスリーコール以内に電話に出ようとしてくれるんです。
わたしも仕事に真面目なものですから、いやいや、先輩。ここはわたしが!と言わんばかりに施術を切り上げ電話に出ようとする。
2人がユニット(治療用の椅子。)から全力で子機を取りに行く姿はまるでビーチフラッグス!

さらにもう一つお伝えしたいことがある。
当院、無駄に広いんですね!

3コール以内!電話まで遠い!でも走っちゃだめ!足音はゾルディック家!

先輩を抑えつつ、ルールを死守し、どうにか受話器までたどり着いた!
3コール以内に受話器をとる!電話にでた!よし!やったぞーーー!


と思ったあなたは失格です。


覚えていますか?


診療室で喋っちゃいけないのです。


受話器をもってさらに「裏」と呼ばれる部屋に行って電話にでないと、失格。前期高齢者の医院長に怒られるのです。

とにかく電話にでるにも細かい取り決めがあつて大変。
その苦労を一部の患者さんは薄々気づき始めているようであった。

ある日、わたしと患者さんがユニットで話をしていると電話が鳴った。
3コール以内で電話にでないといけない決まりだが、特例がある。
患者さんと話しているときは電話にでなくて良いのだ。
わたしは大きな顔をして患者さんと話していた。先輩ごめんね。わたしは絶賛特例中です。するとわたしと喋っていた患者さんが、

「電話!!でて!いいから!!はやく電話!!!」

と叫びだしたのであった。
 
全ての人に従順なわたしですから
「は、はい!」と返事をするやいなや速やかにゾルディック家歩きで競歩しながら電話まで向かい、子機をとり、裏にいってオクターブ上がった声で応対!そして速やかに診療室に戻って先輩のところへ行き、トントンと肩をたたいて例の目をちょっと大きく開いてアロハポーズをとるのである。



今回何が言いたいかというと、
わたしは結構この職場が好きなんです。







本当はハイエナズクラブに入りたかった


「あぁ......さみしい....」



日本人のフロス使用率を上げようとするブログ『FLOSS OR DIE』を立ち上げて半年くらいが過ぎたころから私はこのような感情を抱くようになった。
この時、私のまわりにはブログを書いている人はおらず、モクモクと一人でフロスブログを書く日々を過ごしていた。仲間に相談したり活動報告をすることができず、さみしさを感じるようになった。

うさぎ年の寂しがり屋なわたしは、サロンを運営するブロガーのセミナーに5000円の参加費を払い仲間を探しに行った日もあった。そのセミナーでは2人と知り合ったが、どちらもブログはやっておらず、結局わたしは孤独だった。

そしてわたしは仲間のいない孤独のほかにもう一つの悩みを抱えるようになった。

フロス以外のことも書きたい...

フロスの情報発信を売りにしているブログなのに、フロス縛りで書いていることを窮屈に感じストレスになってしまったのだ。
もっと違ったジャンルのことも書きたいし、もっと自由に書きたい!という思いが沸々とわくようになった。

そんな悶々とした気持ちで過ごしていたある日。こんな記事を見つけたのだ。

【東京猫スポット情報】弁当を狙いに来る猫のいる公園 


たしかツイッターでたまたま見つけた記事だったのだが、公園に猫が弁当を狙いにくるよという内容の記事だった。
猫好きのわたしはこの記事を読んで、あー楽しかったという気持ちになった。

あー楽しかったという余韻を感じながらさらに記事をスクロールしていくと、

【2017】ハイエナ 春の動物パンまつり


今度は可愛い動物のパンコレクションの記事を発見した。ただ動物パンのコレクションを発表する。それだけだった。


.....。


人がこんなにフロス縛りでストレスを感じているというのに、このサイトの自由なこと。
そんなところにわたしの心は惹かれていったのだった。

そう、そのサイトが今回の主役「ハイエナズクラブ」である。

わたしはブログ運営の本を読んだり、ブロガーからの情報などを通して、
「ブログは人が困っている内容、人の役立つ情報を発信すると良い。」
ということを学んできた。

ハイエナズクラブはどうだろうか。 

「人が見向きもしないようなネット上の残飯を拾ってネタにする。」

わたしが学んできたことの真逆をこのサイトはスローガンに掲げていたのだ。

なにこのサイト?やっていけるの?

しかしこのサイトにはタダ働きにもかかわらず多くのライターが所属し、5年以上も運営が続いているようであった。 
さらに、

「あ!思い出野郎Aチームの人も所属してる。」

兼ねてからファンであった思い出野郎Aチーム。そのメンバーの1人が在籍していることが判明した。

ちょっと気になる存在『ハイエナズクラブ。』

その日わたしはハイエナズクラブをツイッターでフォローし、ハイエナズクラブの動向を見守ることにした。

ツイッターで流れてくるハイエナズクラブの情報は過去記事の紹介が多く、わたしはちょこちょこハイエナズクラブの過去記事に目を通すようになった。

そんなある日。例の如くせっせとハイエナズクラブの過去記事チェックに励んでいると、ある記事が目に止まった。

【比較検証】鳥貴族っぽい居酒屋を1日で4店ハシゴしてきた!


どんな記事かというと、ハイエナズメンバーが鳥貴族っぽい居酒屋に行って、焼き鳥とか釜飯を食べ、メンバー各々が何か言って終わる。という記事なのだが、この記事を読んで私はさらにハイエナズクラブの虜になったのだった。
何が良かったかと言うと、ブロガー仲間で焼き鳥を食べて酒を飲んでブツブツ言って記事にできるという点だった。こんな良いことはない!
文章もかけるし、お酒も飲めるし仲間もいる!

そして、
「わたしもハイエナズクラブに入って仲間と鳥貴族に行って、食べて飲んで記事が書きたい!!」
という大志を抱くようになったのだった。
孤独死寸前だったわたしに一筋の光が差し込んだ瞬間である。

さてどうやってハイエナズクラブに加入できるのだろう。
ハイエナ募集というページを見ると、ネタの募集だけでメンバーは募集していないようだった。
じゃあここにいる人たちはどうしてメンバーになったのだろう。
わたしは考えた。

思い出野郎の人がメンバーってことは...

思い出野郎Aチーム→バンド→ライブ→クラブ

全員クラブ繋がりのお仲間...?
雰囲気的に高円寺あたりのクラブだろうか。
わたしは自分を責めた。どうして若い頃にもっと高円寺のクラブに出入りしておかなかったのだろうと。
まずは高円寺のクラブに行ってみようか。でも確実にメンバーに会えるかわからないし...
高円寺のクラブでハイエナズクラブのメンバーを見つける案は一先ずボツにした。

次に、バンドをやっている友人を介して思い出野郎Aチームの人にたどり着けないだろうかと考えた。
CBSというかっこいいバンドをやってる知人に思い出野郎と接点はあるのか?と聞いてみたところ、一部のメンバーと一緒にイベントに出たことはあるよ!との返事。
しかし、とりわけ行き来をしているわけではなさそうだったので、ハイエナズクラブに入りたいから紹介してほしいという図々しいお願いはしなかった。

ハイエナズクラブ加入大作戦はこれ以上良い案が出ず、わたしは行き詰まった。

しかし。2017年の11月5日。転機が起きたのだった。
この日わたしは1人でスタジオコーストにいた。カクバリズムのライブを見るためにやってきたのである。
わたしは思い出野郎AチームやVIDEO TAPE MUSIC のライブを堪能し、1人でも来てよかった〜とウキウキとしていた。
ちょっと疲れたから休憩しようと会場外に出て、ビールを買って物販コーナに立ち寄った。そのときは在日ファンクのライブ中だったので物販にいた客はわたしだけであった。
物販コーナを物色していると、思い出野郎AチームのロングスリーブTシャツが販売されていた。
ちょうどこのくらいの薄さの長袖が欲しかったんだよね。
背中に猫の絵がプリントされている長袖を広げて、買おうかなーどうしようかなーと1人で悩んでいた、
その時だった。

「お目が高い!」


...お目が高い?物販にはわたししかいないから、わたしのこと言ってる?猫のプリントがされた長袖から目を離し、声がした左の方へと顔を向けた。

すると、ハイネケンを片手に持ったコッカースパニエルのような髪型の男がニヤニヤして立っていたのだった。


「それ、俺がデザインしたんです。」


!!!!


なんと。
声の主は、思い出野郎Aチームそしてハイエナズクラブのメンバーであるあのお方だった。


よっしゃ!当てた!引き当てた!ツイテるぞ!引き寄せの法則!!

突如目の前に現れたハピネスにわたしの胸は高鳴った。やったぞ。夢の鳥貴族まであと一歩!

だが待てさとみこんこんよ!このチャンスは逃してはいけない。慎重に、慎重にいけよ!

この男を逃してたまるかという緊張感から顔が引きつってしまうわたしをよそに、コッカースパニエルみたいな髪型の男は相変わらずニヤニヤと佇んでいた。

まずわたしは、彼に猫の長袖はSサイズがいいか、Mサイズがいいか質問をし、進められたサイズを買った。
それから記念撮影を依頼。あくまでも普通のファンを装った。
そしてお互いビールを持っていたこともあり乾杯をした。順調じゃないかさとみこんこん。
ちょっと場が和んだところで、いよいよもって、わたしは大切なあの話を男に切り出すことにした。

「あの、ハイエナズクラブに入るにはどうしたらいいんですか?」

ニヤニヤして細くなっている男の目が一瞬だけ大きくなった気がした。

そして

くっくっくっ。

と男は笑った。

会った時から変わらずニヤニヤしたその顔は何かに似ているが、何に似ているのかわからなかった。

「何かブログやってるんですか?」

「はい。フロスのブログです。」

と真剣に答えるわたしをよそに再び

くっくっくっ。

と今度は頭を下げて男は笑った。

そして、下がっていた頭をひょいと上げてわたしの目を見て男はこう言ったのだった。

「あのー。ハイエナズクラブはスカウト制なんですわ。」

スカウト制....
高円寺のクラブのお仲間ではないのか。スカウト制ってことは...ハイエナズメンバーは選ばれし者の集まり.....

この時の心境を解説しますと、
登頂まであと一歩か?というところで、コッカースパニエルに山から突き落とされて遭難。のちに孤独死
といった具合でしょうか。

放心状態になったわたしに男が、フロスのブログどれ?とポケットからiPhoneを取り出してブログを確認しようとしてくれた。

ラッキーチャンス到来!
FLOSS OR DIEですよ!と発言しようとした瞬間、

「あ、電波ないや。ごめん。今度見ますね!」

いいや、絶対見ないね。絶対見ない!と心の中で叫びつつも、ファンでもある思い出野郎さんにはそんなことも言えず、

「あ...はい。ありがとうございました。では失礼します。」

と言ってわたしはその場から立ち去った。

そしてビールを持って外に出て夜風に吹かれた。

終わった...。
人生そんな上手くいくわけないよなぁ。。
でもわたし結構ツイテたよなぁ。。スカウト制ってわかっただけでも進歩だよなぁ。。
ていうかあの顔何かに似てるなぁ。なんだろう。なんだろう。

なんだろう....


あ、ニャンちゅうだ。

その後もカクバリズムのライブは続き、どのバンドも素晴らしく、カクバリズムのライブはラストまで盛大に盛り上がったのだった。

翌日、ツイッターを見ていると

「昨日のカクバリズムで僕の服がなくなりました。この服に見覚えがある人は連絡を。」

というような内容のツイートが流れてきた。ツイートの主はニャンちゅうだった。
さらに数日後、私、服を脱いでいるところを見ました!というような内容のDMが届いたというニャンちゅうのツイートも見たが、その後の服の真相は謎である。

少々脱線してしまったが、話はもどって、カクバリズムの翌日。

わたしはニャンちゅうにFLOSS OR DIEのURLをつけてDMを送ったのだった。
なんとしてもニャンちゅうにFLOSS OR DIEを見せようとしたのだ。なんとかハイエナズクラブに加入しようという最期の賭けでもあった。
わたしは執念深い女。誰になんと言われても構わないキモい女!

全ては鳥貴族のために!!!

するとニャンちゅうから返信がきた。

「やばいっすね。フロスを偏愛しすぎている。とりあえずみんなにブログ見せたりしてみます◎」


絶対見せないね!絶対見せない!
職場の誰もいないところでわたしは叫んだ。

終わった....。
これで本当に終わった。けどしょうがないよ。やれるだけのことはやったさ。悔いはない。あっぱれだよさとみこんこん。

予想通り当日も、翌日も、さらに次の日も、ニャンちゅう及びハイエナズクラブから連絡が来ることはなかった。
3日たって連絡がこないということは、そういうことよねとわたしは潔くハイエナズクラブ加入の思いを諦めることにしたのだった。

その翌日。わたしはその日も元気にツイッターをしていた。
すると、また気になるサイトを見つけたのだった。

その名は「素人の研究社」だった。

なにこのアイコン。孔雀?

「夏休み自由研究レベルをスローガンとして、素人の知識と行動力で気になったものを記録、調査、研究し、ドカンと不定期に発表することが主な活動目的です。」

というのが活動内容のようだ。

どんなことを調べてるのかサイトを覗くと、

・家の外に置かれた水槽のメダカが生きているか死んでいるかの調査
・店番をするぬいぐるみの調査
・家のドアや階段を塞いでいる植木鉢の観察

等であった。
こんなサイトもあるんだなぁ。面白いな!

わたしは素人の研究社をツイッターでフォローした。そしてツイートをスクロールした。すると、

「素人の研究社は海外で頑張っている明るい仲間たちを探しています    経験は不問、従順な方優遇します。」

メンバーを募集していた!
日本在住だけどメンバーになれるだろうか。

わたしは素人の研究社にメンバーに入りたい旨を綴ってDMで送ってみた。

ドキドキしながら待っていると孔雀のアイコンから返信がきた!

「ありがとうございます。あなたがハイエナズクラブにもご興味とは伺っております。
素人の研究社は現在オープンですが、ハイエナズクラブを先に連絡されておられると思いますのでそちらがNGだった場合にこちらは検討させていただけますでしょうか。
僕はハイエナズクラブ主催者ですが運営関係は別の方に任せているので。」

!!!!!

や、やってしまった....。

驚きと狼狽で呼吸がしにくい。

まず驚くべきことは、ニャンちゅうがちゃんと報告してくれていたという事実。
そして...
さらに驚くべきことは今やりとりしている孔雀が憧れのハイエナズクラブの長であるという事実....

わたしの最大のミスは、ファンと公言しているにもかかわらず、ハイエナズクラブの設立者を誰だか知らなかったということ....

ばかだ...なにをやっているんだわたしは!

これじゃまるでヤリマンみたいではないか!

どうしよう...

とにかく素直に思いを伝えよう。

わたしはまさかニャンちゅうが報告してくれたと思わなかったということ、3日間連絡が来なかったからハイエナズクラブ加入は諦めていたこと、今非常に気まづい気持ちでいること、けれども気合いは入っています!
ということを返信した。 

すると数時間後。

「わかりました。それだけ気合が入っているなら問題ないでしょう。素人の研究社でよければ仲間になってください。」

ヤッターーーー!!

わたしは返信を見るや否や両手を上げて飛び跳ねた!

嬉しい。すごく嬉しい。

せっかく入れてもらえたのだから頑張ろう!

ハイエナズクラブには入らなかったけど...素人の研究社でがんばって、そしてみんなで鳥貴族に行こう!

やる気で満ちたわたしに、孔雀の社長からの返信が届いた。

「僕はアメリカに住んでいて時差が14時間あるので、変な時間に返信をすることもあるかもしれませんがご了承ください。」


!!!!


あ、アメリカ.....

社長、鳥貴族は?


こうして本当はハイエナズクラブに入りたかったわたしは今現在、素人の研究社というブラック企業で働いている。
朝から晩までの隙間時間の中で、現場に出向いての調査、そして執筆活動に追われる毎日である。
調査に夢中になりすぎて気づいたら港にいた日もあった。夢の中で調査に励むこともあった。道路を歩くと何か面白いものないかなと挙動不審になりながら毎日歩くようになった。
軽いノイローゼになりつつも、せっせと今日も調査に励む毎日である。

過酷な労働環境のおかげでプライベートはほぼ記事作成のために費やす形になってしまったが、それでもわたしは社に入ってよかったと思っている。
その訳は孤独じゃないという点が大きい。

初めて書いた調査、「自転車の備え付けタオルに関するスタイルと考察」の記事を提出した際に、一生懸命に書いた記事が訂正されて真っ赤になって戻ってきたことがあった。
赤ペン先生かと思われるくらいに丁寧に書き込んで訂正された自分の記事を見た時に、わたしはここに入ってよかったなぁと心底思ったのであった。誰かにご指導していただける環境、次はもっとこうしようと課題を見つけることができる環境というのはありがたいものである。

ということで孤独と戦う悩めるブロガーは、是非とも、寺子屋素人の研究社においで下さい。鳥貴族に行ってくれる仲間も募集中です!


そして最後に1つ言わせていただきたい。


ニャンちゅうと呼ばせていただいた思い出野郎Aチームの増田さん。

彼が、なくなってしまった服をぬぐ瞬間を見ていたのはわたしである。




ケリーちゃんとラブホで寝た正月

わたしにはケリーちゃんというカナダ在住の友人がいる。


ケリーちゃんとの出会いは6年前の友達と行った初詣だった。

ケリーちゃんは高校の同級生の友達だ。
カナダからその同級生の家に遊びにきていたケリーちゃん。日本でのお正月を体験することを楽しみにしていたようで、初詣も一緒に行きたいと友達にくっついて来たのだった。

ケリーちゃんはチャイニーズ系カナダ人なので一見日本人に見えるが、日本語はほとんど喋れなかった。
喋れる日本語は「こんにちは」「おいしい」「ありがとう」「カワイイ」「カッコイイ」「マツジュン」くらいであった。

ケリーちゃんは松潤が大好きで、花より団子の松潤を見てから大ファンになったそうだ。
なので「マツジュン カッコイイ〜」とよく連呼していた。マツジュンみたいな日本人の彼氏を探しているのとはりきっている姿が可愛かった。

とても可愛らしくて人懐っこいケリーちゃん。わたしは英語が話せないので、ほとんど友達に通訳をしてもらって会話をしていたのだが、ケリーちゃんとの会話は楽しく、わたしはケリーちゃんのことが大好きになった。

その日はみんなでお参りをして、ちょっとおしゃべりをし、日が暮れる頃には解散となった。


その夜。

知人から突然の連絡が入った。
「明日、ヴェルディのクラブユース時代の新年会があるんだけど来れない?3人くらいで来てくれないかな?」

おっ!優良案件!?行きます行きます。

新年早々景気の良いお誘いではないか!
わたしは二つ返事で快諾し、すぐに連れて行く仲間のことを考えた。

あぁ。そういえばケリーちゃんはマツジュンを探してたよなぁ。日本の新年会もなかなか味わえないだろうし喜ぶかも!

わたしはすぐに友人に電話をし、優良案件があるぞ、マツジュンもいるかもと話をした。すると、
「ごめんー!私はもう明日予定が入っちゃってて...でもケリーが乗り気で暇してるからケリーのことだけ連れてってくれないかな?」
と申し訳なさそうに友人は言った。

いいけど....大丈夫だろうか。わたしは英語を話せないし、ケリーちゃんは日本語を話せない。それなのに参加をする某クラブチームの新年会。
でも語学力が養われていいかも!と思った私は友人のお願いに任せて。と答えた。

こうして日本のお正月の過ごし方を知りたがっている外国人ケリーちゃんと私は、某有名クラブユース時代の新年会というものに参加することになった。

まだ1人分の枠が空いていたので、可愛いギャルの後輩を誘ってみることにした。すると、
行きます。と彼女も二つ返事で快諾してくれた。埼玉出身のギャルは、フットワークが軽くて何かと便宜がいいので友達になっておくことをオススメしよう。

 新年会当日の夜。我々3人は神泉駅にいた。某クラブチーム新年会の場所は神泉駅から坂を下って、階段を降りた地下にあるラウンジを貸し切って行われていた。
店内は薄暗く、なんだかいやらしい雰囲気だった。

中に入るとだいたい20〜30名くらいの人がいて、男女比は3:2くらいであった。
参加者の女性は可愛い子ばかりで、みんなマカロンや綿あめみたいなふんわりした雰囲気の女の子ばかりであった。

中に入ってすぐ、可愛いギャルの後輩は男性からアプローチをされ我々と離れた場所へと移動していった。

あたりをキョロキョロ見回すと、マカロンみたいな女の子達の周りには男が1人ないし2、3人くっついていて盛り上がっている様子だった。

ケリーちゃんとわたしは、とりあえず座ってお酒を注文した。すると、すうっと男性が横に入って話しかけてきた。
日本人のような顔立ちのケリーちゃんは日本語で話しかけられていたので、わたしはその子はカナダ人で日本語はほぼわからないよ。と説明をした。
すると、「まだ来てないけど、これから英語がペラペラな奴がくるから紹介するよ!」と言って、男性はどこかへ消えてしまった。

英語を喋れる人がいるようでよかった。
おぼつかない英語のわたしとおしゃべりしててもケリーちゃんも楽しくないだろうし、マツジュンを見つけた時には通訳してもらわないと困るので、わたしは英語を話せる男が到着することを心待ちにした。

しばらくすると、出入り口のほうに人が集まってざわざわしだした。目を向けるとアフリカ系のハーフっぽい男が到着した様子だった。彼はEXILEのネスミスに似ていた。
ネスミスは首元のマフラーを外しながら、周囲と笑顔であいさつを交わし、座席の方へと歩いてきた。

英語が話せる男は彼に違いない、ケリーのために話しかけねば!
彼が着席したと同時にわたしは彼に近寄り、思い切って声をかけた。

「Can you speak English?」

「はっ?」

強い口調での はっ?
ネスミスのイラついたご様子が伺えた。
顔がネスミスだったので思わず英語で話しかけてしまった。
そんなわたしのミステイクで、キーパーソン・ネスミスの機嫌を損ねてしまったようだ。
Can you speak English?が癇に障ってしまったようだったが、言ってしまったことはしょうがないので、実はわたしの友達がカナダ人で日本語をあまり話せないのです。よかったらその子とお話しませんか。と今度は日本語で、おだやかに、低姿勢で説明をした。すると

「どこ?」

とネスミスはスタスタとケリーちゃんの元へと歩いていった。

そしてケリーに話しかけ、2人は流暢な英語で会話をしだした。
ペラペラと英語で話しをする2人に、みんなからの注目が集まった。
そしてネスミスの株は上がったのだった。

よかった。これでネスミスの機嫌も良くなるだろう。やれやれ。いやよかった。
変な汗をかいてしまったわたしは一人で酒を飲んだ。そしてはたと気づいた。何しにきてんだわたしは?


すると、すぅと私のとなりに人が座った。
ケリーだった。

「ねぇ。」
とわたしに声をかけた。
そして、

「わたし彼に興味ないんだけど。別にこの場で英語を話したくないんだけど。」 
と言った。(と思う。)

わたしは英語は話せないが、
彼女がイラついていることは、充分理解できた。
ネスミスの次はケリーをイラつかせてしまったのだった。
sorryとわたしは謝った。

そして彼女は続けた。

「ねぇ。ここにマツジュンはいないわ。」

彼女はNO MATSUJYUNと言っていた。
さらに続けて

「チャライ。」

これは日本語でポツリと言った。
チャライも知ってんのかと感心していたら、

「ねぇ。もう帰ろう。」

と疲れた表情でケリーは言った。
そうだね、そうだね、もう帰ろう!とケリーをなだめつつ帰ろうとしたときに、わたしは大切なことを思い出した。

後輩がいない。

連れてきた後輩が見当たらないのだ。可愛い後輩!どこ行った!
わたしがオロオロしていると、
「ねぇ。もう帰ろうよ。」
再びケリーはわたしに言った。
でも帰るにしても帰るよ。って声をかけないとと。ウェイトウェイトとケリーに言ってオロオロ後輩を探しているわたしを見て、ケリーはさらにこう言った。

「ねぇ。あなたの後輩、楽しそうだったわよ。」
ドントウォーリーとケリーは言ったのだった。

たしかに、男性と楽しそうにしている後輩の姿をわたしも数時間前に目撃していた。

楽しそうな後輩を見つけだし、その中を割って入るのも野暮だよなぁ。。と思い直したので、
後輩には引き続きよろしくやってもらうことにして、私はケリーと帰ることにした。帰るねとLINEは入れておいた。

我々はいやらしい店から出て、渋谷駅を目指して歩き始めた。

するとケリーが大きな声でOMG!と叫んだ。
どうしたの?と聞くと、

「友達宅の鍵を家に置いてきちゃった。ママやパパを起こすなんてできないわ。どうしよう。」

友達は実家暮らしだった。そして今日はその友達の帰りも遅いようだった。 
現在の時刻は夜の11:30で、ケリーが友達の家に着くにはあと1時間以上かかってしまうのだった。
するとケリーは
「ねぇ。今日一緒に泊まってくれない?」
とわたしに言った。

「この近く、ホテルがいっぱいあるみたいだし。」
ケリーちゃん、それはラブホだよと思いながら、そもそもカナダにはラブホテルの概念があるのかもわからず、説明するにもなんと英語で言おうかと思って黙っていた。

とにかくケリーちゃんを一人にするのも可愛そうなのでわたしはケリーちゃんと一緒に泊まることにした。ケリーちゃんは日本語で「ありがとう〜」と言った。

我々は疲れていたこともあって、そのへんのラブホテルに入ることにした。
女の子とラブホテルに入ることもないので妙に緊張した。ケリーちゃんはニコニコしていて、受付で鍵をもらう時も「ありがとう〜」と笑顔で受け取っていた。

部屋に向かって歩いていると、まさかの出来事が起きた。

消えた後輩が男性と手を繋いで現れたのだ。

後輩....

後輩はわたしに気づくと、
「さと姉〜〜!」 
と言って笑顔で手を振ってきた。

なにやってんだよ、先輩見てんだから隠れろよと思ったけど彼女が嬉しそうにわたしを呼んで手を振っていたので、つられてわたしも手を振り返してしまった。後輩と手を繋いだ男性は若干気まずそうにみえた。


助けてあげるべきなのか。でも喜んでたら野暮だしな。ていうか喜んでるよな。

とりあえずケリーと近くの部屋にいるから困ったら連絡するようにとLINEをした。

我々は部屋に入り、化粧を落とし各々お風呂に入り、寝る準備をした。
やれやれ、慌ただしかった1日が終わるぞ。
やや大きめのベッドにケリーちゃんと寝転がった。

だんだんと眠くなってきて目が閉じそうになったときに、ケリーちゃんがペラペラと英語で話してこっちを見てきた。
細くなってきた目をもう一度開け、なんと言ったのかわからなかったから、LINE英会話を駆使して懸命に翻訳してみた。すると

「昔女友達に誘われたことがあったのよね。」

という翻訳になってしまった。
わたしの翻訳はあってんのか?
確かめようにもどうしていいかわからないし、ケリーは真顔だし、どうしたもんかと悩んだ結果、

wow!hard memory !

と言ってみた。
ケリーちゃんはyeahと言っていた。

結局翻訳があってるのかあってないのか、なんと言ったのかわからずモヤモヤしながら寝た。

翌朝。

まず起きてLINEを確認すると、後輩からの返信は特になかった。
とりあえず後輩は無事ということにして、我々はお腹すいたよねと言って、早々にホテルから出てvironという美味しいパン屋さんでクロックムッシュとコーヒーを頼んで朝ごはんを食べた。
それからケリーのリクエストで109に行き、ケリーの爆買いに付き合い、ケリーのリクエストで昼に一蘭を食べ、まだ買い物をするというケリーを置いてわたしは埼玉へ帰った。
ずっと慣れない英語と慣れない環境で頭をフル回転で稼働していたため、疲れてヘトヘトになっていた。もう限界だ埼玉に帰してくれという心情だった。
帰り際ケリーはちょっとさみしそうだったけど、ありがとう〜とわたしに日本語でお礼を言ってくれ、ケリーとさよならをした。


それから1週間後、ケリーはカナダに帰国した。わたしは友達と一緒に成田空港までケリーを見送りに行った。
買い物のしすぎでスーツケースが日本に来た時よりも2つも増えてしまったケリー。どでかい3つのスーツケースをガラガラと器用に運び、出国ゲートで笑顔で手を振っていたケリーの様子は今でもよく覚えている。


優良案件と思われた新年会。ケリーにはマツジュンは見つけてあげることができなかったし、私はネスミスにCan you speak Englishと話したくらいしか人とコミニュケーションをとった記憶がなく、何の収穫も得られなかった新年会だったと思っていたのだが、

ケリーちゃんのことをブログで書くためにフェイスブックを振り返ってみると、ケリーちゃんとわたしが成田に向かう車の中で一緒に肩を組んで写った写真があった。そしてその写真に、「thank you for a lot of memories Kelly.」と書かれていた。短期間で随分とかぶれた自分を恥ずかしく思ったと同時に、ケリーちゃんと過ごした日々は本当に楽しい時間だったと改めて思い出したのだった。


ケリーちゃん、元気にやっているだろうか。



ちなみに後輩は元気でやっているようです。






坂本慎太郎のライブに行った話

先日坂本慎太郎のライブに行った。

わたしが坂本慎太郎氏のファンになった時にはゆらゆら帝国は解散していたため、わたしにとって初めてナマで坂本慎太郎を見ることができるライブであった。
また解散後初のライブということもあり、一般販売されたチケットは一瞬で売り切れ、多くのファンが待ち焦がれていた待望のライブということは確かであった。
幸運なことにチケットが手に入り、また坂本慎太郎好きが高じてSNSで知り合ったカシューナッツちゃんという友人とも行けることになり、わたしはこの日のライブを非常に楽しみにしていた。

当日、仕事を早々に切り上げて向かうは恵比寿。ナッツちゃん(カシューナッツちゃんの呼び名)と落ち合い会場へと向かった。
会場のリキッドルームに着いたのは午後6時45分。7時からステージ会場へ入れることになっていた。それまで酒を飲んだりして皆適当に時間を潰しているようだったが、わたしは今日は酒は疎か水も飲まないぞと思っていたので喉の渇きに耐えていた。できれば酒を飲んでふわふわと聴き入りたいところだが、尿意を催し雑念が混じってはいかんと我慢をした。

我々は物販で顕微鏡Tシャツを購入し、軽食をとり、トイレに行き、インフルエンザ対策のマスクをつけて万全の準備で坂本慎太郎のライブへと挑んだのだった。

7時半ごろステージのある会場に入り、ステージの右側のほうにナッツちゃんと場所を構えた。真ん中ではないけどステージまでの距離は5メートルくらいでなかなか良いポジションだった。

8時の開幕まで30分くらい時間があったので、ナッツちゃんとお喋りをして開演を待った。今日は1番何の曲を楽しみにしているかというベタな話から、坂本慎太郎が好きと友達に言って「坂本慎太郎ってだれ?」と言い返されてしまった場合、何と返答すべきか?など日頃なかなか友達には話せない悩みを語って待った。

そしてついに時計が午後8時を回った。けれども幕はまだ開かなかった。5分立っても開かなかった。

まさか坂本慎太郎が裏で今日は乗り気じゃないしやりたくないし帰りたい。とか言っているのでは...とぼんやりと考えていると、
カーテンが開き、『超人大会』の音色がゆるやかに会場を漂いだしたのだった。

なんと坂本慎太郎はステージの右端に立っていた。わたしの直線上に坂本慎太郎が立っている!ベージュ色のスーツを着て立っている!乗り気じゃないしやりたくないし帰りたい。と本当に言ってたんじゃないかと思うくらい気だるそうにギターを奏でている!!

念願の坂本慎太郎はわたしが想像していた以上に疲れた容貌をしていた。
その姿を見てわたしは緊張した...わたしがイメージしている歌声と全然違う声をしていたらどうしよう、と。

気だるそうな坂本慎太郎が口を開き、写真で見たことが〜と超人大会を歌い始めると、わたしは驚いたのだった。
イメージ通りすぎて心が震えた。何度も聞いたアルバムの音と何も変わらない、わたしが知っている歌声であることが嬉しかった。
そして坂本慎太郎が目の前で歌っていることに改めて感動したのだった。

感動したのはわたしだけではなく、この会場のほぼ全員が各々心を震わていたと思うのだが、
わたしの前を立った人は心を震わせて、
頭の上に手をいっぱいに伸ばし動画を撮影し始めた。
撮りたいよね、わかるよ。
わたしは首の位置を動かして、坂本慎太郎が見えるところへと首の位置を調整した。
しばらくすると、前の人の手が降りた。
やれやれと傾けた首を戻すと今度は手を伸ばしてストーリーを撮影し始めた。
わかるよ、わたしも撮っちゃいけないと知らず好きなバンドをストーリーに乗せて自慢したことがあるよ。
ストーリーが撮り終わると前の人は手を下ろした。そして今度は手を伸ばして写真を撮りはじめた。

若干の雑念がわたしの心の中で混じっては消えを繰り返していると、2曲目の『スーパーカルト誕生』が始まった。
音色が浮遊しているかのようにゆらゆらと漂って聞こえる。幽霊でもでてきそうな音にも聞こえた。

「人類が滅亡した地上で、ハトヤのCMがただ流れている、みたいなイメージ。」

収録されたアルバム 『ナマで踊ろう』のインタビュー記事で坂本慎太郎が語っていた言葉を思い出した。
ここは人類が滅亡してハトヤ。と少々頭が麻痺をしてゆらゆらと聞き入っていると、またわたしをパッと覚醒させるあれが始まった。

頭の上に手をいっぱいに伸ばした動画撮影。

いよいよもって腹が立ってきた。腹が立っては負けだ。落ち着け。ここはハトヤ。保存して何度でも見たい気持ちもわかるよ。でもその手邪魔だな。

わたしは葛藤をした。雑念が混じることを恐れて大好きな酒も飲まずに万全のコンディションでいるのに何故。。
気にしなきゃいいんだろうけど、これは妬みとかそういうんじゃなくて、わたしの空間を手を伸ばすことで邪魔されることが腹立つ。。。
会場は撮影禁止なのである。
結果から言うと前の人は、たぶんライブの3分の2をなにかしらの形で携帯に収めていた。
その度にわたしは首のポジションを微妙に変えないといけなかった。
手を伸ばすなと言えばよかったのかもしれないが、わたしも好きだから撮りたい気持ちもわかるよという偽善的な心が邪魔をして言えなかった。

そんな些細なことに苛まれつつも、目の前で繰り広げられる素晴らしい演奏と坂本慎太郎のいつもと変わらぬ歌声がわたしを魅了した。

ステージの中盤も過ぎた9曲目は、『君はそう決めた。』であった。この歌はお気に入りでPVも何度も見たし、カラオケでも歌っちゃうし、とにかく好きな歌なのだ。
なので、一緒に歌いたいくらいだったが、
「ライブで大声で歌うのは一番迷惑。」「あなたの歌を聞きに来ているわけじゃない。」
と以前ラジオで山下達郎氏が言っていたので、わたしも自粛するよう心がけていた。(状況にもよるが。)
私はそういう考えであったが、後ろの人は違うようだった。
なかなかの声量、そして甲高い声で君はそうきめたを歌い出したのだった。
今度は後ろか...
今まで黙っていた気持ちを解放するかのように後ろで気持ちよさそうに歌っている。
歌うのは自由、気にするお前がいけないよ。偽善なわたしがわたしを諭す横で
あんたの歌を聞きにきているわけじゃない!とわたしの心の中のヤマタツが叫ぶのであった。

解放された気持ちはこの曲で留まるわけはなく、次の曲の鬼退治もノリノリでお歌いになられ、わたしの心の中のヤマタツの怒りが頂点にさしかかろうとしていたその時、

きました!『ディスコって』です!
会場がわーっと盛り上がり比較的小さくゆらゆらとゆれていた観客の動きが一気に大きく派手に!そう、そしてあの方々も!
シャッターチャーンス!とばかりに手を伸ばす前方、待ってました!とばかりに声を張り上げ歌う後方。そしてそんな狭間のわたしって。

空洞です。
もう、わたしの心の中のヤマタツはおりません。
タートルネックのセーターの首の部分が気になりだして、気になって気になってイライラして、突然気にならなくなったあの瞬間によく似た感覚に陥いって、ふっと笑みが溢れた。

負けたのか勝ったのかよくわからないけど、ようやっとわたしは雑念から解放されたのであった。
西内氏の奏でるフルートの華麗な音が心に響いた。

『ディスコって』の流れからの『ナマで踊ろう。』は最高だった。ナマで踊ろうの終盤の坂本慎太郎の迫力がこのライブの一番の衝撃で、まばたきを忘れて目が霞み出すほど釘付けになった。けれど激しさの中に最初から漂っている浮遊感のようなものも感じられた。
『ナマで踊ろう』を演奏しきった直後、坂本慎太郎はステージ上にバサッと座り込んで目をつぶっていた。

5秒くらい停止して、突然むくっと立ち上がってまた何事もなかったかのように、会場を浮遊の空間へと切り替えた。そしてアンコールが終わるまでその空間は続くのであった。
こうして2時間の浮遊空間はあっという間に過ぎさった。

終わりです。

という坂本慎太郎の言葉で、パタリと会場全体が我に返り、みんないそいそと会場を後にした。

我々は、大好きな酒を我慢し、水も控えたため喉がカラカラになっていた。終わると一目散にビールを買いに行き、そしてこよいの夜に乾杯をした。
震えた。よかった。すごかった。かっこよかった。震えた。すごかった。
と、興奮からか短い単語でお互いの感情を伝えあい、こんな風にライブの感想を言い会える友達が欲しかったんだよと我々の出会いを坂本慎太郎に感謝した。


浮遊感漂うあの日のライブを思い出そうとすると、またさらに思い出した映像に靄がかかり、曖昧に、淡く、さらに浮遊感が増してあの日のライブは夢だったんじゃないかと思うほどであった。

だがあの日の前方と後方のことを、私ははっきりと覚えており、わたしはあの日の感情と向き合わずにはいられないのだ。そもそも自分の考えがおかしいのではないか、心が狭すぎるのではないか?いや、ガツンと言うべきだった。など、色々な回想が頭の中をめぐり、結局今も答えはでていない。

そう、今もまだ何がまともなのか、よくわからないのだ。


まともがわからない。





女 1人飲み屋へ行く 【神保町編】

1人で飲み屋に入れる女に憧かれつつなかなか実行できずにいた。何故かというと、少しばかりの勇気がなくて暖簾が潜れない事とと、家で飲めば良いじゃんという思いが天秤にかかるからなのであった。

事実、家で飲むのが1番気兼ねない。コスパもいいし、好きな曲を聴いて、踊りたくなったら踊り、気まぐれにラジオを聴き、好きな歌をアカペラしたっていいし、寝たくなれば寝ればいいわけだ。それをするには家では全て可能。


だからわざわざ1人で店に入らなくたっていいじゃん。飲んで踊りたくなっても踊れないし。


けれど、やっぱり憧れもあった。1人お気に入りの飲み屋で酔いしれる自分に。

食べたいものを注文し、飲みたいお酒を飲み、緩やかな時間を過ごしてお会計!と言うサクッとした身のこなし..so cool 。いいね。

さらに適度に人肌を感じたいという場合は個人的にはコの字カウンターをオススメする。

基本的にコの時カウンターを設けている店はガラガラのスカスカということがないように思う。コノ字カウンターは適度に席が埋まっていて、人肌温もりを感じることができる。また、コの字カウンターを好んで来る輩は、知らない人の顔で一杯飲めるという酒好き変人の集まりなんだと思っている。事実わたしもそうなのだ。知らない人だけど酒好きがニヤニヤして飲んでいる。そこには皆でコの字を囲む一体感と、安穏を感じる。

ときに臨場感あふれる緊迫した面持ちに巡り合っても人間味を感じそれもまた良し、と思うのだ。

何をしようがどんな装いや振る舞いであろうが、コノ字カウンターの住民は全て受け入れてくれる。という勝手な妄想の中、先日、1人でコの字カウンターデビューを果たし、わたしは大人の階段を第一歩を踏み出したのであった。


◆2018年 1月26日 :神保町にあるコの字カウンターの店。寒空の下女1人来店


5時開店の創業70年兵六というコノ字カウンターの店へ訪れた。姉や友人とは何度か訪れているこのお店。ふらっと1人でも入れるようになりたいと前から思っていたのだ。

この日は晩御飯を作る予定があったので、17:00~18:00までの1時間でサクッと飲んで店を出る!という明確な目標を胸に訪れた。

オロオロと暖簾越しで店内の様子を見回していると、コの字カウンターの番頭さん(コの字カウンターの真ん中で客の注文や会計を切り盛りしてる人。)がどうぞこちらにとスムーズにコの字カウンターの角へと案内してくれた。

左隣は紳士なおじ様二人組、右隣は同じ会社の男女2人といった具合だった。今日は静かな時間を過ごせそうだ。

着席してわたしは麦焼酎をお願いした。


この店は、鹿児島がルーツで、多くのお客に美味しい焼酎を飲んでもらいたい。という店主の願いから、店においてある酒の種類の中では焼酎が1番安く、飲み方も店主のおススメの飲み方しかできないのであった。

麦焼酎を頼むときは冷やしたストレートだ。

麦焼酎がこぼれんばかりに並々とコップに注がれる。慎重にグラスを口に運びそろりと飲んだが、飲み方が下手くそで机にこぼれてしまった。味は甘くてキリリとしていて美味しい。

わたしはからし和えを注文した。


からし和えを待っているとふらりと若い女性が1人入ってきた。彼女はわたしの3つどなりのコの字カウンターへと案内されたのだった。

若くて美人でおしゃれな彼女。黒髪のボブスタイルが良く似合っていた。

有名人でいうと...藤原ヒロシの元カノに似ている。あの、幼少の頃からごはんを毎日記録していたという彼女に似ていた。

美人な彼女は熱燗を頼んでいた。そうしてカウンターの上の大皿に並ぶさつま揚げを見つめて、これもください。と注文をした。


彼女が注文したさつまあげも美味そうだなと眺めていると、わたしが注文したからしえがお待ちどう様という言葉とともにやってきた。

藍色の器が美しい。からし和えだから菜の花かな?と思っていたら炒めたセロリや豚肉、もやしなどがからしと和えてあり非常に美味しかった。

うまーっと少量ずつちびちびとからし和えをいただきながら、キリリとした焼酎を飲む。最高。

ふと、美人な彼女の様子が気になって横目でちらりと見てみた。

彼女はまばたきもせず、壁の方を一点を見つめていた。何もせずに、ただ見つめていた。


わたしは、彼女のようにじっと見つめているだけではなんだか落ち着かないので、購入した本を取り出し読むことにし、追加で三色卵焼きと、焼酎のおかわりを注文した。

三色卵焼きってどんな色をしているのだろう

と三色卵焼きに思いを巡らせていたら、お待ちどう様と卵焼きと焼酎がすぐにわたしの元へとやってきた。

プレーンの卵焼き、小ねぎの入った緑の卵焼き、カニカマの入った赤い卵焼き。卵焼きなのに形がパウンドケーキみたい。プレーンの卵焼きは甘い味で美味しかった。甘い卵焼きが好物なわたしはコの字カウンターの片隅でニヤニヤしながら頬張っていた。

そしてまた並々と注がれた焼酎を慎重に口元に運んで飲んだ。今度はこぼすことはなかった。


そうして気になるのは美人な彼女のことだった。

再度彼女のことを横目でちらりと見てみると、お猪口を持ったまま壁の方をまばたきもせずにじっと見ていた。まだ、壁を見つめていたのだ。かれこれ30分は壁を見ているんじゃないだろうか。


壁に何かかかってるのか?と思って壁を見たが、お品書きと書道の掛け軸が飾ってあるだけで、特にじっと見つめるようなものはないように思えた。


焼酎をちびちび飲んで本を読んでいるとあっという間に6時まであと10分となっていた。

緩やかに過ごしていたけど時間が経つのは早いのね。と名残惜しさを感じていると

すみません。お会計お願いします。と彼女が番頭さんに声をかけた。

彼女は小一時間ほど酒場で熱燗とさつま揚げを頼み、じっと壁を見つめ、颯爽と帰っていった。か、かっこいい!

今度もし彼女にまた会えたら話しかけてみよう。できればお友達になりたい。


そうしてわたしも、彼女の後に続くようにすみません。お会計お願いします。といって席を立った。

帰り際番頭さんに、

「お強いんですね。涼しい顔してすうっと2杯も飲んでるから驚いちゃいました。」

わたしは番頭さんにニコっとして店をでた。できる限りクールに店を立ち去るよう心がけ、しばらくはキリッとした姿勢で足早に歩いた。


そして少し店から離れると、酒が強いと褒められたことが嬉しくてニヤニヤしながらふらふらと速度を緩めて歩いて帰るのであった。



今日わたしは1人で飲み屋にいった。果たして理想のかっこいい女に近づけたのだろうか。

女1人飲み屋巡りは続く。



学校のかいだん

小学校3年生の時。

となりのクラスの担任は林先生という、ちょっと変な男の先生だった。

先生は頭の真ん中がハゲていた。
別にハゲだから変というわけでは決してない。
変だなと思ったのは先生の頭の毛がない部分、そこが何か黒いもので塗られていたのだ。そしてその部分に違和感があった。

噂ではその黒いものは墨汁だと言われていた。

雨の日の帰り道、傘をささないで歩いていた林先生とすれ違った際に
林先生の頭から顔へと墨汁が滴り落ち、シャツが黒く染まっていた!と言う生徒がいた。

学校の怪談さながらな演出をする林先生。
林先生はハゲた部分を何かで黒塗りしている点以外でも変だと言われる要因があった。

林先生はすぐに授業を自習にしてしまうのだった。となりのクラスはまた自習で、みんな遊んでいる。というのは羨ましくもあり、心配でもあった。となりのクラスは大丈夫だろうかと。

林先生の珍エピソードはまだある。
当時、体育のプールの時間は男女が教室で一緒に着替えていたのだが、
林先生のクラスは、男子は教室、女子は別の部屋に移動させて着替えをするように促していた。
先生良い配慮じゃん。とその時は思った。
けどどうも違うようだった。
先生は別室に設けた女子更衣室にご丁寧に着替えの制限時間を伝えに行っていた。
突然、先生が設けた女子更衣室の扉をガラッと開けて
「あと3分」
と、落ち着いた口調で残り時間を伝え、閉める時はソロソロとゆっくり扉を閉めた。
もちろん扉が開いた時は女子生徒のきゃーーという声が毎度響く。しつこい時は「あと1分」
と分刻み間隔でやってくる。

これって、大胆な覗きなのでは....

小学校3年生でも先生の行動は異常で、クビにならないのが不思議だった。

そんなある日、学校の階段を降りていると、林先生が階段の踊り場の鏡の前で何かをしていた。
(何やってるんだろう。)気づかれないように階段の壁に身を潜めて観察していると、

先生がマッキーで頭皮をぬりたくっていた。

マッキー!?

先生はマッキーを握りしめてせっせと頭皮のメンテナンスに励んでいた。先生の目は必死だった。
わたしはそろりとその場を立ち去ってすぐに友人に報告した。林先生のあれ、マッキーだったよ。と。

こうして学校の怪談は、学校の階段でまた1つ新しいエピソードが生まれたのであった。

マッキーで頭皮ケア、授業はやらない、女児の水着生着替えを楽しむなど、先生は学校でやりたい放題やっていたのに、結局3年生が終わるまでとなりの担任を務めていた。
しかし学年が変わったときに学校が移動となり、林先生は学校からいなくなった。
その後、先生は異動先の学校で女子生徒の体操着を盗んでクビになったという話を聞いたのであった。
めでたしめでたし。




それから数十年が過ぎて...


「白髪を隠すレタッチにはマッキーが1番!」

と、意識が高くて美魔女が勢ぞろいする雑誌・美STで、頭皮ケア特集の一部にマッキーで頭皮をケアする方法が紹介されたのであった。
まさか美STでマッキーケアを推奨するとは...
林先生はマッキーケアの先駆者であったという事実を私は目の当たりにし、動揺した。

さらにその後
「美ST・謝罪  マッキーを白髪染めに使用」
という話題でガルちゃん民達が快談をしている様子を私は見かけるのであった。