不服だった田舎のネズミ

自尊心とはいつ頃から根付くものなのかはよくわからないが、私の自尊心は5歳の時には定着していたと思う。その訳は幼稚園の年中の時のお遊戯会にある。その年のお遊戯会の演目は「田舎のネズミと町のネズミ」言わずと知れたイソップ物語の寓話である。勿論5歳の子供たちが台詞を覚えられる訳もないので15分程度の物語をアフレコで演じるのだが、それでもお遊戯会とは園児にとっても親にとっても力の入る行事であった。そんな熱気溢れるお遊戯会のキャストを選抜するのは担任の先生の役目であった。

「田舎のネズミと町のネズミ」キャスト発表会の日。教室に集まった園児達の前で担任のさとこ先生が自分で割り当てた役と名前を読み上げていった。私は何の役だろうか。自分が何の役に充てがわれるのか5歳の少女さとみこんこんもドキドキしていた。

「田舎のネズミのお母さん役は、さとみこんこんちゃんでーす!」

自分の名前が読み上げられるのをドキドキ待っていると、いつも通り元気のいい声と笑顔でさとこ先生が私の名前を読み上げた。先生はニコニコしながら私の方を見つめていた。田舎のネズミのお母さん。この童話の中では準主役くらいのポジションである。先生の笑顔からも頑張ってね!のエールが感じられる。結構な役柄だ。任されるのは悪くない。目立つ役柄であることも申し分ない。だけど先生、何故ですか。何故私は町のネズミのお母さんではなく、田舎のネズミのお母さんなのでしょうか。

私は田舎っぽいのだろうか。だいたいみんな同じ土地で生まれ育っているはずなのになぜ私を田舎者のネズミ役に選んだのか納得がいかなかった。

「町のネズミのお母さんがいい」

田舎者扱いしないで欲しい。しかしそんな心の叫びをさとこ先生に訴えることもできず、私は黙って田舎のネズミのお母さん役を引き受けたのであった。

その後もキャストは次々と発表された。町のネズミのお母さん役には背の高いしおりちゃんが選ばれていた。しおりちゃんはクラスの中でも長身で確かバレエを習っていて、他の子に比べてシュッとして大人っぽい印象だった。悔しいけれど確かにしおりちゃんは町ねずみの顔である。また主役でもある町のねずみのお父さん役には鈴木くんが選ばれていた。鈴木くんはスラッとした丸刈で確かに他の園児に比べて利口そうな顔立ちをしている。やはり町ネズミの顔だ。そして私の夫にあたる田舎のネズミのお父さん役には金子くんが選ばれていた。金子君は恰幅がよくいつも赤ら顔で鼻水を垂らしていた。どう見ても田舎ネズミの顔である。すごい。すごくマッチしている。さとこ先生のマジで選んだきた感がヒシヒシ伝わるキャスティングに、私はより一層傷ついたのであった。

家に帰って早速母に田舎のネズミのお母さんに選ばれた旨を伝えた。確かすごいすごいと喜んでくれたように思う。母にはなんで私は町のネズミではなく田舎のネズミなのかという疑問を言ったか言わなかったは覚えていないが、私が立派な田舎のネズミのお母さん役を全うできるよう母は張り切っていた。

ねずみ役の子は「ねずみの耳の作製」と「ねずみ色のスパッツまたはタイツ」の準備をするようおたよりで指示がきた。

「スパッツよりもタイツの方がスマートに見えるからねずみ色のタイツにしようね」母はそう言って田舎のねずみのお母さんが少しでもスタイリッシュに見えるよう、近所にはなかなか売っていたなかったねずみ色のタイツを隣町のジャスコまで行って買ってきてくれたのだった。ねずみの耳もわたしの頭に合わせて画用紙で丁寧に作ってくれた。不服だったねずみのお母さん役ではあったが、ねずみのお母さんが輝けるよう母が一生懸命準備をしてくれる姿を見て嬉しくなり、母のためにもがんばろうと思ったことは今でも覚えている。

こうして後ろ向きだった田舎のねずみのお母さんは、いつのまにかすっかりやる気を出して前向きな田舎ねずみになったのであった。

そうして迎えた田舎のネズミと町のネズミのお遊戯会本番。わたしはスタイリッシュなねずみ色のタイツを履いて会場の公民館に向かった。いつもポニーテールが多かった私だが、この日は気合いを入れるために母が私の髪をきつめの編み込みに結わいてくれたのであった。

お遊戯会が始まり田舎のネズミと町のネズミの順番が近づいてくると、役者達は控え室に集められて出番に向けて準備をした。田舎のねずみのお母さんは制服の上から白いヒラヒラのエプロンをつけてもらい丁寧に作ってもらった耳を装着した。もちろんスタイリッシュなネズミ色のタイツも履いている。なかなか様になっているではないか。悪くないなと思いながら気分良くいると、町ネズミのお母さんしおりちゃんが登場した。

しおりちゃんは制服の上からピンク色のヒラヒラのエプロンをつけ、そして白いタイツをはいていた。何故?なぜだ?確かおたよりにはねずみ役はねずみ色のスパッツかタイツと指示がでていたはずなのに、しおりちゃんは堂々と白いタイツを履いていたのだ。

「ハ、ハツカネズミやんけぇええ!!!!!!」

 とは5歳の私ではなく31歳の年増の感想なのであるが、今思い返してもあの日何故しおりちゃんが白いタイツを履いてきたのかはわからない。しかしねずみ色の指定を無視して涼しい顔をして1人白いタイツを履く姿勢、その生き様からも町ネズミの貫禄がしおりちゃんからは出ていた。誠に天晴。しおりちゃん、いや町のネズミにお母さんに乾杯である。

だからと言って私は怯まなかった。なぜなら私は田舎のネズミとして頑張ることを決めたから。町は町、田舎は田舎。それでいいじゃない。母のためにも頑張ることを決めたのだからできることを精一杯やろう。

後ろ向きだった田舎のネズミのお母さんはもういなかった。出番を迎えステージに立った田舎ネズミはやる気に満ちていた。私は田舎のネズミのお母さん。音響にあわせて手も足も最大限に動かし、全力で田舎のネズミのお母さんの振りをこなした。もう誰も田舎のネズミのお母さんを止めることはできなかった。

しかしそんなはりきったネズミのお母さんに悲劇が襲う。ダイナミックに動く度に丁寧に作ってもらったはずのネズミの耳がずり落ちてくるのだ。動く度に田舎ネズミのお母さんの視野は欠けていった。前が見えねぇ....おそらく予想外の激しい振りにネズミの耳の耐久性が追いつかなかったことに加え、きつめに編み込んだ網込みヘアーのおかげでいつもより数ミリ頭が小さくなったことが原因となり耳がずり落ちるという現象が引き起こってしまったと推測。しかしここで耳を直すのは田舎ネズミのお母さんの名が廃れると思い、私は最後まで耳を直すことなく視野が欠けつつも田舎のネズミのお母さん役を全うしたのであった。演技終了後「頑張ったね!」と母や先生からも褒められ得意げな気持ちでこの年のお遊戯会は幕を閉じた。

 

数後日。仕上がったお遊戯会の写真を見てみるとみんな良い笑顔で目をキラキラ輝かせているなか、田舎のネズミのお母さんだけが目がネズミの耳で隠れて無様な姿であった。この姿を見て確かに自分は町ではなく田舎のネズミだよなと心から納得し、この時にようやっと私は田舎のネズミのお母さんになることができたのであった。