11月末に川村記念美術館に行ってきました。実は私が川村記念美術館を知ったのはつい最近のことで、きっかけは通っているジムのトレーナーとの何気ない会話。
「夏休みどっか行きました?」とのトレーナーからの質問に「田名網敬一展に行ってきました」と返しをしたところ「そうなんですか!僕も美術館に行くのが好きで!」と予想以上にマッチョと美術館の話で盛り上がり、その時に「是非川村美術館に行ってみてください!」と言われそこで川村記念美術館の情報を得たのでした。
美術鑑賞をほぼ都内でしていた私は地方の美術館に行くこともなく、千葉県佐倉市にある川村記念美術館の存在も全く知らなかったのですが、せっかく教えてもらったご縁だと思って川村記念美術館をGoogleマップで調べたところ、自宅から高速道路に乗って車で1時間ほどで着くことがわかりました。ろくに高速道路を運転したことがない私でもこの距離感なら行けるかな?と意欲的になっていたところ、何気なく付けていたテレビから「川村記念美術館が年内に休館が決まった」とのNHKニュースの報道が。これを聞いて「年内には絶対行ったるぞ...」と熱い決意をし、そうして私は念願の川村記念美術館に先日1人で行ってきたのでした。ちなみに私のように「なんだって!?!」と行動に移した同志が多かったこともあり、現在は年内休館予定だったところを来年の3月末までに延長されています。
手に汗を握りながら高速道路をビュビュンと乗って川村記念美術館に到着すると第一駐車場と第二駐車場も満車状態。「えーここまで来てすんなり入れないの?」と少し落ち込みながら駐車場の出口に進むと出口通路に止まって全く動かない車が...何やってんだ?と遠くから様子を見ていると停車した車に進んでくださいと後ろの車が合図したところ「俺はここで空くのを待ってるんだ!」と初老が後車のことも考えずにキレながら停車していることがわかり、しょうがないので後車の我々はその年寄りの車を慎重に避けながら出口を出て、どうしようか、第二駐車場をもう一周してみるかと悩み進んだそんな私は、見つけたのです。第三駐車場の存在を....えええ??!?と思って第三駐車場を進んでいくと第一と第二はコンクリートで整備されているけど第三駐車場は砂利道で空き地のようなところに一台だけ車が駐車されていました。向こうで喧嘩口調でキレ散らかして待っている車は一体何をやっているのでしょうか。本当に私の車をこの畑で囲われた空き地のような駐車場に停めていいのかわからなかったけれど、確かに出入り口付近に立てられていた「第三駐車場」の看板を信じて車を停車させました。
美術館から戻ってきて車がなかったらどうしよう.....という不安を抱えながらも入口に到着。
チケットを買って中に入ると、強い風が館内を通り抜け、池には光が反射してキラキラと輝き美しく澄んだ景観が広がっていました。高速道路に乗った緊張感や怒るじいさんへの苛立ち、通報されて車がなくなっていたらどうしようかという不安な思い...このような自分の気持ちを力強い風が吹き飛ばし、光が私を包み込み、そうして気持ちが安らいでいくのがわかりました。
池沿いを少し進むとサイロのような丸いフォルムの建物が見えました。この中が美術館です。館内は撮影厳禁となっており、作品はもちろん入口の照明や壁のステンドグラスも、館内からこの美しい自然が眺められる設計になっている様子もバエの精神を持つ私としては是非シャッターに収めたい限りだったのですが、残念ながらそういう訳にはいかなかったので心のシャッターに刻んで参りました...
中の展示はピカソやモネ、ルノワール、シャガールなどのヨーロッパ近代美術、企画展中のドイツを拠点として活動する作家の西川勝人の回顧展、またそれにちなんでドイツ美術の展示もされていました。なかでも私が今回印象に残った作品はマーク・ロスコのシーグラム壁画の一室「ロスコルーム」と今年5月に亡くなったフランク・ステラを追悼の意を込めた展示室でした。
ロスコルームは「川村記念美術館に行ったら是非ロスコルームを見てください!」とジムのトレーナーが熱弁してくれ、マッチョを震わすロスコ、興味あるなと私も楽しみにしていたのですが、ロスコの作品群が並べられた部屋に入ると確かに空気感の違うその一室に私もすぐに魅了されました。
もともとアメリカのフォー・シーズンズ内のレストランに飾られる予定だったこれらの壁画は、諸説ありますがオープン前にこのレストランを見にきたロスコがこんなところに自分の作品を飾られるのは心外と契約を取りやめてしまったそうです。またロスコは自分の作品が他の作家の作品と並べられることを嫌い、その意を汲み取って完成された部屋が川村記念美術館の「ロスコルーム」だそう。このようにロスコの作品のみでできあがった空間は川村記念美術館の他には世界では3カ所、アジアでは川村記念美術館唯一の貴重な部屋だそうです。
そんなロスコの部屋、休館を発表してから来場者が5倍になったとはいえ、この小部屋にはだいたい10名ほどしかおらず(平日に行ったこともあると思うけど)ゆったり鑑賞することができました。照明が落とされ薄暗い部屋でじーっと大きな壁画を見ていると、壁画から手がのびてきて絵の中に飲み込まれていくそんな体感をすることができました。何重にも重なりあった、決して華やかではないおどろおどろしく生温さを感じる色合いが別世界へと引き込んでいく。ロスコは最後抗うつ剤を過剰摂取し自信を切り刻み自死したそうなのですが、彼のこれまでの葛藤や鬱々とした気持ち、大切にしていた美学がこの部屋に詰まっているように思えました。
一方フランク・ステラの一室は天井が高く、開放的な空間に巨大な作品がいくつも展示されていました。色彩がなく無機質なものや鮮やかな色合いが幾何学的に組み合わさった作品などを見ることができました。展示されていたフランク・ステラの解説を読むと、「あなたは、そこに見ているものを見ているのです」との言葉を残しており、鑑賞者が作品の意図や裏側にあるものを読み取ろうとする試みを否定的に考えているように伺えます。「美術から死生観を考えたい」などと美から何かを学ぼうと美術館に足を運んでいた私の考えは邪なことで「黙ってみやがれ」とステラに言われたような気分になりました。ステラの言葉通り、目の前の作品をただ真っ白な心で鑑賞したいと作品をじっと見ていると「あの、この作品は何を意味しているのですか」とおじいさんがフランク・ステラの巨大な作品を指差し、美術館の隅に座っている監視係の女性に尋ねている声が聞こえました。すると監視係の方は丁寧に立ち上がりおじいさんに「何も意味はありません」と答えたときに、私はすごいものを見た気持ちになり「ステラ、今のやりとりをご覧になりましたか」とこのやりとりを含めてアートだなと勝手に感動してしまったのでした。
日々の生活の中でも何かと意味を見つけようとしたりこじつけようとしがちな私の人生ですが、フランクステラのアートの概念をときどき思い出し、時には自分の感性や直感を信じて進みたい。そんなことを思いながら美術館の出口を出ました。
美術館を出てからは池の周りや森の中を散策しました。木々が風で擦れる音が心地よくこんなに快感を味わえるなら家の近所でも積極的に森の中に入ろうと自然の良さを再確認した次第。
森の散歩コースを抜けると広大な芝生の広場がありその近くには、休憩室の小屋やベンチがあちこちに設置されていました。柔らかい日差しの中その休憩所で人々は持ち込んだ軽食を食べたり、ベンチに4人横座りしたおばあさんが高音で仲良く歌を歌っていたりして「え?もしかして私死んだ?」と錯覚するほど穏やかな世界がそこには広がっていました。
初めて訪れた川村記念美術館で、日頃忘れていたり見落としていたことを優しく教えてもらった気持ちになりました。この素晴らしい場所が閉館してしまうことが残念です。
川村記念美術館が閉館してしまう理由や今後など自分なりに調べてみると、中国の投資家が「来場者より警備員の方が多い美術館をどうにかしろ」と言って閉館が決まったとか、その後は東京に移動させるとか、前澤さんが引き取って存続させるとか諸説色々あるようなのですが、この自然との調和を大切に設計されている川村記念美術館が土地不足の東京で再起させることができるの?とか、中学校の同級生とともに作ったこの友情の賜ともいえる川村記念美術館を無のものにするの?とか住み着いてる白鳥の行方は?など気がかりが多く、今後の川村記念美術館の動向に注目したいと思います。
それと今回のブログを読んでお気づきの方もいるかもしれませんが、話の登場人物がおじいさんとおばあさんだけなのですね...来場者の9割がお年寄りで、若者の姿が5〜10%、外国人はいなかったと思います(わたしのいた時間は)そこも個人的にはどうかと思い、もうちょっと若い世代やインバウンドの方が来る工夫も必要な気もしました。行きづらいというのもあるかもしれませんが、訪日で山梨のローソンが賑わうくらいなので貴重な見どころのあるこの美術館の人の入りがイマイチなのはもうちょっとやりようがあるのでは...などと思ってしまいました。まだ一回しか行ったことのない奴がワンキャン言うなという気もしますが..
期間が終わっており署名活動もできなかったのですが、この美しく素晴らしい川村記念美術館が続きますよう存続の意を表します。
この思いがDICと中国の投資家と前澤さんに届けーー!!!