買ってよかったUniqlo and Mame Kurogouchi

先日発売したUniqio and Mame Kurogouchi を数点購入したのだが、こんなに可愛くて着心地が良いものを提供してくれてありがとうと感謝の気持ちで満たされ、その結果3日連続Uniqio and Mame Kurogouchiを購入している。私が買ったものはエアリズムのオーバーサイズTシャツ、ブラキャミソール2色、ニットパンツ、リブセーターを買ったのだが、まだ追加で買いたいと密かに思っている。

特にびっくりしたのがブラキャミソールで、ノンワイヤーなのになんと谷間ができるほどのホールド力があり、しかもキャミソールのデザインも胸の形も綺麗で本当に久しぶりに「これは...」と驚いた。しかもお値段1990円。本当にこれでいいんですかというびっくりプライスに頭が下がる思いでいる。私は腹が冷えることを恐れて日頃からブラの上からエアリズムのキャミソールを1枚着て、脱いだらなんか奇妙なカッコという構図で過ごしていたのだが、この夏はこれ1枚でいいですね。おまけに谷間まで作れて脱いだらなんかちょっとかっこいい女になれると気分が明るくなった。このUniqio and Mame Kurogouchiのブラキャミソールを着用すると胸に谷間ができる現象をシトウレイがYouTubeでわかりやすく、的確に、1秒でまとめさすがだと関心したのでよかったら見て欲しい。

www.youtube.com

ブラキャミソールの良さを1秒で表現したシトウレイがとてもよかったので、そのコマのファンアートも描いたのでこちらもよかったら見てほしい。

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普通だったらこの辺でめでたしめでたしなのだが、私はUniqio and Mame Kurogouchiの服を買って得たこの感動を誰かと共有したいと強く願ってしまった。ひとまず夫に、「この谷間を見てくれ」と谷間を見てもらい「よかったね」とコメントを預かったが、まだちょっと満たされなかった。

次にツイッターユニクロ×マメおっぱい盛れるヤッホーと発信したが私の心中それでも満たされることはなかった。そこで私の谷間の写真を誰かに送ってみてはどうかと思いつき誰かに送ることにしたのだが、このご時世。親しい友人にも1年以上あっていないし連絡もとっていないのに久しぶりに送ったLINEがはりきった谷間だったらちょっとあれだよな...と思い姉にUniqio and Mame Kurogouchi を纏った谷間を送ることにした。姉に谷間の写真だけ送るのもちょっとあれだよな...と思いまずは可愛いUniqio and Mame Kurogouchi のニットを着用した写真を撮影。そのあとニットを脱いで自分の谷間の撮影に取り掛かった。谷間の撮影に精を出していると、義父と電話で話をする夫が何故か部屋の中に入ってきた。なんでこのタイミングで入ってくるんだろうとイラっとしながら私は撮影を中断して薄着の谷間でソワソワしていたのだが、夫が部屋から出ていく様子がないので仕方なく部屋を退出した。

部屋から出て息子と 遊んでいたところ、電話をしながら夫が近づいて携帯を渡されたので、ああ代わるということだったのかと思い義母と薄着の谷間のまま通話をした。

それから電話を切った後、私はまた忙しなく元いた部屋に戻り谷間の撮影を再開。よく撮れた写真を姉に送り満足したので服を着た。数時間後、姉から送られてきたLINEにはニットが可愛いすぎるということとおっぱい盛れてるねという明るい便りが届きようやっと心が満たされたのであった。

女性がいつだって自信を持てるような服を作りたいというMame Kurogouchiの信念を私はしっかり受け取り血縁に谷間の写真を送るほどの自信を獲得した。本ラインの服は可愛いと思いつつも1枚も持っていないのだが、いつか再び収入を得るようになったら買ってみたいと思っている。

 

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さとみこんこん、出稼ぎを計画する

専業主婦になりちょうど1年が経過した。産休の延長で退職という流れだったので仕事から離れたのは正確には2年といってもいいかもしれない。

どうしたって生活するにはお金がかかるのでいつかは仕事を始めるつもりではあるのだが、子供の世話や家のことを考えるといつから働き始めるべきかと悩ましく思っている。来年からと考えると保育園に入れてパートで働くのがいいかと思っていたのだが、ここつくばは保育園激戦区のようなので、そううまくいくかなという感じだ。➀保育園も結構あるのだが、つくばは広いので場所によっては通学が車ということも多いにありそうすると運転をしない夫に送り向かいをお願いすることもできず、全ては私が責任を持って務める必要が発生しそこまで頑張りを増やすのも嫌だなと思ってしまう。幼稚園だと働ける時間は少なそうだし、だからといって小学校まで待ったとしても小学校も意外と早く帰ってきたり休みが多かったりするので、そういうことを協力的な目で見てもらえる場所を自分で作っておく必要があるのかもしれない。そうすると保育園に入れて細々と長く仕事を継続させていた方がいいかななどと考えているのだ。(➀に戻る)

そういった考えを行ったり来たりしていたところ、生活と労働を自分なりに両立させるには家で仕事ができるっていいよねという考えが芽生え、そこから家で何ができるか考えたところ「ライターやな」と安易な思いつきをしている次第である。というわけでさとみこんこんはランサーズとかでお仕事をしてみようかと思っている。お仕事が始まったらお仕事ブログをここで連載をしようと思う。お仕事くださーい。

 

誕生日だった

自分の誕生日が好きで昔から誕生日が近づくとソワソワし、誕生日には着物を着て出掛けたり美味しいものを食べに行ったりと特別なことをして過ごすことが多かった。過去には自分の誕生日を迎えた記念の印としてブログを綴ることも多く、その当時を振り返るとそれぞれの年の誕生日を迎えた時の心境が違い面白いもんだなとしんみりしていた。

今年の誕生日も同様で6月に入ると「もうすぐ誕生日だな...」とソワソワしほんのり嬉しい気持ちを感じていたのだが、2年前から自分の誕生日のあり方は大きく変わっていた。実は私と息子の誕生日は1日違いで、自分の誕生日よりも1日早く生まれた子供が誕生日を先に迎える。その結果誕生日は1日前にまとまってお祝いするような形となり、さらに自分の誕生日より子供の誕生日の方が嬉しいので自分の誕生日を迎える頃にはすっかりお誕生日の感激は薄れ味気ないものとなってしまうのであった。更にさらに34歳を迎えたことよりも親として2年目を迎えたことの方が自分的には感慨深く、こうやって自分よりも親としての自分が色濃くなっていくんだと思うと嬉しいような寂しいような、人生って思う。

ただ色薄くなっていく自分が争うような気持ちもあり、自分が食べたいものを作って盛大に祝ってやるぜと1週間前くらいから自分のお誕生日ディナーのレシピを考案し、買ったことのないノンアルコール飲料を買い、自分で電話予約をしてホールケーキを買い(kinaco68さんコート・ダジュールのホールを買いまいた)スクラブで全身をツルツルにし、足の爪にマニュキアを塗って、そうして何事もなく平穏に誕生日は過ぎ去っていったのだった。

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ヘリウムガスを初めて買って風船を膨らませたのだけど、お誕生日の雰囲気は高まるし結構長持ちするし子供も喜んでくれるので買ってよかった。来年もヘリウムガスを買おうと思う。来年も無事に誕生日が迎えられますように。



 

皮膚科への怒りと学び

以前にもブログに書いたのだが私はアトピー体質で特に季節の変わり目には体の不特定部位にボツボツが出現し、そのせいで医者からTバックを勧められた過去もあるのだが

satomiconcon.hatenablog.jp

 

幸い尻という部位のアトピーは沈静化に成功。おかげさまでここ数年は健全な尻とともに健やかに生きているが未だに手や顔、肘窩などアトピーコントロールは続いている。

以前東京で生活をしていた時は四谷にある皮膚科にお世話になっており、その先生はアトピー体質の人は保湿をしっかりすることを推奨してヒルドイドという保湿剤を日頃から塗るようにと言い処方してくれた。その指示通りにヒルドイドを使ってケアをしていたのだが確かに効果を実感することができ、以前よりも随分アトピーが出にくくなったと実感していた。その病院はヒルドイドをチューブではなくカップの容器で渡してくれていたので私はいつ時も豊富にヒルドイドを所蔵している状態でいた。しかし中野に引越しをしてから四谷まで行くのを面倒に思い近所にあった中野新橋の皮膚科にも通うようになった。初診の時、中野新橋の先生にも当たり前のように保湿剤もなくなってきたので追加で出して欲しいと伝えると「保湿なんてしたくていいんだよ」と言いながら渋々ヒルドイドを処方してくれた。その時は医者によって考えが違うんだなと思い、欲しいと言っちゃいけないのかなと思いつつも、でも自分には必要なものだと思い「保湿剤もください」「あなたの歳で保湿剤などいらん」というようなやりとりの中で渋々もらって帰る日々が続いた。

なんとなく、渋っている医者に「保湿剤ください」というのも嫌だなと思うようになったのでドラックストアで買ってきたニベアを塗ってればいいかとニベアを塗ってみることにしたのだが、するとどうだろう。数週間後にひどいアトピーが出てきてしまったので再び中野新橋の皮膚科を受診することになったのだった。そんな付き合いの中で、中野新橋の医者は「君に保湿剤は必要ないが、君にはなんらかの刺激から守る膜のようなものが必要なんだね」との診断を下すようになり、だから保湿が必要という結論でいいのでは?と疑問を感じながらも訴えを聞き入れてくれたことを嬉しく思った。その後は「保湿剤ください」と言わなくとも「いつもの保湿剤出しとく?」と医者から言ってくれるようになったのでラッピーと手でハートを作るような気持ちで健やかにヒルドイドライフが送れるようになりめでたしめでたしと喜んで生活をしていた。

だがしかし、また事件は勃発した。また引越しをしたために新地であるつくばで通院できる皮膚科を探すことになり、まずは家から1番近い皮膚科を受診してみることにした。するとどうだろう。主婦湿疹でボロボロになった手の診察と一緒にヒルドイドの処方を希望したところ「でたよ(笑)」といった具合でバカにしたような口調であしらわれたのであった。一時期ヒルドイドが美容効果が高いとネットでもてはやされそのことを批判する内容のテレビやネット記事が数年前に多く出回っていたのだが、多分その医者はわたしが美容目的だと思ったのではと感じ、そうではなく東京で通っていた皮膚科でずっと処方されていたことを説明するとそれもまた面白くなかったのか、東京と茨城は違うんだよ、保険組合が睨みを利かせてるからヒルドイドは出せません、そんなに保湿がしたいならワセリンでも塗っときな、ホホホ!!とワセリンを処方されそうになったので涙を浮かべながらごめんなさいと子を背負って帰宅したのであった。診察を受けるまでも数時間かかる大盛況な病院のわりに随分対応が冷たいなというのが感想であった。

なかなか治らない主婦湿疹とともに半月程過ごしていたところ、今度は季節の変わり目で顔に赤い大きな斑点のようになものが数カ所出現し、また皮膚科を受診することになった。もうあのワセリンおばさんの皮膚科には行きたくないと思い、ちょっと遠くの皮膚科に行ってみることにした。待つこと数時間、美人の女医さんに診察してもらいステロイドを処方された後「保湿剤は何を使ってますか?」と期待していなかった言葉をかけられたので、ヒルドイドをずっと長く愛用していたがもらえなくなってしまった辛い過去の話を吐き出したところ、よく話を聞いてくれた後に「うちは処方しますよ。ヒルドイドはアトピーの予防になるので使ってくださいね」とお答えいただいた。この美人のお医者さんは茨城の保険組合から目つけられないのだろうか?と心配になりつつも、もらえるならお恵みいただきたいとありがたくチューブとカップヒルドイドを処方していただいた。現在は処方されたステロイドヒルドイドを併用し、長く患っていた主婦湿疹は随分落ち着き顔の斑点も消えいい感じの肌の状態で過ごせている。

 

さとみこんこんまとめ 

・長年のアトピーの通院から医者によって根本から考えが違うということを痛感し、相性がイマイチな場合はさっさと変えた方がいいということを実感した。中野新橋の医者は最初は考えが違ったが、相性は比較的よく話をちゃんと聞いてくれる医者だったので長い付き合いの中で双方が納得いく診断をしてくれるようになり良かったが、ワセリンの先生は長く通っても良好な関係は築けないと判断したためさっさと病院を変えて自分にとって良い先生に出会うことができたことはよかったと思う。

 

・地方の皮膚科の待ち時間はどこも2時間待ちは常識みたいなのなんでなのか知りたいし、むっちゃ腹が立っている。

 

お薬手帳はちゃんと管理しておくべきだと後悔をしている。いつもめんどくさくてお薬手帳を持ち歩かずシールをもらっては捨てていたため、ちゃんとステロイドの記録やヒルドイド愛用歴を残すことができなかった。ワセリン先生にもきちんとお薬手帳を見せて説明すればもう少し対応が変わったかもしれないと後悔をしたと共に、これからは真面目にお薬手帳を管理しようと思う。

 

・歯医者もそうだが新地での医者選びは難しいと感じているが、私なりの良い医者の探し方を編み出したので別途ブログにしたいと思う。

 

 

 

車をぶつけてしまった

先日車ををぶつけてしまった。ぶつけてしまった瞬間は儚く、ゴンっと大きな音が鳴ったあと速やかに左側のサイドミラーのカバーが紛失し、二枚貝のように勢いよくミラーが折りたたまれたのを確認した。車を走行させながら車内で一人奇声を発しまずい状況になったと慌てたが、とりあえずホームセンターから買ってきたお風呂マットを自宅に置きに行こうと自宅に向かうことにした。

自宅に駐車後、恐る恐るサイドミラーを開くと鏡は割れておらず無事だった。ただサイドミラーはカバーが外れて剥き出しとなっており、これで黙って返却したら怒られるだろうなと憂鬱になりながらカーシェアの返却場に向かった。

かなり動揺していたので途中で自転車で飛び出してきた中学生を轢きそうになるなどしながらなんとか返却場に戻ってきて、タイムズの人にあのぶつけてしまったのですがと伝えたところ「現地に戻ってもらわないと...」とタイムズの人も慌てながら指示をしてくれた。事故を起こしたときは事故現場で連絡をすることが鉄則のようなのだが、その時私は自分がやったことが事故に入るのかもよくわかっておらず、よくわからなかったのでとりあえず帰ってきてしまったのだ。「何にぶつけたのですか?」と質問をされてハッとした。私は一体何にぶつけたのだろう。「すごく細い道を対向車とすれ違ったときにこすってしまったので、一瞬だったのでよく覚えていないのですが...」思い出せ、自分。と自分を励ましながら「たぶん電柱か、民家です」と言いながら大切なことに気がついた。民家!当てたのが民家だったら民家はどうなってるのか?とやっと私はことの重大さに気がついたのであった。「とにかく現地に戻って警察に連絡してください」私は急いでまたサイドミラー剥き出しの車に乗ってタイムズを後にした。

事故現場の道はとても狭く駐車が困難なので、近くの大きなスーパーに車を止め現場に向かった。確かこの辺という場所に到着すると現場はここ!と合図をするかのようサイドミラーのカバーが大きめの昆虫のようにして道路の隅に転がっていた。これこれと思いながら私は昆虫のような物体をリュックサックに仕舞い込み、このあたりでこすったであろう民家の様子を確認した。幸い民家の外壁は目立ったような傷もなく、破損もしていないようだった。その後速やかに警察に連絡をすると、今から現場に向かうのでそのままそこで待っているようにということと、民家の方に事情を説明し警察がくることも報告するようにということを指示された。

かなり重い足取りで民家の方の玄関前に向かい、ピンポンとチャイムを鳴らすと感じの良い声がインターホンから聞こえた。「あの私は車で走行していたものなのですが、実はお宅の壁にぶつかってしまいまいました。本当に申し訳ございません」と振り絞って出したような声で謝罪すると「え?今向かいますね」と変わらず感じの良い声で応対され、玄関前に1人の女性が出てきてくれた。再度事情を説明し頭を数回下げる私に「あの角のとこよくみんなぶつけてくのよ、ところであなたは怪我しなかったの?」と女性は怒るどころか私の体の心配までしてくださった。「神よ」私は心の中で合掌した。

神はその後、「どこをぶつけたの?」と言いながら一応現場を確認され、塀の角のところまで私を連れて行った。そして「見て。みんなよくぶつけるからここに反射板貼ってんの」と言って札のように貼り付けられた反射板をわざわざ私に見せてくれた。その後、うちは本当に大丈夫だからねと神は言いながら何事もなかったように家の中へと姿を消していった。

しばらくして警察から電話があり、到着まで30分くらいかかってしまうと伝えられたので、私は車をぶつけられても怒るどころか相手の体のことまで心配をする優しい家主にせめてもの気持ちをと近くのスーパーに贈答用のチョコレートを買いにいった。チョコレートを買いに行く道中、そういえば私は事故を起こしたくせに先方に自分の名前も名乗っていない。ということに気がつき卑怯者と自分を情けなく思った。

そうしてまた民家の方の玄関前に向かいチャイムを押すと先ほどの女性が顔を出したので「先ほどはぶつけてしまったのに優しく声をかけてくだった上に私の体の心配までしていただきありがとうどざいました。これはほんの気持ちの品です。そして先ほどは名前も名乗らず大変失礼しました。私はさとみこんこんという者です。」と長ったらしい挨拶を言い切り頭を下げた。すると女性は少し困惑した様子で「え?いいのに。そんなことしなくていいんだよ。もう気にしないでいいんだよ」と言いながらチョコレート控えめに受け取り、そうしてまた扉が閉まった。

できる限りのことはした。あとは警察が来るのを待つのみだと汗を垂らしながら待っているとパトカーが到着した。狭い路地に駐車できないパトカーも近くのスーパーに駐車をし、警察官が1名降りてきた。壊れたサイドミラーを確認後、車検証や免許証を確認され後、では相手の方の自宅にいきましょうと言って警察官と私でまた神の住む家に向かった。

3度目のチャイムを鳴らすと心優しいあの女性が現れ、はいはいという感じで外に出てきた。昼時に3回もチャイムを鳴らしていることに本当にごめんという気持ちでいっぱいであった。では一緒に現場確認をといって警官と私と女性が現地に向かう後ろを娘と孫が続き、だいぶ賑やかな感じで現場検証が行われた。その後少し話し合いをしてから警察の確認はこれで以上になりますと告げられ、警官は「僕パトカー好きかな?パトカー乗せてあげようか」と孫に提案。家族は警官の提案にとても喜んでいた。「じゃパトカーとって来るんでちょっと待っててくださいね」と言いながら警官は足早にスーパーの駐車場に向かい姿を消した。

「息子さんおいくつなんですか?」「2歳でーす」「じゃあうちの子供と一緒だ」「えー同い年のお友達のお母さんなんだってよターくん」「あらやだ私はあなた学生だと思ってたわ」といった具合で皆がハッハッハーと笑い合い和やかな時間を過ごしていたのだが、なかなかパトカーを取りに行った警官は現れず時間はどんどん過ぎていった。そうして私は思った。これ、いつまでここにいればいいんだろうか。孫がパトカーに乗るところまで見届けるべきか。いやでもうちの2歳も待ってるし、そもそもぶつけた相手の家でこんな笑顔で過ごしていていいのだろうか。そうして警官を待っている皆さんに「あの私は引き続き事故処理があるのでこの辺で..」といって失礼することにした。引き続き事故処理があるなんて余計なことを言ってしまったのではないか。相手にとっては知ったこっちゃないし、ていうかやっぱり孫がパトカーに乗るところまで見届けるべきだった?など悩みながらタイムズまで戻り、車とリュックにしまい混んでいた昆虫を返却した。

どうか息子とターくんが将来同じ学校に進学することになった時に「あの時うちの家に車でぶつかった親の子」と認知されませんようにということを今も強く願っている。

歯科衛生士なのに子供にムシ歯ができてしまった

5月に受けた一歳半検診で子供に初期のムシ歯が見つかった。歯磨きを嫌がるようになってからというものロクに磨けていなかったし、磨けていなくても大丈夫だろうと謎の自信を持っていたのだが当たり前のようにムシ歯になってしまった。子供ってムシ歯になるスピードが本当に早いんだなということを今回のことで実感し、歯磨きを嫌がってもなんとか磨かなくてはだめだなと気持ちを改めた。

前職は予防と審美歯科の歯科衛生士であったが自費診療ということもあり子供の来院は少なく、乳幼児の口の中を見るということは約10年間一度もなかった。なので息子の成長とともに臨床経験を学んでいる訳である。子供の口腔ケアは大人とは違いまず口もまともに開けてられないし言い聞かせても理解ができないので、歯磨きを工夫しないといけないことを痛感。そんなことを別サイトでまとめた↓

hyenasclubs.org

 

最初はこの個人ブログに載せようと思ってせっせと書いていたのだが「国民が口腔の予防意識を持つきっかけとなり医療費の削減に寄与するためにはより多くの人に読んでもらうことに意義があるのでは」と思い立ち、自分の所属サイトに載せてもらおうと考えを改めたのだが、この内容はハイエナズクラブのスピリットから外れているのではと思い、子供の歯なんか知るか!と熱心なファンは激怒するのではと思い悩んだ。しかし私のスピリットは「国民に口腔の予防意識を持たせ医療費の削減に寄与する」ことなのでシレッと出してみようと思い記事を提出。なんと言われるだろうかと気合を入れて待っていたところ、いついつのいつに記事をアップしますねとの連絡が入り、とくに何も言及されることなく記事は公開となった。上層部が決定したのならばファンからたとえ怒られたとしても「ハイエナズクラブが認めました」と言えば黙らせることができるだろうと構えていたのだが、エゴサーチなどをして様子を伺っても今の所お怒りのお言葉なども見つからず、自分が思っていたよりもたくさんの人が読んでくれたようなので「国民よ、ヨシヨシ」という思いと安堵を感じて過ごしている。

 

引っ越す前は中野で暮らしていたのだが、その時は割と頻繁に「乳幼児の歯磨き教室」が保健センターで行われ、私も子のはみがきを学ぶために子供とともに出席をしていたたのだが、コロナ禍の現在も環境に配慮しながらそういった活動は継続されている様だ。他の地域はどうなのかと調べてみたところ、比較的人口の多い地域では「歯磨き教室」が行われているようだが(札幌市や福岡市とか)普段はやっていてる地域でもコロナのため中止されている所もある様子だった。

現在住んでいるつくば市では中野で経験したような「乳幼児の歯磨き教室」というものは実施されていないようで、だからと言って一歳半検診に行ったときによく指導してくれるのかというと、私が行った歯科医院では「ムシ歯のとこはよく磨いてあげてください」のアドバイスしかなかった。子供が歯ブラシを嫌がらないかとか、清涼飲料水を頻回飲ませていないかなどもっと患者の生活を聞いてアドバイスすべきことがあるだろうと不満を抱えて帰宅をした。(ちなみに相手は私が歯科衛生士ということは知らない)

 

調べれば子供の歯の磨き方や対策、どうしてムシ歯になるのかなどはインターネットでも情報はたくさんあるが、情報通り実践できるかというとそうではないし、その情報が子供に当てはまるかを判断するのも難しいところだと思っている。それに個人で集めた情報には偏りがあるかもしれないので、コロナ禍で難しいということもあるが、歯磨き教室のような情報の伝達の場は意義があると思っている。(オンライン開催は子供と一緒に参加するというのはかなり難しいし、1人でも時間がなかなか取れないと思うので向いていないと思う)歯科医院が個人に対して指導や支援ができればそれが1番良いと思うのだが、それができている歯科医院は少ないのではという実感がある。多くのご家庭は一体歯や歯のケアについてどこから情報を得ているのだろうか。

 

歯医者に行ってもろくに情報がもらえず行政からも歯科の発信がなかなか受けられず、子供の歯磨きになんとなく不安を抱えている人に書いた記事が届けばいいなという思いでいる。

オクラの思い出

側湾症という背骨がぐにゃぐにゃと曲がる持病を持っているのだが、24歳の時に手術をし、現在は背骨に複数のボルトが埋め込まれた状態で生きている。その手術は難産だったあの時の痛みと同等かそれ以上でしかも3週間くらい痛みでほぼ寝れずの状態だったので2度としたくない辛い思い出である。

術後は桶川胴のようなコルセットを風呂以外の時間身につけたままなので、寝返りも打てず、傷が痛くて踏ん張ることができないので便秘で苦しみ、眠ることもできないので精神的にも不安定な日々を過ごしていた。

そんな辛い人生の中で楽しみにしていたのが病院食で、三度のご飯の時間がくることが生きがだった。「今日のご飯はなんだろうか」と思ったときは桶川胴をつけた体を引きずるようにして掲示板まで向かい、今日の献立を確認した。今日の昼はムニエルで、夜は牛丼で、明日の朝はパンか。などと把握した後はよしよしという気分でまた桶川胴の体を引きずって病室まで戻っていった。

ある日の夕ご飯にオクラがでた。オクラに鰹節を和えたものがでてきたのだが、それをご飯と一緒に食べたところ非常に美味しく「う、うまい...」と声と肩を震わせながらご飯とオクラをかきこんだ。オクラを初めて食べたという訳ではなくオクラは24年間の人生で何度も食べていたのに、人類で初めてオクラを食べた人みたいに「うまい...!」と非常に感動したのを10年経った今でも覚えている。

それから数日後。いつものように桶川スタイルでヨロヨロ掲示板に向かうと、献立表の近くに「病院ででた好きなメニューを投票しよう」という掲示物と投票ボックスが置かれていた。毎日を辛く淡々と過ごしている私にとって病院食にランキングをつけるというイベントは生活に花を飾るような麗しいもので、心を踊らせながら投票をした。

またそれから数日後。今日の献立は何かなと掲示板に向かうと献立表の側に「みんなの好きな病院食投票結果発表」と書かれた病院食ランキングの集計結果の知らせが掲示されていた。見事1位となった病院食はたしかハンバーグで、あーそっかハンバーグはみんな好きだしおいしかたよねーなどと思いながら3位までのランキングをうきうきと眺めていた。目を端の方にやると「その他の人の声」と書かれた番外欄に「オクラが美味しかったです」という文章を見つけ「これあたしだ、これあたし」と術後一番のテンションで自分の意見が反英されたことを喜び、満足した気持ちでヨロヨロと病室に戻って行った。

そうして元気になった今、私が一番好きな食べ物は卵です。