仮免許を取得した

「こんにちは!何歳ですか?」

と笑顔で声をかけてくれたのは教習所学校で私とペアを組まされた女性である。仮免許試験に合格した私は応急救護の講義を受講し、心肺蘇生法の実習でペアを組んだ女性と自己紹介をすることになったのだった。

名前よりも好きな食べ物よりも先に、年齢を聞いてきたことに戸惑いつつも別に年齢を隠しているわけでもないので正直に、ゆっくりと彼女に答えてあげた。

「さんじゅう...さんさいです」

そう答えたところ彼女は目だけこちらを向けてわかりやすいように固まってしまった。

彼女は教習所は学生が通うもの、若いうちに取得するものとでも思っていたのだろう。そういう固定概念から免許を取り遅れた中年にうっかり年齢を聞いてしまって今に至っているのだろう。リアルババ抜きで元気よくババを引いて自滅した彼女が不憫であった。

「学生さんですか?」

せめてワカクミエマスネ!くらいのお世辞をいう機転をきかせろよと思いながら固まってしまった女性に尋ねると「はい!大学生です!」と言って彼女は息を吹き返した。

きっと彼女は私に萎縮しこれからの実習もやりにくいだろう。ここは大学生に大人の余裕ってやつを見せてあげようと思った私は

「こないだの仮免許の試験、実は1回落ちちゃって」

などと世間話を始めたところ、彼女はまた目だけこちらを向けてわかりやすいように固まってしまったので心肺蘇生でもしてあげようかと思ったところ教官から自己紹介を終えて実習に移りますと指示を受けた。私の自己紹介はバカなババアで終わった。

 

 

その日は応急救護の講義の後に初めて路上教習も体験した。まさか仮免許を取得したら即路上デビューできると思っていなかったので、心の準備及び気合いを入れる間もなく「さぁ行ってみましょう」といった感じで路上に放り出されてしまった。

何も考えずに予約を入れてしまったので、夕方の薄暗い道路の治安が悪くなる時間帯に教習をする羽目になってしまい、心の底から震えた。すっかり怯んで腰が抜けてしまった私は怖くてまともに運転できない精神状態に陥った。「アクセルを踏め!アクセルを踏め!」教官が助手席で吠えながら横から手を伸ばして運転してくれた。

しばらくそんな状態で走行しているとばんどう太郎が目に入った。暗くてあたりはよく見えなかったが、ばんどう太郎の看板だけは確認できた。あれがばんどう太郎か。ことりサークルのママ友がよく行くと言っていたなと思い出した後、素早くばんどう太郎の位置情報を認識し、私は運転に集中した。

三車線の大きな道路に入り時速60キロで走行するよう指示を受けた。初めて出す時速60キロにまた私は腰が抜けそうになった。横から猫が出てきたらどうしようという考えで頭がいっぱいになり吐きそうになった。こんな速度私には見合わない。そう判断した私は50キロくらいが私には適正じゃないかなと教官の目を盗んでアクセルを緩め始めた。するとまた「アクセルを踏め!アクセルを踏め!」と煽られるので渋々アクセルを踏んだ。「今あなたの後ろでっかいトラック走ってるから緩めちゃいかん」その言葉で初めてスピードを出す意味を理解した。そうか私が急に緩めたら後ろから衝突されるのか。私はその時今日初めてバックミラーを視界に入れた。後ろには大きなトラックの姿が見えた。危ない。視野が狭くなっている。ばんどう太郎を見ている場合ではなかった。

人類はなんでこんな速い乗り物を作ったのか、私には不釣り合い、私は万年自転車でいい。そんな言葉を頭の中で走行させながら60キロを意識して運転した。途中方向指示器の右と左を3回間違い「頼むから右と左を間違えないでくれ」と懇願された。私は右と左をめちゃめちゃ間違えてしまうのだが、これはたぶん職業病で、歯科界では患者の右側というと自分から見て左側のことで左則は右側。歯式の見方は右側は左側の情報で左は右側の情報と解釈するのだ。だからだと思うのだが、右と言われると左側に方向指示器を出すというミスを何度かしている。たぶんそれが原因だと思う。気をつけなければならない。

脇見運転で確認したばんどう太郎をまた通過して、なんとか教習所学校に戻り、車から降りて地に足がつくことに感謝した。久しぶりに「恐怖」というものを感じ、体が高揚して寒いはずの室外が全く寒さを感じなかった。こんなにカロリーの消耗することをこれからもやっていかないといけないのかと思うと気が重くなったけれど、なぜか帰り道自転車を漕ぎながら「川口に住んでたの?俺昔あれよく言ったんだよ、西川口オートレース、あの音がいいんだよな!」と車内で話てくれた教官の言葉を思い出し明日も頑張ろうかという気持ちになったのだった。