近所の肉屋の話

近所の商店街に安くて狭い肉屋がある。存在は随分前から知っていたけれど店相というのだろうか、なんとなく店から負のオーラが出ているというか、なんとなく近寄りがたく、とにかく店相が悪い。日本一安いという手書きの張り紙は大げさだし、賞味期限切れの水をサービスで配っているし、安かろう悪かろうだな。あの店はきっとそういうことだと判断し、安くて狭い肉屋を避けてきた。

私はサミットが好きで、サミットの生鮮食品には絶大の信頼を寄せている。だけどサミットは少々高いので、スマホにアプリをインストールし、店舗に置いてある広告を持ち帰りサミット情報を入念にチェックしていた。そうして安い肉の日は目を血走せながらサミットまで駆け足で向かい、少しまとめ買いして冷凍して調理していた。

ところが事件は起きた。聖地であるサミットがコロナウィルスの騒ぎと比例して人が殺到するようになった。レジは大行列を作り店内は人でギュウギュウ、なのに風通しが悪い。三つも四つも密が重なりあっているような状態に私は危機感を感じた。聖地がヤバイ。もうここにはしばらくこないようにしよう。私は大好きなサミットとしばしお別れをすることを決めた。

しかし食料は調達しなければならない。幸いサミットとお別れしても少しだけ足を伸ばせば近所に商店街があり、八百屋も魚屋もそして店相の悪い肉屋もある。小さな商店街の店々は人が殺到することもなかったため、買い物の拠点をこちらに移すことにした。

そんなこともあったため、店相が悪く近寄らなかった肉屋にも入ってみることにした。導線がコの字になっている店内に入り私は瞬足で震えた。「国産豚バラブロックが400グラムが350円だと?」驚異の安さに目が点になった。サミットならば1000円超えである国産豚バラブロック400グラムが350円。しかも美味しそうだ。是非とも角煮にしたい。ちなみにこの店は導線がコの字で極狭なので引き返すことはできない。それが意味することそれは回転寿司。つまり直感でビビットきたものは取らないと後悔する仕組みになっているのだ。

鶏肉も豚肉もひき肉もサミットよりも安い。安い安い美味しそう。ちょっと偵察で入ったのに次から次へと目に飛び込んでくる肉に感動し、トレーが私の手元で高く積み上がってしまい胸の鼓動とは裏腹に足取りは減速した。ゆっくりゆっくりほぼ1方通行の店内を歩き、コの字の終点に設置されたレジに肉の入ったトレーを積み上げた。ピッピッと軽快なリズムで会計され、その後店長と思われるレジのおじさんが速やかに袋詰めし、大きな袋を手渡され店内を出た。

自宅に帰ってから買った肉を簡単に下味をつけ冷凍作業をした。そして改めてわかった。いい肉だということを。「いい肉じゃんか...」店内で手にとった時もなかなかいい肉だとは思っていたけれど、いざラップを外しトレーから出した肉をまじまじとみると改めていい肉であった。これはいい体してるであろうと予測はしていたけれど脱いだら想像以上だったラッキーboyの気持ちと多分同じだろう。そんなことをふと思いながら私はいい肉に菊正宗を振った。

 それからというもの私は週末になると自転車を飛ばして店相の悪い肉屋に出かけるようになった。常に驚異の安さ豚バラブロックは350円で売られており、週末角煮ばかり作っていたら、夫から次の角煮は半年先にして欲しいとやんわりクレームが入ったため、角煮ではなく豚バラ肉のカレーなどを作って楽しんでいた。店はこの安さであるからまぁまぁ人が入っていて、いつも店長と思われるレジのおじさんは忙しそうにしていた。

先週、店を訪れると珍しくお客はおらず店内はガランとしていた。いつものようにたくさんの肉を手に取ってコの字の終盤に設置されたレジに向い、いつものようにピッピと手際よくおじさんがレジをしてくれた。私はそんなおじさんを見ていたら胸が熱くなり気がついた時にはおじさんに声をかけていた。

「あの、ここのお肉は安くて美味しくて助かってます」

自分でもびっくりした。店相が悪いと毛嫌いしていた肉屋に「助かります!美味しい!」なんていう日がきたことに。

おじさんはというと、突然感謝を述べる客に驚いた様子で一瞬機敏な動きを止めた。そして

「ありがとうございます。わかってもらえて嬉しいです」

と俯きながらだけど口元には笑みを浮かべ、そうしていつものように手際よく会計済みの商品をどさどさ袋に詰め私に手渡し

「出口のところに置いてある水、何本でも持っていっていいですからね!」

と、大きな声で言い私のことを見送ってくれた。

わかってもらえて嬉しい。

おじさんもはこんなに安くて美味しいのにそれにしては人が来ない..と悩んでいたのだろうか。それとも私が店相が悪いと近づかなかったことをなんとなく感じ取っていたのだろうか。真相はわからないけど、ちょっとおじさんは嬉しそうだったのでうっかりではあったけど話しかけてみてよかったし、この店が美味しくて安いことに気がついてよかった。また来週も肉屋に来よう。

そんなことを思いながら私は出口のところに積まれた賞味期限切れの水の前を素通りした。