茂みの中から

小学生の頃とても仲の良い友人がいて、その友人とは1年生の頃から毎日一緒に帰り、学校が終わってからも一緒に遊んでいた。二人で遊ぶことが楽しく、喧嘩もよくしたが毎日毎日飽きることなく遊んでいた。

ある日、いつものように二人で帰ろうとすると「一緒に帰りたい」と1人の女の子が声をかけてきた。その子はよくいじけるしよく泣くし、たぶんクラスの大半がそういう認識をしていたと思う。「いいよ」と言って我々はその子を迎え入れたが、正直いうと二人で帰っている方が楽しいのにと思って帰った。

それから翌日も翌々日も、その子は「一緒に帰ろう」と言ってきたので「いいよ」と言って迎え入れた。

その子の「一緒に帰ろう」が定番化していった頃、私が言ったのか友人が言ったのか忘れたが「二人で帰ってる方が面白くないか」という話になった。「声がかかる前に、今日は走って帰ろう」ふつふつとこみ上げた気持ちが相手と同じであったことがわかり、二人は顔を見合わせ頷いた。

学校終了後、二人は猛ダッシュをして下校した。血相を変え徒競走をする我々をよくいじけてしまうその子が発見し「なんで走って帰るの?」と叫びながら追ってきた。猛ダッシュしながらその子が付いてくることを確認すると、近くの茂みに隠れた。見つからないようにそおっと茂みの中からのぞいて見えたのは、よくいじけるその子が泣きじゃくりながら我々を探す姿であった。かわいそうだなという気持ちを感じながらも、今まで楽しく帰っていた下校時間を気を使いながら帰るのも嫌だしなという思いに苛まれ、泣きながら走っていくその子を茂みの中からジッと見つめていた。

それからよくいじけてしまうその子と帰ることはなくなった。私たちはお望み通り二人で帰ることができるようになり、小学校を卒業し、別々の高校に進学するまでほぼ毎日一緒に帰った。その子はというとなかなか友人と馴染むことができず、中学校の途中から不登校になってしまった。

 

それからしばらく経って私は結婚し、子供ができ母となった。毎日のように共に下校していた友人は私よりも随分前に結婚し、もうすぐ小学校を迎える子と幼稚園に通う子を持つ二児の母である。自宅に距離があり頻繁に会うことはできないが、お互いの誕生日にはおめでとうのLINEを、お正月には家族の顔の写った年賀状を送り、そして近況を話しあうために年に数回お茶を飲みに友人宅に遊びに行っている。

 

先日実家の帰省に合わせ友人と会うことになった。子供が幼稚園に行っている間にお茶を飲むことになり、午前中にまだ小さい我が子と一緒に友人を訪ねた。

ケラケラと笑いながら近況を話し、時々思い出話を交わした。その延長で、私は心の隅にずっと残っているあの日の出来事を友人に話した。私はまだ悩んでいるのだ、あの時のことを。あの時、泣きじゃくりながら我々を探すあの子に対してどうすれば良かったのか。そして私の側でアンパンマンのおもちゃに夢中で噛り付いている我が子に同じような出来事があった時に、親としてなんと言えばいいのかわからないでいるのだ。

「そんなことあったっけ?性格悪いね」そう言いながら笑う友人に私は話を続けた。もし自分の子が同じような出来事があった時に、なんて言ってあげる?と。

「うちの子は私と違って優しいし、仲間に入れてあげると思うんだよね」そう言って友人は優しい顔をして目を細めた。

わかる。優しい子なのはわかるけど、優しい我が子が自分の感情を押し潰して友人と遊んでいるのは、それで幸せなのだろうか?

大人になっても私にはそれができず、好意的な相手には尻尾をふった犬みたいに近づいていくけれど、一緒にいて居心地の悪い思いをすると未だに徒競走をして茂みに隠れているのだ。もちろん人には良い面も悪い面もあることは承知で、それでも心を許すことができないと判断すれば茂みに隠れるようにしているのだ。そんな親にみんなと仲良くなんて子供に言えるわけもなく、だからと言って嫌な相手は茂みに隠れろなんて言うつもりもない。

「そっか」微笑む友人に思いの丈をぶつけることはせず、私は話を終わらせてしまった。

 

私は未だに泣きながら走っていくその子を茂みの中からジッと見つめたままである。