はじめてのお食い初め

久しぶりに乗った自転車はペダルが重く感じられる。坂道を立ち漕ぎで漕ぐけれどなかなか前に進まない。ヒーヒー言いながら自転車を走らせる訳は石が欲しいからである。どうやら生誕100日を祝うお食い初めには石がいるらしい。よくわからないけれどお食い初めには良い石が必要らしい。私はよくわからないが良い石を買うべく、実家に帰ったついでに子を預け近所の氷川神社に向かった。

自転車を置いて社務所を目指す。ひと気のない社務所の窓にすみませんと声をかけると、40代くらいの女性が奥の方からやってきた。石が欲しいんですけどと伝えると「歯固めの石ですね」と言われ、カゴを渡された。カゴの中にはチャックのついた小袋に石が3つずつ入れられたものが5セットほど入っており、この中から好きなものを選ぶよう伝えられた。石5セットを真剣に見比べて、3個の形が一番均一なものを選んで女性に手渡した。300円お納めください。石は1セット300円だった。ラメが入っているかのようにキラキラする白い石に氷川神社のハンコが押してある。良い石だ。そう思った。よくわからない良い石を女性から受け取り鞄の中に大事にしまった。

社務所の近くで毛むくじゃらの猫が日向ぼっこをしている。最近町で猫を見かけてもぐっと堪えて触らないようにしている。だいたい私には息子がひっついているからである。本日ひっつき虫は不在。日頃の鬱憤を晴らすかのように毛むくじゃらの猫を撫で回すと、猫は仰向けになって身体をクネクネさせながら目を細めていた。

 

良い石の他にお食い初めには鯛や赤飯、煮物に酢の物が必要らしい。煮物も赤飯も面倒くさそうで今まで作ったことがないし、鯛を丸ごと焼く自信もなかった。全てがセットになっている「お食い初めセット」も売っているみたいだけど、できる限り手作りで準備をしてみることにした。鯛を丸ごと焼くことは難しいので近所のサミットにお願いをして焼いてもらうことにした。スーパーで魚を焼いてくれるサービスがあることに驚いた。

イメージトレーニングも積極的におこなった。インスタグラムでハッシュタグお食い初めを調べてみると、世のお母さん方の汗と涙の結晶お食い初めコーディネートで画面が埋め尽くされた。忙しい中100日の生誕祭に皆真心込めて準備をした様子が見受けられる。こんなに煌びやかにする自信はないけれど、わたしも頑張ろうとハッシュタグお食い初めを毎日のように眺めて自分を鼓舞した。

ハッシュタグお食い初めをジロジロ見ているとどうやら鯛の下には紙を敷くみたいだし、箸は寿と書かれた祝い箸が必要だということを知った。まずはアマゾンで鯛の下に敷く紙を探してみると100枚入り724円で売っていた。100枚もいらないんだよなと思いながら他を探すと、敷き紙と祝い箸と鯛を飾るカゴがセットになって1200円くらいで売っていた。わたしには金銭的にも心情的にも鯛の敷き紙に1200円を払う余裕がないので100円ショップに行って探すことにした。

息子とバスに乗り片道30分かけて都会の大きな100円ショップにやってきた。しかし100円ショップには鯛の敷き紙も祝い箸も置いていなかった。諦めきれず100円ショップからほど近い百貨店に足を運ぶことにした。残念なことに百貨店にも鯛の敷き紙は置いていなかった。鯛の敷き紙はそんなにレアなものをなのだろうか。ハッシュタグお食い初めの皆さんはどこで鯛の敷き紙を手に入れたのであろう。鯛の敷き紙はなかったが、百貨店には祝い箸が置いてあった。5膳セットで600円で売っている。5膳もいらない。1膳120円で売ってくれないだろうかと思いながら5膳の祝い箸を持ってため息をついていたところ、可愛らしい子ども用の箸を見つけた。これだ。どうせ買うなら一度きりの寿の割り箸よりも、いつの日か我が子が毎日使うであろう箸を買ってお祝いしてあげたいし、そのほうがエコだ。神様も箸が寿じゃなくても許してくれるだろう。ということで子ども用の短い箸を持ってレジに向かうと「今サービスで箸に名前をお入れできますがいかがですか」と法被を着たおじさんに声をかけられた。声かけに喜んでお願いをした数分後、完成した小さい箸にはひらがなで小さく息子の名前が刻まれていた。「かわいい」思わず声に出して箸を受け取ると「かわいいでしょう」と法被のおじさんが笑顔で答えてくれた。

 

生誕100日に向けて着々と準備をし、前日から料理を始めていった。煮しめは前日に作っておくと味が染みて美味しいとレシピに書いてあったのでそうすることにした。人参は花形にくり抜いて細工をする、レンコンも花形に切って酢水につける、出汁をとった昆布を縛る、里芋は六面になるようにカットし下ゆでする...不器用な手さばきでお花を型どり、ヌメヌメの里芋と昆布に苦戦した。煮しめは出汁をとって切って煮ればいい。ただそれだけの料理だけれど、下準備に時間と手間がかかるし材料費も結構かかる。なかなか贅沢な料理だ。だからお祝いの時は煮しめなのだろうか。正月に毎年母が作ってくれるおせちの煮しめを思い浮かべ、今年は煮しめをもっと味わって食べようと心に決めた。

 

お食い初め当日。きっと煮しめは味が染みていい感じ♪と自信たっぷりに鍋の蓋を開けると、煮しめがドロドロになっていた。私はびっくりした。蓋を手に持ったまま え?っと立ち竦みしばし呆然とした。煮しめってドロドロになるんだ。なんでだ。そろりそろりと鍋を箸で軽くかき混ぜてみると溶けた昆布が死骸のように現れた。味が染みすぎて溶けたのか?里芋も怪しい。煮しめをドロドロにした犯人を探すべく菜箸で現場検証を続けていると、苦労して花の形にした花レンコンが折れてしまった。いよいよもってキレそうだ。「奮発して良い干し椎茸を買ったのに..」昆布にキレそうになりつつも今日までの努力が実らず失敗したことが悔しく涙がこみ上げた。出産後の女性の情緒は不安定なのである。

しかしここでつまずいているわけにはいかない。母はガタガタに崩れたテンションをどうにか立て直し、赤飯を炊いて、酢の物、吸い物、丸ごとバナナを積み上げたケーキを作って旗を立てた。

その夜。家族3人でちゃぶ台を囲みお食い初めの儀式が行われた。夫の膝の上に我が子が座り、名前の刻まれた短い箸で食べる真似事をする。母は片手にiPhone、片手にデジカメを持って交互にその姿を撮影していた。息子は親が必死になって何かをやっている姿が面白かったのかニコニコ笑っていた。

お食い初めの儀式は3分程度で終了した。儀式終了後、ドロドロの煮しめをはじめとしたお食い初め料理を夫婦2人で食べた。サミットで焼いてもらった鯛が美味しいくて、来年の自分の誕生日にもサミットで鯛を焼いてもらうことを決めた。

 

頑張って準備をしたけれど息子は今日のことを覚えていないし、教えなければお食い初めの習慣があることも知らずに大人になるかもしれない。

だけど大きくなった息子が、赤ちゃんの自分が今よりも若いお父さんの膝の上で楽しげに食べさせてもらう姿を見た時に、自分は愛されていたんだということが伝わればいいなと思うのであった。

 

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