はじめての入院

たしか4歳くらいの時の話なのだが二階建ての社宅の古いアパートに住んでいた当時、そのアパートに住む子供たちと外で遊ぶことは毎日の日課であった。この日も5、6人で追いかけっこのようなことをして遊んでいたかと思う。子供同士でキャッキャッと遊んでいると2階のおばさんの部屋の排水路から水がチョボチョボと滴ってきた。この水の正体は洗濯機の排水である。古いアパートのため洗濯機は外置きとなっており、おばさんの洗濯排水がベランダから排水路を流れて下の階に滴り落ちてきたのだ。

その排水の出口が丁度遊んでいた子供達の目線くらいのところにあるものだから、子供たちは上の階からチョロチョロと流れ出る排水に興味を示し、おままごと用のコップを持ってきて汲んだりして遊んでいた。

もちろん私もチョロチョロと流れる排水に興味津々だった。そして排水を見て幼少の私が思ったことは ハイジの湧き水 であった。当時「アルプスの少女のハイジ」にハマっていたため、なにかと日常生活をハイジにこじつけて生きていた。

ハイジが住んでいる町を離れてアルムの山のおじいさんの家に向かう途中「暑い」と言いながら街の湧き水をすくって飲むシーンがあるのだが、どういう訳かそのアルプスの街の湧き水と埼玉の古アパートの排水が重なって見えてしまい、埼玉の少女さとみこんこんは洗濯排水を手にすくって飲んだのであった。ゴクンゴクンと上機嫌で排水を飲んだあと周りを見回すとドン引きする友人らの顔がずらりと並んでいた。さらに「何やってるの?」の声で後ろを振り向くと険しい顔の姉。これは完全にまずいやつだと小さいながらにその空気を感じ狼狽えた。ハイジになりたかった。ただそれだけなのに。この空気でそんな弁解もできず、私はただ黙って立ち竦んだのであった。

その夜。姉はもちろん洗濯排水を飲んだ妹のことを言いつけ、両親からこっぴどく叱られた。両親は激怒しながら「お姉ちゃんは死にたいんだって」と下の妹に言いながらこちらに冷たい視線を送った。辛かった。死にたいわけじゃなくハイジになりたかっただけなのに..そんなことも言えず私は泣きながら布団に入った。

翌日、何事もなく朝を迎えやれやれと思っていると昼過ぎに急に吐き気と腹痛に襲われた。とにかく気持ちが悪く「気持ち悪い、気持ち悪い」と母に訴えた。やはり昨日のあれが原因か...本当に死ぬのかもしれないとワンワン泣いた。

そうして私は母に連れられ、住んでいた町の中では比較的大きな総合病院へと向かった。

お医者さんにも洗濯排水を飲んだことで怒られるのかな...などと不安に思っていたのだが診察後、医者から告げられ診断結果は「盲腸かもしれないので今日は泊まって下さい」というまさかの答えであった。そのまま診察から入院へと移行していくのだが、てっきり洗濯排水を飲んでしまったことが原因だとばかり思っていたため、不安とか恐怖よりもなぜだ?が先行しわけもわからず病院のベットで横になっていた。洗濯排水を飲んだと知った時はめちゃめちゃ怒っていた母だったが横に付き添う母は「大丈夫だよ」と優しく声をかけてくれ、その声に安堵したように記憶している。

翌日。病院で盲腸の検査を受け、最終的になぜか病室のベットで尻を出すように促された。ギャーギャーわめく私を母が抑え、瞬時に看護師さんが私の尻に注射をした。数分後、猛烈な便意を感じ母に付き添ってもらいトイレに篭った。なんだよあの注射。後にそれは浣腸であったことを知るのであった。

はじめての入院は結局「盲腸の疑い」診断結果「うんこのつまり」ということで翌日、私は晴れて退院ということになった。

 

入院した経験というものは幼い頃はちょっとした自慢になるものだが、原因:うんこのつまりである私は入院した事実を心の片隅にしまい、誰にも話すことなく過ごしてきた。

そうして大人になった今、そろそろ胸の内を明かしてもいいかなとここに綴ることにしたのである。