はじめてのぎっくり腰

そもそも私は腰弱者なのである。側弯症という背骨の病気を手術した影響で、人よりも腰には気を使って生きていかなければいけないのだ。さらに現在妊婦という要素も加わり、弱点腰の素質はより一層強いものとなっていたのにも関わらず、わたしはそのことなどすっかり忘れ没頭してしまったのだ。掃除機の掃除に。

新年早々、勤め先の歯科医院の掃除機の吸い込みが悪く掃除機が止まってしまった。これはきっとゴミの溜まりすぎが原因だということで、スタッフオンリーの技工室という部屋で一人掃除機を分解し、中に溜まったゴミを出していた。髪の毛ホコリを筆頭に色んなものが絡まっており、使用済み歯ブラシなどを駆使してゴミをかき出していた。しかしいくらかき出してもゴミは出てくる出てくる。掃除機のフィルターは一向に綺麗にならなかった。ムキになって冷えた床に座りこみ、体育座りをした足の間にゴミ箱を挟み必至になって無限にゴミの出る掃除機フィルターと格闘していたのであった。

そしてことは急に起こった。腰が伸びたのだ。最初は本当にそう思った。その次に激痛を感じた。腰を伸ばしすぎて体の一部が切れたんじゃないかと思った。「痛い!」と一声あげた後四つん這いになった。そしてその状態から一歩も動けなくなってしまった。1ミリでも動いたら激痛。冷や汗をかきながら体を支え、私はなるべく体を動かさないよう務めた。

どうしよう。痛くて動けない。1人冷たい技工室の床で狼狽えた。これが俗に言うぎっくり腰なのだろうか。それならばもっとネーミングを考えた方が良い。ぎっくり腰なんてお茶目な名前にするな。痛すぎて息もまともにできない。もっと痛々しい恐れられる病名にするべきだろう。痛い...もしかしてあれか?厄年のせいか?本厄なのに「本厄でも本厄の年に子供を産む人はセーフ」という都合の良い迷信を信じてるからバチが当たったのだろうか...

激痛を感じてから2分くらい経過したくらいだろうか。だんだん体を支えている手が疲労でプルプル震えだした。しかし痛みは一向にひかず動いたら激痛。声をあげて応援を呼んだところで誰かに来てもらって解決する問題でもない。しかも今日は仕事始め。何かと忙しいのに迷惑もかけたくない。耐えよう。両手をプルプルさせながら引き続き四つん這いでじっとしていた。

新年早々ゴミまみれ。四つん這い。震えてる。私は一体何をやっているのだろう。気がつくと「ははは」と声を出して笑っていた。自分の滑稽さが可笑しくて情けなくて笑えた。

ひとしきり「ははは」と笑ったあと「ははは」と笑いながら今度は泣いた。自然と涙が溢れてきた。いつまでこんな格好でいればいいのか。笑いと悲しみは紙一重なんて誰かが言っていたけど、まさにそれだった。この状態は可笑しくも切なかった。

四つん這いになりおいおい泣いていると、ようやっとパートのスタッフが技工室にやってきた。部屋に入ってくるなりバラバラになった掃除機、散乱したゴミ、そしてその中で泣きながら四つん這いになっている私が目に入り、彼女は悲鳴をあげた。

おいおい泣きながら痛いよ痛いよと四つん這いのままボソボソつぶやくわたしを見て彼女は理解したようだった、こいつ腰をやってるなと。

出産経験のある彼女は速やかにわたしのそばに駆け寄り、腰をさすってくれた。

「今腰弱い時期だもんね...」彼女はわたしの腰をさすりながら言った。誰か来てくれたところで解決する問題ではないと思っていたが不思議とさすってもらうと少し楽になった。しかしさすってもらってもまだ動けるほど痛みは引かず、彼女も他に仕事もあるので数分後、私の元を去っていった。そして、私はまた1人になった。

涙は引いたが痛みは引かず、また1人で四つん這いになって手を震わせていた。

しばらくすると、また1人技工室に人がやってきた。今度は親ほど歳の離れた主任衛生士だった。主任は険しい顔で技工室に入ってきたかと思いきや、抱えてきたブランケットを何も言わずに私の横に広げ「さぁこっちに乗って!」と言った。そう言われても無理なのである。横に動けるならとっくに縦に動いて立ち上がっている。せっかく引いた涙がまた溢れだし「無理です、無理です」と言って手を震わせていた。「そうは言ってもこのままだと体も冷えていくし...頑張って!」頑張ってどうにかなるなら最初からそうしている。バカにしてないか?バカにしてるだろうぎっくり腰を...

その後も主任は赤子のハイハイを見守るかのようにほら!ほら!とブランケットの上に乗るように促した。仕方がないので恐る恐る体を動かしブランケットの方へと歩み寄った。案の定激痛。「あーーーーー!」負傷した足を死海に突っ込んだナウシカの如く悲鳴を上げ、なんとかブランケットの上に上陸。そして私の上陸を見届けた主任も他に仕事があるため私の元を去っていった。そして、私はまた1人になった。

ブランケットの上に四つん這いになって手を震わせていると、今度は主に電話などを取ってくれるスタッフがやってきた。

彼女は小さめの電気マットを持って技工室にやってきて、その電気マットを私の腰にあてた。

「私もぎっくり腰やったことあって...」彼女は電気マットで腰を温めたあと、腰のあたりをさすってくれた。やはり腰をさすってもらうと少し楽になった。

「手当って言うけど、本当に手を当てもらっているだけで不思議と少し楽になるんですよね」

確かにそうですね。と四つん這いになっているため俯きながら同意した。比較的手の空いていた彼女はしばし私の腰をさすってくれた。

しばらく私の腰を黙ってさすってくれていた彼女だったが、私の痛みは引かずまだ立てそうにない状況を不憫に思ったのか重症と判断したのか、彼女は私の腰をサスサスしながら彼女の信仰する宗教のまじないを唱えはじめたのだった。

「...痛みを取り除きたまえ.........ーレ!」

なんちゃらターレ!と唱えながら私の腰を勢いよくさすってくれた。私は無宗教ではあるが宗教を信じている人のことは否定しないしそれで気持ちが楽になったり元気になったりするのであれば良いと思っているが、何故だろう。相手から「宗教」を感じてしまうと憂鬱な気分になるのは。私だってクリスマスはお祝いするし、初詣には行くし、戌の日だって行った。だけどなんちゃらターレを信じている彼女のまじないをかけられた瞬間、私の気分は確実に重くなった。だけど、なんかもうそんなこともどうでもいい気分になり、神さま仏さまターレさま誰でもいいから早くわたしから奪った二足歩行を返してほしいと私も天に祈ったのであった。

2人の祈りが通じたのか彼女の手当が効いたのかはわからないが、時間の経過とともに激痛のピークは遠のき少し立ってみようかという気持ちになってきた。台にしがみ付いて鉛のように重たい腰を少しずつ浮かせた。ジンジンする痛みに耐えながら少しずつ、少しずつ。激痛を感じてからかれこれ30分。ようやっと私の二足歩行は復活した。

「よかった!」まじないをかけてくれた彼女は満足した様子でわたしの元を去って行った。よかった訳ではない。立つことはできたが治った訳ではないので、抜き足差し足忍び足で腰に負担がかからないようゆっくりした動作で私も仕事に戻ったのだった。

2日目はベットから起き上がることができないほど痛くなり、靴下もパンツもスムーズに履くことができず仕事を遅刻した。仕事に行ってもろくに働けないため早退しろと言われ早退し、帰宅後すぐに横になって体を休めた。3日目から痛みがマシになり、1週間もすれば何事もなかったように痛みが消えたのだった。

ぎっくり腰のことを欧米では魔女の一撃というらしい。ぎっくり腰より確実に良いネーミングだと思う。なんの前触れもなく突然襲った悲劇。相変わらず彼女には悪いがなんちゃらターレは信じないけれど、ぎっくり腰には「手当」が効くということを実感した。そして厄祓いにはやっぱり行っておこうかと思うのであった。神さまも仏さまもターレさまもよく知らない私が信じているものが一体何なのかもわからずに。