裸の付き合い

大きな風呂にのんびり入りたい。と、ふと思い立って近所の銭湯に行ってみることにした。街中にある銭湯に行くのはこれが初めてであった。

銭湯に行く前、私は用事があり出かけていた。そこそこ長い髪は美容室でセットされ、髪が落ちてこないよう念入りにピンとスプレーで固定されて頭はガチガチであった。2回シャンプーをしないと復活しない見込みである。銭湯に出かける前に30本くらい刺さっていたアメピンやUピンを一本残らず引き抜いて髪をほどいた。

さて銭湯の持ち物を準備しよう。

けれどもわたしは銭湯ビギナー。銭湯の持ち物がわからない。一体何を持っていけばいいのだろうか。バスタオルはまぁいるだろう。あと化粧水とかパンツか?とりあえずバスタオルと化粧水、替えの下着をビニール袋に詰めて家を出た。

近所の銭湯は徒歩五分くらいで到着する。住宅街に違和感なく馴染んでいる近所の銭湯。屋根よりも高い銭湯の煙突、入り口から漂ってくる石鹸の匂いに「銭湯!銭湯」と気分上々で扉を開けた。

ゆ の暖簾をくぐって中に入る。まず目に飛び込んできたのは「本日、シャワーでません」の張り紙であった。お湯が出ないってことなのか?華々しい銭湯デビューのはずが一瞬で雲行きが怪しくなった。

「お湯がでないんですか?」

「シャワーが使えないんだよ。カランからはでるよ」

身体の縮こまったおばあちゃんが番台からニコニコしながら言った。

カランから出るならまぁなんとかなるだろう。せっかく心弾ませて到着した訳だし、私はシャワーの使えない銭湯に入ることを決めた。

入浴料をおばあちゃんに渡す。どうやらプラス300円でサウナを利用することができるらしい。

「サウナも入ろうかな♪」

「女風呂のサウナはスチームだよ。やめときな」

なぜだいばぁちゃん?なぜ止められたのかは謎のまま銭湯ビギナーはおばあちゃんの指示によって脱衣所へと向かった。

開いているロッカーに手荷物を入れて服を脱ぐ。するとあることに気がついた。浴場に持っていくタオルがない。しまった。これは何かと不便である。服を着て再度おばあちゃんのいる番台へと戻り、50円で黄色いタオルをレンタルした。

改めて脱衣所で服を脱ぐ。脱ぎ終わってから銭湯ビギナーはまた新たな問題に直面する。脱衣所からいざ浴場へと入場する際に、タオルでどこを隠すべきなのか。上なのか。下なのか。当たり前だが上を隠せば下が出る。下を隠せば上がでる。何が正解なんだ。タオルを伸ばして両方隠す手もあるが気取った奴が入ってきたと思われないだろうか。

結局答えが出ず、上も下も隠すことなく黄色いタオルを握りしめそさくさと中に入り、適当な風呂椅子に座った。

浴場には6人くらいの老婆を主体とした女性達が風呂の椅子に座って頭や身体を洗っていた。そして皆カランを勢いよく連打押しし、桶に溜まったお湯で身体を流していた。カランから出るお湯は何故桶の半分も溜まらないくらいのところで止まってしまうのだろう。どうせなら満杯で止まればいいのに少量で止まる。めい一杯溜めてザブンとするため、私も先輩方に続いてカランを連打推しした。

髪がガチガチのせいか、私の髪は簡単には濡れなかった。カランを連打するだけでのぼせそうである。まだシャンプーまで辿りついていない。苦行か?ましてや今日の私は2シャンしなければいけないのに...

ようやく髪に水分が行き渡ったので備え付けのシャンプーに手を伸ばしポンプを押した。ポンプを押した瞬間にわかった。このシャンプーは薄められている。3倍希釈くらいだろうか?しかも洗った後ボサボサになる終わってるシャンプーだろう。周りをよくみると皆周知の事実のようでマイ・シャンプーを各々持参していた。

私はシャンプーも持っていなければ、タオルも忘れている。黄色いタオルをレンタルしている人など誰もいない。私は銭湯を舐めていた。心の底から悔やんだ。こんな薄められたシャンプーで今日の私のガチガチの頭がどうにかなることはない。

(仕方ない。髪は家に帰ってちゃんと洗おう。)

私は髪を洗うことを諦めた。レンタルした黄色いタオルでしっかり髪を包めば湯船に浸かっても迷惑をかけないだろう。今日の目的は大きな風呂にゆったり浸かることなのだから髪がちゃんと洗えなくてもそれでいい。それでいいのだ。

頭を適当に洗った後、同じく薄められた泡立ちの悪いボディーソープで身体を洗いイザ湯船!と颯爽に向かおうとした、その時であった。

 「あんた、そんな長い髪なのにもう洗い終わったのかい?もう一回ちゃんと洗いな」

バレた...ちゃんと洗ってないのをとなりのおばさんが見ていたのだ。適当に洗った頭で湯船に浸かるなという意味だろうか。この終わってるシャンプーでもう一回洗えば風呂に入る許可はもらえるのだろうか?できることならもう変なシャンプーで髪を洗いたくない。

「ここのシャンプーだと髪がちゃんと洗えないので、家に帰ってからまた洗おうと思って諦めたんです。」

申し訳ない!見逃してくれ!私は表情筋をフル活用して困った顔を作り、おばさんを見つめた。

「また家に帰って頭を洗う?入浴料払ってそんな勿体無いことするんじゃないよ。洗えるもん全部洗ってモト取らなきゃ。それにここのシャンプーなんか使い物にならないんだから持ってこないとだめだよ。わたしのシャンプー貸してあげるからもう一回しっかり頭洗いな!」

そういうとおばさんはプラスチックのボトルに入ったシャンプーとリンスをわたしに手渡した。よく見るとおばさんはプラスチックのカゴを持ちこんでおり、シャンプーのほか体を洗うタオル、歯ブラシ、軽石、その他諸々常備をしていた。洗えるもんは全部洗え!そのアグレッシブな心意気がプラスチックのカゴに詰め込まれている。

正直おばさんから借りたシャンプーでも自分の髪を洗いたくなかった。メリットだったら嫌だから。しかし気が弱い私は「助かります」と言って再び髪を下ろしてカランのお湯をかけ、渋々シャンプーをし直すのであった。

「あんた髪が長くて大変だろうからさ、わたしが手伝ってあげるよ」

そういうとおばさんは立ち上がり空いている桶を片っ端から集めてきた。

そしてわたしの横でカランを連打押しし、桶にお湯をため始めたのであった。

「どんどんかけな!」

わたしの足元にお湯の入った桶が続々と集まってくる。そのお湯をわたしは必死で頭にかける。おばさんも負けじとお湯を溜める。こうしてわたしとおばさんの間である一定のリズムが生まれた。椀子そば、そう、例えるならば椀子そば。ワンコソバのリズムである!

なかなか息のいいコンビネーション。そのうちおばさんはさらにノッテきたのか、右手と左手でカランを押せる位置に風呂椅子を移動し、両手でカランを長押ししだした。両手に体重がかかるように足をM字に開いて踏ん張り、全力で2つのカランを押していた。先程の2倍の速度で桶にお湯が溜まるもんだから、ワンコソバのリズムは崩れ桶は私の足元で渋滞した。わたしは必死だった。もう充分すぎるほど頭をすすいでいる。もういいだろう...もうやめてくれ。

「あら!久しぶりじゃないの。」

たった今浴場へ入場してきたおばさんがカランのダブル押しに勤しむおばさんに話しかけた。

「あら久しぶり!そうなのよ。ちょっと入院してたのよ〜」

病み上がりかよ...カランの押しすぎで血圧が上がって再入院とかにならないだろうか。

おばさんの監視のもと十分すぎるくらい頭を洗い、そろそろ解放されるのかと思いきや、

「ほら、背中も洗ってあげる!」

そう言うと病み上がりのおばさんは自分で持ってきた洗いタオルで私の背中を洗いだしたのだった。

(痛い.....)

おばさんの洗いタオルは鋭かった。こすると赤くなるタイプのやつである。おばさんは力を込めてわたしの背中を洗ってくれた。背中から血が出そうだ。しかしおばさんはたぶん善意。痛い!と叫びたいがクッ..と唇を噛み締めわたしは耐えたのであった。

もういいだろう。もう十分すぎるくらい体も洗った。大きな風呂にゆったり入らせてくれ。

「ありがとうございました。あの、お風呂に入ってきます」

さぁ、これでようやく念願の大きな風呂に入れる。壁の富士の絵がおいでとわたしを呼んでいる。黄色いタオルで髪を包み、風呂椅子から立ち上がって大きな風呂に向かおうとすると

「あっちの風呂は熱いからこっちの小さい風呂で慣らしてから入りな!」

出るまで全部チェックされるのだろうか。しかし私は銭湯ビギナー。言われるがまま回れ右をして指示された小さい風呂へと向かった。小さい風呂はサウナのとなりにあった。深さがあり、どう見ても水風呂であった。恐る恐る足を入れるとだいたい41度くらいの湯だろうか?水ではなく程よい湯加減の湯であった。おそらくサウナ後の水風呂のための風呂だったのだろうが、サウナ利用者がいないため水風呂をなくして優しいお湯加減の風呂場を作ったと推測。サウナ利用者がいない訳じゃなくて、あの番台のせいのような気もするけど。

妙に狭く深いお風呂に浸ってホッと一息ついていると、妙な風呂にソロソロと大人しそうなおばさんが入ってきた。狭い風呂に2人が並んだ。しばしの間の後、 

「あっちのお湯は結構熱かったんだけど、ここのお湯はちょっとぬるめでちょうど良いですね」とおばさんが声をかけてきた。

「そうですか。まだ入ってないんですけど、あっちのお風呂が熱いっていうのは聞きました」と返すと、大人しそうなおばさんはにっこり笑ってその後すぐに妙な風呂から出ていった。

今日は知らない人とよく喋る日だ。しかも裸で。裸の付き合いっていうのは、言葉通り裸になると心が開かれるのだろうか。特に女性はそうなのかもしれない。そういえば映画モテキの一コマで主人公の森山未来と一夜を共にした麻生久美子が「朝ごはん作ろうか?」とるんるんで尋ねると「うるせぇ!1回ヤッたくらいで調子のんな!」の勢いでキレられるあのシーン。あれは切なかった。劇場で狼狽えた。わたしなら翌朝無駄に早起きして勝手に朝ごはんを作ってる。裸になって心を開いて怒られるなんて切ない。一緒に寝たんだから調子に乗ちゃうわよ、ね!麻生久美子!!

なんてことを考えたり考えなかったりしながら妙な風呂から出て、ようやっと本日のメインでかい風呂に到達することができた。やっと会えたね!壁の絵の富士が微笑んでいる。念願の大きな風呂は半分が電気風呂、半分がジャグジーになっており、お湯加減は44度といった具合だった。まずは電気風呂。どんなもんかと入ってみると少しピリピリした感触が肌で感じられる。なるほど。速攻でジャグジーの方に移動した。ゆったり大きなお風呂に浸かりたい。わたしは目的達成の前に体力の限界に到達していた。ゆったりなんて浸かっていたら意識を失う。一体どこで歯車が狂ったのだろうか。最後の力を振り絞ってジャグジーへ突入。あ...ここのジャグジーは勢いがあります!強めのブクブクが肩や腰のこりに当たると思わず吐息が漏れ絶頂。400円で至福の時間を味わうことができます。クルっと回転し足裏も刺激しましょう。あ...効きますね!あ、いい!イイ!イ!ィ終了!

結局私は大きな風呂から3分もしないうちに出てしまった。壁の富士が泣いている。でももう限界であった。浴場の滞在時間は1時間を超えているんだからモトは取った。取ったぞ!!

スタスタと浴場を退出し脱衣所に入りロッカーの鍵を開けてバスタオルに顔を埋めた。顔を埋めたまま はーーーーとため息のような息をついていると

「ちょっと涼んでさ、汗が引いてから着替えな!」

すぐ横で病み上がりのおばさんが下着姿で扇風機に当たりながら私に言った。まだいたのか。最後の最後までおばさんは銭湯ビギナーにご指導ご鞭撻をしてくれたのであった。

「わかりましたー!」と言いながら私は速攻で着替えて髪を乾かさず銭湯を後にした。もうなんか疲れちゃったから早く家に帰りたかった。

体はまだまだ火照りきっと顔も真っ赤である。赤い顔に夜風が当たると冷んやりして気持ちがいい。なんか疲れちゃったけど、楽しかった。また行ってみようかな。病み上がりのおばさんはまたいるのだろうか。番台のおばあちゃんは今度はサウナに入れてくれるだろうか。銭湯に行ったことで、体も心もあったかくなったようだ。

「ただいま!」とほっこりした気持ちで玄関を開け、私は速攻でまた風呂場に行って髪を洗った。メリットだったら嫌だから。