坂本慎太郎のライブに行った話

先日坂本慎太郎のライブに行った。

わたしが坂本慎太郎氏のファンになった時にはゆらゆら帝国は解散していたため、わたしにとって初めてナマで坂本慎太郎を見ることができるライブであった。
また解散後初のライブということもあり、一般販売されたチケットは一瞬で売り切れ、多くのファンが待ち焦がれていた待望のライブということは確かであった。
幸運なことにチケットが手に入り、また坂本慎太郎好きが高じてSNSで知り合ったカシューナッツちゃんという友人とも行けることになり、わたしはこの日のライブを非常に楽しみにしていた。

当日、仕事を早々に切り上げて向かうは恵比寿。ナッツちゃん(カシューナッツちゃんの呼び名)と落ち合い会場へと向かった。
会場のリキッドルームに着いたのは午後6時45分。7時からステージ会場へ入れることになっていた。それまで酒を飲んだりして皆適当に時間を潰しているようだったが、わたしは今日は酒は疎か水も飲まないぞと思っていたので喉の渇きに耐えていた。できれば酒を飲んでふわふわと聴き入りたいところだが、尿意を催し雑念が混じってはいかんと我慢をした。

我々は物販で顕微鏡Tシャツを購入し、軽食をとり、トイレに行き、インフルエンザ対策のマスクをつけて万全の準備で坂本慎太郎のライブへと挑んだのだった。

7時半ごろステージのある会場に入り、ステージの右側のほうにナッツちゃんと場所を構えた。真ん中ではないけどステージまでの距離は5メートルくらいでなかなか良いポジションだった。

8時の開幕まで30分くらい時間があったので、ナッツちゃんとお喋りをして開演を待った。今日は1番何の曲を楽しみにしているかというベタな話から、坂本慎太郎が好きと友達に言って「坂本慎太郎ってだれ?」と言い返されてしまった場合、何と返答すべきか?など日頃なかなか友達には話せない悩みを語って待った。

そしてついに時計が午後8時を回った。けれども幕はまだ開かなかった。5分立っても開かなかった。

まさか坂本慎太郎が裏で今日は乗り気じゃないしやりたくないし帰りたい。とか言っているのでは...とぼんやりと考えていると、
カーテンが開き、『超人大会』の音色がゆるやかに会場を漂いだしたのだった。

なんと坂本慎太郎はステージの右端に立っていた。わたしの直線上に坂本慎太郎が立っている!ベージュ色のスーツを着て立っている!乗り気じゃないしやりたくないし帰りたい。と本当に言ってたんじゃないかと思うくらい気だるそうにギターを奏でている!!

念願の坂本慎太郎はわたしが想像していた以上に疲れた容貌をしていた。
その姿を見てわたしは緊張した...わたしがイメージしている歌声と全然違う声をしていたらどうしよう、と。

気だるそうな坂本慎太郎が口を開き、写真で見たことが〜と超人大会を歌い始めると、わたしは驚いたのだった。
イメージ通りすぎて心が震えた。何度も聞いたアルバムの音と何も変わらない、わたしが知っている歌声であることが嬉しかった。
そして坂本慎太郎が目の前で歌っていることに改めて感動したのだった。

感動したのはわたしだけではなく、この会場のほぼ全員が各々心を震わていたと思うのだが、
わたしの前を立った人は心を震わせて、
頭の上に手をいっぱいに伸ばし動画を撮影し始めた。
撮りたいよね、わかるよ。
わたしは首の位置を動かして、坂本慎太郎が見えるところへと首の位置を調整した。
しばらくすると、前の人の手が降りた。
やれやれと傾けた首を戻すと今度は手を伸ばしてストーリーを撮影し始めた。
わかるよ、わたしも撮っちゃいけないと知らず好きなバンドをストーリーに乗せて自慢したことがあるよ。
ストーリーが撮り終わると前の人は手を下ろした。そして今度は手を伸ばして写真を撮りはじめた。

若干の雑念がわたしの心の中で混じっては消えを繰り返していると、2曲目の『スーパーカルト誕生』が始まった。
音色が浮遊しているかのようにゆらゆらと漂って聞こえる。幽霊でもでてきそうな音にも聞こえた。

「人類が滅亡した地上で、ハトヤのCMがただ流れている、みたいなイメージ。」

収録されたアルバム 『ナマで踊ろう』のインタビュー記事で坂本慎太郎が語っていた言葉を思い出した。
ここは人類が滅亡してハトヤ。と少々頭が麻痺をしてゆらゆらと聞き入っていると、またわたしをパッと覚醒させるあれが始まった。

頭の上に手をいっぱいに伸ばした動画撮影。

いよいよもって腹が立ってきた。腹が立っては負けだ。落ち着け。ここはハトヤ。保存して何度でも見たい気持ちもわかるよ。でもその手邪魔だな。

わたしは葛藤をした。雑念が混じることを恐れて大好きな酒も飲まずに万全のコンディションでいるのに何故。。
気にしなきゃいいんだろうけど、これは妬みとかそういうんじゃなくて、わたしの空間を手を伸ばすことで邪魔されることが腹立つ。。。
会場は撮影禁止なのである。
結果から言うと前の人は、たぶんライブの3分の2をなにかしらの形で携帯に収めていた。
その度にわたしは首のポジションを微妙に変えないといけなかった。
手を伸ばすなと言えばよかったのかもしれないが、わたしも好きだから撮りたい気持ちもわかるよという偽善的な心が邪魔をして言えなかった。

そんな些細なことに苛まれつつも、目の前で繰り広げられる素晴らしい演奏と坂本慎太郎のいつもと変わらぬ歌声がわたしを魅了した。

ステージの中盤も過ぎた9曲目は、『君はそう決めた。』であった。この歌はお気に入りでPVも何度も見たし、カラオケでも歌っちゃうし、とにかく好きな歌なのだ。
なので、一緒に歌いたいくらいだったが、
「ライブで大声で歌うのは一番迷惑。」「あなたの歌を聞きに来ているわけじゃない。」
と以前ラジオで山下達郎氏が言っていたので、わたしも自粛するよう心がけていた。(状況にもよるが。)
私はそういう考えであったが、後ろの人は違うようだった。
なかなかの声量、そして甲高い声で君はそうきめたを歌い出したのだった。
今度は後ろか...
今まで黙っていた気持ちを解放するかのように後ろで気持ちよさそうに歌っている。
歌うのは自由、気にするお前がいけないよ。偽善なわたしがわたしを諭す横で
あんたの歌を聞きにきているわけじゃない!とわたしの心の中のヤマタツが叫ぶのであった。

解放された気持ちはこの曲で留まるわけはなく、次の曲の鬼退治もノリノリでお歌いになられ、わたしの心の中のヤマタツの怒りが頂点にさしかかろうとしていたその時、

きました!『ディスコって』です!
会場がわーっと盛り上がり比較的小さくゆらゆらとゆれていた観客の動きが一気に大きく派手に!そう、そしてあの方々も!
シャッターチャーンス!とばかりに手を伸ばす前方、待ってました!とばかりに声を張り上げ歌う後方。そしてそんな狭間のわたしって。

空洞です。
もう、わたしの心の中のヤマタツはおりません。
タートルネックのセーターの首の部分が気になりだして、気になって気になってイライラして、突然気にならなくなったあの瞬間によく似た感覚に陥いって、ふっと笑みが溢れた。

負けたのか勝ったのかよくわからないけど、ようやっとわたしは雑念から解放されたのであった。
西内氏の奏でるフルートの華麗な音が心に響いた。

『ディスコって』の流れからの『ナマで踊ろう。』は最高だった。ナマで踊ろうの終盤の坂本慎太郎の迫力がこのライブの一番の衝撃で、まばたきを忘れて目が霞み出すほど釘付けになった。けれど激しさの中に最初から漂っている浮遊感のようなものも感じられた。
『ナマで踊ろう』を演奏しきった直後、坂本慎太郎はステージ上にバサッと座り込んで目をつぶっていた。

5秒くらい停止して、突然むくっと立ち上がってまた何事もなかったかのように、会場を浮遊の空間へと切り替えた。そしてアンコールが終わるまでその空間は続くのであった。
こうして2時間の浮遊空間はあっという間に過ぎさった。

終わりです。

という坂本慎太郎の言葉で、パタリと会場全体が我に返り、みんないそいそと会場を後にした。

我々は、大好きな酒を我慢し、水も控えたため喉がカラカラになっていた。終わると一目散にビールを買いに行き、そしてこよいの夜に乾杯をした。
震えた。よかった。すごかった。かっこよかった。震えた。すごかった。
と、興奮からか短い単語でお互いの感情を伝えあい、こんな風にライブの感想を言い会える友達が欲しかったんだよと我々の出会いを坂本慎太郎に感謝した。


浮遊感漂うあの日のライブを思い出そうとすると、またさらに思い出した映像に靄がかかり、曖昧に、淡く、さらに浮遊感が増してあの日のライブは夢だったんじゃないかと思うほどであった。

だがあの日の前方と後方のことを、私ははっきりと覚えており、わたしはあの日の感情と向き合わずにはいられないのだ。そもそも自分の考えがおかしいのではないか、心が狭すぎるのではないか?いや、ガツンと言うべきだった。など、色々な回想が頭の中をめぐり、結局今も答えはでていない。

そう、今もまだ何がまともなのか、よくわからないのだ。


まともがわからない。