私には憧れのギターを買いに行ったのに結果ウクレレを買って帰ってきてしまった過去がある。
その訳はドレミファソラシドを覚えればなんとかウクレレで演奏できるくらいの力量が自分にはある。と思ったからだった。
しかしウクレレの持ち味は緩やかに和音をポロロンポロロンと響かせることのようにも思ったが、右も左もわからない初心者なので、コードよりもまずドレミファソラシドの方が優先順位が高いと考え練習に励んだのであった。
ドレミファソラシドを覚えたら次はリサイタルの日程を決めた。目的がないとダラダラしてしまうので、披露する場を無理やり設けたのだ。
3週間後は友達の誕生日会だな。
ちょうどいいタイミングで、高校時代の友達5人で集まる約束をしていた。そのうちの1人の誕生日も兼ねていたので、そこで1曲プレゼントをすることを決めたのだった。
ウクレレデビューの日。
久しぶりに会った旧友と、お酒を飲みながら食事と会話を楽しんだ。そして終盤にはこっそりデザートプレートを注文して「お誕生日おめでとーう!!」「きゃー!ありがとーう!」と女子がよくやるあれをやり、盛り上がったテンションでみな店を出た。
帰り道、わたしはみんなに言った。
実は、ウクレレを始めて今日はバースデーソングをプレゼントしたいと思う。
ということを。
すると、じゃあわたしたちは歌を。
といって、心優しい友人達はなんとわたしのウクレレに合わせてハッピーバースデーの歌を歌ってくれたのだった。
単音弾きだけど、心をこめてハッピーバースデーの歌を演奏した。みんなのやさしい歌声に合わせて。誕生日の友達も嬉しそうだった。
こうして新宿歌舞伎町の路上で行われた初のウクレレリサイタルは、なかなかの盛況で幕を閉じた。
そしてその模様は後日フェイスブックで公開されたのだった。
すると、一部の物好きが飲みの席で是非演奏をということになり、ウクレレ関係の無給仕事がポツポツ入るようになっていった。
私は飲みの席にウクレレをもっていくスタイルが確立されつつあった。
そんなインディーズ時代を地道に歩んでいると、やってくるものですね。メジャーデビューのお誘いが!
それは突然のことだった。
結婚式の幹事に任命され、打ち合わせに参加した時のこと。式の出し物の話になったときに、
「あ、そういえばさとみこんこんはウクレレ弾けるよね?弾けば?」
と接点のあまりない人から声をかけられた。
流石に結婚式というメジャーな場所で演奏できるレベルではないので、いや、わたしはちょっと...と引き気味に返事をしていたら、
声が大きくテンションの高いavex 勤務の人が
「えーやってよー!いいじゃん!やっちゃいなよー!」
嗚呼業界人。と感じるような一目を置くテンションで言いはなち、わたしは何も言えなくなってしまったのであった。
(本当にウクレレを弾くことになるのだろうか。)
不安な気持ちのままその日の打ち合わせは終了した。
未だ単音弾きでポッポと弾いていたウクレレ女に訪れた突然のメジャーの話。
やっぱりちゃんと習いに行こう!と私が向かったのは
ブーさんのご指導のもと演奏すると思っていたら、ブーさんは時々ふらっと来る程度らしく、指導は別の人であった。
生ブーさんを見てみたかったので残念であった。
カフェ兼練習スペースとなっている部屋には、先生である30代くらいの男性と、見るからにフラダンスを踊ってそうな60代くらいの女性と、わたしがいた。
わたしもフラおばさんもウクレレ初心者だった。
まずはじめにコードから教わった。この日、ドレミファソラシドのド字も習わなかった。
曲によっては、3つコードを覚えれば、それだけでアロハな音楽を弾くことができると知った。
カイマナヒラという曲はウクレレ初心者の定番らしく、その曲を先生とフラダンスなおばさんとわたしで演奏した。とても平和な時間であった。
こうして1回目のレッスンは終了した。
結婚式で弾くんだからもうちょっとレベルを上げないといけないな。あと何回か通わないと!
私はそういう意気込みでいた。
次の幹事打ち合わせの日。
出し物にウクレレを弾く話がでることはなかった。
結局結婚式でウクレレを演奏するという話はあの一回きりで、実際に演奏するということはなかったのだった。
というより、誰の記憶からもウクレレの演奏の話は排除されている様子だった。
この一件から、一目置くような高いテンションの人とavexは信用しちゃいけないし、人は結構適当にものを言うし、わたしはバカであるということを悟ったのだった。
メジャーの話がなくなったと同時に、インディーズの活動も激減した。
するとわたしのウクレレは、ケースにしまいこまれ、
部屋の片隅に追いやられ、
オブジェ化していった。
可哀想なウクレレ...
そんな可哀想なウクレレにさらに悲劇が襲う。
ある日、わたしは久しぶりにウクレレを弾こうとケースをあけてみると、
ウクレレに見事な穴が空いていた。
どうして穴が空いていしまったのはわからない。
家族に穴が空いている事実を伝え、誰が開けたのか聞いたが、穴を開けた犯人は見つからず事件は謎に包まれたままとなった。
そして残念ながら思い出の詰まったウクレレを私は葬ることとなった。
私は落ち込んだ。ウクレレに申し訳ない。もう2度と楽器をもつ資格がないと悲しい気持ちになったのだった。
◆◇◆
それから数年後。
職場の全社員で夏樹陽子さんのジャズコンサートに行くという強制企画があった。
会場となったカフェは、狭くて急な階段を上がった2階であった。
コンサートは小さな会場で、アットホームな雰囲気の中歌と演奏が始まった。
開始してから15分くらいたった時のことだ。
狭くて細い階段を、大変しんどそうな表情で上がってくる人がいた。
高木ブーだった。
(ブーさん...!)
ブーさんはわたしの想像していたブーさんよりもお年を召された印象で、
わたしが想像していたよりもお太りになっておられた。よりブーさんになっていたのだ。
しかし、色々と見た目が変わったブーさんだったが1つだけイメージ通りだったことがある。
アロハシャツを着ておられ、アロハな雰囲気を醸し出しているところだった。
今も変わらずアロハな男、高木ブーなのである。
わたしは、この日のジャズコンサートで1番心に響いたのは、アロハシャツを着た高木ブーさんに会えたことだった。
人生はきっと無駄なことなんてないんだ。
私はそうこじつけた。