自動車学校を卒業した

先週自動車学校の卒業試験があり無事に合格して卒業をした。卒業すると卒業式があるとのことだったので、花でももらえるのかと思って期待していたら本試験の説明だけをされて呆気なく終わってしまった。卒業しましたと涙を浮かべながら自動車学校の門の前で花を持って立っている姿をTwitterにでもアップしようかと思っていたら呆気なく終わってしまったので「帰っちゃうよもう2度とここに来ないけど本当にいいの?帰っちゃうよ」と思いながら挙動不審で受付を通り過ぎ、引き止められたらすぐに戻れるようにゆっくりと出口を出てみたりしたのだけど、誰にも呼び止められることはなくいつも通り駐輪場に止められた自転車に跨りそのまま帰路についた。

この半年間は週末のほとんどを教習所につぎ込み指導を受けていた。夫に子供を託し寂しくて涙する息子に別れを告げた日もあり、この年になって免許なんて取るもんじゃないと何度か後悔をした。私の人生後悔ランキングに運転免許の取り逃しはベスト3に入ってくるといっても過言ではない。何かを成し遂げようとした際に家庭持ちの場合は自分の都合だけではなく家族まで巻き込むことになることを私はこの運転免許取得の経験から学んだ。

グーグル評価2.2の我が母校自動車学校はコメント欄にはほぼ悪口しか書かれておらず、私はそんなことを知らずに入学し、入学後に母校の悪口をインターネット上で確認して心を痛めたのだけどまぁ書かれていることはわからなくもないという感じであった。おじさん教官たちは茨城弁で喋ってくるので何を言っているのかわからないことも事実だし、おじさん教官の口調がきつく私も喧嘩になりそうになった日もあった。あれは初めて縦列駐車をした教習の時間だった。飲み込みの悪い私が縦列駐車の駐車方法に手こずり同じ間違いを何度もしていると教官のおじさんが怒りだして強めの口調で「だから何でそこで止まるんだ!止まらずに左にハンドルを回せと何度も言っているだろう!」とめっちゃ怒ってくるのでイライラが頂点に達しこのままでは私はキレると判断したので「ちょと待ってください?ちょっと待ってくだい?ちょっと時間をもらっていいですか?」といって己を見つめ鎮まろうとアンガーマネジメントに徹することにしたんだけど「あぁ!どうぞどうぞー!だけどあなたの教習時間が短くなって追加講習が必要になるかもしれませんがね」みたいなことをサラーっと言ってくるので落ち着きかけたイライラが再び沸点に達しい運転席から走って逃げようと思ったんだけど、この学校は最悪です。どれくらい最悪かというと教官が主婦と教習中に口論になり主婦が走って逃げましたってグーグルレビューで書かれるだろう。もうこれ以上母校が極悪なデジタルタトゥーを刻まれる姿を見たくない。私は己と向き合い怒りに耐えた。耐えること5秒、正気に戻ることに成功。「大丈夫です。やります」と言いながらまた四苦八苦しながら縦列駐車に挑んだのであった。その日の教習の終わり、すっかり怒りも静まったので「今日は途中取り乱したりしてすみませんでした」と教官に謝ったところ「いやいや。最初だからできなくてしょうがないよ」なんて言われたのでじゃああんた大きな心で指導しなさいよと言いそうになっていたら「今日は縦列駐車の他にもやることがいっぱいあったからね。できなかったらまた貴重な時間と追加料を払って教習を受けることになってしまうからこちらもなんとかして終えてあげたかったんだ」とおじさんに告げられた。怒る方も怒るなりに事情はあるわよねとその日は終わったのだけど、卒業式の日のアンケートでしっかり「私はこの教習所で教官と喧嘩をしそうになったことがありました」と記入をして提出をした。

運転免許は本試験に合格して取得となるので本当に合格したと喜ぶまではまだなのだが、試験勉強をして仮免許の時のように筆記で落ちないように頑張りたい。運転免許の合格率は70%くらいらしく、気合いを入れて満点さまに取り組もうと思う。

最後に免許を取得したら行ってみたい場所ランキング発表します。

第3位...筑波山

第2位...山新(すごく大きなホームセンター)

第1位...つくばわんわんランド

clubhouseについて

数週間前からclubhouseを利用するようになった。使ってみて思うことはなんかclubhouseを今後も利用するユーザーは少なそうだなと感じている一方、自分には使い勝手の良いサービスだなと感じている。

仕事を辞めて専業主婦になり1才の子供の世話と家のことをし親類知人が住んでいない地方に引っ越しをし感染症が蔓延してしまった私の生活は、人と話をする機会がめっきり減って段々喋る機能が衰えてきているように感じていた。夫とはよく話はするのだが、家族以外の誰かとも話をしたいという思いも感じていて、そんな時に彗星の如く現れたのがclubhouseだった。私はclubhouseを主に夕飯の準備中に発信し、ご飯を作りながら私の部屋にやってきた誰かとおしゃべりをするという試みをはじめた。zoomやLINEとかで話をするよりも気楽で身なりも気にしないですむし、家事も進むし、clubhouseいいやんと思っていた。

そんなふうにして久しぶりに人とおしゃべりをするようになった中で、自分は人に同意してしまいがちであるということに気が付いたのだった。「2人きりで喋るということは気まずくないか」との知人の問いに「まぁ確かにちょっとね」などと答えたのであるが本当は全然そんなこと自分は思っていなかったのにと後から振り返ったのだが、咄嗟に相手に同意をしてしまったのだ。これは今回に限らず私の人生こういうことが多かったと思っているのだが、相手に合わせることで仲を深めたいとか反論するのが面倒とかそういう気持ちがあってそれがもうクセみたいになってんだろうなと今更悟ったのであった。情けない。

上野千鶴子さんが今回の森喜朗氏の会見についてお話していたのだが「森氏のことも問題だがあの会見で黙ったままや笑った記者、関係者がいたことが大問題。あそこでちょっと今の言葉はおかしくないですか?と誰も発しなかったことが1番の社会問題だ」というような内容のことをお話されていたのを聞き、人に対して無意識に同調してしまう自分は社会的にも大問題なのではと目眩がする気持ちとなったのであった。

 

clubhouseの真っ当な使い方はテーマに対していろんな立場の人が自由に議論したり対話をしたりできることだと思っている。一番感動したのは「粘菌」をテーマにして人工生命とか精神学とかロボット学についての意見交換をしていた部屋があって、そこで現役高校生がスピーカーとなって大阪大学の特任准教授やその道の研究者にあれこれ質問をしている様子を聞いて、素晴らしいなと、その高校生の興味関心を自分の言葉として発している姿に、私は一体今までの人生何をやってきたのかと自問自答させられたのだった。

最近つくづく思うのは自分の考えや意見が自分がいかに言えない人間であるかということ、もういい大人なんだからきちんと意見が述べられる人間でありたいという気持ちを強く感じている。ブログも、私のブログは私の考えというより私の出来事を感情的に書いているものが多く、もうちょっとよく考えるクセをつけて自分の考えがきちんと書いてあるようなブログも書けるようになりたいと思う。

 

今は主に「さとみこんこんのお料理しながらおしゃべりリハビリ部屋」ばかりやっているのだが、テーマを決めてあれこれ話をする部屋もやってみたいという気持ちでいる。それまでみんなclubhouseをやめないでほしいと願っている。

 

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思い出のナポリタン

ハイエナズクラブというインターネットサイトに所属しているのだが、この話はハイエナズクラブに加入したての初々しいころの話である。

過去の記事にハイエナズクラブに加入するまでの愛と感動のブログがあるので興味のある方はそちらもご覧いただければと思うのだが、簡潔に説明すると私がハイエナズクラブに加入できた経緯はソウルバンドグループ・思い出野郎Aチームでもありハイエナズクラブの同メンバーでもある増田さんの気配りが70%くらいを占めている、と勝手ながら思っている。

もともと思い出野郎Aチームのファン、そして実は当時私はチームの中では増田推しであった。ある日お料理上手の増田さんがナポリタンなどのスタミナ飯を作って振る舞うイベントを阿佐ヶ谷のロフトでやると聞いてこれは行きたいと意気揚々にして参加を決意した。

当日。仕事が6時前くらいに終了して夜の8時からのイベントまで時間があったので、シラフで行くのも何だしちょっと酔っ払って行こうと、神保町のお気に入りの店に寄った。通されたコの字カウンターの隣は馴染みの常連のおじさんだったため、一緒に日本酒や焼酎を飲んで楽しくやっていた。楽しかったからなのか酒は強い方だと自負している私が酔っ払ってしまい、あれ今日はちょっとやばいなと思っていた時に事件は起きた。楽しくやっていたおじさんの隣に座っていたおじさんと私はそのおじさんのあだ名について口論になってしまい、酒場でおっさんとあだ名を巡って喧嘩になってしまったのだ。私と楽しくやっていたおじさんが「おい、やめとけよ」と焦って止めに入ってくれても酔っ払っていた私の感情は止まらず、相手のじじいも譲らずで競っていたのだが、不意に時間を確認したところ時刻はとっくに8時を過ぎており、こんなところで喧嘩してる場合ではない阿佐ヶ谷で推しの作ったスタミナナポリタンが待っている!と我にかえりじじいとの喧嘩を切り上げかけ足で阿佐ヶ谷を目指したのだった。

酒の酔いと客と喧嘩をしたまま飛び出してしまった後味の悪さとで気分の悪い状態で阿佐ヶ谷に到着した。店に入るとハイエナズクラブの編集を手がける赤祖父さんがおり、スタミナ飯を楽しんでいたのでその席に入れてもらうことにした。赤祖父さんに現在具合が悪い旨を伝えながら、私は忍法「酒で具合が悪くなった体は酒で治す」を使った。これは酒飲みによくみられる術なのだが悪酔いはシュワっとした酒を飲むと治ると信じジントニックなどを注文し復活を試みるのだが、このジントニックが効いた。もうナポリタンなんて絶対食べられない状態になりそんな私は次に忍法「夜風に当たる」を使い、一旦店から飛び出したのであった。

 店から飛び出して1時間半くらい経過したであろうか。途中コンビニで水を買い、水をちびちび飲みながらあまり馴染みのない阿佐ヶ谷の街をウロウロしていた。今回の忍法が効いたのか随分気分もよくなったのでロフトのある方に戻っていくと、帰宅途中の赤祖父さんに出会いまだウロウロしていたのかと問われた。心配して声をかけてくれた赤祖父さんにだいぶ良くなったのでこれから店に戻りますと告げ、そうして赤祖父さんと別れた。

そしてロフトに再び舞い戻り、推しのナポリタンを食べて帰るぞーと小走りでカウンターに向かうと、そこには待ってました推しの姿が。酒と疲労で充血した目をギラギラさせながら推しにナポリタンを注文するともう閉めましたよ。とまさかの言葉が返ってきたのであった。

ナポリタンを胸に走ったあの日酒場で喧嘩したあの時夜風にあたりながら呻いたこの時が走馬灯のように駆け抜けていく。そんな私が使ったのは忍法「駄々をこねる」で頑張って駄々をこねたがまぁ普通に聞いてもらえず一筋の涙が溢れそうになっていたその時「あの、もしよかったら私たちが食べているスタミナナポリタン、一緒に食べませんか」と2人の女性が声をかけてくれたのであった。

心優しい2人のお誘いに「いいんですか!」と充血した目をギラギラさせながら答え、一緒に席に座って待ちにまったナポリタンを頬張った。1つのお皿を3人で囲んで食べた推しのナポリタンは本当に美味しかった。天使みたいな2人と会話を弾ませる中で、2人ともハイエナズクラブのファンでもあることを明かしてくれた。そんな2人に私はすかさず自分はハイエナズクラブのメンバーであるんだよとお伝えしたところ「すごい!本当ですか!お会いできてうれしい!」と100点満点のリアクションで返してくれたもんだから、すっかり気分が梅宮辰夫になってしまい「このあと飲みいくぞー!」とまだ1記事も書いていないのにいい気になってハイエナズファンを飲みに誘ったのであった。1人の女性は早朝に予定があるとのことでお断りされたのだが、もう1人の女性は「飲みに行きたいです!」とまたもや天使みたいな笑顔で私の誘いに乗ってくれたもんだから、これはかっこつけないといけませんなとその女性を新宿二丁目にあるゲキ渋なBARに彼女と終電に乗って移動したのであった。

渋いBARに到着し、私は出会いと完全復活を願ってジントニックを注文したのだけどこのジントニックがまぁ効いてしまい本日1番の最悪なコンデイションになってしまった。もう女性1人を残して忍法夜風も使えないし、どうしようかと悩んだ私は忍法「トイレに篭る」を使いその場を一時立ち去った。

くそぅ....せっかくファンをBARに連れてきたのにこのままではカッコがつかない...ワンチャン狙う男のような心境で私はグラグラ揺れる頭を悩ませていた。そんな私が最後に使った忍法は「嘔吐してリセットを試みる」で精神を集中させて試みたが、今にもキマリそうなのになかなか山を迎えることができずトイレでもがき苦しんでいた。しかし長時間の篭りは人様の迷惑になるので一旦中止し、ハイエナズクラブファンが待つ席へと戻った。「大丈夫ですか」ファンの呼びかけに大丈夫と言えなかった。「帰っていいですか...」この言葉を本当に言いたくなかったのだが、思わず本音が出てしまった。でもとてもこのままBARで飲み続けるなんてできなかった。阿佐ヶ谷から終電で連れてこられて、薄暗いBARに入店させられ、ほぼ1人で席で待たされるという仕打ちをされたというのにそれなのに女性は、ハイエナズ天使は「もちろん!帰りましょう!今日は帰った方がいいです!」と200点満点の返しをしてくれたのだった。

こんな恥ずかしい姿をさらけてしまい情けなかった。最後くらいかっこつけないとと私の中の辰兄が私を励まし、BARの支払いをしてファンに5000円を握らせ「気をつけて帰ってくれよな」とヨタヨタになりながらタクシーに乗りこんだ。そんな私をファンはタクシーが発車するまで見届けてくれたのであった。

タクシーで猛烈な吐き気に襲われ気持ちわりーと呻き運転手に恐怖を与えながら、なんとかなんとか自宅に到着した。そうして到着後すぐに今日1の山を迎えトイレに駆け込んだところ、苦労してありついた推しのナポリタンを再び地上に舞い戻らせたのであった。私はそのナポリタンを見つめこの過ちは今日のどこにあったのだろうか?とぼんやり考えた。考えたところ2人の天使に辿り着くには今日の出来事が何一つ欠けてはいけなかったという考えに行きつき私の中の紀香がオールオッケーやで!と言いながら踊りを踊り出したので眠ることにした。

 

♢♢♢

 

 この日の出来事から早3年が過ぎ1記事も書いていないのにハイエナズクラブの名前を使って女性をBARに連れ込んでいた私も、年1という激遅なペースで現在3作の記事を完成させた。

 

 あの日のハイエナズ天使のお2人。お元気でしょうか?まさか8時開店が当たり前だった世の中が8時閉店を促すようになるとはあの時は夢にも思いませんでしたね。先の見えない日々ではありますが、どうぞお身体を大切にお過ごしください。そしていつかまた一緒に心置きなくナポリタンを囲んで食べられる日が来ることを願っています。

最後になりましたが私さとみこんこん、最近ハイエナズクラブで記事を書いたのでよかったら読んでください。

 

hyenasclubs.org

 

 

 

 

 

今年の目標がうがいだけになってしまった

昨年から気合いを入れていた文学フリマに新年早々に申し込みをし、準備を進めていた。しかしコロナウィルス感染拡大にる緊急事態宣言後、京都・広島の文学フリマが中止となってしまった。東京は5月だし、その頃には落ち着いているかもしれないと思う反面今までそれを何回思っていろんなことが中止や延期となったかを考えた時に、文学フリマの雰囲気を味わいたいというやる気だけでは今年やりきるモチベーションが維持できないと判断し申し込みを取りやめた。残念というか今年はいいやという気持ちが大きい。

そして車を買うという意気込み。世界は脱炭素社会に向かっているというのに私は車を買っていいんだろうかという気持ちが大きくなっている。正直今車なくて不便をしていないのでカーシェアとかレンタカーなどの選択肢を使えば別に我が家はそれでいいんじゃないだろうかと思いはじめ、もっとよく検討しようという気持ちが強くなった。だから今年は車を買わないかもしれない。今一番ほしいのは泡立て器である。

そうすると今年の目標はうがいだけではないか!と思ったのだが、英語を頑張るという目標があったことを思い出した。私には英語がありました。この場を借りてオンライン英会話を始めてわかったことを発表します。

 

外国人は皆納豆を知っていると思っていたが、皆納豆を知らない(茨城の説明をする時に納豆で有名なんだと言うのだが皆知らず、納豆の説明までする羽目になる)。

今年の振り返りと来年の目標

実は今年から新年に目標を立てて取り組もうと意気込んでいたのだが、その目標というのが「絵と漫画を頑張る」であった。小さいころから絵を描いたり漫画を描いたりすることが好きだったので、もしかしたらブログを書くことよりもそちらの方が楽しくマメにできるのではと考え、世界堂にペンを買いに行き、値段を見間違えて買ってしまった1000円の立派なスケッチブックに絵や漫画を描いてツイッターにあげていた。その時に描いた2コマ漫画はケアムーラさんのホームページに載せてもらいそれを励みに描いていた

www.initial-kurita.com

 

「実は今年は漫画を頑張ろうと思って」ギャルの頃の友人達に今年の豊富を伝えたところ多数の見てみたいの声をいただき、恥ずかしながら皆にリンクを教えて漫画を披露した。すると「めっちゃウケる!」「才能ある!」「書籍化しろ!」など非常に高評価でツイッターでは毎度2イイねくらいだなんてことは忘れてしまうほど喜んでくれた。持つべきものはギャルの友達。ギャルはポジティブなことしか言わないからね。

しかし漫画家生命は短かった。3ヶ月もしないうちに描くのをやめてしまった。理由はわからないけど描かなくなってしまった。ただ絵と漫画よりもブログの方が継続できるということがわかった。せっかく快く迎え入れてくれたケアムーラさんに申し訳ない気持ちでいます。

 

◎ここからは来年の目標です

 

英会話を深める

引っ越してきたマンションで知り合ったインド人ファミリーと仲良くなるために始めた英会話も4ヶ月目となった。英会話を始める前はまず外国人に英語で話しかけるということに緊張して「はうあーゆー?」と言うぞと意気込みながら口から出たのは「ナイスチューミーチュー!」で私もあなたもびっくり、その後はあとが続かず自転車に乗って逃げる。本当にそんな状態であった。

オンライン英会話でこれは身についたと思うことは、外国人に対して過度な緊張をすることなく話しかけられるようになったことである。あと英語で話すということは英単語を覚えるのとは別で、違う神経回路を使っている感じがしている。だから単語を覚えるだけではなく英語で話して英語を喋るための能力を鍛えていく必要があるなと感じているので来年もオンライン英会話を継続していきたいと思う。

 

同人誌を作ってみたい

文学フリマのお知らせやツイッターの名前が○○文学フリマA14みたいな人を見かけるたびに「私も文学フリマに出展してみたいな...」と思っていたので挑戦してみたい。調べて見ると来年は5月16日が文学フリマ東京の開催予定日なんですね。半年で同人誌を作ることができるのかわからないけれど、文学フリマに出るぞの気持ちを抱いて新年早々に準備を初めていきたいと思う。仲間を探すか、一人でやろうかを考えている。複数人でやるなら私が人の唾液ばかり計測していた時にテレビ東京のディレクターが言いだしたセクハラの話を書こうと思っている。1人でやるとそれだけではスペースが余ってしまうので、フロスの話や海外の歯医者体験記をまとるのはどうかと構想中である。

当日は子供を背負って私の魂込めたZINEを頑張って売っていきたい。

 

 

車を買いたい

その前に無事に免許が取れないとアレなのだが、来年は車を買いたい。つくばで暮らして約半年、今現在車が必要かどうかでいうと別になくても生きていけそうなのだが、つくばは風が冷たく寒いので自転車で子供を連れまわすのがちょっとかわいそうだなと思いはじめた。維持費もかかるし避けられればそのほうがいいのだが...

全然車に興味がなくてよくわからないのだが、教官になんの車がいいか運転しながら相談に乗ってもらったりしている。今はホンダのNボックスがいいかなぁと思っている。

 

 

真剣なブクブクうがい

顔がたるんできたのとほうれい線も入りはじめたので真剣にブクブクうがいをすることにした。方法は簡単。水を口に含んでほうれい線を伸ばすようにブクブクうがいを高速で左右しっかりやったあとに鼻の下のあたりに水を移動させて高速でブクブクする。口が疲労して水が溢れてくるまで耐えながらやる。これを歯を磨いた後や帰ってきた時など、うがいをする時に必ずやっている。(一日5、6回)ぜひこのさとみこんこん流ブクブクうがいを試しにやってみてほしい。終わった後鏡を見ると口角があがって可愛いアヒル口になってることに驚くことでしょう!!!

 

来年はコロナが終息しますように。良いお年をお迎えください。

 

 

仮免許を取得した

「こんにちは!何歳ですか?」

と笑顔で声をかけてくれたのは教習所学校で私とペアを組まされた女性である。仮免許試験に合格した私は応急救護の講義を受講し、心肺蘇生法の実習でペアを組んだ女性と自己紹介をすることになったのだった。

名前よりも好きな食べ物よりも先に、年齢を聞いてきたことに戸惑いつつも別に年齢を隠しているわけでもないので正直に、ゆっくりと彼女に答えてあげた。

「さんじゅう...さんさいです」

そう答えたところ彼女は目だけこちらを向けてわかりやすいように固まってしまった。

彼女は教習所は学生が通うもの、若いうちに取得するものとでも思っていたのだろう。そういう固定概念から免許を取り遅れた中年にうっかり年齢を聞いてしまって今に至っているのだろう。リアルババ抜きで元気よくババを引いて自滅した彼女が不憫であった。

「学生さんですか?」

せめてワカクミエマスネ!くらいのお世辞をいう機転をきかせろよと思いながら固まってしまった女性に尋ねると「はい!大学生です!」と言って彼女は息を吹き返した。

きっと彼女は私に萎縮しこれからの実習もやりにくいだろう。ここは大学生に大人の余裕ってやつを見せてあげようと思った私は

「こないだの仮免許の試験、実は1回落ちちゃって」

などと世間話を始めたところ、彼女はまた目だけこちらを向けてわかりやすいように固まってしまったので心肺蘇生でもしてあげようかと思ったところ教官から自己紹介を終えて実習に移りますと指示を受けた。私の自己紹介はバカなババアで終わった。

 

 

その日は応急救護の講義の後に初めて路上教習も体験した。まさか仮免許を取得したら即路上デビューできると思っていなかったので、心の準備及び気合いを入れる間もなく「さぁ行ってみましょう」といった感じで路上に放り出されてしまった。

何も考えずに予約を入れてしまったので、夕方の薄暗い道路の治安が悪くなる時間帯に教習をする羽目になってしまい、心の底から震えた。すっかり怯んで腰が抜けてしまった私は怖くてまともに運転できない精神状態に陥った。「アクセルを踏め!アクセルを踏め!」教官が助手席で吠えながら横から手を伸ばして運転してくれた。

しばらくそんな状態で走行しているとばんどう太郎が目に入った。暗くてあたりはよく見えなかったが、ばんどう太郎の看板だけは確認できた。あれがばんどう太郎か。ことりサークルのママ友がよく行くと言っていたなと思い出した後、素早くばんどう太郎の位置情報を認識し、私は運転に集中した。

三車線の大きな道路に入り時速60キロで走行するよう指示を受けた。初めて出す時速60キロにまた私は腰が抜けそうになった。横から猫が出てきたらどうしようという考えで頭がいっぱいになり吐きそうになった。こんな速度私には見合わない。そう判断した私は50キロくらいが私には適正じゃないかなと教官の目を盗んでアクセルを緩め始めた。するとまた「アクセルを踏め!アクセルを踏め!」と煽られるので渋々アクセルを踏んだ。「今あなたの後ろでっかいトラック走ってるから緩めちゃいかん」その言葉で初めてスピードを出す意味を理解した。そうか私が急に緩めたら後ろから衝突されるのか。私はその時今日初めてバックミラーを視界に入れた。後ろには大きなトラックの姿が見えた。危ない。視野が狭くなっている。ばんどう太郎を見ている場合ではなかった。

人類はなんでこんな速い乗り物を作ったのか、私には不釣り合い、私は万年自転車でいい。そんな言葉を頭の中で走行させながら60キロを意識して運転した。途中方向指示器の右と左を3回間違い「頼むから右と左を間違えないでくれ」と懇願された。私は右と左をめちゃめちゃ間違えてしまうのだが、これはたぶん職業病で、歯科界では患者の右側というと自分から見て左側のことで左則は右側。歯式の見方は右側は左側の情報で左は右側の情報と解釈するのだ。だからだと思うのだが、右と言われると左側に方向指示器を出すというミスを何度かしている。たぶんそれが原因だと思う。気をつけなければならない。

脇見運転で確認したばんどう太郎をまた通過して、なんとか教習所学校に戻り、車から降りて地に足がつくことに感謝した。久しぶりに「恐怖」というものを感じ、体が高揚して寒いはずの室外が全く寒さを感じなかった。こんなにカロリーの消耗することをこれからもやっていかないといけないのかと思うと気が重くなったけれど、なぜか帰り道自転車を漕ぎながら「川口に住んでたの?俺昔あれよく言ったんだよ、西川口オートレース、あの音がいいんだよな!」と車内で話てくれた教官の言葉を思い出し明日も頑張ろうかという気持ちになったのだった。

 

 

 

仮免許試験に落ちてしまった

題名のごとく最近受けた自動車教習の仮免の学科試験に落ちてしまった。教習所のホームページに満点様という模擬試験のアプリがあるのだが、その満点様でテスト勉強を始めたのが試験三日前。模擬テストをこなしてもこなしても表示される不合格の文字。受かる気がしなかった。二択なのになぜ合格ラインに達しないのだろうか。そして満点様はどうしてこんなに紛らわしい問題ばかり問うてくるのだろうか。日頃、紛らわしいという単語にまぎわらしいだっけ?まぎらわしいだっけ?の二択に悩んでいる私には教習所の問題は難問であった。とにかくベストを尽くそう。私は子に授乳をする時間を使って必死に満点様をこなした。

試験当日。基本平日しか行っていない試験を受けるために夫に有給をとってもらい、子を託して会場に向かった。緊張して夜中の1時に目を覚ましてしまいそこから数時間眠ることができず気分は最悪だった。

憂鬱で最悪な気分で向かう教習所は朝の8時半集合であった。受験者は私の他に20歳くらいの女の子が1人。三つ編みをした可愛らしい子だった。技能試験の前に仮免受験生二人は教室に集められ、教官から試験にあたっての説明や諸注意、心構えの話を聞いた。とにかく緊張しないで70点を目指して頑張りなさい。緊張して眠れなかった私に教官からの熱いメッセージは心に響いた。そうだ70点を目指して頑張ればいいのだ。満点様で満点を目指していた私には肩の荷が降りる言葉であった。

まず三つ編みの女の子から技能試験がスタートした。運転席に女の子、助手席には教官、後部座席には私が座り見慣れた教習コースを走行した。女の子はテキパキと運転し、後方確認もきちんとしておりとてもスムーズに運転していた。上手だなと思いながら自分も後部座席で運転の手順を確認していた。私も彼女のように上手に運転できるだろうか。順調に軽快に進む車内が突然ガタンと揺れたのは試験コースも残りわずかというところであった。ガタンと揺れてからの彼女の運転は気が動転しまったからなのか、あんなに丁寧に確認していた後方確認も進路変更も忘れ、そのままクランクのコースへと進んでいった。彼女はなんてことない道で脱輪してしまったのであった。

なんであんな何もない普通の道で落ちたのだろうか。

「ブブ...」

私は笑い声を出さないよう踏ん張りながら笑った。幸いこのご時世、私の笑みはマスクのおかげで彼女には見えていない。多分きっと自分の後部座席でめっちゃウケていたとは気がつかなかっただろう。

その後彼女は順調に運転し、コースを完走した。

「君ちょっとこっちへ、後部座席の君はこのまま車に乗ってて」そう言って彼女は教官に連れられ角の方で何故あそこで落ちたのかと問われていた。

待つこと数分。三つ編みの彼女と私は運転を交代し、私の試験の番となった。突然脱輪してしまったことを所どころで思い出し笑みが込みあげたことがリラックス効果となったようで私は順調にコースを進み完走することができた。

運転終了後、教官からもよく注意して運転できていたとお褒めの言葉をいただき、ホッとしながら後部座席の荷物を取ろうとすると、三つ編みの女の子がニコニコしながら私の荷物を持って車から降り、そのまま手渡してくれた。心配りのできる優しい彼女のことを笑ってしまった。いい歳のくせに人の失敗を歯を食いしばりながら笑ってしまった。心を痛めながらお礼を言って彼女から荷物を受け取った。

その後待合室で待機し、技能試験の合格発表を待った。待つこと数分、合格発表のアナウンスが流れた。受験番号2番の私は合格、1番の彼女は不合格とういう結果が提示されたのを見て「やっぱり」と思いながら1度自宅に帰宅。昼食を食べ子供に乳をあげ、また教習所に戻った。

そしていよいよ午後は自信のない筆記試験である。受験者は私の他に20歳くらいの男性が二人。三つ編みの彼女の姿はなかった。

私は途中お腹を冷やしたら困ると膝掛けを持参した。膝掛けを体にグルグル巻きにし、少しでも冷気を浴びて腹を壊さないよう厳重の注意を払って試験に挑んだ。試験は50問の100点満点、90点以上が合格である。私は頭の中で唱えた「満点をとらなくていい90点でいいんだ!10問間違えて大丈夫。大丈夫大丈夫!」そういって自分を鼓舞させた。試験中自信のない問題はあとで見直すためにメモの欄に問題の番号を書いておいた。自信のない問題は全部で11個溜まってしまった。間違えられるのは全部で10問。どうしよう。11個もわからないけどどうしよう。でも自信のない問題が全部間違えているとも限らないし大丈夫!大丈夫だよ!私は試験の最後の最後まで自分を鼓舞して試験を終えた。

試験終了後はまた待合室で待機をし、合格発表を待った。待つこと数分、合格発表のアナウンスが流れた。受験番号2番と3番の男性2人は合格、受験番号1番の私は不合格との結果が提示された。落ちた。私は思わず立ち上がって周りを見渡した。すると受験番号2番と3番がこちらを向いてニヤニヤしていた。「膝掛けまで持参していたくせにあの人は落ちた」私にはわかる、声を発してはいなかったが彼らの目がそう訴えていた。いてもたってもいられなくなった私は「あの落ちてしまったのですが!」と教習所の受付に駆けこんだ。

フラフラしながら教習所を後にした。そのへんにいた送迎の運転手のおじさんにも「あの落ちてしまったのですが!」と落ちてしまった胸の内を打ち明けた。おじさんからは満点様をしっかりやって次頑張りなさいと激励をいただいた。

自宅に帰宅後。有給をとって応援してくれた夫に試験に落ちてしまったことを伝えるのはとても心苦しかったが、夫は私の報告に対してベストを尽くしたならしょうがないと励ましてくれた。夫の優しさに感謝すると同時に11問も自信のない問題があってこれはダメかもしれないと思ったと試験当時の心境を報告すると、10問だろうが11問だろうが間違えられるのは5問だから。と想定外のことを言われて驚いてしまった。間違えられるのはたった5問という事実を知り、改めて仮免の難しさを思い知り次こそ合格できるように満点様をやり込もうと心に誓ったのだった。