茂みの中から

小学生の頃とても仲の良い友人がいて、その友人とは1年生の頃から毎日一緒に帰り、学校が終わってからも一緒に遊んでいた。二人で遊ぶことが楽しく、喧嘩もよくしたが毎日毎日飽きることなく遊んでいた。

ある日、いつものように二人で帰ろうとすると「一緒に帰りたい」と1人の女の子が声をかけてきた。その子はよくいじけるしよく泣くし、たぶんクラスの大半がそういう認識をしていたと思う。「いいよ」と言って我々はその子を迎え入れたが、正直いうと二人で帰っている方が楽しいのにと思って帰った。

それから翌日も翌々日も、その子は「一緒に帰ろう」と言ってきたので「いいよ」と言って迎え入れた。

その子の「一緒に帰ろう」が定番化していった頃、私が言ったのか友人が言ったのか忘れたが「二人で帰ってる方が面白くないか」という話になった。「声がかかる前に、今日は走って帰ろう」ふつふつとこみ上げた気持ちが相手と同じであったことがわかり、二人は顔を見合わせ頷いた。

学校終了後、二人は猛ダッシュをして下校した。血相を変え徒競走をする我々をよくいじけてしまうその子が発見し「なんで走って帰るの?」と叫びながら追ってきた。猛ダッシュしながらその子が付いてくることを確認すると、近くの茂みに隠れた。見つからないようにそおっと茂みの中からのぞいて見えたのは、よくいじけるその子が泣きじゃくりながら我々を探す姿であった。かわいそうだなという気持ちを感じながらも、今まで楽しく帰っていた下校時間を気を使いながら帰るのも嫌だしなという思いに苛まれ、泣きながら走っていくその子を茂みの中からジッと見つめていた。

それからよくいじけてしまうその子と帰ることはなくなった。私たちはお望み通り二人で帰ることができるようになり、小学校を卒業し、別々の高校に進学するまでほぼ毎日一緒に帰った。その子はというとなかなか友人と馴染むことができず、中学校の途中から不登校になってしまった。

 

それからしばらく経って私は結婚し、子供ができ母となった。毎日のように共に下校していた友人は私よりも随分前に結婚し、もうすぐ小学校を迎える子と幼稚園に通う子を持つ二児の母である。自宅に距離があり頻繁に会うことはできないが、お互いの誕生日にはおめでとうのLINEを、お正月には家族の顔の写った年賀状を送り、そして近況を話しあうために年に数回お茶を飲みに友人宅に遊びに行っている。

 

先日実家の帰省に合わせ友人と会うことになった。子供が幼稚園に行っている間にお茶を飲むことになり、午前中にまだ小さい我が子と一緒に友人を訪ねた。

ケラケラと笑いながら近況を話し、時々思い出話を交わした。その延長で、私は心の隅にずっと残っているあの日の出来事を友人に話した。私はまだ悩んでいるのだ、あの時のことを。あの時、泣きじゃくりながら我々を探すあの子に対してどうすれば良かったのか。そして私の側でアンパンマンのおもちゃに夢中で噛り付いている我が子に同じような出来事があった時に、親としてなんと言えばいいのかわからないでいるのだ。

「そんなことあったっけ?性格悪いね」そう言いながら笑う友人に私は話を続けた。もし自分の子が同じような出来事があった時に、なんて言ってあげる?と。

「うちの子は私と違って優しいし、仲間に入れてあげると思うんだよね」そう言って友人は優しい顔をして目を細めた。

わかる。優しい子なのはわかるけど、優しい我が子が自分の感情を押し潰して友人と遊んでいるのは、それで幸せなのだろうか?

大人になっても私にはそれができず、好意的な相手には尻尾をふった犬みたいに近づいていくけれど、一緒にいて居心地の悪い思いをすると未だに徒競走をして茂みに隠れているのだ。もちろん人には良い面も悪い面もあることは承知で、それでも心を許すことができないと判断すれば茂みに隠れるようにしているのだ。そんな親にみんなと仲良くなんて子供に言えるわけもなく、だからと言って嫌な相手は茂みに隠れろなんて言うつもりもない。

「そっか」微笑む友人に思いの丈をぶつけることはせず、私は話を終わらせてしまった。

 

私は未だに泣きながら走っていくその子を茂みの中からジッと見つめたままである。

 

日常

家、ついていってイイですか?の取材が来たときにワイプのおぎやはぎの矢作が「部屋きれいにしてるなぁ」と言ってくれるくらいの部屋を維持するよう努めている。家、ついていってイイですか?を見ている限り、多分矢作はうちの部屋を綺麗だと言ってくれると思う。そのために毎日掃除機をかけ、1日2回は絨毯をコロコロし、2日に1回は床拭きをする。我が家はおぎやはぎの矢作によって部屋の秩序が保たれている。

 

数ヶ月前に吉本ばななを初めて読んだ。実家で暮らしていた頃、姉の部屋に吉本ばななのキッチンが漫画と一緒に並んでいたことがずっと気になっていたのになんとなく手に取らずに10年以上が経過したのだが、先日僕のマリさんのブログに吉本ばななのキッチンのあとがきのことが書いてあって、今度こそ私も吉本ばななを読もうと思った。それからしばらくして実家に帰省したので元姉の部屋に置き去りのキッチンを自宅に持ち帰った。僕のマリさんが吉本ばななのあとがきを読んでお守りのような言葉に出会えて幸せだと綴っていたことが羨ましかったので、薄くてすぐに読めてしまいそうなキッチンを1日5ページくらいかけてじっくり読んだ。 私にもお守りのような言葉が見つかってほしかった。

林真理子のなんという小説か忘れてしまったけど映画館の映画とセックスは似ているという文があって、映画館は行かなければなんてことないけど1度行き出すとまた映画館に行きたくなってしまう。セックスもしなければなんてことないけどしだすとまたしたくなるというような文を若かりし頃に読んでほぉ。と思ったのだが、それくらいしか小説で覚えている文章がないのだ。このままでは私のお守りの言葉は映画館の映画と云々になんてしまうのではないだろうか。もうちょっと違う文章がいい。私に寄り添ってくれるような優しい文章が見つかるといいなぁ。そう思っていたらキッチンの中に今の私にしっくりくる良い文章があり嬉しくなった。きっと、ふとしたときに思い出してこの文章に励まされると思う。よかった。このまま忘れずに私の中に残ると良いなぁ。映画館の映画と云々だけじゃなくて..

 

角煮が好きなんだけど、うちの母が肉の脂身が嫌いだったので実家の食卓に角煮が並んだことが一度もなかった。なので我が家の食卓では角煮をたくさん登場させたいと思っている。私は鶏皮とかカルビとか、トンカツやステーキの端っことか脂っこい肉が好きで、その中でも角煮とかラフテーみたいな煮込んだ豚の脂身が大好きだ。去年のクリスマスプレゼントに圧力鍋を買ってもらい今年に入って念願の角煮作りに2回挑戦した。私の作り方は圧力鍋で下ゆでした後にタレと一緒に再度圧力をかける作り方なんだけど、肉を焼いて圧力をかける作り方もあってどの調理方法が良いか研究中である。角煮について語り合える仲間がほしいなぁ。そういえばmixiのコミニュティーに角煮とかあるんじゃないだろうか。わたしは久しぶりにmixiを覗いてみることにした。するとmixiに角煮のコミニュティーが、あった。「美味しい角煮の作り方教えてください!」の書き込みに78もの投稿がされていた。まだじっくり読めていないのだが、サイダーをいれるなどの驚きのレシピなどもあり、ますます角煮作りが楽しみになってきた。いまさらmixiの角煮コミニュティーに参加し、2013年以降誰も書き込みされない角煮コミニュティーを盛り上げていきたい、そう思う。

 

 

心はディスクユニオンのバイトで支えられている

多分厄年の影響で、昨年に引き続きわたしの人生は何かと理想から脱線してしまう。

4月からは息子は保育園、私は仕事を復帰することになっているのだが10年以上正社員として働いていた職場から正社員として迎えられず、パートとして復帰をすることを求められた。

時短勤務を希望して産休に入ったので時短勤務で復帰できるもんだと思っていたのだが、私の産休中にクリニックに色々なことがあったこともあり、もう正規雇用できないということになったようである。でもそもそも30年も続く歯科医院なのに育休取得者は私が初、育休が明けて正社員で働いた人の実績もないので復帰後はパートで働いてもらおうと雇用側は考えていたのだと思う。

そんなことありまっかと思い、同じ境遇の人を見つけてひとりじゃないよと自分自身を励ますために発言小町などを覗いてみたところ、中小企業や個人経営あるあるの出来事らしく同じ境遇の人は多くいるようであった。そういえば産休が取れず退社をした友達も実際にいて、業界的に産休も育休もまともに取得できないのである。男性の育児休暇も良いがこっちもなんとかしてもらいたい。

労働基準法で時短勤務を申請する権利が私にあることは知っている。でも仮に声を大にして訴えて取得したとしても、職場の風当たりは冷たいものになるであろう。子供が熱を出して迎えに行くことになったときに仕事のしわ寄せがくるのは他のスタッフ。気持ちよく仕事をお願いできる環境を作るためには周囲の理解も必要なのでなるべく穏便に仕事に復帰したい。転職も考えたが、上記の理由もあるのでなるべくコミニュケーションの取れた環境でしばらくは働くことを決めた。

役所にも相談をし、なるべく自分と家族にとって都合の良い働きかたになるようにやっていきたい。別にもう半分クビみたいなものだから他のバイトをしても良いかと思う。ディスクユニオンで働くのはどうだろうか。良い。ディスクユニオン

私の通っていた御茶ノ水の歯科衛生士学校の隣がディスクユニオンで、試験勉強に嫌気がさすと私はディスクユニオンに気晴らしに行っていた。目ぼしい中古アルバムを探したり、知らない曲をぼんやり視聴したりする時間が好きだった。もし国家試験に落ちてしまったら歯科衛生士は諦めて御茶ノ水ディスクユニオンで働こう。そう思うとすごく気が楽になったし、落ちても良いなって思った。

そんなことを思い出しながら、私は早速インターネットでディスクユニオンの求人情報を調べた。主婦歓迎。ディスクユニオンは私を歓迎していた。私は速やかにディスクユニオンで働く主婦のブログを探した。ディスクユニオンで働く主婦のブログは見つからなかった。では私が書こう。

「お前の母ちゃんディスクユニオンで働いてるの?」息子は友人にそう言われるだろう。母親がディスクユニオンで働いている。母親はディスクユニオン。良い。すごく良いディスクユニオン。歯科衛生士辞めても良いかも。

そう思うとすごく気が楽になった。

 

 

 

愛おしい日々

実家からイチゴをもらうと決まって翌日の朝はイチゴパンを作る。作り方は簡単でこんがり焼いた食パンに生クリームをたっぷり絞って、その上にもらったイチゴを細かく刻みパンが見えなくなるほど乗っけて食べる。イチゴはこうやって食べるのが一番好きだ。だいたいパンの上からイチゴが一つか二つダイブして床に転がってしまい、床からイチゴを拾って食べる羽目になるけれど、イチゴを山盛りにしてかぶりついたときに幸せを感じているのでお行儀は悪いがこれで良しとしている。

 

息子が4月から保育園に通うことが決まり、産休もあとわずかとなってしまった。今までは息子が昼寝をしている間にあれこれやりたいことをこなすようにしていたけれど、もう一緒のお布団で昼寝をすることも貴重な時間になってしまうんだと思うとそんな時間も愛おしく思ってしまい息子と一緒にスヤスヤ眠る日が増えたのだが、もう昼下がりにおやつを食べながらダラダラブログを書く時間もなくなってしまうのかと思うと、そんな時間も愛おしく思ってしまい息子がスヤスヤ眠る布団に入ってこのブログを書いている。わたしは基本欲張りなのであれもこれもやりたいのだ。さすがにおやつは布団には持ち込んでいない。

 

息子の保育園が決まり、少なくともこの街にあと5年はいることが決定した。本当は家賃相場も高いし今よりもっと郊外に引っ越そうかとも思っていたのだけど、せっかく保育園も決まったし、何かと便利だし、スーパーのおばさんも郵便局のおばさんもその辺のおじさんも気さくな人が多くて良い街だと思っていたので、予定は崩れたけどもうしばらくこの街にいなよと言われたようでなんだか嬉しい。頑張って働こうと思う。

今住んでいる家は居心地は良いけど狭いし小さい子供がいると不便な点も結構あるので引っ越しを検討している。内見もいくつかしているけどなかなか良い物件が見つからない。このまえ内見した物件は少し狭いけど築浅で追い焚きもできるし宅配ボックスもあるしオートロックもあるのにセコムまで入っていて日当たり良好で良いなーって思ったのに、玄関を出てすぐの壁に まんこ って落書きしてあるのを見つけてしまい思わず まんこ と呟いてしまった。壁のすす汚れに指でなぞって書かれたまんこ。前住んでいた人の仕業なのか、それとも隣人の仕業なのか....セコムまで入っているのにまんこの落書きがされていることにわたしはショックを受けた。夫に小さい声で落書きを指摘したところ「ポストがある共用部分のゴミ箱のところも見た?」と言われ部屋の内見の後、夫と速やかにポストのもとへ向かうと「このゴミ箱に家庭の生ゴミを捨てないでください!!臭いです!!管理人」と手書きで書かれた張り紙がされていた。わたしは驚いた。書かれた張り紙から管理人は元ギャルであることが読み取れるからである。管理人の字が今は珍しいギャル文字であった。

管理人もやばそうだけど共用部分に生ゴミを捨てる隣人の方がやばいだろと夫から指摘を受け、我々はエレベーター付きウォシュレット付きオートロックありでセコムまで入っているのに共用スペースには生ゴミ壁にはまんこの落書き管理人はギャル紹介者は中国人の物件を後にした。

 わたしの物件探しは続く。

 

ボタボタ泣きたい

感情が欠落しているんじゃないかと思い始めたのは小学生の頃だった。友人の転校、卒業式、タイタニック...みんなが泣いている時に私はだいたい泣いていない。卒業式で泣かないと冷たい人って言われそう。斉藤由貴のこの歌を知る前から私も同じことを思っていた。だから知恵のついた中学生のころからは冷たい人と思われないようにみんなが泣いている時に私は俯いて悲しい顔をすることにした。私だって悲しい。私だって泣いているあなたより悲しんでいるよと思いながら眉間にシワを寄せて俯いていた。

私も感動して泣きたい。感動して泣く人を妬ましいとさえ思ってしまう。感動して泣く人は可愛い。それに感動して泣く人はいい人って言われそう。というかそういう認識。斉藤由貴もそうだねと言ってくれると思う。

だけどそんな私にも胸中の琴線に触れて涙を流したことがある。志村けんの悲しい音楽の流れるコントで泣いた。のちにシリアス無言劇という名であることを知るこのコントは、だいたい悲しい結末でだいたい人が死んでいた。

その日もいつものように家族でテレビを囲んでいたらシリアス無言劇がはじまった。夫役の志村けんとその妻の石野陽子による演技が、定番の悲しい音楽の中進行していった。この話、このままいくと多分死ぬな。小さい私もオチというものを理解しはじめたため、言葉はなくとも妻の石野陽子が死ぬことが予測できた。そして予想通り死んだ。ようこちゃんが死んだ。わたしは石野陽子の死が悲しくて泣いた。ほらみろよと。小さい私はオチのほかにも常識というのも理解しはじめたため、志村けんの番組で泣くのは違うということも理解していた。こいつ志村けんを見て泣いているよ。家族にバカにされたくない一心で「背中がかゆい」と言いながら志村けんの番組が流れる食卓でワンワン泣いた。

あとはハチ公物語を見て泣いたくらいしか感動して泣いた記憶がない。

卒業式も息子の出産でも泣かず、結婚式の花嫁の手紙にいたっては、シーンとした空気と照れに耐えきれず半笑いで手紙を読んだ。

感動したことを表現したい。感動を、言葉で語ることもできないし、音楽で表すこともできないし、踊って表現なんてまず無理だし、じゃあ涙くらい流させてよと思うのに泣くこともできず、私はどうやって表現すればいいのだろうか。

泣きながら読んだ、震えるほど泣いた、ボタボタ泣いた、全米が泣いた、泣いた泣いたという文面をみるたびに羨ましさと妬ましさで心が埋もれ背中がかゆくなる。

 

今年の振り返り

今年は本厄でどうなることやらと思ったら腰をやったり出産で高血圧になったのちに膣壁血腫というよくわからない病気で緊急手術などをし、予定通り本厄、見事本厄、あっぱれ本厄、よくぞやりきったと自分を褒めてあげたい。そんな本厄を乗りきり後厄に移行する前に今年を振り返りしみじみしたいと思う。

 

息子生誕

息子が産まれたことで私は私の人格の他に母という人格を担うことになった。母は大変だ。一番大変なのは自分のことが後回しになることだ。わたしは知っている、風呂上がりに素早く化粧水と乳液をたたきこむことがお肌のアンチエイジングに繋がることを。だけど今は風呂上がりは全裸で息子の肌に入念にボディークリームを塗りこんでいる。全裸でよいちょまるよいちょまると言いながら転がって逃げようとする息子の身体をバスタオルの中央にもどし服を着せている。息子に服を着せ終えて、やれやれと思う頃には自分の体は砂漠化している。これがわたしの日常である。色々な面で自分が二の次になることが多く、時々しんどさを感じることもあるが、おやすみと言って息子とくっついて寝ることが今の一番の幸せだと思ってしまうのだから息子は不思議な存在である。

 

近所の惣菜屋が潰れた

近所の惣菜屋が潰れていた。去年オープンし、若いお兄さんが切り盛りしていた小さな店だった。オープン当初お兄さんは気さくな感じで、よくおまけをしてくれたので結構気に入っていた。

惣菜屋で惣菜を買い、スーパーに立ち寄り顔なじみのレジのおばさんと惣菜屋の話題になったときに「なんかあの惣菜屋のお兄さんここに買い物に来るけど感じ悪くて怖いよね」とおばさんが言っていたので「え?そんなことないですよ?」とお兄さんを擁護した。

最初、よくおまけをしてくれた惣菜屋であったがある日を境に全然おまけをしてくれなくなった。おまけ、やめたんだなと思いちょっぴり悲しい気持ちでいた。さらにいつ行っても同じ惣菜ばかりで変化がなくなり、ちょっと飽きてしまったので惣菜屋にはいかなくなってしまった。

今年に入り息子を出産し、久々に惣菜屋に行った。産まれたんですね!と声をかけてくれたお兄さん。相変わらず変化のない惣菜を1種類購入して店を出た。

それから数日たったある日。息子と散歩をしていて惣菜屋の前を通ったので、惣菜でも買ってかえるかと惣菜屋に入店。相変わらず変化のない惣菜を1種類買おうとレジをお願いしたときにわたしは気がついたのだ。1万円札しか持っていないことを。しまったと思いお兄さんに1万円札しかもっていないことを報告。するとお兄さん、あからさまに嫌な顔をしていた。近くで崩してもう一回来ますと伝えるといいですよ!と言いながらすごい嫌な顔をしてるので、いやもう一回きますから!と伝えるといいですよ!と言いながらやっぱり嫌な顔をしていた。

惣菜1種類と千円札2枚と大量の500円玉でおつりを渡され店を出た。

わたしは思った。二度とこねぇよと。レジのおばさんは見る目があった。

それから数ヶ月後、店は潰れていた。

 

 

加間ちゃんがいなくなってしまった

加間ちゃんと呼んでいたインターネットの知人がいなくなってしまった。最近元気かな?と思い加間ちゃんのツイッターを検索したところアカウントが消えており、まさかと思いブログを見にいったところブログもtumblerも消えていた。すごく悲しかった。わたしは加間ちゃんのブログが大好きで、わたしが活動しているサイトに誘って記事を書いてもらえることになった時もすごくうれしくて、サイトで書いた記事もやっぱり面白くて、面白い面白いと読んでいたら無意識に文章を盗作してしまった日もありました。

加間ちゃん。あなたは去年のインターネットのオフ会で初めて会ったときにわたしのことを「親戚のお姉ちゃんに似ている」と言ってくれましたね。全然ピンとこなかったけれど、親しみがあるってことかな?と思って「うれしい」と返したような気がします。

またサイトの記事を書いて欲しいし、ブログも読みたいなぁ。加間ちゃん、待ってます。

 

 

今年もありがとうございました!良いお年を。

 

 

すしざんまいでリハビリ

最近鬱々とした気分が続いていた。なぜ鬱々とした気分になってしまったのか原因はわかっている。家計簿のせいだ。今まで家計簿をろくにつけたことがなかったのだが、家を引っ越すにあたって次は賃貸か?購入か?などと考えることが増え、そのまえに今の生活費がどのくらいかかっているのか把握する必要があるのではないかと思い立ち、アプリをダウンロードして11月から家計簿をつけることにしたのだ。  

最初は楽しんで家計簿をつけていたのだが、どんどんかさんでいく支出を見ているうちに具合が悪くなってきた。うちは外食もしないし車もないしお弁当も作っているし着るものはユニクロだし遊びに行くのは公園だしささやかに生活しているはずなのに、なんでこんな支出がかさむのだろうか。え?うち大丈夫?と思うと胸が張り裂けそうな気持ちになり、株のアプリを開いて自分の株が急成長しないかと眺めていた。

家計簿と株のアプリを眺めてはため息をついているうちに、お先真っ暗朝起きても鬱々とした気分になり開口一番つらいが飛び出すようになった。 土曜日、夫に気分が冴えないし具合が悪いと訴え朝食を作ってもらい、それでも気分が冴えないので景気付けにケーキでも買おうかなとポツリと呟いたら、たまたまダジャレを言ってしまったことにちょっとウケてニヤついたけどすぐに支出のことを思い出して辛い気持ちになった。

そもそもわたしはお金に強い恐怖心がある。小さい頃から貯金をしなさいと親に言われたことを素直に従い、よく貯金をする子だった。今まで赤字になったとこも誰かに借金をしたことも、お金がなくてひもじい思いをしたことも一度もなく常に貯金がある状態であった。

それでもお金がないと不安になってしまうので、お金とは何かということを色々本を読んでお金はツール、お金は使わないと価値がない、貯金だけでは結果資産は減ることなどを学んでそうかそうかと思ってはいるのだけど、やっぱりお金に対しての恐怖心というのは拭いきれないのが現状である。

現在も一応貯金はあり、明日食う米がねぇみたいな状態ではないのだけど子供にはそれなりに小綺麗な家に住んで欲しいし、大学に行きたければ行って欲しいし、留学をしたければしてほしいし、海外旅行も年に1回は一緒にいきたいし自分も好きなパンとか買いたいしピラティスも行きたいしなどと考えると夫の収入だけでは足りず、わたしもせっせと働かなければいけない。働くのはいいのだが、子育てもあるし掃除も料理もしないといけない。そうなると今までのように常勤で働くと疲れそうなので労働力はセーブしたいでも稼ぎたいのせめぎ合いで苦しんでいるのだ。

家にいながらお金を稼げないだろか。考えたり調べたてみた結果IPO株が有力ではりきって申し込みもしてみたのだけれど、毎月IPO株が当選して儲かるわけでもないので毎月安定した収入を得るには駐車場経営はどうだろうかというところまで考えが行き着いた。だけど駐車場経営するためには土地を買って、設備投資もしないといけないし支出支出支出でちょっとまた気分が悪くなってきたので考えるのをやめた。

どうしたもんかな、とりあえずこの優れない気分をどうにかしたくて枕カバーを買いに行くことにした。枕カバーに穴が空いていてずっと気になっていたのだが、そろそろ買い換えようと夫に提案して無印良品に行くことにした。せっかくだから枕カバーとお揃いで掛け布団カバーも買い換えようと掛け布団カバーも買った。買い物の後、あのさ、久しぶりに寿司が食べたいんだけどと提案。昼食をすしざんまいで済ますことにした。思い切って中トロを注文しようとしたところすしざんまいではプラス100円払えば大トロが食べれることに気がつき、よっしゃ大トロ!大トロ行きましょうと大トロを食べ、途中ネギタクを注文したのにケアレスミスでネギトロが出てきてしまいもう一回ネギタクを注文し直すハプニングなどもあり、お会計をしたら4257円ですと言われた時には日高屋にしておくべきだったと後悔。また支出だよ〜と半泣きになりながら支払いを済ませてすしざんまいを後にした。

 翌日。目を覚ますとあれ?気分が良い。すごく気持ちが前向きなっている自分に驚いた。清々しい気持ちで弁当を作っていると、おはようと起きてきた夫に声をかけられた。あのさ、今日気分が良い。ここ最近開口一番つらいだった私だが、今日は気分が良いですと夫にはりきって報告をした。すると夫はよかったねと言った後に「寿司と肉ってのは人が幸福だと感じやすいものらしいよ」とポツリと言っていた。

昨日のすしざんまいが効いたのかはわからないが、私から鬱々とした気分は消え、元気を取り戻した。確かにお金は、ない。でもうちには愛がありますから!今なら元気よくそう言える。

引き続き支出ばかりの家計簿をつけている。まだ1月分もつけ終わってないのに具合が悪くなり挫折しそうになって先が思いやられるけどしっかり続けてファイナンシャルプランナーに人生相談にのってもらおう思っている。

もしまた辛い気持ちになったらすしざんまいを食べに行こう。そう思う。