はじめてのお食い初め

久しぶりに乗った自転車はペダルが重く感じられる。坂道を立ち漕ぎで漕ぐけれどなかなか前に進まない。ヒーヒー言いながら自転車を走らせる訳は石が欲しいからである。どうやら生誕100日を祝うお食い初めには石がいるらしい。よくわからないけれどお食い初めには良い石が必要らしい。私はよくわからないが良い石を買うべく、実家に帰ったついでに子を預け近所の氷川神社に向かった。

自転車を置いて社務所を目指す。ひと気のない社務所の窓にすみませんと声をかけると、40代くらいの女性が奥の方からやってきた。石が欲しいんですけどと伝えると「歯固めの石ですね」と言われ、カゴを渡された。カゴの中にはチャックのついた小袋に石が3つずつ入れられたものが5セットほど入っており、この中から好きなものを選ぶよう伝えられた。石5セットを真剣に見比べて、3個の形が一番均一なものを選んで女性に手渡した。300円お納めください。石は1セット300円だった。ラメが入っているかのようにキラキラする白い石に氷川神社のハンコが押してある。良い石だ。そう思った。よくわからない良い石を女性から受け取り鞄の中に大事にしまった。

社務所の近くで毛むくじゃらの猫が日向ぼっこをしている。最近町で猫を見かけてもぐっと堪えて触らないようにしている。だいたい私には息子がひっついているからである。本日ひっつき虫は不在。日頃の鬱憤を晴らすかのように毛むくじゃらの猫を撫で回すと、猫は仰向けになって身体をクネクネさせながら目を細めていた。

 

良い石の他にお食い初めには鯛や赤飯、煮物に酢の物が必要らしい。煮物も赤飯も面倒くさそうで今まで作ったことがないし、鯛を丸ごと焼く自信もなかった。全てがセットになっている「お食い初めセット」も売っているみたいだけど、できる限り手作りで準備をしてみることにした。鯛を丸ごと焼くことは難しいので近所のサミットにお願いをして焼いてもらうことにした。スーパーで魚を焼いてくれるサービスがあることに驚いた。

イメージトレーニングも積極的におこなった。インスタグラムでハッシュタグお食い初めを調べてみると、世のお母さん方の汗と涙の結晶お食い初めコーディネートで画面が埋め尽くされた。忙しい中100日の生誕祭に皆真心込めて準備をした様子が見受けられる。こんなに煌びやかにする自信はないけれど、わたしも頑張ろうとハッシュタグお食い初めを毎日のように眺めて自分を鼓舞した。

ハッシュタグお食い初めをジロジロ見ているとどうやら鯛の下には紙を敷くみたいだし、箸は寿と書かれた祝い箸が必要だということを知った。まずはアマゾンで鯛の下に敷く紙を探してみると100枚入り724円で売っていた。100枚もいらないんだよなと思いながら他を探すと、敷き紙と祝い箸と鯛を飾るカゴがセットになって1200円くらいで売っていた。わたしには金銭的にも心情的にも鯛の敷き紙に1200円を払う余裕がないので100円ショップに行って探すことにした。

息子とバスに乗り片道30分かけて都会の大きな100円ショップにやってきた。しかし100円ショップには鯛の敷き紙も祝い箸も置いていなかった。諦めきれず100円ショップからほど近い百貨店に足を運ぶことにした。残念なことに百貨店にも鯛の敷き紙は置いていなかった。鯛の敷き紙はそんなにレアなものをなのだろうか。ハッシュタグお食い初めの皆さんはどこで鯛の敷き紙を手に入れたのであろう。鯛の敷き紙はなかったが、百貨店には祝い箸が置いてあった。5膳セットで600円で売っている。5膳もいらない。1膳120円で売ってくれないだろうかと思いながら5膳の祝い箸を持ってため息をついていたところ、可愛らしい子ども用の箸を見つけた。これだ。どうせ買うなら一度きりの寿の割り箸よりも、いつの日か我が子が毎日使うであろう箸を買ってお祝いしてあげたいし、そのほうがエコだ。神様も箸が寿じゃなくても許してくれるだろう。ということで子ども用の短い箸を持ってレジに向かうと「今サービスで箸に名前をお入れできますがいかがですか」と法被を着たおじさんに声をかけられた。声かけに喜んでお願いをした数分後、完成した小さい箸にはひらがなで小さく息子の名前が刻まれていた。「かわいい」思わず声に出して箸を受け取ると「かわいいでしょう」と法被のおじさんが笑顔で答えてくれた。

 

生誕100日に向けて着々と準備をし、前日から料理を始めていった。煮しめは前日に作っておくと味が染みて美味しいとレシピに書いてあったのでそうすることにした。人参は花形にくり抜いて細工をする、レンコンも花形に切って酢水につける、出汁をとった昆布を縛る、里芋は六面になるようにカットし下ゆでする...不器用な手さばきでお花を型どり、ヌメヌメの里芋と昆布に苦戦した。煮しめは出汁をとって切って煮ればいい。ただそれだけの料理だけれど、下準備に時間と手間がかかるし材料費も結構かかる。なかなか贅沢な料理だ。だからお祝いの時は煮しめなのだろうか。正月に毎年母が作ってくれるおせちの煮しめを思い浮かべ、今年は煮しめをもっと味わって食べようと心に決めた。

 

お食い初め当日。きっと煮しめは味が染みていい感じ♪と自信たっぷりに鍋の蓋を開けると、煮しめがドロドロになっていた。私はびっくりした。蓋を手に持ったまま え?っと立ち竦みしばし呆然とした。煮しめってドロドロになるんだ。なんでだ。そろりそろりと鍋を箸で軽くかき混ぜてみると溶けた昆布が死骸のように現れた。味が染みすぎて溶けたのか?里芋も怪しい。煮しめをドロドロにした犯人を探すべく菜箸で現場検証を続けていると、苦労して花の形にした花レンコンが折れてしまった。いよいよもってキレそうだ。「奮発して良い干し椎茸を買ったのに..」昆布にキレそうになりつつも今日までの努力が実らず失敗したことが悔しく涙がこみ上げた。出産後の女性の情緒は不安定なのである。

しかしここでつまずいているわけにはいかない。母はガタガタに崩れたテンションをどうにか立て直し、赤飯を炊いて、酢の物、吸い物、丸ごとバナナを積み上げたケーキを作って旗を立てた。

その夜。家族3人でちゃぶ台を囲みお食い初めの儀式が行われた。夫の膝の上に我が子が座り、名前の刻まれた短い箸で食べる真似事をする。母は片手にiPhone、片手にデジカメを持って交互にその姿を撮影していた。息子は親が必死になって何かをやっている姿が面白かったのかニコニコ笑っていた。

お食い初めの儀式は3分程度で終了した。儀式終了後、ドロドロの煮しめをはじめとしたお食い初め料理を夫婦2人で食べた。サミットで焼いてもらった鯛が美味しいくて、来年の自分の誕生日にもサミットで鯛を焼いてもらうことを決めた。

 

頑張って準備をしたけれど息子は今日のことを覚えていないし、教えなければお食い初めの習慣があることも知らずに大人になるかもしれない。

だけど大きくなった息子が、赤ちゃんの自分が今よりも若いお父さんの膝の上で楽しげに食べさせてもらう姿を見た時に、自分は愛されていたんだということが伝わればいいなと思うのであった。

 

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美容室にて

先日、2ヶ月の子供を夫に預けて久しぶりに美容室に行った。数年通っている美容室なのだが、その美容室は担当の人は洗髪はせず、アシスタントの人がやってくれる。アシスタントは何人もいて適当な人が充てがわれるため毎度違う人が洗髪してくれるのだが、こないだ洗髪をしてくれた若い彼は「お子さん預けてきたんですか?」などと世間話は簡単に済ませ、黙々と髪を洗ってくれた。基本的に美容室でダラダラ話かけられるのは嫌いなのだが、一番嫌なのがシャンプー中に話しかけられることなので、熱心に洗髪に取り組んでくれる彼には好感が持てた。そしてさらに驚くことに、彼はシャンプーをした後にヘッドマッサージをしてくれたのであった。いつもそんな事されないのでこれは彼の気配りと思われるが、手際よく気持ちがいい。上手なのだ。「出産後忙しい中やって来た客」への気配りとして、あまり話しかけずに洗髪し、頼んでもいないマッサージまで施してくれたとしたら素晴らしい。心身共に疲弊したおばさんはアシスタントではあるがプロフェッショナルな彼の行動に感動し、その気持ちを伝えたい。そう思ってしまった。ここがアメリカなら真心込めてチップを支払うところだがここは日本である「君、いいよいいよ」と現ナマを渡されても気持ちが悪いだろうし、どうしようかと考えた結果普通にお礼をいうことにした。

シャンプーが終わり、髪をタオルで包んでもらった際にアシスタントの彼に垂直な思いを伝えた。

「あの、マッサージ気持ちがよかったです。ありがとうございました」

マッサージ気持ちがよい。何故だろう。事実だけど言葉にするとすごく気持ちが悪い。若い男性に言うべき言葉じゃなかったかもしれない。若者の親切を心に刻んで壮年期は余計なことを言わず黙っていればよかったのだろうか。

後悔の念に駆られていると「あ!ありがとうございます」と笑顔の若者。本心はわからないが、声かけに喜んでくれているようにも見えた。

そうして若者は手際よく私の首元のケープを外して笑顔で言った。

「頭、ガッチガチでしたもんね!」

頭ガッチガチ。何故だろう。多分事実。頭ガッチガチな気はしてなかったけど多分事実。頭ガッチガチだったおばさん。おかしい。マッサージまですごくいい気分だったはずなのに、お礼を言ったあたりから心がざわついている。あれ?言わなきゃよかったのだろうか。

そうしてアシスタントの彼は私をカット台に誘導。椅子に座らせ肩をマッサージしてくれた。肩のマッサージは店のサービスとして毎度やってもらっているのだが、どうやら私の声かけに自信を持ってくれたらしい彼は

「うわぁ....!!!肩もガッチガチですね!!!」と嬉しそうに肩をゴリゴリ揉んで頭だけではなく肩の凝りもほぐしてくれた。おばさんは頭も肩もガッチガチであった。彼は肩のマッサージも上手で気持ち良かったが、何故か私の心には小さなしこりができてしまったのであった。

 

 

 

 

広尾のランチパーティー

mixi掲示板で「広尾のマンションでおしゃれなランチパーティー♩☆」の書き込みを見かけ、行ってみたいなと思った。私、当時22歳の時の話である。

広尾のランチパーティー当日。私は期待に胸を膨らませて広尾駅にいた。集合場所の広尾駅前にそれっぽい集団を見つけ「あの、広尾のランチパーティーの方ですか?」と勇気を出して声をかけると、ひょろっとした男性が笑顔で迎えてくれた。それから数分後には広尾のランチパーティーのメンバーが集合。だいたい20歳〜25歳くらいの男女10名程度のメンバーであった。

「ちょっと買い物を頼まれているのでスーパーに寄ってもいいですか?」先ほどのひょろっとした男性が呼びかけ、皆で広尾のスーパーに移動した。一人でランチパーティーに参加していたのはどうやら私だけだったらしく、知り合いのいない私は列の一番後ろについてトボトボ後を追った。広尾のスーパーに着くと大変お行儀よく並ぶ野菜や見慣れぬ肉の塊などが並んでおり、やっぱり広尾のスーパーは違いますなと関心したことを覚えている。

その後ランチパーティー会場となる広尾のマンションに移動。駅から程近いそのマンションは外観も素敵でエントランスも大きく広尾の名に恥じない立派なマンションであった。ひょろっとした男性が先頭をきってマンション内を案内した。「ここです」と案内されたお宅から、ギャルを意識したメイクの女性が現れ笑顔で出迎えてくれた。

「いらっしゃい」

どうやら推定年齢45歳のこのギャルおばさんが、広尾のランチパーティーの主催の様子であった。「どうぞあがって」ギャルおばさんに案内され部屋の中に入った。ギャルおばさんの家のリビングは広々しており、10人など余裕で入れる広さであった。

まずは簡単に皆で自己紹介をした。早稲田のサークルのつながりで参加しました。サークルの友達の友達で参加しました。美容室の同僚同士で参加しました。mixi掲示板を見て参加しました。わたしは正直に答えた。すると「よくきましたね!」と褒めてんだかけなされてるのかよくわからない言葉をかけられて私の自己紹介は終了。その後ギャルおばさんと私が似ているという褒めてんだかけなされてるんだかよくわからない声かけをされ、いよいよもって私は何故ここにいるのか?という気持ちが募ったのであった。

ギャルおばさんは途中までランチの準備をしてくれており、作り途中のメニューを皆で分担して調理をしていった。メニューはサラダとラザニアとビシソワーズなどなど。ビシソワーズを作るときにギャルおばさんが頻りに「このマッシャーがすごく便利でラクチンにビシソワーズが作れる」と言っており、広尾の人は日常的にビシソワーズを作るんだなと関心していた。その後も「うちの浄水器はすごく良くて〜」と水道水の自慢をギャルおばさんがしており、金持ちは自慢が多いなと思っていた。

おばさんの逐一自慢を交えながらみんなでガヤガヤとランチ作りを進めていると、おばさんの娘と思われる10歳前後の小太りな女の子がキッチンに登場した。するとギャルおばさんは「あっちに行ってなさい」というような視線を送って女の子を別室に行くよう促していたのだが、その光景に違和感を感じた。何故、ランチパーティーなのに娘は参加しないのだろうか。パーティーは皆でするものじゃないのだろうか。ギャルおばさんに促され別室に移動していった女の子がポツリと一人で絵を書いている様子が見え、私はビシソワーズの作りかたよりもその女の子が気になったのであった。

料理が完成し大きな机を囲んで皆で乾杯をした。広尾のマンションでおしゃれなランチパーティーの幕開けである。ナスとトマトのラザニアも、初めての手作りビシソワーズも美味しかった。一人でやってきた私だったが、目黒の美容室で働くえみちゃんとゆみちゃんとおしゃべりをしたり、ひょろっとした男性と話をしたりして少しずつ周りとも打ち解けていった。美味しいものを食べておしゃべりをするのは楽しい。そしてここは広尾。いつもと違う環境に刺激を受けていたのは確かであった。

だらだらと皆で食べて飲んでをしていたら時間はあっという間にすぎ、気がつくともう夕方であった。そろそろ帰りたいな。そう思いはじめていた時であった。ギャルおばさんがまたビシソワーズの話を始めたのである。このマッシャーは便利だと。その次に水道の浄水器の話が始まった。いかにこの水道水が新鮮な水であるかそして経済的かと。次に奥から持ってきたのは歯磨き粉だ。いかにこの歯磨き粉が歯面を傷つけず歯に優しいかと。するとご丁寧にアルミホイルを使った歯磨き粉の実験をはじめた。ひょろっとした男性と早稲田のサークルの一人が市販の歯磨き粉はこんなに削れている、この歯磨き粉はどうでしょう!といった具合に実演をしていた。歯磨き粉の実験の後はシャンプーが登場。いかにこのシャンプーが素晴らしいかギャルおばさんが熱弁。そんな様子を通販番組をみるかのように私はおばさんを無の状態で眺めていた。一体何なんだろうか。

周りの人はどんな気持ちでこの話を聞いているのかと思い周りを見回すと、神妙な面持ちで話を聞いていた。

通販番組かと思われるくらいの熱心な商品紹介の話が終わると、ここからが本題!といった具合でカタログが数部配られた。先ほどのマッシャーや歯磨き粉も載っているそのカタログを見せながら「普通に買うこともできるけど、もっとお得なのはメンバーになること。そして良い商品を人に紹介してあげること」そんな風なことをギャルおばさんは話し出した。この会社は決して怪しいものじゃなくて渋谷にも建物があり、商品はそこでも買える。だけどメンバーになったほうがいい。とギャルおばさんは力説。その後ギャルおばさんはいかにこの会社が素晴らしいか、いかにこの会社が私たちに益をもたらせてくれるかを説いていた。おばさんのありがたい話の端々で「アムウェイやばいって...」「アムウェイばかかよ...」得すぎてやばい、得すぎてばかだとヨイショをする早稲田の学生。どうやらこのギャルおばさんとひょろっとした男性と早稲田の男性はチームを組んで活動しているということがわかった。そしておばさんらは、我々にメンバーになることを勧めてきたのだった。

私はこの時この会社のことをよく知らなかったのだが、ランチパーティーに一人でやってくるような私がチームを組むなんて面倒で向いていないと思ったし、商品が良ければ渋谷に行けば買えるのだから、メンバーにはならない。そう伝えた。すると「それはもったいないから!もったいないから!」とおばさんに返答された。

「私やってみようかな...」そう言い出したのは目黒の美容室で働くえみちゃんだった。おばさんの力説に心が動いたらしい。するとその言葉に秒速で反応したおばさんらは、すかさず契約書のようなものをえみちゃんの前に広げた。えみちゃん、やるんだ。私はえみちゃんが契約書を真剣に読むその姿を見届けながら「家で家族とサザエさんが見たいので帰ります」と言って足早に広尾のマンションを後にした。

その後パーティーで知り合った人と誰とも連絡をとることもなかったし、連絡が来ることもなかったため、ギャルおばさんやひょろっとした男性、早稲田のサークルの人々、そして小太りの少女のその後を知ることはなかった。

しかし、その翌年のロケットマンデラックスのイベントでたまたま知り合った人がなんと目黒の美容室で働く美容師だったことで、えみちゃんが広尾のランチパーティーの翌日に青ざめて出勤したということを知るのであった。

鯖缶の思い出

20代の頃、弁当に鯖缶を入れることにはまり週3ペースで鯖缶を弁当に入れていた。白米と鯖缶と卵焼きとミニトマトで完結された弁当を職場に持っていき、昼休みになるとシメシメと口元を緩ませながらゴソゴソと弁当の入った袋を取り出し、食べる前に必ずティッシュで弁当箱を拭いた。鯖缶弁当は十中八九汁漏れしている。「あー汁漏れしてる!」とわかりきったことを呟きながら汁を拭いて、弁当箱が綺麗になったところでシメシメと白い歯をこぼしながら弁当の蓋を開けてみると、今朝は白米だったはずの米粒が鯖缶の汁漏れの影響で茶ばんでぐったりとしている。この鯖缶に犯された米が美味いんだな〜と思いながら昼下がり、目を細め鯖缶弁当を頬張った。

夫と一緒に暮らすようになって弁当が1つから2つに増えた。そうしてやって来た鯖缶弁当の日。当然のごとく2つの弁当に鯖缶を入れて蓋をし、弁当箱をバンダナで縛り「いってらっしゃい!」と元気よく見送った。

弁当に鯖缶を何回か入れたある日。鯖缶を弁当に入れないでほしいと夫から申し入れがあった。理由は臭いからとのこと。確かに、鯖缶は臭い。だけど人から臭いと言われなければ、美味いが臭いに優って私の中で臭いはなかったことになっていた。そういえば、私は鯖缶弁当の時は必ずといっていいほど汁漏れした弁当箱をティッシュで拭いていた。あー汁漏れしてる!と言いながら。あの時周りの人達は臭かったのだろうか。結構な頻度で職場に鯖缶を持ち込む従業員に対し皆はどのような気持ちでいたのだろうか。

それからというもの臭いに優っていた美味いが人の目に敗れ、私の弁当生活から鯖缶の出番が激減した。

鯖缶が弁当界から姿を消し、鯖缶とはすっかりご無沙汰していた頃。どこの誰だか知らないが鯖缶鯖缶騒ぎ出すもんだから世の中は空前の鯖缶ブーム。鯖缶の需要は高まり鯖缶の値段は高騰。安けりゃ100円で買えたはずの鯖缶が現在では200円では買えないほど高嶺の花となってしまった鯖缶。資産は円だけでは不安なこのご時世。私は鯖缶から資産形成のあり方まで学んだのでありました。

最近鯖缶熱が復活し、せっせと鯖缶を買い込んで晩御飯のおかずの足しにしている。せっせと鯖缶を買う姿を見て「あら鯖缶買ってんの?今人気よね」と仲良しのレジのおばさんが話しかけてきた。私は前々から弁当に入れていました、ミーハーなわけではありません。と余計なことは言わず「そうですよね。今人気ですよね」と返した。すると「鯖缶のトマト煮とかあるわよね」と具体的な調理方法をおばさんが言ってきたので「鯖缶の炊き込みご飯とかありますよね」と作ったことはないがテレビの情報を伝えたところ「やだ〜臭そう!!」臭そう。おばさんはそう言い放ったのだった。おばさんが臭そうと言ったところでレジは終了し、おばさんから買い物カゴを受け取った。

あぶなかった。弁当に鯖缶を入れていたなどとおばさんに余計なことを言わなくてよかった。また人の目が気になって鯖缶が買えなくなるところだった。私は安堵した。

そうして鯖缶の入った袋を抱え、小走りでスーパーを後にしたのだった。

YouTubeを見ている

子を持つ母となって2ヶ月が過ぎ、不慣れなことにも随分対応できるようになったように思う。以前とは大きく異なる生活リズムにも順応し毎日を淡々と過ごしている。現在は育児休暇中のため生活の大半を育児と家事に費やしている訳なのだが、そんな毎日に休息の時間を1時間〜2時間程度設けて生活リズムの中に組み込んでいる。メリハリは大事だ。

休息の時間ではストレッチをし、映画か動画を見るかブログを書いていることが多いのだが、子が泣けばもれなく休息の時間は中断もしくは終了となってしまう。そのため集中して見るような映画はこの休息の時間には向かない。映画の場合は1度見た映画を4日くらいかけて見直すことが多い。動画は主にYouTubeだ。元々私はYouTubeを音楽を聞くためのツールとして活用していただけであったが、最近はユーチューバの番組もちらほら見る。YouTubeは良い。すぐ終わるから気楽に鑑賞できる。三四郎の相田がラジオで紹介していたインド料理屋の屋台の動画などをよく見ている。オムレツを作るのに尋常じゃない量のバターが投入されたり、ホットサンドに問答無用にチーズを投入していくインド人の姿は爽快である。ギャグかな?と思うけどギャグじゃないところに文化を感じる。旅も好きなので異国の日常を垣間見える点もこの番組の好きな理由である。淡白なテロップも良い。


インドのほぼバターたまご焼きの作り方 / Butter Egg

里帰りをした時に姉が帰省していた。旦那の都合で田舎に引っ越た姉は、田舎過ぎてやることがない。田舎は田舎すぎると野菜が高いと田舎の不満を漏らしていた。そんな姉の田舎暮らしを支えているのがYouTubeらしく、姉妹の平凡な日常にYouTubeは大いに活躍していることがわかった。そこで姉にもインドの屋台の番組は良いとオススメしたところ姉も私にオススメを教えてくれたのだが、これがまた面白くお気に入りのYouTubeが増えた。

 


✦Beauty and the Beast - Belle Anime Makeup Tutorial✦

天照イヴはただただすごい。今節丁寧に説明しているけれど、簡単に真似できないし、よーし真似しよう!と気軽にやる人もいないだろう。見ている人の「ためになる」とか「役に立つ」とかそんなことは度外視である。インドのYouTube同様淡々と進行していく様も心地良い。自分でアルジネート印象をして歯まで作って輪郭を変える動画もあるのだが、歯まで作る徹底ぶりは天晴である。アンダーカットなんて普通に生きていたら知らないで済むと思うんだけど、どうやって歯の作り方を勉強したのか、楽曲提供が山口一郎なのはどういう経緯なのか、気になるところである。

 


【ペヤング】ペヤング ソースやきそば超超超大盛GIGAMAX マヨネーズMAX 【食べてみた!】

 

 なぜか心地よく見れてしまうもなみちゃんねる。ものすごい勢いで焼きそばが消えていく様はクセになる。焼きそばを噛まずにすすり倒すところも清々しい。上記の動画同様淡々と進行していき安心して見ることができる。うっかりペヤングを買ってしまうほど影響を受けてしまった。

 


Thundercat: NPR Music Tiny Desk Concert

 

9割5分の確率で息子が寝る動画。サンダーキャットと共に歌い、縦に揺れたらこっちのもんである。うちの子だけなんだろうか。もし幼子がいてよく泣いて困っているご家庭があったら是非やってみてほしい。泣き止まない子をなだめる行為は精神的にも体力的にも堪えるのだが、この動画を見ながら歌っているとそのストレスはかなり軽減される。むしろ楽しい。ほぼ毎日見ている。

サンダーキャットのパフォーマンスやルックスに目が行きがちだが、後ろの棚にドラえもんがいること、エレキバイオリン?の彼のダサ良いファッション、そしてキーボードの疲れた顔の彼がイケメンという点も見どころである。あらよく見るとキーボードイケメンじゃないのと思って彼のツイッターをフォローしたところ、彼ったらリツイートばかり。もっと思っていることをツブヤイテごらんよ。と意中の彼のツイッターに思いの矛先を向ける日々であるが、彼が思いを呟いたところで私は英語ができないので結局彼の胸の内を理解することなどできないのである。

なんで私は彼をフォローしたのか。

 

はじめての子育て

「子供ができたら終わり」

イヴァンナにそう言われたと友人が笑いながら言った。イヴァンナさんは友人のセルビア人の友達だ。私はイヴァンナさんを直接知らないが、友人の友人であるイヴァンナさんのことを少しばかり知っている。イヴァンナさんが金髪であること、イヴァンナさんがキャリアウーマンなこと、イヴァンナさんには小学生の娘さんがいること、友人とはたまたまスタバで知り合ったこと...など。

そんなイヴァンナさんが「子供ができたら終わり」と友人に言ったらしい。身も蓋もないこと言うんだなぁと果物がたくさん乗ったパンケーキを食べながら私はその話を聞いていた。独身二人の我々はちょうどブームであったパンケーキでも食べてみようかとわざわざ朝から代官山までやってきて朝食にパンケーキを食べていたのだ。私ら優雅だねと言いながらキラキラ映えるパンケーキをナイフとフォークで崩していった。イヴァンナさんと友人は英語で会話をしている。「子供ができたら終わり」この言葉も英語だからこのようなストレートな訳になったのかもしれないし、言葉通りのことをイヴァンナさんが感じたのかもしれない。どちらにしても、そんなこと言うんもんじゃないよというのがこの話の感想だった。

 

 

「ちょっと待ってねぇ」

朝コーヒーを飲むことは毎日の日課だ。もう何年もそうしている。朝コーヒーを飲むことは朝顔を洗うことと一緒だ。飲まないと気持ちが悪い。カフェイン依存症というわけではない。カフェインレスのコーヒーを飲むようになってから、しばらく経っている。朝コーヒーを飲むという習慣が私には大事なことなのだ。市販のペーパードリップコーヒーにお湯を少しずつ、溢れないように注ぐ。実家のリビングからギャーギャー鳴き声がする。生後1ヶ月も満たない我が子である。私はコーヒーを入れてパンを食べたいのだ。コーヒーを入れてパンを食べながら朝ドラを見たいのだ。早くしないと朝ドラに間に合わない。すずちゃんに間に合わない。

「ちょっと待ってねぇ」

この言葉を3回程使い、どうにか広瀬すず主役の朝ドラに朝食準備を間に合わせようとした。が、鳴き声は「ちょっと待ってねぇ」を使う度にどんどん大きくなっていく。4回目はさすがに使えず、コーヒーにお湯を注ぐことを中断し我が子のもとへ駆け寄り抱き上げた。そうこうしているうちに広瀬すずが画面上に現れる。我が子を抱きかかえたまますずちゃんをみる。横に揺れたり縦に揺れたりしながらすずちゃんをみる。隙を見てパンをかじる。我が子が寝る様子はない。すずちゃんが終わってからも寝る様子はなく、子を抱き抱えながらだらだらとパンをかじる。ようやっと抱き抱えられた我が子が眠りにつく。起さないようにゆっくり寝床に寝かす。やれやれとキッチンに向かうと中途半端な状態のコーヒーが冷えきってカップの中に溜まっている。仕方なく再度湯を湧かし、冷えたコーヒーの入ったカップに湯を注いでいく。出来上がったヌルいコーヒーを立ったまま飲んで美味しくないと呟いた。

風呂に入っていても「ギャー」と言えば中断、大便をしていても「ギャー」と言えば中断、うんこくらいゆっくりさせてよと言っても子には通じない。

 植木鉢やゴミネットなどで賑わっていた私のiPhoneの写真フォルダーがあっという間に我が子で埋め尽くされていく。朝起きてから夜眠りにつくまで考えることは我が子。お酒を飲みに出かけることが楽しみだったはずなのに現在の楽しみは15分間の朝ドラのすずちゃん。おっぱいさん。これは私の今の呼び名である。家族からも自分でもおっぱいさんと呼んでいる。あれ私ってこんなんだったけ?

授乳オムツ授乳オムツ授乳抱っこオムツオムツ抱っこ授乳授乳授乳24時間エンドレス夜も眠れない。 

産後の私はすぐにカッとなってキレたりすぐに泣いたり突然震えることもあった。

 

「子供ができたら終わり」

金髪のイヴァンナさんが言っている。イヴァンナさん、たしかにそうかもしれない。私にはもしかしたら早かったのかもしれない。まだ子供を持つことよりも朝にパンケーキを食べに出かけていた方がよかったのだろうか。

子が誕生して2週間後。私は慣れないベビーカーを病院内で暴走させていた。ベビーカーを押しながらエスカレーターに乗ろうとし付き添いの母にひどく怒られていた。今日は2週間検診のため小児科を訪れた。我が子の健康チェックの他母親である私の状態の確認もあった。小児科に到着してまず問診を記入した。子の様子を記入し、自分の問診に答えていった。問診には笑うことができたかとか、物事を楽しみにして待ったかとか、はっきりとした理由もないのに不安になったかとか、そんなことが書いてあった。楽しみなことなんて特別ないし、あまり笑っていないし、何もかも不安だしよく泣いてる。一つ一つ正直に回答し、受付に提出した。

椅子に座って待機していると

「ママ、大丈夫ですか〜」

と腑抜けた声で呼びかけられた。

顔を上げるとそこには若い看護師がバインダーを持って立っており、眉毛を八の字にして私を見ている。大丈夫ってなにが?と思いながらも、大丈夫です。と答えた。

「子育てで不安なこととかあるんですか〜」

どうやら先程の問診のことを聞いているらしい。まぁ、普通に子育てって不安ですよね。

と俯きながら返答した。

「そうかそうか〜」

と相変わらず脱力した声で喋るその看護師はそう言って、再び診察室へと戻っていった。

それから時期にわが子の名前が呼ばれ診察室に通された。子供の発育のチェックの後、女医から「お母さん、何か心配なこととかあるんですか」と尋ねられた。あぁさっきの問診のことかと思い、先程の看護師にも言ったようなことを再度女医にも伝えた。すると「専門のカウンセラーもいますから本日相談します?」と聞かれた。子供を待たせるのも可愛そうだから結構ですと答えると「じゃあ保健師とも連携をとることになっているんで連絡しますね」と告げられた。

そうして思った。この女医は直接言わないけど、私はあの問診の結果だとたぶん鬱なんだろうと。

子供ができ、私は産後鬱になったのか。子供は可愛い。なのに私は参ってしまったのだろうか。子供が可哀想。そんなことを思い夜な夜なまた泣くのであった。

 

それから1ヶ月後。里帰りが終了して家族3人の生活がスタートした。我が子は生誕してから1ヶ月半経った。相変わらず心配なことばかりではあるが、大切な我が子と楽しい生活が送れるよう奮闘することで、心配に思う気持ちは以前よりも薄れてきたように思う。自宅に戻ってからも、すずちゃんを見ながら縦に揺れたり横に揺れたりしている。ぐずる時は子供と同じ名前のアーティストのPVを見せて抱きながら踊る。それでもダメなときはサンダーキャットのライブ映像を見ながら歌って踊る。だいたいそれで寝る。それが最近のルーティンである。

朝コーヒーを飲むのは時間がないのでもうやめた。そのかわり子が昼寝をした隙にコーヒーを淹れることにした。夫に内緒で買う98円のティラミスをお供に、コーヒーを飲みながらブログを書いたり、ちまちま映画を見たり本を読んだりする時間は心地良い。あんなにこだわっていた習慣はいとも簡単に崩れ、また新しい形となって日常へと浸透している。

朝にパンケーキを食べにでかけたり、ゆっくり湯船に浸かったり、ちょっと遊びに行ってくると言って新幹線で名古屋にでかけたり、酔っ払って知らない酔っ払いに水を買ってあげるようなことはしばらく休業である。

子供ができたら終わり。確かに色々終わった。

だけど子供ができたことは新たな日常のはじまりでもあることに気がついたのであった。

 

 

はじめての出産

子が生まれた。

なかなかお腹から出てこなかった我が子。

あんまりにも出てくる様子がなかったため、入院をして私の誕生日にお股にバルーンを入れて出てくるように促す予定であったのだが、願いが通じたのか入院の前日の夜に陣痛が始まりお誕生日バルーンは回避されたのであった。

陣痛っていうのはどんな痛みなのかとドキドキしていたのだが、本陣痛は想像の350倍くらいの激痛であった。鼻からスイカなんて例えはわかりにくいし的確ではないように思う。後日姉から「北斗晶が出産の痛みをダンプカーで何回も腹の上を轢かれる感じと言ってたよ」と聞いたが、こちらの例えの方が近いように思う。

出産前、ぺこ&りゅうちぇるのぺこちゃんの出産のブログに記していた「出産の時はお腹の子供も頑張っているから痛いって言わないと決めていた」という内容に感銘し「わたしも痛いと言わないぞ!」と心に決めていたのだが、なんてったってダンプカーで何回も轢かれる訳である。分娩中痛いを連呼しまくっていた。たぶん北斗晶も痛いと言っていたと思う。もしかしたらぺこ&りゅうちぇるのぺこちゃんは北斗晶よりも強靭なのかもしれない。

子はなんとか出てこようとしたものの、なかなかいきむ段階まで降りてくることができず、さらに陣痛を誘発する処置が施された。この陣痛促進剤のおかげで痛みが倍増。ダンプカーにさらにブルドーザーが応戦し私の腹の上を交互に轢いたのだった。5時間以上ダンプとブルドーザーに轢かれ、助産師に「これいつまで続きます?私もう無理なんですけど」と弱音を吐くと「あなたも辛いだろうけど子供も辛いんだよ」と厳しめな口調でぺこちゃんと同じようなことを言われ泣く泣く耐えたが、ダンプとブルドーザーに何度も轢かれてるんだから痛いとも無理とも言わない方がおかしいだろう。弱音くらい吐かせてくれよ、そう思った。

耐えに耐え疲れ果てていた母だったが、実は腹の子も我慢の限界だったようで心音が弱くなってしまった。母はどうやらその影響で高血圧症になってしまい分娩室の中にyabaiの空気が漂いはじめたのを感じた。立会い出産に挑んでいた夫は分娩室から出されてしまった。急に周りがソワソワし始め、医師や助産師らが「いけるか?いけるんじゃないか?いけそうだなぁ」とブツブツ呟いていたかと思うと「じゃあいきんでみましょう!」と急にいきみに流れがシフト。一度退出させられた夫も再び登場し、そーれそーれと分娩室中一致団結。なかなかいきみのセンスがあった私、急にハイピッチで動き出した我が子、とにかく早く出したい医療人の連携でいきんでから割とすぐに子が誕生した。

生まれた瞬間はなんとも言えない感動を味わうことができると数多くの経験者から聞いていたが「終わった」これが私の感想であった。ダンプとブルドーザーの襲撃からやっと解放された。終わったと感じながら助産師に抱かれて忙しくしている我が子をぼーっと目で追っていた。

子の心音は弱くなるわ母は高血圧症になるわで母子ともに危険な状態となったため、今回の出産では急遽吸引分娩という方法が施された。わたしが高血圧症になった訳は仮死状態になった我が子を救おうと血圧をガンガンあげて救おうとしたことが原因のようだった。痛い痛いと弱音を吐いて助産師に叱咤されるようなヘタレ根性の私だけど、私の体はしっかり子を守ろうとする母の役目を果たしていたことに妙に感動した。

それから分娩室で軽食が出されたが、食べる元気もなくウィダーインゼリーを細々と吸引していると、間も無くしてお股に強い痛みを感じるようになった。看護師にその旨を訴えると産後の痛みだろうということでロキソニンが処方されたが、なかなか強い痛みに痛い痛いと騒いでいた。

薬が効いて痛みが少し落ち着いたころ、股の確認をされた。するとまた分娩室がザワザワし始めた。どうやら私の出血量が異常な様子である。一度去っていった医師が再び現れ内診をすると「手術が必要です」とのことであった。難産のあとに緊急手術が執り行われることとなったのだ。

わたしは泣いた。マジかよと思って泣いた。しかし、なんだかよくわからないがこのままだと股の出血多量で死ぬ。もう手術を受けるしかなかった。今日から私は立派な母なのだ。子のためにも死ぬわけにはいかない。

貧血症状でカタカタ震えながらたくさんの書面にサインをしていった。どこの股から血が出てるのか確認するため、わたしは日付が変わろうとする時間から全身麻酔をして手術に挑んだのであった。

 

目がさめると担架に乗せられて運ばれているところだった。意識がまだ朦朧としているのが自分でもわかった。手は痺れて感覚がない。「大丈夫?」声がする方に目を向けてみると心配そうな夫の顔が見えた。手術は終わった。無事っぽいぞということがわかった。

担架に乗せられたわたしは病室に運ばれた。担架からベットに移され、わたしの尿管と腕には管が繋がっていた。時計を見ると日付を跨いでいる。今日はわたしの誕生日である。24歳の誕生日、わたしは沢山の管をつけて病室で迎えた。その時二度と病室で誕生日は迎えないと決意したはずだったのに、32歳の誕生日もまた管をつけて病室で迎えてしまった。

しかし今回は夫がそばにいて、別室には数時間前に誕生日を迎えた我が子も一緒である。心強い誕生日であった。

「撮って」

手術後の病室で夫に記念撮影を依頼した。そうして向けられた携帯に管をぶら下げた腕を上げ、私はダブルピースをしたのだった。