不服だった田舎のネズミ

自尊心とはいつ頃から根付くものなのかはよくわからないが、私の自尊心は5歳の時には定着していたと思う。その訳は幼稚園の年中の時のお遊戯会にある。その年のお遊戯会の演目は「田舎のネズミと町のネズミ」言わずと知れたイソップ物語の寓話である。勿論5歳の子供たちが台詞を覚えられる訳もないので15分程度の物語をアフレコで演じるのだが、それでもお遊戯会とは園児にとっても親にとっても力の入る行事であった。そんな熱気溢れるお遊戯会のキャストを選抜するのは担任の先生の役目であった。

「田舎のネズミと町のネズミ」キャスト発表会の日。教室に集まった園児達の前で担任のさとこ先生が自分で割り当てた役と名前を読み上げていった。私は何の役だろうか。自分が何の役に充てがわれるのか5歳の少女さとみこんこんもドキドキしていた。

「田舎のネズミのお母さん役は、さとみこんこんちゃんでーす!」

自分の名前が読み上げられるのをドキドキ待っていると、いつも通り元気のいい声と笑顔でさとこ先生が私の名前を読み上げた。先生はニコニコしながら私の方を見つめていた。田舎のネズミのお母さん。この童話の中では準主役くらいのポジションである。先生の笑顔からも頑張ってね!のエールが感じられる。結構な役柄だ。任されるのは悪くない。目立つ役柄であることも申し分ない。だけど先生、何故ですか。何故私は町のネズミのお母さんではなく、田舎のネズミのお母さんなのでしょうか。

私は田舎っぽいのだろうか。だいたいみんな同じ土地で生まれ育っているはずなのになぜ私を田舎者のネズミ役に選んだのか納得がいかなかった。

「町のネズミのお母さんがいい」

田舎者扱いしないで欲しい。しかしそんな心の叫びをさとこ先生に訴えることもできず、私は黙って田舎のネズミのお母さん役を引き受けたのであった。

その後もキャストは次々と発表された。町のネズミのお母さん役には背の高いしおりちゃんが選ばれていた。しおりちゃんはクラスの中でも長身で確かバレエを習っていて、他の子に比べてシュッとして大人っぽい印象だった。悔しいけれど確かにしおりちゃんは町ねずみの顔である。また主役でもある町のねずみのお父さん役には鈴木くんが選ばれていた。鈴木くんはスラッとした丸刈で確かに他の園児に比べて利口そうな顔立ちをしている。やはり町ネズミの顔だ。そして私の夫にあたる田舎のネズミのお父さん役には金子くんが選ばれていた。金子君は恰幅がよくいつも赤ら顔で鼻水を垂らしていた。どう見ても田舎ネズミの顔である。すごい。すごくマッチしている。さとこ先生のマジで選んだきた感がヒシヒシ伝わるキャスティングに、私はより一層傷ついたのであった。

家に帰って早速母に田舎のネズミのお母さんに選ばれた旨を伝えた。確かすごいすごいと喜んでくれたように思う。母にはなんで私は町のネズミではなく田舎のネズミなのかという疑問を言ったか言わなかったは覚えていないが、私が立派な田舎のネズミのお母さん役を全うできるよう母は張り切っていた。

ねずみ役の子は「ねずみの耳の作製」と「ねずみ色のスパッツまたはタイツ」の準備をするようおたよりで指示がきた。

「スパッツよりもタイツの方がスマートに見えるからねずみ色のタイツにしようね」母はそう言って田舎のねずみのお母さんが少しでもスタイリッシュに見えるよう、近所にはなかなか売っていたなかったねずみ色のタイツを隣町のジャスコまで行って買ってきてくれたのだった。ねずみの耳もわたしの頭に合わせて画用紙で丁寧に作ってくれた。不服だったねずみのお母さん役ではあったが、ねずみのお母さんが輝けるよう母が一生懸命準備をしてくれる姿を見て嬉しくなり、母のためにもがんばろうと思ったことは今でも覚えている。

こうして後ろ向きだった田舎のねずみのお母さんは、いつのまにかすっかりやる気を出して前向きな田舎ねずみになったのであった。

そうして迎えた田舎のネズミと町のネズミのお遊戯会本番。わたしはスタイリッシュなねずみ色のタイツを履いて会場の公民館に向かった。いつもポニーテールが多かった私だが、この日は気合いを入れるために母が私の髪をきつめの編み込みに結わいてくれたのであった。

お遊戯会が始まり田舎のネズミと町のネズミの順番が近づいてくると、役者達は控え室に集められて出番に向けて準備をした。田舎のねずみのお母さんは制服の上から白いヒラヒラのエプロンをつけてもらい丁寧に作ってもらった耳を装着した。もちろんスタイリッシュなネズミ色のタイツも履いている。なかなか様になっているではないか。悪くないなと思いながら気分良くいると、町ネズミのお母さんしおりちゃんが登場した。

しおりちゃんは制服の上からピンク色のヒラヒラのエプロンをつけ、そして白いタイツをはいていた。何故?なぜだ?確かおたよりにはねずみ役はねずみ色のスパッツかタイツと指示がでていたはずなのに、しおりちゃんは堂々と白いタイツを履いていたのだ。

「ハ、ハツカネズミやんけぇええ!!!!!!」

 とは5歳の私ではなく31歳の年増の感想なのであるが、今思い返してもあの日何故しおりちゃんが白いタイツを履いてきたのかはわからない。しかしねずみ色の指定を無視して涼しい顔をして1人白いタイツを履く姿勢、その生き様からも町ネズミの貫禄がしおりちゃんからは出ていた。誠に天晴。しおりちゃん、いや町のネズミにお母さんに乾杯である。

だからと言って私は怯まなかった。なぜなら私は田舎のネズミとして頑張ることを決めたから。町は町、田舎は田舎。それでいいじゃない。母のためにも頑張ることを決めたのだからできることを精一杯やろう。

後ろ向きだった田舎のネズミのお母さんはもういなかった。出番を迎えステージに立った田舎ネズミはやる気に満ちていた。私は田舎のネズミのお母さん。音響にあわせて手も足も最大限に動かし、全力で田舎のネズミのお母さんの振りをこなした。もう誰も田舎のネズミのお母さんを止めることはできなかった。

しかしそんなはりきったネズミのお母さんに悲劇が襲う。ダイナミックに動く度に丁寧に作ってもらったはずのネズミの耳がずり落ちてくるのだ。動く度に田舎ネズミのお母さんの視野は欠けていった。前が見えねぇ....おそらく予想外の激しい振りにネズミの耳の耐久性が追いつかなかったことに加え、きつめに編み込んだ網込みヘアーのおかげでいつもより数ミリ頭が小さくなったことが原因となり耳がずり落ちるという現象が引き起こってしまったと推測。しかしここで耳を直すのは田舎ネズミのお母さんの名が廃れると思い、私は最後まで耳を直すことなく視野が欠けつつも田舎のネズミのお母さん役を全うしたのであった。演技終了後「頑張ったね!」と母や先生からも褒められ得意げな気持ちでこの年のお遊戯会は幕を閉じた。

 

数後日。仕上がったお遊戯会の写真を見てみるとみんな良い笑顔で目をキラキラ輝かせているなか、田舎のネズミのお母さんだけが目がネズミの耳で隠れて無様な姿であった。この姿を見て確かに自分は町ではなく田舎のネズミだよなと心から納得し、この時にようやっと私は田舎のネズミのお母さんになることができたのであった。

 

 

 

はじめての妊婦

妊娠して8カ月が過ぎた。小さい頃は20歳になったらお嫁さんになって女の子を産んでという人生計画を立てていたが、それから10年経ってもその予定は訪れず、結婚をしない生活をぼんやり考え始めた頃にあれよあれよと言う間に結婚・妊娠そしてあとフタツキもすれば子供のいる生活が始まる。

妊娠をしてまず驚いたのは優先席に立っていても席を譲られないということであった。紋所のようにマタニティーマークを見せつけてもダメである。悪阻もなく腰痛もなく元気だから私はいいのだが「世の中ってそうなんだな」とさみしい気持ちになった。私の感覚では8割の人は席を譲らない。特におっさんはダメ譲らない。妊婦を見かけたら声をかけてあげてほしい。心底具合の悪い人もたくさんいるから。それくらい余裕のある社会であってほしい。

それと最近ようやっと我が子の性別がだいたい判明した。いつも下を向いていたりとなかなか超音波で確認ができず、もどかしい日々が続いていたのだがこの間の検診でやっと見せてくれたのだった。

「突起物が確認できますね、おそらくペニスでしょう。しかしタマが見当たりません」

「...そうですか!」

「棒状の、この部分がペニスだと思うんですけど、タマがない」

「...そうですか!」

「多分男の子でしょう。タマが見えませんが」

「そうですか!」

「でもわかりませんよ!クリトリスのでかい子もいますからね!それがペニスのように見えることもありますから」

「...そうですか!」

その後、速やかにお腹をしまい先生に挨拶をして産婦人科を後にしたが意味がわからなかった。先生の前ではそうですか!としか言うことができなかったが内心「???」であった。タマが見当たらないはまぁわかるがクリトリスのでかい子ってなんだろう。私は女性だけどイメージが湧かなかった。うちの子は大丈夫なんだろうか。私は腹をさすりながらどんな子でも大事に育てるからねとお腹の子と約束をした。

また妊娠出産同様初めて体験する一大イベントが産休である。労働は私にとって切っても切り離すことができないもので、高校に入学する前の春休みからアルバイトを始め、それからほぼずっと労働をしている。社会人になった20歳からも休職することなく、有給もろくに使わず働いた。そうしてこの度ようやく1年間の産休を獲得し、賃労働者から足を洗い一息つくことができるのだ。嬉しい。今から何をしようとワクワクしている。できることなら海外旅行でもしてのんびり過ごしたいのだがなんてったって私は臨月。無茶をすることはできない。その代わりサンドイッチ屋でアルバイトをすることが決まった。青学のすぐそばの小さなサンドイッチ屋だ。週1で1時間だけ交通費は出ないが、まかないで美味しいサンドイッチが食べられるらしい。楽しみだ。なんで労働からやっと離れたのにまた労働することにしたのかは 勢い としか言いようがないが、無理のない範囲で頑張ろうと思う。

あとやりたいと思っていることは今のところ「蒸しパン作り」である。蒸しパン作りは8ヶ月の子供を持つ友人とお茶をした時に、友人が子供に手作りの蒸しパンを食べさせている姿を見て感動し、友人から蒸しパン作りのアドバイスをもらったのだ。蒸し器がないとだめかなと少々ハードル高く考えていた蒸しパンだったが蒸し器がなくてもフライパンや鍋で蒸せることが判明。蒸し台という物があってそれがあれば蒸しパンができるのだ。目からウロコ。蒸し台をAmazonで調べてみたところ600円くらいで売っていた。600円で夢が買える。素晴らしい。すぐさま購入。こうして我が家に蒸し台がやってきた。まだ蒸しパンは作っていないがかぼちゃを蒸してみたらすごく美味しかった。レンジで蒸すよりムラなく蒸せて味も良い。どうも100圴でも売っているようなので私も蒸しパン作りたいわと言う人がいれば是非とも蒸し台を購入してほしい。産休に入ったら蒸しパンを作ってまずは一向に私に懐いてくれない実家のチワワにあげたい。それで仲良くなれたらいいなと思っている。

あとは厄払いしたいとか掃除したいとか煮豚作りたいとか天井が高くて客と客の間がしっかり空いているカフェでシフォンケーキを食べながらだらだらブログを書きたいとか色々あるが「あなたの出産予定日だと産休入ってからすぐに保育園の見学に行った方がいいですよ」とつい最近赤ちゃん教室で忠告を受けてしまいダラダラのんびりましてやサンドイッチ屋でバイトなんてしている場合ではないことに今さら気がつき焦りを感じているのであった。

とにかくお腹の子に迷惑がかからないよう健やかに残りのマタニティーライフを過ごしていきたいと思う。

 

 

 

FLOSS OR DIE を閉鎖する

 

floss-navi.tokyo

pcデポで講習を受けるほどインターネット弱者な私ですが、一丁前にサイトを運営していました。フロスを紹介するこちらのブログははてなブログよりも長いことやっており、私のブログライフはここから始まったと言っても過言ではなく結構思い入れの強いブログなのですが、2019年3月31日をもって閉鎖することを決めました。

丁度サーバーの年間の更新のお知らせが届いたということもきっかけだったのですが、閉鎖の1番の決めては朝に食べていたパンでした。

私はいつも納豆ごはんを食べているのですが、パンも好きなので月に2回くらいパン屋さんで美味しそうなパンを買ってきてはうまいうまいとパンを食べていました。

楽しみに買ってくる月2回のパンの値段はだいたい1400円前後。そしてFLOSS OR DIEを運営するのにかかる費用が月に1400円程。

朝、パンを食べながら「私はFLOSS OR DIEの運営と美味しそうなパンを買ってきて食べるのとではどちらが幸せと感じるのか?」ということをふと真剣に考えてみたときに、パンだな。という結論に至り解約を決意しました。

自分の得意分野でブログを開設して副収入で小銭を稼ごうと始めたのが「FLOSS OR DIE」だったのですが、フロスをするのは得意でもインターネットをするのは苦手でサイトの運営にはかなり苦戦していました。周りに詳しい人などもいなかったし、そのころはPCデポの存在も知らなかったため「いちばんやさしいワードプレスの教本」を片手に必死にブログを管理しておりました。フロスもたくさん買って、使った感想・評価などを中心にブログにアップしていました。結局広告の貼り方が分からず一銭にもなりませんでしたが、書くことが思いのほか好きだということがわかり、1年半くらいコツコツやっておりましたが、しかしそれ以降激減。ご縁あって他のサイトで記事を書く機会ができてからさらに激減、またはてなブログで好き勝手書き始めてからはさらにさらに激減。そうしてただ保管している形となっていきました。

そしてもう一つ書かなくなった決定的な理由として、これ以上フロスを買いたくないという気持ちになっていたことも挙げられます。「マニアが教える!」とかかっこつけてフロスマニアぶってましたが、家にフロスが増えて行くたびにこれ以上フロスをこの狭い家に増やしてどうすんだよという葛藤が付きまとっていました。家のフロスボックスはパンパンになり、しょうがないのでフロスを居間に飾ってオブジェにしたりしているのですが、正直飾るほどフロスは好きじゃないです。マニアの人はたぶんこういうことで悩んだりしないと思うのですが、私はもう買いたくねーよが先行して買う気が失せてました。全然マニアじゃない。そもそも何に対してもコレクター気質がなく、どちらかというと気に入ったものを使い続ける保守的な性格なものですから、使わないし愛でることもない物が増えていくことがストレスでした。マニアになるにも才能と素質がいるんだということを学びました。

マニアではないけど、専門家としてフロスは心から使った方がいいと思ってるのは本当で、自信を持ってオススメできるし頭下げるから使って欲しいくらいの気持ちでいます。私は今31歳だけどむし歯もなければ歯周病もないし銀歯も被せ物もない美しい天然歯(前歯は欠けて一部コンポジットレジンだが)なのはフロスのおかげという部分もあると思っています。ナッツとか入った硬いハード系のパンをうまいうまいと言って食べられるのも歯が丈夫だからです。

例えばムシ歯になって神経を取ることになったとします。神経を取ってもしばらくの間は何事もなくむしゃむしゃ食べられるけど、歳とって硬いハード系のパンとかむしゃむしゃ食べてると神経取った歯はハード系のパン食をべた衝撃でヒビが入ることがあります。場合によっては歳とってなくてもヒビ割れします。どんなに手入れが良くても神経を取った歯は弱いので破折のリスクがあるのです。私はそうやって歯にヒビが入ったり脱臼させた人をたくさん見てきました

「固いパンには気をつけてくださいね!」「だからタコとかイカは柔らかくてもコシがあるからダメなんですって!」「スルメ?スルメはダメですよダメ!」

そう言って何度もお伝えしましたが、うっかり忘れて噛んでしまい抜歯になってしまった人をたくさん見てきました。その度に思うのは、神経は取らないで済むように気をつけようということです。

歯がないなら入れ歯でいいじゃんとか歯が抜けたらインプラントがあるじゃんと思われるかもしれませんが、自分の歯ほど噛みやすいものはありません。

今ある自分の歯をできる限り傷つけないようにして維持していくことは、すごく有益なことです。コスパもいいし、何より気にしないでなんでも食べられることができることはこの上ない幸せです。先人達も言っております。みんなに言ってあげて欲しいと入れ歯の人に頼まれたこともあります。現場で働いている私は歯は大事にしないといけませんなとヒシヒシと感じております。

FLOSS OR DIEは終了しますが、みなさんのフロスライフは是非継続してやってください。やってない人はこれを機に頑張って欲しいです。いいことありますよ。

あとフロスを集めるのは嫌けがさしましたが、海外の歯医者に行くのは全然飽きてませんので海外の歯医者レポートははてなブログで継続していきたいと思います。

私のブログを読んでフロスを始めてくれた方、ブログを手伝ってくれた方、フロスのブログを見て歯医者に来てくれた方、ブログを紹介してくれた方、私のブログを通して知り合った方に感謝です。

 

感謝のしるしとして家に溢れかえっているフロスをプレゼントしますので欲しい人は言って下さい。

 

 

 

 

 

 

はじめてのぎっくり腰

そもそも私は腰弱者なのである。側弯症という背骨の病気を手術した影響で、人よりも腰には気を使って生きていかなければいけないのだ。さらに現在妊婦という要素も加わり、弱点腰の素質はより一層強いものとなっていたのにも関わらず、わたしはそのことなどすっかり忘れ没頭してしまったのだ。掃除機の掃除に。

新年早々、勤め先の歯科医院の掃除機の吸い込みが悪く掃除機が止まってしまった。これはきっとゴミの溜まりすぎが原因だということで、スタッフオンリーの技工室という部屋で一人掃除機を分解し、中に溜まったゴミを出していた。髪の毛ホコリを筆頭に色んなものが絡まっており、使用済み歯ブラシなどを駆使してゴミをかき出していた。しかしいくらかき出してもゴミは出てくる出てくる。掃除機のフィルターは一向に綺麗にならなかった。ムキになって冷えた床に座りこみ、体育座りをした足の間にゴミ箱を挟み必至になって無限にゴミの出る掃除機フィルターと格闘していたのであった。

そしてことは急に起こった。腰が伸びたのだ。最初は本当にそう思った。その次に激痛を感じた。腰を伸ばしすぎて体の一部が切れたんじゃないかと思った。「痛い!」と一声あげた後四つん這いになった。そしてその状態から一歩も動けなくなってしまった。1ミリでも動いたら激痛。冷や汗をかきながら体を支え、私はなるべく体を動かさないよう務めた。

どうしよう。痛くて動けない。1人冷たい技工室の床で狼狽えた。これが俗に言うぎっくり腰なのだろうか。それならばもっとネーミングを考えた方が良い。ぎっくり腰なんてお茶目な名前にするな。痛すぎて息もまともにできない。もっと痛々しい恐れられる病名にするべきだろう。痛い...もしかしてあれか?厄年のせいか?本厄なのに「本厄でも本厄の年に子供を産む人はセーフ」という都合の良い迷信を信じてるからバチが当たったのだろうか...

激痛を感じてから2分くらい経過したくらいだろうか。だんだん体を支えている手が疲労でプルプル震えだした。しかし痛みは一向にひかず動いたら激痛。声をあげて応援を呼んだところで誰かに来てもらって解決する問題でもない。しかも今日は仕事始め。何かと忙しいのに迷惑もかけたくない。耐えよう。両手をプルプルさせながら引き続き四つん這いでじっとしていた。

新年早々ゴミまみれ。四つん這い。震えてる。私は一体何をやっているのだろう。気がつくと「ははは」と声を出して笑っていた。自分の滑稽さが可笑しくて情けなくて笑えた。

ひとしきり「ははは」と笑ったあと「ははは」と笑いながら今度は泣いた。自然と涙が溢れてきた。いつまでこんな格好でいればいいのか。笑いと悲しみは紙一重なんて誰かが言っていたけど、まさにそれだった。この状態は可笑しくも切なかった。

四つん這いになりおいおい泣いていると、ようやっとパートのスタッフが技工室にやってきた。部屋に入ってくるなりバラバラになった掃除機、散乱したゴミ、そしてその中で泣きながら四つん這いになっている私が目に入り、彼女は悲鳴をあげた。

おいおい泣きながら痛いよ痛いよと四つん這いのままボソボソつぶやくわたしを見て彼女は理解したようだった、こいつ腰をやってるなと。

出産経験のある彼女は速やかにわたしのそばに駆け寄り、腰をさすってくれた。

「今腰弱い時期だもんね...」彼女はわたしの腰をさすりながら言った。誰か来てくれたところで解決する問題ではないと思っていたが不思議とさすってもらうと少し楽になった。しかしさすってもらってもまだ動けるほど痛みは引かず、彼女も他に仕事もあるので数分後、私の元を去っていった。そして、私はまた1人になった。

涙は引いたが痛みは引かず、また1人で四つん這いになって手を震わせていた。

しばらくすると、また1人技工室に人がやってきた。今度は親ほど歳の離れた主任衛生士だった。主任は険しい顔で技工室に入ってきたかと思いきや、抱えてきたブランケットを何も言わずに私の横に広げ「さぁこっちに乗って!」と言った。そう言われても無理なのである。横に動けるならとっくに縦に動いて立ち上がっている。せっかく引いた涙がまた溢れだし「無理です、無理です」と言って手を震わせていた。「そうは言ってもこのままだと体も冷えていくし...頑張って!」頑張ってどうにかなるなら最初からそうしている。バカにしてないか?バカにしてるだろうぎっくり腰を...

その後も主任は赤子のハイハイを見守るかのようにほら!ほら!とブランケットの上に乗るように促した。仕方がないので恐る恐る体を動かしブランケットの方へと歩み寄った。案の定激痛。「あーーーーー!」負傷した足を死海に突っ込んだナウシカの如く悲鳴を上げ、なんとかブランケットの上に上陸。そして私の上陸を見届けた主任も他に仕事があるため私の元を去っていった。そして、私はまた1人になった。

ブランケットの上に四つん這いになって手を震わせていると、今度は主に電話などを取ってくれるスタッフがやってきた。

彼女は小さめの電気マットを持って技工室にやってきて、その電気マットを私の腰にあてた。

「私もぎっくり腰やったことあって...」彼女は電気マットで腰を温めたあと、腰のあたりをさすってくれた。やはり腰をさすってもらうと少し楽になった。

「手当って言うけど、本当に手を当てもらっているだけで不思議と少し楽になるんですよね」

確かにそうですね。と四つん這いになっているため俯きながら同意した。比較的手の空いていた彼女はしばし私の腰をさすってくれた。

しばらく私の腰を黙ってさすってくれていた彼女だったが、私の痛みは引かずまだ立てそうにない状況を不憫に思ったのか重症と判断したのか、彼女は私の腰をサスサスしながら彼女の信仰する宗教のまじないを唱えはじめたのだった。

「...痛みを取り除きたまえ.........ーレ!」

なんちゃらターレ!と唱えながら私の腰を勢いよくさすってくれた。私は無宗教ではあるが宗教を信じている人のことは否定しないしそれで気持ちが楽になったり元気になったりするのであれば良いと思っているが、何故だろう。相手から「宗教」を感じてしまうと憂鬱な気分になるのは。私だってクリスマスはお祝いするし、初詣には行くし、戌の日だって行った。だけどなんちゃらターレを信じている彼女のまじないをかけられた瞬間、私の気分は確実に重くなった。だけど、なんかもうそんなこともどうでもいい気分になり、神さま仏さまターレさま誰でもいいから早くわたしから奪った二足歩行を返してほしいと私も天に祈ったのであった。

2人の祈りが通じたのか彼女の手当が効いたのかはわからないが、時間の経過とともに激痛のピークは遠のき少し立ってみようかという気持ちになってきた。台にしがみ付いて鉛のように重たい腰を少しずつ浮かせた。ジンジンする痛みに耐えながら少しずつ、少しずつ。激痛を感じてからかれこれ30分。ようやっと私の二足歩行は復活した。

「よかった!」まじないをかけてくれた彼女は満足した様子でわたしの元を去って行った。よかった訳ではない。立つことはできたが治った訳ではないので、抜き足差し足忍び足で腰に負担がかからないようゆっくりした動作で私も仕事に戻ったのだった。

2日目はベットから起き上がることができないほど痛くなり、靴下もパンツもスムーズに履くことができず仕事を遅刻した。仕事に行ってもろくに働けないため早退しろと言われ早退し、帰宅後すぐに横になって体を休めた。3日目から痛みがマシになり、1週間もすれば何事もなかったように痛みが消えたのだった。

ぎっくり腰のことを欧米では魔女の一撃というらしい。ぎっくり腰より確実に良いネーミングだと思う。なんの前触れもなく突然襲った悲劇。相変わらず彼女には悪いがなんちゃらターレは信じないけれど、ぎっくり腰には「手当」が効くということを実感した。そして厄祓いにはやっぱり行っておこうかと思うのであった。神さまも仏さまもターレさまもよく知らない私が信じているものが一体何なのかもわからずに。

 

 

ただの豆だった

最近麻布十番を訪れることが多い。その訳は兼ねてから勤しんでいるピラティスのスタジオが移転し、移転先が麻布十番になったからである。そのため月に2回とか3回麻布十番を訪れるようになったのだが、だいたい昼頃にピラティスの予約を入れるので、その後麻布十番で昼ご飯を食べて帰ることが多くなった。

麻布十番は面白い。老舗の店も多いが目新しい店も次から次へとできる。どちらかというと味のある老舗の店が好みなのだが、時たま根底にあるギャルの部分が垣間見えてしまう私は、今回はアメリカ系メキシカンスタイルの楽しめるブリトーの店に行ってみることにしたのだった。

ガラス扉を開けて入ると「いらっしゃいませ」とかったるそうなバイトに出迎えられた。「ご注文は?」と腹話術で喋ってんのかと思うくらい顔の筋肉が動かないバイトに聞かれるが、なんせ私はブリトービギナー。何の選択肢があるのかもわからずオロオロするしかなかった。ブリトー屋はサブウェイのようなシステムになっており、ガラスケースの中には彩り豊かな野菜や肉などが並んでいた。まずはベース選びから。ブリトーかタコスかその中身だけかを店員に問われ、迷わずブリトーをチョイスした。次にチキンか、ビーフか、ポークか。チキンは1000円、ビーフは1300円、ポークは1200円。私は驚いた。高い。ブリトーってアメリカでもメキシコでも庶民の食べ物のはず。1000円以上払って食べる食べ物なのか...思ってたのと違う!と正直ブリトー屋から走って逃げ出したかったが、わたしだって大人、わたしだってわかってる。ここは麻布十番だということを。基本この街に庶民は住めないし、物価は高いものなのだ。仕方がないので泣く泣く「ビーフ」と何故か1番高価な選択をして次のステップに移るのであった。サワークリームは入れてもいいですか?ライスも入ますか?ソースは?チーズは?追い立てられるように店員に問われ、頭の回転が遅い私はとりあえずはい!はい!と答え、店員の流れを止めないよう心がけた。すると今度は「お豆はどちらにしますか?ベーコンのお豆か、お野菜のお豆ですが」と豆だけはYESの回答ができず、はい!のリズムは崩れてしまった。焦る気持ちで自分はどちらの豆を食べたいか考えた。ベーコンのお豆っていうのは肉からできているのだろうか。そして何故この無愛想な店員は豆だけには丁寧な対応なのか。「じゃあベーコンのお豆で!」1番肉々しいビーフを選んだのだから豆もお肉の豆にして肉々しいブリトーにしよう。そう考えてベーコンの豆を選択し、一通り注文が終わった。

1300円のブリトー。さぞかしオシャレなんだろうとカウンターで楽しみに待っていると、お待たせしましたと店員がトレーに乗せて運んできたものはアルミホイルに包まれた物体だった。インスタ映えのカケラもなかった。アルミに包まれた焼き芋のようだ。looks like a 焼き芋。思ってたのと違う!と泣き出しそうになったが、おそらくこれがアメリカ系メキシカンスタイル。気取らないのが彼らのスタイル。大人しくアルミホイルで包まれた物体が乗ったトレーを受け取り座席に向かった。

店内は奥行きがあり、洞穴のようであった。窓がないので光が入らず薄暗いし、風通しも悪い。風水的な観点からみるとこの店はたぶんすぐに潰れる。そんなことを考えながら適当な所に着席した。

おしぼりで手を拭きアルミホイルを剥いて、ブリトーの頭を出す。そしてそのままパクっとかぶりついた。噛んですぐにご飯とソースの混ざった味がした。不味くないけど、美味しくもない。セブンイレブンブリトーの方が数倍美味しい。これならセブンイレブンブリトーを5個買った方が良かったと一口食べただけで残念な気持ちになった。しかしせっかく四苦八苦してオーダーしたブリトー、1番高い肉を選んで買ったブリトーである。味わっていただこう。私はブリトーを咀嚼しながら一口かじった後のブリトーの断面を観察してみた。中から豆が覗いていた。そうだベーコンのお豆。肉からできたベーコンのお豆を選んだことを思い出した。どんな味がするのか。ワクワクしながら豆だけをつまんで食べてみた....豆の味がした。ただの豆だった。思ってたのと違う!と再度アルミに包んでブリトーを焚き火に放り込もうかと思ったが、わたしだって知ってる。わたしだってわかってる。食べ物は粗末にしてはいけないことを。最後まで食べよう。しかし咀嚼するたびに広がる味は後悔。なんとも後味の悪い食事となった。

ブリトーを完食し終わったあと、すぐにインターネットを開いてベーコンのお豆を検索することにした。あいつは一体なんの豆だったのか。せめてベーコン豆の正体だけでもはっきりさせて少しはすっきりして帰りたい。しかし検索の結果「次元大介の好物」以外情報は見つからず、結局一体ベーコン豆がなんの豆なのかよくわからず、後味の悪さは軽減しないままブリトーの店を後にすることになった。

ベーコン豆の正体は謎のままであるが、肉からできていると思ったベーコンの豆は肉からできている訳ではない。その事に気付いただけでも私はまた一つ賢くなった。そう思うことにした。しかし帰りの電車の中でわたしはふとあることに気がついたのであった。

 

お野菜のお豆こそ、なんの豆だったのであろうか?

 

 

丸い男

どういう訳か専門学生時代からいつも眠い。それまでは授業中に寝るということはなく真面目に勉学に励む学生であったのに、専門学生になった途端毎日眠くなって90分の授業を全部寝て過ごすこともあった。隙あれば寝る。授業中以外でもバスや電車の移動中でも当たり前のように寝る。時々立ったままでも寝る。

この日もバスで爆睡していて、バスの車掌さんに終点で起こされたのであった。幸い自分の自宅がバスの終点から近く問題はなかったのだが、お客さーんとマイクで呼びかける声で目を覚まし、びっくりしてキョロキョロあたりを見回すと見覚えのあるバスターミナルで、あ、私寝てたんだと自分が爆睡していたことに気がつくのであった。まだ半分眠っている状態で誰も乗車していないバスをゆっくり歩いて降り口に向かう。定期券を運転手に見せてバスを降りると知らない太った男が待ち構えていた。おじさんなんだかお兄さんなんだかわからないような見た目で、眼鏡をかけ、長髪ぎみの頭はボザボサで、たしかジャージをはいていた。清潔とは言い難い、どちらかというと不衛生なそのおじさんだかお兄さんだかわからない男がニタニタと笑いながら私にかけてきた第一声は「お疲れのようで」だった。驚いた。この人も先程のバスに乗っていて、私が爆睡している様子を見ていたのだろうか。なんで疲れていると思ったのかと不審に思いながらも「はぁ。」と言いながら頭を下げて会釈した。すると男は続けて「これ、よかったら」と持っていたビニール袋からスッと何かを私に差し出した。

差し出された物はどらやきだった。たぶん自分で食べようと思い購入したのであろう、スーパーで100円くらいで売ってるオーソドックスなどらやきだった。何を出してくるのかと思いきや出てきた物はどらやき。まだ半寝の状態でドラえもんみたいに丸い男から突然どらやきを差し出され、茫然とし、しばしどらやきを見つめた。

「いらないです」

貰わないのが健全かなと少しの間の中で判断し断った。丸い男は相変わらずニタニタしていたが、何も言わずに静かにどらやきを袋の中にしまった。「いらないです」と答えてすぐにその場を早歩きで立ち去ったが、丸い男は追ってくる様子もなくその人とは二度と会うことはなかった。

10年以上前の話であるが時々バスを降りたらどらやきを差し出されたことを思い出す。たぶんあの男性はどらやきを受け取ったからといって何かしてくるつもりもなかったのかもしれないなと思うと、せっかくのご厚意、有り難く頂戴すれば良かったと思う。わたし好きだし、どらやき

知らない人からの突然の善意というのは少々気味が悪く、何か裏があるんじゃないかと疑ってしまいがちだが、ありがたい!と素直に受け取ってみれば、ただお互いが気持ちが良くなるだけでなんてことはないのかもしれない。素直になってみようと思った。

前澤さんの100万円のお年玉が当たりますように。

 

麻布十番のエレベーターの中で

先日用事があり麻布十番のマンションを訪れた。

用事を済ませ、マンションの12階からエレベーターに乗り1階のボタンを押した。エレベーターの中には私1人だった。ぼんやりエレベーターに乗っていると7階でエレベーターが止まり、茶髪のマスク姿の女性がベビーカーを押しながらエレベーターに乗り込んできた。ベビーカーには幼い子供、そして1〜2歳くらいの目のクリっとした女の子が女性の胸に抱き抱えられていた。

狭いエレベーターは私と女性とベビーカーで満員となり身動きの取りづらい状態となった。窮屈なエレベーターはなんとなく気まずかった。誰も声を発することはなくエレベーターは静かに下っていく。視線を下に向け体を小さくしてエレベーターが1階に到着するのを待った。そして私は気づいたのだった。何か感じると。俯いた状態から何かを感じとって目線を少し上に上げた。何かの正体はベビーカーに乗った赤ん坊の視線だった。

赤ん坊は表情も変えぬまま、瞬きも身動きもせずにじっと私を見ていた。真剣にこちらを見ている。このままだと私が石にでもなるんじゃないかと思われるほど凝視している。なんだか怖くなり、堪らず赤ん坊から目を逸らし右側に視線を逸らした。

視線を逸らすとまた目が合ってしまった。今度目が合ったのはマスク姿の女性に抱き抱えられている女の子であった。クリっとした瞳でこちらもじっと私を見ている。なんでなのかはわからないけれど、こちらも石になるんじゃないか、もしくは穴が開くんじゃないかというほど私を見ている。

2人の幼い子供にじっとりと見つめられ、気まずさと居たたまれなさは最高潮に達した。逃げ出すこともできず、気づいた時には「ははは」と声を出して笑っていた。静まり返るエレベーターで壮年女性が突然笑い出した。幼い子供たちの視線よりも怖いのは確実に私である。

まずい。このままだと不審者である。私は自分を擁護するために目線を下に向けたまま「すみません、2人がすごい見てくるので」とボソボソとマスクの女性に訴えた。

するとその数秒後、マスクの女性は甲高い声で笑い出した。手まで叩いている。ウケてる...すごい笑っている。「こ、この耳あてかな...耳あてが気になるのかな〜?」続けてボソボソと呟いた。

私は最近毛がモシャモシャした耳あてをして歩いている。最近気づいたのだが、東京で耳あてをして歩いている人などほとんどいない。この冬私以外に耳あてをつけていたのは今のところ、飲み屋の隣の席のサラリーマン、電車で隣に座った中学生、友人、そして私の4名だけである。私が耳あてをしている姿を見て実家の犬がすごく興奮していたので、もしかしたらこの赤子達も耳あてに興味を示したのかもしれない。ましてやここは麻布十番、耳あてをしている人もまぁ、見かけないのだろう。

そんなことを思って呟いた「この耳あてかな〜?」の言葉がマスクの女性にも響いたようで女性はさらに手を叩き笑い出したのであった。

女性がヒーヒー言っているので、私もハハハと一緒になって笑っていた。するとさっきまで女性の胸に抱かれ真顔でガン見していた女の子もへへへと声を上げて笑い出したのであった。

静寂するエレベーターの中は一転し和やかな空間に包まれていた。ハハハと笑いながら「お子さん何才なんですか?」と女性に尋ねると「3ヶ月と、2才。もー猿の子かってほどキッキッうるさくて〜」と答えてくれた。女性の声は酒焼けして掠れていた。

その後エレベーターは1階に到着し、女性はベビーカーを押しながらぺこりと頭を下げて歩いていった。私はエレベーターの開のボタンを押しながら「またね」と手を振って見送った。また会うわけないだろうが、またこの親子に会いたいなと純粋に思って出た言葉だった。

駅までの道のりは高層マンションが連なり、閑散として生活感の欠片も見当たらない。この街に住む人はほんの一握りの特別な人種で、生涯私とは縁のない街だと思っている。マスク姿の若い女性はどうしてこの街に住むことになったのだろうか。「猿みたいにキッキッうるさいの」と酒焼けして掠れてた声が頭の中で繰り返されていた。