おおきちナイトニッポンナイトに行かないであらいはまナイトに行った話


「!!!?!!」


わたしはしょっちゅう、驚く女である。
今回驚いている訳は、

「おおきちナイトニッポンナイトやります!3月16日です!」


この告知をツイッターで見たためであった。

「おおきち.......ナイト....!」

ハイエナズクラブ、オモコロ、ジモコロ、ヌートンなど幅広く活躍される
おおきちさんの単独イベントが3月16日に開催された。

正直わたしはおおきちさんのことをよく知らない。

「でもハイエナズクラブの先輩だし...。」

念願のハイエナズクラブの採用が決まっていたわたしは悩んだ。

「先輩の単独イベントには行かないといけないよなぁ。。」

誰にでも従順が売りのわたし、もちろん先輩のおおきちさんにも従順でないといけないと思っている。

しかし、

「この日あらいはまさんと会う約束なんだな...」

わたしが所属する情報サイト、『素人の研究社』の優秀ライター
あらいはまさん と名古屋で会う約束をしていた。その翌日は友人に会う約束もあり、楽しい旅になるよう既に段取りが済んでいたのであった。

「おおきちさん、なんで16日にしたんだろう...。」

悩むところではあったが、この日は名古屋から熱いエールを送るということで、おおきちナイトニッポンナイトへの参加は諦めた。


数日後。


「!!?!!!!」


わたしはまた驚いていたのであった。その訳は、

「おおきちナイトニッポンナイトがあるので緊急帰国します。」

素人の研究社社長でもあり、ハイエナズクラブの会長でもあるzukkini氏のツイートを見たからであった。


これは...まずい。

社長までアメリカから緊急来日するっていうのに、いいのだろうか。わたしはいかなくていいのだろうかおおきちナイトニッポンナイトへ!?


連日の驚きからか吐き気までしてきたわたしは、とりあえず確認のため社長にメールをしてみることにした。

「社長。アメリカから一時帰国されるのは事実ですか?」


「嘘です。」

この返答によりあらいはまナイトの続行は決まった。

「よかった!この日あらいはまさんに会う約束をしてるんです。社長が来日したら名古屋行きをどうしたらいいんだと慌ててました。」

「え?あらいはま君に会うの?」

「そうです。」

「いいなぁ!あらいはま君には、挨拶したいなぁ!!」

「(社長....わたしは?)そうですか!ではもしご都合が合えばインターネットを介してあらいはまナイトへご参加ください。」

わかりましたと社長からの返信を受け取り、詳しいことはまた後日ということで話は終了した。
 

つまり、

〜あらいはまナイト2018 スペシャルゲスト zukkini〜     (主催さとみこんこん)

が開催されることになったのであった。

うーんワンダフル....!

いーじゃんいーじゃん、豪華じゃん!
あははこのイベント金とれんじゃないか?!?!

うーん緊張してきたぞ!

3月16日が待ち遠しかった。

ここで突然ではありますが、わたしとあらいはまさんの関係を簡単に説明します。

我々は、情報サイト『素人の研究社』の「同期」である。
ドタバタ暴れるように自薦で入社したわたしとは異なり、
あらいはまさんは社長のスカウトによりスマートに入社をしていた。

わたしは自薦コンプレックスがあり、スカウトの人が羨ましくてしょうがなかった。
社長の御眼鏡にかなって入社なんてかっこいいではないか。だからスカウトのあらいはまさんのことを

「犬のチーズケーキの奴に、絶対負けない。」

と言ってライバル視していたのであった。

入社時のわたしは尖っていたため、あらいはまさんのことを影で犬のチーズケーキと呼んでいた。あらいはまさんのツイッターのアイコンが犬がチーズケーキを頭に乗せて喜んでいるように見えたから、犬のチーズケーキだ。(本当はドクロがカステラを考えている絵だそうです。)


そしてデビュー作が発表されるのもほぼ同時で、たしか若干彼の作品の方が提出が早かったため、先に彼の記事がアップされた。
彼のデビュー作は建設工事現場の角のパネルの調査であった。その名も角ディスプレイ!

「すごい、角ディスプレイ.....」
「やるじゃん、犬のチーズケーキ...」

ちなみにわたしは自転車に設置された雑巾のことを調べて発表した。

デビュー作から実力の差は浮き彫りになっていたが、
それでも無知で考えが青かったわたしは1作読んでも自分はまだ戦うんだ!と意気込んでいたのであった。2作目をどうしようかと手こずっていた時、彼の2作目がアップされるという情報がグループチャットに入った。

「コンビニのコピー機の間違い探し?」
「え?あとどこ間違ってんだ?」

わたしはコピー機の間違い探しの調査記事に夢中になっていた。

「犬のチーズケーキ。文章も面白いけど、まず視点が違う...負けるもんか。」

大変馬鹿野郎なわたしはまだ同じ土俵にも立てていないことにも気づかず、けれど気合いだけは十分であった。

しかし彼の3作目の路上の補修面の記事で、最後に落書きコーナーを載せたことに愕然し、やっぱりスカウトの奴はすげぇとようやっと実力の差を受け止めることができたのであった。

それからというもの、わたしはあらいはまさんを「心の同期」だと思っている。有能な奴とは友達でいたい。わたしのマインドはジャイアンスネ夫、それでいいのだ。

そして「心の同期」には一度ご挨拶を。と思いあらいはまさんにコンタクトをとって、あらいはまナイト開催へと繋がった次第である。

あらいはまナイト開催前日。

明日はあらいはまナイトだ。彼はどんな人だろう。
同じ研究社ではあるが、社の人たちの顔を全員しらない。
もちろん心の同期あらいはまさんの顔も知らなかった。
文章から想像すると髪はロン毛で、痩せてて、絶対偏食。

心の同期は亀川千代

わたしがぼんやり亀川千代を想像していると、あらいはまさんが

「待ち合わせですぐわかるよう、どういう風貌かを先に伝えておきますね。僕は3ミリくらいの坊主に眼鏡をかけて全身黒の服装です。」

と連絡をくれた。  

3ミリ坊主?亀川千代じゃない。
眼鏡の坊主で全身黒って...ウシジマくんじゃないの!
少々戸惑いながら、了解しました。わたしは茶髪のロン毛です。と返信をした。

「待ち合わせの15分くらい前は職場のパソコンでDMのやりとりができるんですけど、
ガラケーなんで直前の待ち合わせはショートメールか通話になると思うんでよろしくお願いします。」


眼鏡のボーズで全身黒、さらにガラケーってますますウシジマくんに寄ってきたではないか...

どうしよう。
あらいはまナイトのエンディングは「さとみこんこん、栄の風俗に沈められる」とかそんなオチがまっていたら.....

「了解しました!ところであらいはまさん、うさぎ飼ってます?」

わたしは彼がウシジマくんでないことを祈った。


当日。
名古屋に到着したわたしは、ホテルに荷物を置いてから、全く土地勘のない名古屋駅をうろうろしていた。
するとJRゲートタワーというはっきり名前の書いてある建物があったので、その建物に隣接するコスメキッチン前で待つことにした。
わたしはDMでJRゲートタワーのコスメキッチン前で待っていることを送信し、あらいはまさんからはオーケーの返信が届いた。

コスメキッチンで物色をし、5分前にはすぐにわかってもらえるよう表の出口の前に立って待っていた。

(店の前に立ってる人はわたしだけだから、ここに立っていればあらいはまさん、すぐわかるよね。)

わたしは落ち着きなくキョロキョロあたりを見回し、ウシジマくんっぽい人を探した。

そして約束の6時を少し過ぎた頃、全身黒のボーズを発見した。
全身黒でボーズのウシジマスタイルはJRゲートタワーの地図を真剣に眺めていた。

(あれ?あの人かな。)

わたしが立っているところから5メートル先くらいにウシジマスタイルの男が立っていたが、地図から目を離すと彼は上りのエスカレーターに乗って、見えなくなった。

(あ、違う人か。)


数分後。

ウシジマスタイルの人がコスメキッチンから出てきて、店の出口を左に曲がってどこかに消えた。


(あれ?あの人さっき地図見てた人だよね。え?あれじゃないの?なんで店まで来てくれてるのに会えないのだろう...)

次目の前を通過した時には絶対声をかけよう。あれは...あらいはまさんだ。

コスメキッチンの店の前で待ち構えていると、また先ほどのウシジマスタイルの男が早歩きでわたしの前を素通りしていった。そしてピタッと立ち止まりガラケーをだして電話をかけ始めたのだった。

わたしはすでに見つけていたが、一応電話に出て、もしもしといいながらウシジマスタイルの男に近づいた。

「あ!はじめまして。」

お互い、やっとあえたー!の雰囲気だったが、わたしがあらいはまさんを随分前から見つめていたことは黙っておくことにした。

「すみません、こっちの方来なくて、場所がよくわかりませんでした。」

そう言ってあらいはまさんは、穏やかに笑った。

(よかった。あらいはまさん優しそうな人で。たぶん栄の風俗に沈めるようなことはしないだろう。)
あらいはまさんの穏やかな笑顔にわたしは安堵した。

「いえこちらこそすみません。もっとわかりやすい場所で待ち合わせすればよかったですね。
あらいはまさん、あの、わたしすごいお腹がすきました!」

ホッとしたせいかお腹がすいてしまった。
じゃあ早く店に向かいましょうということで、我々は名古屋の街へと繰り出した。

いつかサイトのメンバーと鳥貴族に行くことを夢見ているわたしは、もし行き先が決まっていなければ、あらいはまさんに焼き鳥を食べに行くことを提案しようと思っていた。

「あの、あらいはまさんって苦手な食べ物はありますか?」

「肉っすね。」

鳥貴族の夢は秒速で散った。

「お肉苦手なんですね。。」

「魚は好きなんですけどね。」

「じゃあ魚食べましょう。」

「俺、ほとんど外で食べることがないから、店よく知らないんですよね。」

「あらいはまさん偏食ですか?」

「偏食ですね。パンばっかり食べてます。」

やはりあらいはまさんは偏食だった。

しばし歩いて、我々は魚が強調された看板の店へと入った。
小綺麗なカウンターに案内され、メニューを見た。

美味しそうな名前の料理が縦書きでずらりと並んでいるが、
偏食のあらいはまさんは何を食べるのはかよくわからない。
なので、
「わたし、この白海老のかき揚げが食べたいです!」と自分の食べたいものを1つだけ言って、あとはあらいはまさんに選んでもらった。

「えーっと。」

メニューをじっと眺めるあらいはまさんをわたしはじっと見ていた。

(あらいはまさん、何選ぶんだろう。)

あらいはまさんがお店の人にすみません、と声をかけ、
えっと?とわたしの方を見てきたので、

「生ビールと白海老のかき揚げ下さい。」

と自分の食べたいものを注文をした。

「えーっと、牡蠣のバターソテーと、カツオのサラダと、白魚の天ぷらください!」

え?似たような揚げ物を2種類?揚げ物好きなのかな。やっぱり偏食だな。

料理がくるまで、我々は雑談をしていた。
好きな漫画の話になったときに、わたしがここ最近1番笑った漫画、ポテチ光秀氏の話をした。

「ポテチさんの食べる前に死んじゃうマンガ、あれがすっごい好きで、こんな面白いマンガ一人で楽しんじゃだめだ!と思って不特定多数の10人にマンガを送ってあげたんですよ。そしたら5人にシカトされ、3人に人格を疑われ、2人は面白いけど不特定多数に送るあんたはどうかと思うと言われました。」

「えー!俺も!最近のポテチさんのマンガで泣きました!どうした!?ってマンガです。俺、なんでこんなに泣くほど面白いのかな?って思って面白さを言語化してみたんです!」

「ポテチさんのマンガの面白さを言語化?教えてほしい!!」

などとポテチ光秀氏について盛り上がっていると

「お待たせしました。」
といって店員さんが料理を運んできたのだった。

カウンターに、エビのかき揚げが置かれ、そのあと牡蠣のバターソテー、サラダ、 

「白魚の天ぷらは抹茶塩か、あちらにある岩塩でお召し上がりください。」

と店員さんは言って、白魚の天ぷらが最後に置かれた。すると、

「あれ!?なんか似たような食べ物が2つきましたね!!」

「.....。」

バカかよ....

偏食だから似たものを頼んでいたわけではなかったようだ。
山のように積み上がった白魚の天ぷら、海老のかき揚げは贅沢にも2つ並んで我々の前に鎮座していた。

賑やかになった机を囲んで我々は乾杯をした。あらいはまさんはオレンジジュースを飲んでいた。

「酒は乾杯程度しか飲まないんです。」

酒好きのわたしとは正反対で、彼はお酒が弱いのか、ほとんど飲まないらしい。

飲酒に関しては合わないが、心の同期あらいはまさんとは、ポテチの件といい、なかなか共通点があった。

まず素人の研究社(以下シロケン)の調査で使用しているカメラが全く同じものであった。
そして、同じうさぎ年であった。
そして、どちらもふかわりょうが好きであった。

「えー!わたしもふかわりょうが好きで、ロケットマンの10周年記念ライブに行きました!三宿のWebのロケットマンデラックスにもちょこちょこ行ってましたよ!」

「俺はロケットマンショー(ふかわりょうのラジオです。)をよく聞いてて、ハガキ職人をやってましたね。あの人がなんであんなに虐げられるのかよくわからない!」

「おおきちさんもロケットマンショーの熱心なリスナーだったらしいんです。俺、ラジオネーム教えてもらったんですよ。そしたら面白いからよく投稿を紹介されていた名前で!あの人おおきちさんだったのか!って思いました。
おおきちさんは本当に面白いけど、そういうところを見せないところがすごいですよね。」

あらいはまナイトでは、おおきちさんの素晴らしさを讃え名古屋からエールを送っておりました。届いていたでしょうか、おおきちさん!

「おおきちさんもリスナーだったんですか!あ、あらいはまさん、フニオチ鍋パーティー(ふかわりょう主催の鍋パーティー)は行きましたか?」

「行きました!俺2〜3回行きました!」

「わたしも行ってました!2012年くらいの会かな。もしかしたら、あらいはまさんも、おおきちさんも、同じフニオチで会っていたかもしれませんね。」

フニオチ仲間、ラジオリスナーと同期になり、後輩になった。そしてそんなふかわ育ちのふかわチルドレンは、zukkiniと名乗る男のサイトで活躍をしている。不思議だ。

「そうそう、今日あらいはまナイトをするってzukkiniさんに言ったら、あらいはまさんと挨拶したいなぁ。と言っていたのであらいはまナイトに誘いました。」

「zukkiniさん?!ほんと?小見出しについて聞いてみたいな。」
「ところでさ、zukkiniさんって何者なの?」

「え...。わかりません。」

「なんでさぁ、アメリカにいるの?」

「え...外資系の人なんじゃないですか?」

我々は、我が社の社長のことをよく知らない。よく知らない人の下で働いている。

「あらいはまさん、ところで小見出しって?」

「今度のシロケンの記事で小見出しを使いたいんだよね。シロケンってあんまり小見出しを使っているイメージがないから...zukkiniさんに小見出しについての意見を聞きたいな。」

なんかよくわからないけど、あらいはまさんの新しい記事が楽しみだなと思った。

そんなあらいはまさんの小見出し記事はこちらです→ http://shirouto-kenkyu.com/?p=1396

この時間だったら通話できる。という社長との約束の時刻がきたので、あらいはまナイトの目玉企画、

『アメリカからこんにちは、zukkini社長!』
のコーナーに移ることにし、わたしは電話をかけた。


プルルルル....

「もしもし?」

社長...?
当たり前だが、電話の向こうから男性の声がする。ドキドキする!わたしの社長のイメージは、
社長=目つきの悪い黒いうさぎ  だから!(ツイッターのアイコンの情報しか社長のイメージがないため。)


「社、社長ですか?」

「はい、そうです。」

「....今あらいはまさんに変わります。」

うさぎじゃないじゃないのー!男の声!イヤラシイ!!!緊張して足早に電話を変わった。

「もしもし!zukkiniさんですか!はじめまして。あの、小見出しについてなんですけど!」

あらいはまさんは、宣言通りがっつり小見出しについて語っているようであった。

小見出しについての見解を語り終わったようで、また電話がわたしに戻ってきた。

「社長、あの。。。えっと。」

「はい。」

「あの...」

「はい。」

「あの...わたしは、何も聞きたいことがありません!!」

「...はい。」

終了〜

わたしと社長との会話は以上で終了した。
次に、せっかくなのでスピーカーモードに切り替えて、3人で話してみることを試みた。

「もしもし!」

「.........。」

店内がザワザワしているせいか、社長の声は何も聞こえない。

「も.....し..」

いや、微かに聞こえる。

我々は机にへばりつき、初めて携帯をみた人類のように社長の声のする方へと耳を傾けては、おーい!おーい!と微かに聞こえる声の方へと呼びかけた。
しかし、スピーカーモードでは全くコミニュケーションがとれず、3人の通話はおーい!の呼びかけで終了した。

「社長、3人で喋るのは限界があるようでした。やっぱり直接お会いして話さないと。ということで早く日本に帰ってきてくださいね!」

こうして目玉企画

『アメリカからこんにちは、zukkini社長!』のコーナーは幕を閉じた。

社長、お忙しい中ありがとうございました。

目玉企画が終了したあと、我々は店を出ることにした。

もう一軒いきましょうか。ということで、名古屋の街を再び歩き出した。

「俺、いい物もってるんですよ!」

そういって取り出したのはたまごっちくらいの大きさのハンディGPSだった。

「これすごく良いですよ!歩いた経路に線が出るんですよ!シロケンの調査をする時にも何度も同じ道を通らなくて済むから便利ですよ!」

「(住んでいる町で同じ道を何回も通ることある?)へぇ!そうですか!」

「しかもこれ、通ったあとの線で鳥の絵とかかけるんですよ!」

「へぇ。鳥の絵。すごーい」

熱心にGPSのことを語るあらいはまさんの横で、わたしは名古屋の夜さみーな、と思っていた。

(すごい寒い...あらいはまさん早くどっか入ってくれないかな。)

「あらいはまさん、わたしコンビニのイートインスペースでもいいですよ?」

「流石にイートインスペースは案内できません!」

じゃあさっさとどっかに入ってくれよと思いながら、あらいはまさんの後をついて歩いた。

「あらいはまさん、わたし、お酒じゃなくてあったかいココアでもいいかも!」

選択肢を広げて早くどこかに入ってもらえるようにした。

しばらく歩いて名古屋駅前に到着した。名古屋駅前では、口からゲロのでたサラリーマンのおっさんにあらいはまさんが突撃されそうになったりしていた。

「今の人見ました?ゲロでてましたよね。やばいっすね。やっぱ人が1番面白いですよね〜人の調査が1番やりたいな。」

あらいはまさんは楽しそうだったが、わたしはずっと寒いからどっか入ってくれと思っていた。

5分後。

我々はまだ外を歩いていた。あらいはまさんはGPSを見ている。一体どこに向かっているのか。

「あらいはまさん、言っていいですか?わたし寒い。」

「そうですよね!今日は寒いっすよね。」

一刻もはやくどこかへ入ってくれ。

数分後。

さっき入った店の前に到着した。

「!!!?!!」

わたしは大変驚いた。

あらいはまさん、GPS見てたよな。

え?もしかして鳥の絵描いてた?

「あらいはまさん、これ、さっき入った店。」

「わ!ほんとですね!」

犬の....チーズケーキめ

「じゃあ、今度はあっち行ってみましょう!」

ずっと見ているそのGPSよこせと思いながらも、わたしは引き続きあらいはまさんについて行った。誰にでも従順、それがわたしである。

数分歩くと、小料理屋がでてきた。

「ここでいいですか?」

「いいです、いいです!」

寒さでカタカタ震えるわたしとあらいはまさんは小料理屋へと入った。午後の11:00くらいだったと思う。

(寒い...お湯割りを頼もう。)

「わたし、麦のお湯割りにします。」

「そういえば、俺今日乾杯してなかったですね。カシスウーロンにしようかな。」

「え?あらいはまさん、ソフトドリンクでもいいですよ?お酒弱いんですよね?」

「いや、本当は飲めるんですよ。むしろ強いと思います。俺、飲みすぎると、

死にたくなっちゃうんですよ!」


「!!!?!!」

「飲むなーーーーーーーー!」

わたしは叫んだ。

「あらいはまさん、やめて。や、め、て!」

「カシスウーロンなんて、飲んだうちに入らないですよ〜。」

いよいよもって、こいつ大丈夫かよ?と心配し始めるわたしの横で、あらいはまさんはニコニコしていた。
今日初めて出会ってから、あらいはまさんはずっと穏やかな笑顔である。


しばらくすると、早くわたしを温めてほしい麦のお湯割りと、心配でたまらないカシスウーロンがテーブルに置かれた。

そして我々は乾杯をした。

「あの。」

と言ってあらいはまさんがポケットから小さく畳まれた紙を取り出して、机の上に広げた。
A4サイズの3分の2くらいまで、なにやらびっしり書かれている。

「話すことなくなっちゃうかもしれないな。と思って、小話を用意してきました。」

.....?

よく見ると、
藤子不二雄を知らない親戚   小松菜奈の全クリ   カーブミラーを見ていた所ジョージ
等タイトルが羅列されていた。たぶん、50はタイトルがあった。


「!!!?!!」


わたしは状況を理解した。


あらいはまナイトはまだ始まっていなかったのだ。


あらいはまナイトは...これからだ!!


「あらいはまさん、紙、貸してください。」

はい。と手渡されたネタの詰まった用紙をみた。

「.....あの、このポテチ光秀って?」

「あ、これさっき話しましたね。貸してください。」

と言ってわたしから紙を奪い、

あらいはまさんはポテチ光秀の字にボールペンで二重線を引いた。

(あ.....!わたしあらいはまさんが考えてきたポテチネタ、喋っちゃったんだ...)

そしてまた「はい。」とネタ帳がわたしの手元に戻ってきた。
二重線を引かれてしまったポテチ光秀に、わたしはごめん。と謝った。

それから、まずわたしが気になるタイトルを指差して

「あらいはまさん、これ!」

「あらいはまさん、次はこれ!」

と、ランダムに小話を聞かせてもらった。

話の長さは小話によって様々で、

小松菜奈の全クリの話は

小松菜奈は海外でも活躍してるし、可愛いし、演技もできるし、モデルもやってるし、世の中全クリしてるなって思った。」

で終了した。

え?それで?みたいな話からハハハっと笑える話まで、小話はバラエティーに富んでいた。

最初はランダム指差し方式で話が進んでいたのだが、

そのうちわたしが(飽きてきて)

「最近、わたしオモコロに時々でてくる大喜利に挑戦してるんですよ!」

とあらいはまナイトの進行を妨害し始めたので、あらいはまさんからネタ帳を取り上げられてしまった。

ちなみにこの時にあらいはまさんが、

大喜利にはコツがあるんだよ。」

大喜利のコツを教えてくれたのだが、
マジでなにを言っていたのかわからなかったので割愛したい。

取り上げられたネタ帳は、あらいはまさんが、頭から順にネタを読み上げるしらみつぶし方式に変わり、

わたしは、うん、うん、と聞いていた。

午前の12:30

ネタはまだ半分は残っており、

あらいはまさんの小話は続いていた。

(これ、全部話すまで帰れません。的なかんじなの?)


話していた小話が終わって、じゃあ次の話。と、話を続けようとするあらいはまさんを見つめて、わたしは呼びかけた。


「あらいはまさん.....。

帰ろう。」

あらいはまさんは穏やかに笑って、A4サイズの紙を畳んでポケットにしまった。

こうして、

〜あらいはまナイト2018 スペシャルゲスト zukkini〜     (主催さとみこんこん)

のイベントは終了した。

わたしはあらいはまナイトの終盤で栄に沈められることもなく、楽しかったあの日を今こうしてブログに綴っている。



✳︎✳︎✳︎

最後にこの場を借りてメッセージを送りたい。

まず、おおきちさん!

おおきちさん、はじめましてハイエナズクラブ後輩のさとみこんこんです。先日はおおきちナイトニッポンナイト行けなくてとても残念でした。また次回を楽しみにしています!

あらいはまナイトのこの日、あらいはまさんがおおきちさんのはてなブログのフォローを実はしていないと言ってました。
本当はしたいけど、「読者になりました」の通知がいって、こいつ俺のことフォローしてなかったの?と思われたくないからフォローができないと悩んでました。
なので、「わたしがおおきちさんに言ってあげるから!」と心の同期と約束したので、この場を借りて言わせていただきました!
あらいはまさん、そのうちおおきちさんの読者になると思いますが、どうぞお気を悪くされないでください。というか、見てますか?最後までこのブログ読んでくれましたかね?10000字のこのブログ読んでくれましたか?今後ともよろしくお願いします。




あらいはまさん!

先日はありがとうございました。楽しかったです!
今年のフニオチ鍋パーティーは、是非参加しましょう。

あと、最後に1つ教えてほしいことがあります。

大喜利のコツ、わかるようにもう一回説明していただけますか?





zukkini社長!

先日はありがとうございました!


社長....


あの....



特に話したいことはありません。




カニクリームコロッケが大好きです。

カニクリームコロッケって大好き。カニクリームコロッケを見つけたら必ず注文するほど好き。

でもわたしはカニクリームコロッケの味をしらない。だからいっつもカニクリームコロッケを注文しても「おいしいけどこれがカニクリームコロッケ?」で終わる。

その原因は、たぶん我が家の食卓でカニクリームコロッケが出なかったことが理由の1つだと思う。基準がないからいつ頼んでも「?」で終わってしまうのだ。

そもそもカニクリームコロッケってカニが入ってるの?
カニが入ったカニクリームコロッケを食べたことはほぼない気がする。一回くらいあったかもしれない。これカニかな?っていうくらいのカニの入ったコロッケを、食べたかもしれない。けどよく覚えていない。

今日食べたカニクリームコロッケには、エビが入っていた。なんでもいいのかな。カニクリームコロッケなのにエビでもいいのかな。
これはステーキです!と謳っていたのに、実は牛脂を注入した加工肉でした!というニュースで大騒ぎしていた日本の国民は、カニクリームコロッケにエビが入ってても、カニが入っていなくても、それはいいのだろうか。怒られないのだろうか。

そもそも私はカニクリームコロッケが好きなのだろうか。カニクリームコロッケが好きな自分が好きなのではないだろうか。

いよいよもってカニクリームコロッケが好きな自分に自信がなくなってきた。冒頭で大好き!と言っているのにもかかわらず....

でも副都心線の中で、わたしは思い出したのだ!
そういえば小学校の遠足のお弁当でよく冷凍のカニクリームコロッケが入っていたな、という事実を!しかもそのカニクリームコロッケは爪つきのカニクリームコロッケで、食べ終わった後にそのカニの爪をチョキチョキさせて遊ぶのが好きだった。そういえば、そうだったな、と。副都心線から丸ノ内線の乗り換えで思い出したのであった。

え?じゃあわたしが好きなのは、カニクリームコロッケを食べ終わった後のカニの爪だったのか?
いや、それだけじゃないはず。

恐らく、食卓にならばないカニクリームコロッケが遠足の時にだけ出てくる楽しみ。それをずっと大人になった今でも引きずっているのかもしれない。

あぁ。そうか、そういうことか。そういえば、味だけでいえばカキフライのほうが好きだな。とふと思った三十路の春。
わたしは悟ってしまった。
もしかしたらもうカニクリームコロッケを頼まないかもしれない。

いや、やっぱりカニクリームコロッケを見つけてはまた注文し「これがカニクリームコロッケ?」って思うバカなままのわたしかもしれない。




文字そばが好きです。

わたしはオモコロの「文字そば」が好きだ。
どういうコーナーかというと、1000文字くらいのテキストで、たぶん読む時にするりとそばみたいにいけるから「文字そば」なんだろうと思っている。

わたしもブログや記事をせっせと書いているのだが、文字数は特に意識せずに書いていた。

ある日、
「記事を2000文字程度でまとめてください。」
という指示を受け、その時初めて文字数を意識したのであった

2000文字って?多いよな?

2000文字ってどのくらいなんだろうと思い調べてみると、だいたい原稿用紙5枚とでてきた。
5枚かぁ〜!やっぱ多いいなぁ!そんなに書けるかなぁ...

じゃあ今まで書いたブログの記事は一体何文字なんだ?と気になり 

「本当はハイエナズクラブに入りたかった。」

という自分のブログの文字数を調べてみることにした。すると、


6327文字であることがわかった。


受けた指示の3倍書いていたのだ。


え....そんなつもりは....。


この記事は非常に筆が進んでしまったのかもしれない。では他の記事は?と調べると、


4928文字。

さっきよりマシだけど2倍以上だ。

どんだけ語りたいんだろうか...

だんだん自分が恥ずかしく思えてきた。

おそらく2000文字という指定は読む側のことを考慮すると丁度良い文字数なんだろうと考えた。この時に2000文字で語ることの難しさを知ったのだった。

だから「文字そば」を書く人達は本当にすごい!1000文字で語るって大変だ!

それからというもの、自分もまずは3000文字以内でブログをまとめるよう意識するようになった。

ある日、新しい「文字そば」記事が更新された。
わーい新しい文字そばだ!

楽しみにしている文字そば。しかしこの日わたしはあることに気づいたのであった。

この人の記事...長くない?


文字感が身についたわたしは、読むとだいたい何文字くらいかわかるようになったのであった。
するりといく文字そばのはずが、すすっている途中でムセを感じたのだ。

わたしは早速この記事の文字数をカウントした。


1350文字。


あれ?1000文字じゃない。


文字そばの説明を読むと、1000文字くらいのテキストと書かれていた。

オモコロの「くらい」は350文字まではセーフということがわかった。

じゃあ次の人は?1230か。


え?じゃあわたしの好きなこの文字そばは!1177か!

わ、原宿さんすごい1039文字!ニアピン賞!


などと文字そばを使ってピタリ賞を探し出すという新しい遊びを覚えた私なのであった。


ちなみにわたしのこの記事は


1048文字♡



掟ポルシェ×爪切男 トークイベントに行けなかった話

先日、掟ポルシェ氏と爪切男氏のトークショーがあった。わたしはこのトークショーを非常に楽しみにしていて早々とチケットを入手したのだったが、残念なことに流行遅れのインフルエンザにかかってしまい、泣く泣くイベントを諦めたのであった。
しかしこのトークショー「仕事に前向きになれない人に元気を与える」をコンセプトにしていたので、案外インフルエンザウィルスの持ち込みはウエルカムなんじゃ...と最低な考えを抱いた日もあったのだが、購入したチケットはツイッターで行きたいと名乗りでてくれた人にプレゼントをさせてもらい、自身は大人しく家で療養したのであった。

こんなに行きたかったアピールをするのだから、よっぽどファンなんだろうと思われるかもしれないが、実際のところわたしはどちらのこともよく知らないというのが本音である。
掟ポルシェ氏は、三宿にあるwebのイベントによく出てたなぁというイメージしかなかった。わたしはちょこちょこ三宿のwebに遊びに行っていたのだが、掟ポルシェ氏の出演しているイベントには一度も行ったことはなかった。ただ、掟ポルシェという名前だけは印象深かった。
しかし今年に入って、坂本慎太郎ファン仲間であるカシューナッツちゃんという友人が、

「以前、掟ポルシェのイベントに行ったら掟ポルシェがベロベロに舐めたちくわを口に突っ込まれて、さらに走って追いかけられた!」

という胸騒ぎのするエピソードを語っていて、掟ポルシェ氏に少し興味を持ち始めたところだった。

爪切男氏はツイッターで多くの人がイイネイイネ言っていたのでなんか気になるなぁと感じる程度であったのだが、出版された本「冷たい夜にかぎって」のポテチ光秀氏の装丁が好みだったので、その本をジャケ買いしたのであった。
購入した本を読んでみると、何人かのキーパーソンの女性陣が出てくるのだが、その中で1番多く語られていた「アスカ」に私は親近感を抱いた。

そう。爪切男氏というよりもアスカに通ずるものを感じ、イベントに行ってみたいと思ったのであった。

その通ずるものというのが「唾」である。

アスカは唾マニア達に自分の「唾」を売ってなかなかの収入を得ていたそうなのだが、わたしも「唾」で収入を得ている1人なのである。それだけで収入を得ている訳ではないが、仕事の一環として唾の判定をする仕事を任されている。唾の判定をしてこの道10年になる唾師である。

簡単に仕事内容を説明すると、専用のガムを噛んで唾がでたら試験管に入れてもらい、その溜まった唾をみて「あなたの唾はこうです。」と唾分析をする仕事をしている。
唾師として1番華やかだった仕事は、雑誌の連載で女優さんたちの唾の分析をするという仕事であった。1年くらいやっていた。
「あなたすごい仕事してるのね。」
と、決して尊敬ではない哀れみの言葉をかけられながらも

「めっちゃいい唾してます!」

「こんなに唾出る人みたことがない!」

「すごく質のいい唾されてますよ!」

と唾ヨイショしまくった結果

「わたしのチャームポイントは今度から唾にします。」

と唾に自信を持ってくれた女優さんもいて、この時の体験はわたしも唾師として自信を持つことができた大変ありがたいお仕事であった。

そんな唾でご飯を食べてる人間が自分以外にいるとは思いもよらず、
アスカの存在を知った時には大変驚いた。
もうアスカは唾売りから足を洗っているようなのだが、唾を欲しがる人間と、唾を売る人間がいて、そこでビジネスが生まれている事実を知ったことはわたしにとって重要であった。
唾師一本でも働けるということがわかったからである。
路上で唾の売買をする人間を見つけてその唾に付加価値をつけてあげるのだ。「この唾めっちゃフレッシュですよ。」とか言ったりして。きっとわたしは今よりいい家に住めるようになるであろう。

そんな妄想を抱き、参加したかった今回のイベント。
通ずるものを感じてイベントに参加しようと思ったのだが、結局通ずるものがなかったのか、インフルエンザに感染し参加できなくなったのであった。非常に残念である。

しかし、チャンスは続くもので4月11日に今度は爪切男氏とポテチ光秀氏がトークイベントをすると言ってるではありませんか。今度こそ参加して、「わたしは唾師。」という胸の内を爪切男氏に伝えてみようと思う。もっと理想的なのは、この日アスカに会うことができて、「一緒に唾で生計を立てませんか」と申し出られれば最高である。

そしていつになるかわからないが、掟ポルシェ氏にも、「掟さんの唾を分析するので、ベロベロになめたちくわにもっと付加価値をつけましょうよ。」
と唾師としてオファーをしてみたいと、妄想するわたしなのであった。



諦めずに啜ってください。

わたしの通っていた高校には学食があった。メニューはそこそこあって、鳥の唐揚げ丼やオムそばが好評で、あとラーメンとかうどんなどがあった。
お昼の時間は学生達が席の取り合いになるほど母校の学食は人気だった。

わたしは基本お弁当を持ってきていたので、滅多に学食は利用しなかったのだが、お弁当を食べ終わった後、学食にアイスを買いに行ったり、学食で食べてる友達にちょっかいをかけにいったりしていた。

その時もお弁当を食べ終わった後、3人くらいで学食にいる友達のところにちょっかいをかけにいったのだった。

そのちょっかいをかけに行った友達というのがえらい美人で、鈴木亜美にも、柴咲コウにも、戸田恵梨香にも似ているとにかく美人な友人で、校内のミスコンにも選ばれていた。
さらにプロポーションも良くSっぽいときたもんだからまぁモテた。

そんな美人に会いに学食に向かうと、美人はうどんを食べていた。
たしかわかめうどんだったと思う。
そんな美人のとなりに、うるさくて有名だった友人が鳥の唐揚げ丼を食べていた。

存在もうるさかった彼女は、授業中に当時分厚いフリーペーパーであった、「ホットペッパー」でエクステの安い店を探しているところを先生に取り押さえられ、机ごと廊下に引きずり出されていた。その時の心情を「静かにホットペッパー読んでただけなのになんであそこまでされたんだ?」と語っていたが、たぶん存在がうるさかったからだと思う。
また他の授業でもカンニングをしていると濡れ衣を着せられ、やっぱりその時も廊下に引きずり出されていた。「わたしはカンニングをしていなかったのになんであそこまでされたんだ?」と語っていたが、やっぱり存在がうるさいことが原因だと思われる。

そんな何かと目立つ2人が仲良くお昼を食べていたのだったが、
少しお昼の時間からずれていたこともあり、いつも混み合っている学食はめずらしく空いていた。
お昼を済ませた我々3人は、空いている席に座り、食べている2人の周りを囲んでダラダラと喋っていた。

すると存在のうるさい友人が、美人の友人に

「ねぇ、ちょっとうどん食べさせてよ。」

と、うどんちょうだい とねだったのであった。
美人はいいよ。と、うどんのどんぶりを存在のうるさい友人に渡し、それと引き換えに鳥から丼のどんぶりを受け取ったのだった。

美人は鳥から丼を食べ、存在のうるさい友人はわかめうどんをすすった。

そして咀嚼した。

「美味しい〜!」

と存在のうるさい友人は満足そうに言ってうどんを返そうとした。


すると、美人が

「....ねぇ。いまさ、うどんきったでしょ。噛み切ったでしょ?」


美人は和やかなランチタイムに一石を投じるような言葉を発したのだった。

みんな一瞬何を言っているのかわからず、
美人以外の反応は

「???」

だった。

すると美人は先ほどと変わらぬテンションで、

「だから、うどん!麺!途中できったでしょ!」

存在のうるさい友人は、たしかにきったので

「....うん。」

と弱々しく答えた。

ちょっかいをかけにきたはずだった3人のギャラリーは「ごくり」と息を飲んだ。

「だから、きれた麺が残るじゃん!中途半端にきれた麺がスープの中に残るじゃん!残るでしょ?」

「で?」と思ってしまったが、美人をこれ以上ヒステリックグラマーにさせてはいかんと思って黙っていた。

「嫌でしょ!細かい麺が残ったうどん!嫌じゃないの?」

信じられない!といった具合で美人はうどんを自分の方へと引き寄せた。

「ごめんね。。」

存在のうるさい友人は、とても静かであった。
うどんの食べ方を美人に怒られ、しゅん。とした友人の姿は可哀想としか言いようがなかった。

そしてギャラリーの1人だったわたしも怒られたような気分になったのだった。


あまりにも衝撃的だったこの出来事。その日の夕方、当時の彼氏であった たっちゃんにわたしは一部始終説明をした。

するとたっちゃんは、

「そりゃ怒られるよ。俺もきれた麺が残ったうどん、食べるのやだもん。」

!!!?!!


うどんを途中できっちゃいけないんですか?

ラーメンも?そばも?フォーも?

一本うどんは?

目からウロコのカルチャーショック。

そして、その日から私は決心したのだった。
絶対に麺類を食べたときは切るもんかと!

熱かろうが苦しかろうがわたしは麺類を啜りきることを決意した。
途中苦しいこともある。特にラーメン。啜っている途中で熱くて噛み切ってしまいたくなることもある。火傷をしたこともあった。
切っちゃおうかな。と、くじけそうになったこともあるけど、そんな時は決まって美人の顔が浮かぶ。そしてこう問われるのだ。

「細かくなった麺、残るの嫌じゃないの?」

だから、啜る。何が何でも啜る。無理なときは麺を咥えたまま、一旦休憩して、また啜る。
そうして完食しきったどんぶりを見たとき、なんとも清々しい気分になるのだ。あのとき辛かったけど、頑張って啜ってよかったなぁ。って。

そう。これは人生。麺を切らずに啜りきることは人生そのもの。

わたしはそう思うのです。よ。皆さん!



皆さん!

皆さんも明日から是非どうぞ!






ご飯とか、はんぺんとか、お豆腐とか、白いものだね。

結論からいうと、わたしは「ハゲは隠すべきではない」と思っている。

なぜそう思うかというと、ハゲを隠して上手くいっている人間を見たことがないからである。

そして、コンプレックスであるはずのハゲを使って、モテている人間を実際に知っているからである。

そんなわたしのハゲ哲学は5人のハゲから学んだ。


1人目は林先生だ。


林先生はわたしの人生でまぁまぁ大きな衝撃を与えた先生で、学童期の頃にハゲ哲学だけではなく、変態学も学ばせていただいた重要な人物である。そのため以前もブログで紹介した。


http://satomiconcon.hatenablog.jp/entry/2018/01/21/113518


彼はマッキーでハゲを隠していたのだが、

その違和感といったら凄まじく、近寄られたくないな...というのが可愛かったころの私の感想である。

この時点で、どうしてハゲを隠すんだろう(マッキーで。)という素朴な疑問を感じ、ハゲに対しての興味が湧いたのであった。


2人目は坂本先生だ。


中学生の社会科の坂本先生は、若いのにハゲてしまった先生であった。たしか20代からハゲが始まったと言っていた。だけど先生はそんな過去を授業中に話してくれる明るいハゲであった。

生徒が「ハゲ!」といえば、


「あのな。ハゲもいいことがあるんだぞ。40代の同窓会に行くと、おまえだれだよっていうくらい変わっちゃう奴が多いんだけど、俺は変わらないって言われるんだ。昔からハゲてる奴は変わらないんだぞ。」


と言ったセリフはわたしのハゲ哲学のベースとなっている。若ハゲは老けない。そうかそうかと。そんなオープンマインドでハゲの坂本先生は、非常に生徒から好かれていた。水泳の指導をしていた坂本先生に「さとみこんこんは平泳ぎのフォームが綺麗だ!」と言われたことを今でも誇りに思っている。


3人目は絶対王政


この先生はたしか中学の世界史の先生で、本名は忘れてしまったのだが、絶対王政の授業でやたら熱を入れ出したために、生徒から絶対王政というあだ名をつけられてしまった先生である。独特の喋り方と、ヘアスタイルが特徴的であった。


先生は一目見れば「かつら」とわかるスタイルで、ハゲでかつらの人は、隠したいのか、目立たせたいのか、どっちなんだろう。とハゲの心理に興味を持ったきっかけをくれた先生である。


ある日、事件が起きた。些細なことから男子生徒と絶対王政が授業中に口論になってしまったのであった。

両者が熱くなって口論が荒々しくなってくると、年頃の思春期の彼は自分の感情のコントロールが上手くできず手がでてしまった。

さらに動物の本能的に相手の弱いところを狙いにいった彼の的は、例の独特のヘアスタイルであった。


掴む!かわす!掴む!かわす!


非常に白熱した戦いに観客の生徒は釘付け。

しかし、やっぱり若さってのは時として強さでもあり、持久戦に持ち込んで彼は取ったんですねあれを。そして彼は首を取った侍のように、先生のヘアを空高く掲げ喜んだのだった。


破れた絶対王政は、ネットを被った鬼のような形相で、ネット被ったトマトみたいな顔色で、めちゃめちゃ怒っていたのだった。

あんまりにもネット姿にインパクトがあったもんで、そのシーンしか覚えておらず、

その後、その男子生徒がどうなったかは覚えていない。

そしてわたしは、かつらを被るなら絶対にかつらだとバレないかつらを被った方が良い。という哲学を持った次第である。



4人目は合コンで知り合った2人の男だ。


その合コンは、非常に思い出深い合コンであった。

まずわたしは合コンのことを忘れていて、うっかり翌日に大腸検査の予約を入れてしまったのであった。

大腸検査をするにあたって、前日の夜から消化の良いものを9時までに食べないといけないきまりがあった。先生に、


「具体的に消化の良い食べ物ってなんですか?」


と尋ねると、


「ご飯とか、はんぺんとか、お豆腐とか、白いものだね。」


との返答。


そんな9時までに白いものを食べないといけない厄介な状態で、3対3の合コンに参加したのであったが、

相手側もなかなかパンチのきいたメンツが揃っていたのである。


3人中2人がハゲであったのだ。


1人は前方からまぁまぁきてるはげで、もう1人はハゲ散らかってるタイプの重症なハゲであった。


だけど、重症なタイプは最初キャップ帽を

被って平然を装っており、自己紹介をするときになったら


「よろしくお願いしまーす!」


と帽子をとってあいさつし、ハゲ散らかった後頭部を見せつけてきたのであった。随分余裕を感じる重症なハゲである。

さらにハゲ2人の名字は偶然にも同じ名字でややっこしかった。


見た目は少々クセはあるけど、3人とも心優しく、

キャッチフレーズ「9時までに白いものを食べないといけない女」のわたしにも皆気をつかってくれた。


「とろろは白いからオッケーだね!」


「炊き込みご飯はNG?」


「揚げ豆腐はどうだろうか。」


などと、一緒に考えてくれハゲ2人の好感度も高かった。


結構、この「9時までに白いものを食べないといけない」の縛りがいいイベントになって、合コンがちょっぴり盛り上がったような気もする。


この日の合コンは良い雰囲気で幕を閉じ、今度はみんなで花見にいきましょうといって解散をした。


そして数ヶ月後、本当にこの話は実現し、またみんなで集まって中目黒の空き地にブルーシートをひいて花見をしたのだった。


花見が終わった後は皆で中目黒のカラオケに行き、楽しく歌を歌った。

ここで、すごい才能を見せたのがハゲ散らかった重症のハゲで、めちゃめちゃ歌がうまかったのである。

L'Arc〜en〜Cielの「honey」を歌ってくれたのだが、鳥肌が立つほど上手く

「ハイドーーー!!!」と叫びながらわたしは目をつぶっていた。


そしてそのあともう1回くらい集まったか、集まらなかったかよく覚えていないのだが、どちらにしてもこのメンバーで会うということはなくなったのであった。



数年後。



たまたま、モノマネ王座決定戦をテレビで見ていると、

ハゲ散らかったL'Arc〜en〜Cielが現れたのであった。


「!!?!!!」



さらに月日が経ち、



「優勝おめでとうございまーす!」



「!!?!!!」



ハゲ散らかった人が、とても有名なコンテストで優勝したのだった。



そして、前方からまぁまぁきていたハゲの人の活躍も、とてもよく見かけるようになったのである。




現代のハゲは、金になるのだ。



だからハゲは隠さない方が良いとわたしは思っている。

そしてハゲ+αの才能があれば、モテると思う。時にそれは金になるのだ。


なのでハゲでかつらを買うことを検討するのであれば、手品に挑戦したり、料理教室に通ったり、

ハゲで固めた合コンを開いたり、

合コンの翌日に大腸検査でも受けて金を使ったほういいんじゃないかと、


わたしの経験からはそう言えるのだ。



ちょっと馬になってごらんなさい

私には特発性側弯症という持病がある。どんな病気かというと背骨が成長の過程でぐにゃぐにゃと曲がってしまう病気なのだが、痛みもなかったので全く気がつかずに生活をしていた。

 そんなある日。中学校3年生の私は友人と馬跳びをしながら帰ることにした。

 

まず私から馬を飛んだ。馬になった友人の背中に手をつけてピョン♪と飛んだ。

今度は私が馬になって友人が私の背中に手をつけてピョン♪と飛んだ次の瞬間

 

「ギャーーーーー!」

 

友人が何故か叫んだのであった。馬だった私は屈んでいたので何が起きたかわからず、急いで顔を上げて友人を見た。

すると友人は地面に手と膝をついたまま停止していた。どうやら着地に失敗したようである。

 

「だ、大丈夫?」

 

と、友人に声をかけ手を差し伸べた私に、友人は強い眼光で私を見つめこう言い放った。

 

「ねぇ、背中おかしいよ」

「でこぼこしていてうまく飛べない」

「あなたの馬は怖い」

 

馬が怖いって....え?

それ以来その友人は私と馬跳びをして帰ってくれなくなった。

 

私は大変ショックを受け、私の馬が怖いと言われた事実を家に帰って報告した。

 両親も娘の馬が怖いという事実に驚き

 

「ちょっと馬になってごらんなさい」

 

と事実確認を行った。

 

「たしかに背中がこんもりしている....」

 

側弯症は個人差もあるのだが横への変形だけでなく前後にもねじれることがある。そのため背中を曲げたときに骨がもりあがり、その結果「馬が怖い」に繋がったのである。

 

こうして中学校3年の時にようやく背骨の変形に気がついた私は、整形外科の診察を受けにいったのであった。

 

「特発性側弯症のようですね。原因は不明です。42度の変形がありますね」

そう言って、医師は私と付き添いの母に側弯症についてかかれた紙を渡した。

そこには40度以上の側弯症は1000人に3人程度の確率でなる病気と書かれていた。

なんだか大変そうな病気じゃないか。もっといい事で当選したかった。なんでよりによって馬が怖い病気に...

 

しかし、なんだか珍しい病気の宣告をされても馬跳びの馬に不向きということ以外に特に生活に支障がなかったため、私も親もそんなに気にはしなかった。

 

ある日、母が実は娘がそんな病気らしい。と何気なく親戚に電話で話をすると、その親戚が泣き出すという事件が起きた。

 

「評判のいい気功の先生を知ってるからそこに通ってみなさい!」

 

涙ながらに訴えられたら行かないわけにもいかず、私は気功の診察に通院することになった。

しかしその評判の良い先生が水曜の朝9時からではないと診察をしなかったので、気功に行ってから中学校に登校するしかなく毎週水曜日は遅刻の日となってしまった。

 

気功では何をしたかというと、手を背中につけるかつけないかの寸止めくらいで先生が「ブシッ!ブシッ!」と言って背中に気を送るという診察を受けた。だいたい15分くらい背中に気を送ってもらっていた。

どうしても水曜日の診察に行くことができなかった時は、土曜日の先生にお願いをしたこともあった。

その時の先生は「ヒョッ!ヒョッ!」と言いながらゆるやかに背中に気を送ってくれた。いつもの先生はパワーみなぎる感じでスピード感もあるけど、この先生はなんだかマイルドであった。気功も先生によってスタイルが違うことを学んだ。

そして半年後の背骨の検診。果たして気功の効果のほどは?

 

「43度。特に変化ありませんね」

 

....。

 

なんなら1度増えている。

わたしは気功に通うのをやめた。

 

その後は特にこれといって何もせずに過ごしていたのだが、年に一回程度背骨の検診だけは真面目に通っていた。

しかし、いつも言われることは

「43度。変化ありません」

であった。

この検診はいつまで続くのだろうか。

23歳になった時に

「先生、ちなみ私は手術をしなくていいんですか?もうひたすら経過を見ていけばいいんですか?」

と今後の方針を尋ねた。

 

すると

 

「君は40度超えてるから手術適応なんだよね。まぁ、するかしないかでいったら...手術した方がいいんじゃない?」

 

クソが.....

 

 

私は8年間経過を見てくれた先生を一気に信用できなくなり、他の病院を探すことを決めた。

そんな私の状況を知った職場の医院長が

「僕の知り合いの先生が側弯症で有名な先生を知っていると言ってるんだけど。1度見てもらったら?」と紹介してくれたので、早速紹介状を書いてもらい診察をすることになった。

 

紹介されたその先生は、牛乳瓶の底みたいな大きな眼鏡が印象的なおじいちゃん先生であった。

 おじいちゃん先生はわたしの背中とレントゲンを見るなり、

 

「即手術!!!!!!!」

 

と、でかい声で言い放った。

 呆気にとられていると

 

「君、このままだと老後は寝たきり」

 

と、悲しい未来を宣告された。

 

それから半年くらい準備をして24歳の誕生日の前日に、9時間に及ぶ大手術を受けることになった。背中の側弯を治すべく、背骨をボルトで固定するという手術であった。

 

手術後。高熱と今まで味わったことのない劇痛により私の身体は猛烈に震えていた。尋常じゃないほどガタガタ震えながら担架で運ばれる私に「大丈夫?」と泣きながら声をかけた姉に「大丈夫じゃないから、大丈夫じゃないから」と朦朧としながらも訴えていたことを後から告げられた。

 

手術後1週間くらいすると、侍がよく身につける桶側胴のようなコルセットを風呂に入る時以外はしばらく装着するよう強いられた。

 病院の時は侍ルックでまぁ良い。問題は退院してからだ。肌色の立派な桶側胴とどうやって付き合っていくのかが課題となった。

 

まず服に制限ができた。

桶側胴を服の上からつけて歩く勇気もないので、桶側胴を服の下に装着することにした。そのため妊婦用のワンピースや大きめのTシャツを買って桶側胴が目立たないよう工夫したのだった。

 

また動きにも制限ができ最初は困惑したが、これは人間の適応能力というやつで慣れれば桶側胴を付けても仕事をこなせるようになった。ちなみに仕事には術後2ヶ月程度で復帰した。

すっかり桶側胴に慣れると、桶側胴をつけて筑波まで栗を拾いに出かけるほど元気になった。

 

 半年後。晴れて桶側胴から解放される日がきた。

今までわたしの体を守ってくれた桶側胴。15万円もした桶側胴。

この日からわたしの桶側胴は用済みとなった。

 しかし桶側胴をいろんな複雑な思いから捨てることができず、わたしは3年ほど桶側胴を部屋に飾っていた。

 

そして引っ越しを機に桶側胴をゴミの日に処分することを決めたのだった。

 

さようなら。桶側胴。

 

最後は桶側胴の写真を撮ってかっこよく加工してインスタグラムにアップさせた。

 

 

まぁまぁ大変な手術をしたわたしだったが、今現在は特に不調もなく術後の経過も良好。元気だ。

そういえば数ヶ月前に原っぱで馬とびをした際に、馬が怖いと言われることもなく馬になっても人様に迷惑を与えなくなったようで嬉しかった。

手術をしてよかったと思う。

 

ちなみにインスタグラムのかっこよく加工した桶側胴には6イイネしかつかなかった。