カニクリームコロッケが大好きです。
文字そばが好きです。
掟ポルシェ×爪切男 トークイベントに行けなかった話
諦めずに啜ってください。
ご飯とか、はんぺんとか、お豆腐とか、白いものだね。
結論からいうと、わたしは「ハゲは隠すべきではない」と思っている。
なぜそう思うかというと、ハゲを隠して上手くいっている人間を見たことがないからである。
そして、コンプレックスであるはずのハゲを使って、モテている人間を実際に知っているからである。
そんなわたしのハゲ哲学は5人のハゲから学んだ。
1人目は林先生だ。
林先生はわたしの人生でまぁまぁ大きな衝撃を与えた先生で、学童期の頃にハゲ哲学だけではなく、変態学も学ばせていただいた重要な人物である。そのため以前もブログで紹介した。
http://satomiconcon.hatenablog.jp/entry/2018/01/21/113518
彼はマッキーでハゲを隠していたのだが、
その違和感といったら凄まじく、近寄られたくないな...というのが可愛かったころの私の感想である。
この時点で、どうしてハゲを隠すんだろう(マッキーで。)という素朴な疑問を感じ、ハゲに対しての興味が湧いたのであった。
2人目は坂本先生だ。
中学生の社会科の坂本先生は、若いのにハゲてしまった先生であった。たしか20代からハゲが始まったと言っていた。だけど先生はそんな過去を授業中に話してくれる明るいハゲであった。
生徒が「ハゲ!」といえば、
「あのな。ハゲもいいことがあるんだぞ。40代の同窓会に行くと、おまえだれだよっていうくらい変わっちゃう奴が多いんだけど、俺は変わらないって言われるんだ。昔からハゲてる奴は変わらないんだぞ。」
と言ったセリフはわたしのハゲ哲学のベースとなっている。若ハゲは老けない。そうかそうかと。そんなオープンマインドでハゲの坂本先生は、非常に生徒から好かれていた。水泳の指導をしていた坂本先生に「さとみこんこんは平泳ぎのフォームが綺麗だ!」と言われたことを今でも誇りに思っている。
3人目は絶対王政。
この先生はたしか中学の世界史の先生で、本名は忘れてしまったのだが、絶対王政の授業でやたら熱を入れ出したために、生徒から絶対王政というあだ名をつけられてしまった先生である。独特の喋り方と、ヘアスタイルが特徴的であった。
先生は一目見れば「かつら」とわかるスタイルで、ハゲでかつらの人は、隠したいのか、目立たせたいのか、どっちなんだろう。とハゲの心理に興味を持ったきっかけをくれた先生である。
ある日、事件が起きた。些細なことから男子生徒と絶対王政が授業中に口論になってしまったのであった。
両者が熱くなって口論が荒々しくなってくると、年頃の思春期の彼は自分の感情のコントロールが上手くできず手がでてしまった。
さらに動物の本能的に相手の弱いところを狙いにいった彼の的は、例の独特のヘアスタイルであった。
掴む!かわす!掴む!かわす!
非常に白熱した戦いに観客の生徒は釘付け。
しかし、やっぱり若さってのは時として強さでもあり、持久戦に持ち込んで彼は取ったんですねあれを。そして彼は首を取った侍のように、先生のヘアを空高く掲げ喜んだのだった。
破れた絶対王政は、ネットを被った鬼のような形相で、ネット被ったトマトみたいな顔色で、めちゃめちゃ怒っていたのだった。
あんまりにもネット姿にインパクトがあったもんで、そのシーンしか覚えておらず、
その後、その男子生徒がどうなったかは覚えていない。
そしてわたしは、かつらを被るなら絶対にかつらだとバレないかつらを被った方が良い。という哲学を持った次第である。
4人目は合コンで知り合った2人の男だ。
その合コンは、非常に思い出深い合コンであった。
まずわたしは合コンのことを忘れていて、うっかり翌日に大腸検査の予約を入れてしまったのであった。
大腸検査をするにあたって、前日の夜から消化の良いものを9時までに食べないといけないきまりがあった。先生に、
「具体的に消化の良い食べ物ってなんですか?」
と尋ねると、
「ご飯とか、はんぺんとか、お豆腐とか、白いものだね。」
との返答。
そんな9時までに白いものを食べないといけない厄介な状態で、3対3の合コンに参加したのであったが、
相手側もなかなかパンチのきいたメンツが揃っていたのである。
3人中2人がハゲであったのだ。
1人は前方からまぁまぁきてるはげで、もう1人はハゲ散らかってるタイプの重症なハゲであった。
だけど、重症なタイプは最初キャップ帽を
被って平然を装っており、自己紹介をするときになったら
「よろしくお願いしまーす!」
と帽子をとってあいさつし、ハゲ散らかった後頭部を見せつけてきたのであった。随分余裕を感じる重症なハゲである。
さらにハゲ2人の名字は偶然にも同じ名字でややっこしかった。
見た目は少々クセはあるけど、3人とも心優しく、
キャッチフレーズ「9時までに白いものを食べないといけない女」のわたしにも皆気をつかってくれた。
「とろろは白いからオッケーだね!」
「炊き込みご飯はNG?」
「揚げ豆腐はどうだろうか。」
などと、一緒に考えてくれハゲ2人の好感度も高かった。
結構、この「9時までに白いものを食べないといけない」の縛りがいいイベントになって、合コンがちょっぴり盛り上がったような気もする。
この日の合コンは良い雰囲気で幕を閉じ、今度はみんなで花見にいきましょうといって解散をした。
そして数ヶ月後、本当にこの話は実現し、またみんなで集まって中目黒の空き地にブルーシートをひいて花見をしたのだった。
花見が終わった後は皆で中目黒のカラオケに行き、楽しく歌を歌った。
ここで、すごい才能を見せたのがハゲ散らかった重症のハゲで、めちゃめちゃ歌がうまかったのである。
L'Arc〜en〜Cielの「honey」を歌ってくれたのだが、鳥肌が立つほど上手く
「ハイドーーー!!!」と叫びながらわたしは目をつぶっていた。
そしてそのあともう1回くらい集まったか、集まらなかったかよく覚えていないのだが、どちらにしてもこのメンバーで会うということはなくなったのであった。
数年後。
たまたま、モノマネ王座決定戦をテレビで見ていると、
ハゲ散らかったL'Arc〜en〜Cielが現れたのであった。
「!!?!!!」
さらに月日が経ち、
「優勝おめでとうございまーす!」
「!!?!!!」
ハゲ散らかった人が、とても有名なコンテストで優勝したのだった。
そして、前方からまぁまぁきていたハゲの人の活躍も、とてもよく見かけるようになったのである。
現代のハゲは、金になるのだ。
だからハゲは隠さない方が良いとわたしは思っている。
そしてハゲ+αの才能があれば、モテると思う。時にそれは金になるのだ。
なのでハゲでかつらを買うことを検討するのであれば、手品に挑戦したり、料理教室に通ったり、
ハゲで固めた合コンを開いたり、
合コンの翌日に大腸検査でも受けて金を使ったほういいんじゃないかと、
わたしの経験からはそう言えるのだ。
ちょっと馬になってごらんなさい
私には特発性側弯症という持病がある。どんな病気かというと背骨が成長の過程でぐにゃぐにゃと曲がってしまう病気なのだが、痛みもなかったので全く気がつかずに生活をしていた。
そんなある日。中学校3年生の私は友人と馬跳びをしながら帰ることにした。
まず私から馬を飛んだ。馬になった友人の背中に手をつけてピョン♪と飛んだ。
今度は私が馬になって友人が私の背中に手をつけてピョン♪と飛んだ次の瞬間
「ギャーーーーー!」
友人が何故か叫んだのであった。馬だった私は屈んでいたので何が起きたかわからず、急いで顔を上げて友人を見た。
すると友人は地面に手と膝をついたまま停止していた。どうやら着地に失敗したようである。
「だ、大丈夫?」
と、友人に声をかけ手を差し伸べた私に、友人は強い眼光で私を見つめこう言い放った。
「ねぇ、背中おかしいよ」
「でこぼこしていてうまく飛べない」
「あなたの馬は怖い」
馬が怖いって....え?
それ以来その友人は私と馬跳びをして帰ってくれなくなった。
私は大変ショックを受け、私の馬が怖いと言われた事実を家に帰って報告した。
両親も娘の馬が怖いという事実に驚き
「ちょっと馬になってごらんなさい」
と事実確認を行った。
「たしかに背中がこんもりしている....」
側弯症は個人差もあるのだが横への変形だけでなく前後にもねじれることがある。そのため背中を曲げたときに骨がもりあがり、その結果「馬が怖い」に繋がったのである。
こうして中学校3年の時にようやく背骨の変形に気がついた私は、整形外科の診察を受けにいったのであった。
「特発性側弯症のようですね。原因は不明です。42度の変形がありますね」
そう言って、医師は私と付き添いの母に側弯症についてかかれた紙を渡した。
そこには40度以上の側弯症は1000人に3人程度の確率でなる病気と書かれていた。
なんだか大変そうな病気じゃないか。もっといい事で当選したかった。なんでよりによって馬が怖い病気に...
しかし、なんだか珍しい病気の宣告をされても馬跳びの馬に不向きということ以外に特に生活に支障がなかったため、私も親もそんなに気にはしなかった。
ある日、母が実は娘がそんな病気らしい。と何気なく親戚に電話で話をすると、その親戚が泣き出すという事件が起きた。
「評判のいい気功の先生を知ってるからそこに通ってみなさい!」
涙ながらに訴えられたら行かないわけにもいかず、私は気功の診察に通院することになった。
しかしその評判の良い先生が水曜の朝9時からではないと診察をしなかったので、気功に行ってから中学校に登校するしかなく毎週水曜日は遅刻の日となってしまった。
気功では何をしたかというと、手を背中につけるかつけないかの寸止めくらいで先生が「ブシッ!ブシッ!」と言って背中に気を送るという診察を受けた。だいたい15分くらい背中に気を送ってもらっていた。
どうしても水曜日の診察に行くことができなかった時は、土曜日の先生にお願いをしたこともあった。
その時の先生は「ヒョッ!ヒョッ!」と言いながらゆるやかに背中に気を送ってくれた。いつもの先生はパワーみなぎる感じでスピード感もあるけど、この先生はなんだかマイルドであった。気功も先生によってスタイルが違うことを学んだ。
そして半年後の背骨の検診。果たして気功の効果のほどは?
「43度。特に変化ありませんね」
....。
なんなら1度増えている。
わたしは気功に通うのをやめた。
その後は特にこれといって何もせずに過ごしていたのだが、年に一回程度背骨の検診だけは真面目に通っていた。
しかし、いつも言われることは
「43度。変化ありません」
であった。
この検診はいつまで続くのだろうか。
23歳になった時に
「先生、ちなみ私は手術をしなくていいんですか?もうひたすら経過を見ていけばいいんですか?」
と今後の方針を尋ねた。
すると
「君は40度超えてるから手術適応なんだよね。まぁ、するかしないかでいったら...手術した方がいいんじゃない?」
クソが.....
私は8年間経過を見てくれた先生を一気に信用できなくなり、他の病院を探すことを決めた。
そんな私の状況を知った職場の医院長が
「僕の知り合いの先生が側弯症で有名な先生を知っていると言ってるんだけど。1度見てもらったら?」と紹介してくれたので、早速紹介状を書いてもらい診察をすることになった。
紹介されたその先生は、牛乳瓶の底みたいな大きな眼鏡が印象的なおじいちゃん先生であった。
おじいちゃん先生はわたしの背中とレントゲンを見るなり、
「即手術!!!!!!!」
と、でかい声で言い放った。
呆気にとられていると
「君、このままだと老後は寝たきり」
と、悲しい未来を宣告された。
それから半年くらい準備をして24歳の誕生日の前日に、9時間に及ぶ大手術を受けることになった。背中の側弯を治すべく、背骨をボルトで固定するという手術であった。
手術後。高熱と今まで味わったことのない劇痛により私の身体は猛烈に震えていた。尋常じゃないほどガタガタ震えながら担架で運ばれる私に「大丈夫?」と泣きながら声をかけた姉に「大丈夫じゃないから、大丈夫じゃないから」と朦朧としながらも訴えていたことを後から告げられた。
手術後1週間くらいすると、侍がよく身につける桶側胴のようなコルセットを風呂に入る時以外はしばらく装着するよう強いられた。
病院の時は侍ルックでまぁ良い。問題は退院してからだ。肌色の立派な桶側胴とどうやって付き合っていくのかが課題となった。
まず服に制限ができた。
桶側胴を服の上からつけて歩く勇気もないので、桶側胴を服の下に装着することにした。そのため妊婦用のワンピースや大きめのTシャツを買って桶側胴が目立たないよう工夫したのだった。
また動きにも制限ができ最初は困惑したが、これは人間の適応能力というやつで慣れれば桶側胴を付けても仕事をこなせるようになった。ちなみに仕事には術後2ヶ月程度で復帰した。
すっかり桶側胴に慣れると、桶側胴をつけて筑波まで栗を拾いに出かけるほど元気になった。
半年後。晴れて桶側胴から解放される日がきた。
今までわたしの体を守ってくれた桶側胴。15万円もした桶側胴。
この日からわたしの桶側胴は用済みとなった。
しかし桶側胴をいろんな複雑な思いから捨てることができず、わたしは3年ほど桶側胴を部屋に飾っていた。
そして引っ越しを機に桶側胴をゴミの日に処分することを決めたのだった。
さようなら。桶側胴。
最後は桶側胴の写真を撮ってかっこよく加工してインスタグラムにアップさせた。
まぁまぁ大変な手術をしたわたしだったが、今現在は特に不調もなく術後の経過も良好。元気だ。
そういえば数ヶ月前に原っぱで馬とびをした際に、馬が怖いと言われることもなく馬になっても人様に迷惑を与えなくなったようで嬉しかった。
手術をしてよかったと思う。
ちなみにインスタグラムのかっこよく加工した桶側胴には6イイネしかつかなかった。